第5話
「うう、寒…」
路地裏の奥、昼間だというのに日も差さぬ暗い場所で、店主は身を縮めていた。あれだけ長かった髪の毛も邪魔になるからと切り捨ててしまったせいか、首筋が妙にぞわぞわする。手元には、螺子も歯車も本も何もない。すべて壊されてしまった。あれから約一週間。辛うじて持ち出せた僅かな食料もそろそろ底を尽きそうだ。最後はこんなところで死ぬのかと、弱々しく笑うことしかできなかった。目を閉じると、瞼の裏には懐かしい家族の姿が蘇る。彼らはやはり、なにか汚れた物を見るような目で彼女を眺めていた。
__一度でいいから、誰かに認めてもらいたかった。父も母も仲の良かった姉も近所の人たちも魔法の才が無いと分かった途端みんなみんなみんな彼女を責めた。きっと前世で罪を犯したんだ、なんて汚らわしい!とそればかり。気味が悪かった。見えもしない、根拠もない何かに囚われているようで。だから変えようとした。必死で情報を集めた。壊されぬよう誰も来ないようなところに身を隠し、人生のすべてを研究に費やした。祝福を扱わぬ店の話を聞き必死に探して無理を言って滞在させてもらった。それだけが希望だった。なのに…
やっぱりこんな世界なんて嫌いだ、と思う。理不尽なものに囚われ、皆それが当たり前だというような顔ばかりして…。受け入れられなかったから、こうなったのだろうか。自分の意見が“間違っている”から。
その時、誰かの足音がして彼女はそちらに目を向ける。魔法使いだろうか。ここに隠れられるような場所は無い。見つかったら、また糾弾されるのだろうか。
「やっと見つけた!」
…しかし、聞こえてきた声は聞き覚えのあるものだった。まだ幼い、瑠璃色の瞳の少年がひょっこりと顔を出す。
「おまえ…」
思わず体を起こすと、少年は慌てたように彼女の手を掴んだ。
「早く行こう!間に合わなくなっちゃう。」
そのまま手を引いて行こうとした少年に、彼女は戸惑ったように尋ねた。
「行くって、どこへ?もうすべて壊されたんだぞ」
「この町を出るんだ!」
少年が言う。
「居場所がないなら、探しに行けばいい。」
「…!」
その言葉は、少女だったころからずっと彷徨い途方に暮れていた彼女の心にずしりと響いた。
「ほら、一緒に行こう!」
「…ああ。」
日の当たらぬ路地裏から出ると、太陽の明かりが凄く眩しく思えた。目を細めて空を見上げる。今日が雲一つない快晴だったことに初めて気が付いた。ただ夢中で少年の後ろを走る。体が羽のように軽かった。
一度でいいから、誰かに認めてもらいたかった。…本当に、認めてくれる人は居なかった?
いいや、と彼女は首を振る。祝福を扱わぬ店の話を彼女に持って来たのは他でもない姉だった。嘲るふりをしながらもその視線は変わらず優しかった。前代の店主は彼女に知恵を授けてくれた。よくここまで来てくれたと、いつも言っていた。そして__目の前の少年もまた、諦めずに手を差し伸べてくれた。憧れていた存在に憎まれ追われることになるのは分かっているだろうに、それでも彼女を見捨てなかった。
ほんとうは分かっていた。気付いていた。魔法なんかなくても、欲しかったものはずっと傍にあった。
「止まれ!」
町の外まであと少し、という所で目の前に杖を突き付けられ少年はこっそり舌打ちする。手元の時計は午前11時52分をさしている。ああ、もうすぐなのに!
「どうして止まらなきゃいけないの?」
少年が歯向かうと、紺のローブを着た魔法使いは言った。綺麗だとばかり思っていたその裾は近くで見るとくたびれ、黒ずんでいた。
「そこの罪人が禁術の研究をしていたからだ。そいつを処刑するのが我らの仕事だ。分かったら諦めてそいつを引き渡せ。さもなければお前も同じ目に合わせるぞ。」
少年は彼女を庇う様に杖の前に立つ。いつの間にかほかの魔法使いも集まりつつあり、紺のローブが人混みにちらほらと見えた。__あの青年の姿もある。
「…。」
睨み合ったまま時間だけが過ぎて行く。向けられる杖がひとつ、またひとつと増えていく。
「…もういい。私はいいからお前だけでも」
「嫌だね。」
少年が言うと、魔法使いの男は声を荒げて言った。
「それが何なのか分かっているのか!?野放しにしておけば世界が滅ぶかもしれないのだぞ!」
「馬鹿なこと言わないで!それなら魔法だって同じでしょ?あんたが杖を振るだけで僕達なんか簡単に消せる」
「なっ…!?」
時計の針は午前11時58分50秒を示している。大丈夫、いける!
「魔法は違う!神から授かった奇跡の力だ!」
「そんなもの、奇跡でも何でもないね!」
少年は敢えて声を大きくして言う。魔法使いだけじゃない。この町の全ての人々に聞こえるように。
「僕が見せてあげるよ。本物の奇跡ってやつを!」
辺りがざわめく。遠巻きに眺めていた人たちが目を丸くする。通りすがった人が、足を止める。
「馬鹿を言うな。そんなのできるわけがないだろう!」
喚く魔法使いの言葉を無視し少年は言う。
「そうだな…じゃあ、この町に星を降らせようか」
「なっ…!?」
少年はこっそり時計を見る。30秒前。
「ふふ、逃げなくていいの?星を浴びたら大変なことになるのは知ってるよねえ!?」
「そんな…できるわけがない。そんな無茶なこと…」
辺りがざわめきに包まれる。逃げる者、観察する者、できるわけがないと首を振る者。
誰もが我を忘れて奇跡に見入った、その瞬間を狙って少年は手の平を上にして空に手を伸ばす。
5,4,3,2,1…今だ!
「さあ、奇跡が起こるよ!!」
辺りが緊張に包まれた、その瞬間。よく晴れた空から一筋の光が降りてきた。続くように光の筋はぽつぽつと増え、次々と地面に消えていく。
「星だ!星が降ったぞ!!」
辺りが悲鳴に包まれると同時に、遠くの方で低い鐘の音がした。時計台だ。何かを知らせるように、何度も何度も鐘の音が響く。
星から身を隠すのも忘れ皆が一様に呆然と時計台を見る。誰かが「奇跡だ」と呟いた。
「そんな馬鹿な…ありえない」
魔法使いが呟いて、杖を取り落としたその瞬間、少年は店主の手を引いて走り出す。
「行こう!」
町の内と外を隔てる門はすぐそこだ。いくら魔法使いと言えど、門の外まではついて来ないだろう。
「待て、逃がさないぞ!」
その時、複数の魔法使いが後ろから魔法を放った。まだ追ってくるかと顔をしかめたその時。2人を守るように魔法使いの前に立ちふさがった者がいた。…あの青年だった。
「杖を下ろしてください。」
「お前っ…裏切るのか」
「いいえ。僕は裏切ったつもりはありません。ただ魔法使いとしての規則に従っただけです。罪のない人を守るのが僕らの役目でしょう?」
「しかし!」
「禁術の研究をしたから、ですか?それなら何か具体的な証拠を出していただけます?」
魔法使いがぐっと声を詰まらせる。
「やれやれ。人々を守るという絶対的な役目を持った者たちがただの噂で動くなど…言語道断ですね。」
その時、思わず立ち止まった少年と店主を一瞬見やって、青年は声を出さずに言った。「早く行きなさい。」と。
少年は軽く頭を下げて、再び走り出す。門はすぐそこだ。もう、止める者は何もない。勢いよく門の外へ踏み出す。空気が変わる。道が薄くなる。気持ちの良い風が吹いて、それと同時に店主が勢いよく笑った。
「まさか本当に奇跡を起こすとは!全く、恐ろしい奴め」
「時計台にちょっと細工しただけだよ。後は仕掛けた時間まで演出しただけ」
ちゃっかり少年の足元をついてきた黒猫を見やって笑う。
「気付いたんだ。魔法が無くても奇跡は起こせるってね。」
町の外、日の当たる場所を彼らは堂々と進む。光の雨が2人の旅立ちを祝福するように輝いた。
__この後、多くの地を旅する彼らが『本物の奇跡を操る者』としてひそかに有名になるのは、また別のお話。
魔法の世界とひとりぼっちの少年 火属性のおむらいす @Nekometyakawaii
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