本振袖に勝利!
増田朋美
本振袖に勝利!
その日も大変暑い日で、なんだか頭がどうにかしてしまうのではないかと思われる暑さだった。マネさんこと、白石萌子さんは、眼の前に出された美しい本振袖を前に、腕組みをしてなにか考えていた。
「どうでしょうか。これを二部式着物に直すというわけには行きませんか?」
客である若い女性、松野亜希子さんは、お願いするような顔をしている。
「まあそうですね。確かに作ることは出来るのですが、こんな立派な振袖を、二部式にするのはちょっと。」
マネさんはそう言ってしまった。
「でもきるのは私だし、その私がお願いしているのですから、着物にとっても良いことではないかと思うのですけど?」
松野亜希子さんはそう言っている。
「そうかも知れないですけど、これは大変素晴らしいものだと思います。だから簡単に切って二部式にするのは、おすすめできないと思います。」
マネさんは彼女に言った。
「でも、これは私が、自分用に買ったものでもありますし、分解して二部式にして、着やすくしても良いと思うのですけど。」
そういう亜希子さんの顔を見て、マネさんはなにか理由があるのかなと思った。
「なにか理由があるのですか?その振袖を二部式にする理由。」
思わずマネさんはそう聞いてみる。
「ええ、どうしても振袖を一人で着なくては行けないんです。帯に関しては、幸いインターネットで、作り帯を作ってくれるサイトが有りましたので、それで頼もうかと思っているのですが、着物を二部式にしてくれる方は、なかなかおりません。だからお宅に頼もうと思って、今日やってきました。」
そうしっかり話をする亜希子さんに、マネさんは圧倒されてしまって、
「わかりました。じゃあちょっと他のものに相談するなりしますから、こちらはとりあえず預かって置きますね。又何かあったら、連絡を入れます。」
と言って、とりあえず、返ってもらうように促した。いくらここで話してもどうにもならないことはよく分かるからだ。一応顧客名簿に、松野亜希子さんと書き込んで、本振袖二部式と書き込んで置く。
それにしても、この振袖を半分に切って、二部式にしても良いものだろうか。なんだか作るどころか、着ることだって憚られそうな、ご立派な振袖だ。袖丈は、104センチ強で、一般的な本振袖より若干袖が短いが、それにしても、流水とボタンの柄をふんだんに利用した、明らかに礼装用の振袖である。
「これを本当に改造しても良いのかな?」
マネさんは一つため息をついた。何気なく前を見ると相田みつをさんの書がかけてあった。
「あとじゃできねんだよな。今のことは今しかできぬ。」
そうだよなあ、今のことは今しかできない。とにかく今のことは一生懸命やらなくちゃと思ったマネさんは、とりあえず自分では解決できない問題だと思ったので、誰かに相談してみることにした。とりあえず、スマートフォンを取って電話をかけてみると、杉ちゃんは製鉄所へ行っているという蘭の返事だったので、車に乗ってマネさんは、製鉄所に行った。
製鉄所と言っても鉄を作るところではない。居場所の無い女性たちに、勉強や仕事をする部屋を貸し出している福祉施設である。製鉄所というのはただの施設名だ。
製鉄所は富士市の大渕にあった。マネさんの家からだと一時間かかった。それでも高速道路を飛ばして走るのは気分良いものであった。富士山エコトピアのバス停近くにその建物があった。大型の日本旅館のような建物で、和風の作りであるが、一部の段差は撤去されているなど、障害のある人が、入っても良い作りになっている。
「こんにちは。杉ちゃんいますか?」
マネさんがいうと、
「おう待ってたぜ。」
杉ちゃんがマネさんに応じた。
「あらましは蘭に聞いた。相談って、なんの相談に来たんだよ。」
「実はこの、振袖なんだけど。」
杉ちゃんに言われてマネさんは振袖を紙袋の中からちょっと見せた。取り合えず、製鉄所の食堂に、二人は行った。杉ちゃんにちょっと広げてみろと言われて、マネさんは振袖をテーブルの上においた。
「こりゃあ、見事な京友禅だな。それに刺繍もしてあるし。高級品としか言いようがない。これを二部式にしてみろって言われたら、確かに困るな。」
「そうなのよ。杉ちゃんよく分かるわよね。さすがプロの和裁屋さんは違うわ。ほんと、こういうときに頼りになる。そうなのよ。これで二部式着物を作レなんてちょっと酷だわ。でも依頼した人は、ぜひやってもらいたいみたいだったから、私どうしたらよいか悩んでしまって。確かに仕事だから、そのとおりにすれば良い。お金が貰えればいいって考えることも出来るけど、これほど本当にすごいものだから、なんだか作った人に申し訳ないというかなんというか。」
「でも着ないで放置しておくのはもっと悪い。」
マネさんの話に、杉ちゃんは、きっぱりといった。
「そうか。」
マネさんは、そこで何か感づいたようだ。
「確かに、二部式にして、良く着てくれるようになったら、それはそれで良いかもしれない。でもねえ、この着物は、立派すぎるというかなんというか。」
「まあ割り切って考えることだな。時代は変わったよ。もう二部式で十分だって考えるやつが多いってことだよ。それで良いと思ってさ、人助けのつもりでやってあげたら。」
「そうねえ。」
マネさんは大きくため息をついた。
「そいつは、成人式かなんかで振袖を着るんだろ。だったら大体のやつはそれで終わってしまうんだけど、そうならないかもしれないじゃないか。そいうふうにだな、良い方向に考えるんだ。なんでも悪い方へ考えていたら、世の中を渡り歩くことも、できなくなっちまうよ!」
杉ちゃんにそう言われて、マネさんはわかったわという顔をした。
「あたしやってみる。依頼された方は、ちゃんと理由があって、やっているんでしょうから、それを無視しちゃいけないわよね。」
「頑張れ!マネさん!」
杉ちゃんにそう言われて、マネさんこと白石萌子さんは、やってみることを決断した。杉ちゃんに礼を言って、振袖を畳んで、製鉄所をあとにし、途中で腰紐を二本買って、自宅兼仕事場へ戻った。そして床の上に本振袖を広げてそれを規定位置で2つにきり、その端をロックミシンで縫製し、その先端に半分に切った腰紐を縫い付ける作業をする。かなり根気のいる作業であるが、マネさんは一生懸命作業をした。もちろん疲れはするけれど、頑張らねばと思って作業をした。
とりあえず、二部式の振袖は完成した。完成したと、松野亜希子さんのスマートフォンにメールを送る。するとすぐに返信があり、明日取りに行くという話であった。マネさんはそれをよほど望んでいたんだなということを、感じ取れたような気がした。
翌日、マネさんの自宅兼仕事場に、松野さんがやってきた。確かにとても、嬉しそうな顔をしているが、それは通常の嬉しさとはどこか違っているような気がした。
「じゃあこちらですね。一度着てみましょうか?」
マネさんは完成した二部式の振袖を見せた。
「ありがとうございます!」
松野さんはそれを受け取ってまず下半身の巻きスカートのような一枚布を腰に巻いた。そして上半身の上着を羽織って、紐を通せば、振袖を着ることができた。
「ウンとても美しいわ。うまくできてよかった。これならあたし、簡単に着られて、お母さんに勝利できるかな?」
「勝利?それはどういう意味?」
マネさんはそう松野さんに聞いてしまった。
「ええ。これは、立派な着物なのかもしれないけど、メルカリで、1000円で買ったものなのよ。」
と、松野さんは答える。
「そうなんだ。確かに、価値がわからないで販売しちゃう人も、最近は多いですからね。」
マネさんは驚かずに言った。
「これで私も一人で振袖が着られるわ。そうすれば母に邪魔されることなく、振袖が着られる。私はもともと、こういう古典柄が好きだけど母はそうじゃないのよ。それを私にも押し付けてくるんだからね。本当に嫌で仕方なかったわ。」
松野亜希子さんは、そういうのであった。
「そうなんですね。お母様と振袖の好みが違ってたんですか?」
マネさんがいうと、
「ええ。そういうことだったんです。あたしは、もともと古典的な柄の着物とか好きなんですよ。古典的な柄は、意味があるし、なにか教えてくれることもあると思うんですね。だけど、母は可愛いとか、そっちのことばっかりで、あたしの主張なんか聞いてくれる人じゃなかった。そういうわけだから、いつも着物選ぶと喧嘩ばっかりしてどうしようもなかったのよ。まあ、振袖にしろ、訪問着にしろ、今は何でも1000円から3000円くらいで買える世の中だから、それは嬉しいんだけど。母に地味すぎると言われて無理やり捨てられても、ちょっと、小遣い貯めれば買えるからさ。」
松野亜希子さんは、にこやかに言った。それを聞いてマネさんは、もう少し着物を大切にしてほしいなと思うのであるが、松野亜希子さんは、にこやかに笑っているのであった。
「まあ確かに、ちょっと小遣いを貯めれば買えるわよね。でもいま着ている着物だって、京友禅で本当にすごいものなのよ。それを二部式にしてしまって、ちょっともったいない気持ちがした。それは、感じなかった?」
思わずマネさんはそう言ってしまう。
「ごめんなさい。」
松野亜希子さんは急いで、上着と一枚布を脱いだ。
「でも、着物はいつも自分でなかなか着られないから、持ってるだけで実際に着るのは、こうして二部に作り変えてもらうしか無いのよ。それだってお金出してもらうとか、こうして、インターネットでやってくれる人を探し、やってもらえばそれで良いでしょ。良い世の中になったものよね。一人で着物が着られなくても、お金を出せば、こういうふうに自分で着られるようにしてくれる。」
「そうですねえ。」
マネさんは言った。
「確かに、形を買えるというのもあると思うんですけど、それだけでは無いんですよね。だって、どんな形であっても、一応、友禅を纏うわけだから、そんなふうに簡単に着られるとは思ってほしくないわ。友禅といえば、日本でも有数の染め物よ。それをふんだんに使い込んで、こんな着物、とても、普通の人では、1000円では購入できないわよ。もう何千円どころじゃない。何百万もするような代物よ。それを、何も知らないで、1000円で販売しちゃうんだから、よほど、いらないと思ったのでしょうね。」
「そうかあ。あたしとおんなじだ。」
松野亜希子さんは言った。
「それはどういうことですか?」
マネさんは聞いた。
「あたしも、お母さんと日頃から仲が悪くてね。もう、いろんなことして、喧嘩してばっかりだったのよ。確かに、良く働いて色々優秀だったらしいけど、あたしはどうしても、そういう母の態度が、気に入らなかった。みんな母が一生懸命働いているのを知っていて、何かとあれば、お母さんみたいな立派な人になれってうるさかったから。」
松野亜希子さんは、そういうのであった。
「そうなんですか。お母さんは、何をしていられたんですか?」
マネさんが聞くと、
「ええ、高校で英語を教えてました。まあ、確かに頭も良くて、優秀で、きちんとしていて、しっかりしすぎている人だからね。それに英語を教えている事情もあって、すぐに言いたいことは何でも言う人だから、私とは喧嘩ばっかり。私は私で、憎たらしい女性に似てしまうのかしら。自己主張が強くて、母にそっくりだったみたい。もう一緒に暮らしていた祖父からは、お前たち、喧嘩するのもいい加減にしろって、しょっちゅう言われたのよ。」
と、松野亜希子さんは言った。
「お父様はいらっしゃらなかったの?」
マネさんは又聞いた。
「ええ、父は、私が、一歳のときくらいに、母と分かれてそれっきり。まああたしも、離婚なんてしてもらいたくないって、思ったこともあったのかもしれないけど、それは口に出して言えるような年齢でもないし、立場でもなかった。しばらくは、母と祖父と祖母と暮らしてたんだけど、ふたりともなくなってしまってからは、母と私の関係がギクシャクしてしまったままで。」
確かに、お年寄りがいてくれると、そういうふうに、不仲な親子関係を修正してくれたりするものだ。だけど最近は、そういう家族は少ないので、なかなか不仲になってしまうと、修正するのは難しい。本当は、お父さんがそういう役目をしてくれても良かった。だけど、お母さん一人だけでも十分やっていけるくらいの世の中になっている。
「そうなんですね。それで、一人で振袖を着れるようになって、お母さんのことを見返してやりたいと思ったわけですか。」
「そうなんです。あたしが、お母さんの手の届かないところにいたくなって、着物を着始めたんだけど、だんだん母が手を出してくるようになったから。」
彼女、松野亜希子さんは言った。
「そうなんですか。いつから着物を着ようと思ったんですか?」
まるでコンサルタントみたいに、マネさんは聞いてみた。
「ええ、きっかけは、ちょっと、茶道のワークショップに顔を出したことが始まりで。それで、お母さんの教えている西洋文化にはない日本文化の世界ってこんなに居心地が良いものだと思ったわ。でも私、一人で着られないから、インターネットで二部式にしてくれるところを探して、それで着るようになったんだけど。成人式のときは、全く着物なんか好きじゃなくて、本当に地味な振袖しか着れなかったのにね。それなのに今では、吉祥文様の着物を集めるようになっているのよ。それなのに母ときたら、私の気に入らない西洋的な柄を着るようにって、何度も何度も押し付けるんだから。」
松野亜希子さんは、そう静かに言った。
きっと、松野さんがお母さんと感じていることは、母と子のすれ違いだ。お母さんだって、亜希子さんに、可愛くなってもらいたいと思っているだろうし、亜希子さんは亜希子さんで、日本文化の伝統的な柄に触れて、楽しく着用したいという気持ちがあるのだろう。どちらが悪いというわけではない。だけど、人間には、自分という意識があって、それに応じて好きなもの嫌いなものがあり、そしてそれに応じていろんな感情が湧いてくるのだ。それで一人ひとりの人間で二度と同じ人は現れないということになるのだろう。この自分であるということを、阿頼耶識というらしいが、それについては、又別の分野で論議することにする。
「まあ、そうねえ。それを解決するには、やっぱり、ちゃんとお互い歩み寄るしか無いと思うわよ。黙っていていずれ解決するのかって言うと、そういうわけではないのだからね。だから、もし、お母さんが、伝統的ではない、着物を要求するようになったら、あたしは、日本の伝統的な着物が好きだってちゃんと主張しなくちゃだめなんじゃないかしら。」
マネさんは、にこやかに笑った。
「そうねえ。あたしは、ちゃんとできないのよねえ。いくらお母さんに、ちゃんと話をしても無駄だなあと思われる態度しか見えなくて。それを見ると、あたしはああやっぱりだめだって、思っちゃうわ。」
松野亜希子さんは、大きなため息をついた。
「そうね。でも一度は自分の主張をしてみることも大事なんじゃないかしらね。それで無理だったら、諦めるのよ。諦めるってことは、明らかに認めることでもあるから、決して、悪いことじゃないの。」
「そうなの?もし明らかに認めたら、あたしの好きな着物をみんな捨てることになっちゃうのかしら?」
亜希子さんは、そうマネさんに言った。
「そうねえ。でも、お母さんに自分の意思を通してみなければ、結果は生まれないわ。まず始めに、話しても無駄だではなくて、自分はこういう柄を着たいってちゃんと言うのは必要なんじゃないかしら。その結果無理だってことはわかったとしても、それならじゃあどうしようか、考え直していくしか無いのよ。あたしね、そう思うことにしてる。瀬戸物と瀬戸物とぶつかりっこすると、すぐ壊れちゃう、どっちかが柔ければ大丈夫。柔らかい心を持ちましょうって。でもね、みつをさんって、こうも言ってる。そういう私はいつでも瀬戸物。あたしも、きっと瀬戸物なんだと思う。柔らかい心をもちましょうってのは、ある意味明らかに認めましょうって言うことだと思うのよね。」
「そうなんですね。やっぱり職人さんって、偉いなあ。そういうふうにさ、伝統に携わっている職人さんって、なんかすごい哲学を持っているのよね。なんだか尊敬しちゃうわ。」
亜希子さんは、マネさんに羨ましそうに言った。
「いいえ。あたしは伝統に携わっている職人さんじゃありません。あたしはただ、伝統的な着物を、みんなが着られるようにしてあげてるだけです。伝統的な着物そのものを作るのは、和裁士さんとか、そう呼ばれている人たちです。それに、そういう人たちにしてみれば、私のやっていることってなんて馬鹿なことだと思っていると思います。」
マネさんは、ちょっと照れ笑いを浮かべていった。
「そうなんですか。でも、あたしからしてみれば、着物なんて絶対手の届かないものだったのに、そうして着物を着られるようにさせてくれる、白石萌子さんのほうが、すごいと思うけどな。そうやって、雲の上の全然知らない世界だったのが、私も楽しめるようになれるんだから。」
そういう亜希子さんにマネさんは本当はとても嬉しかったのだが、
「いいえ、そんなことありません。あたしはただ、お手伝いをしているだけ。着物に触れさせてもらって嬉しいんだったら、着物自体を作ってくれている和裁士さんにお礼を言ってください。着物を縫うのは本当に気の遠くなるような年月で縫うのよ。だから、1000円で買えるとか、すぐに手に入るとかそんなこと簡単に言っちゃだめよ。」
と、にこやかに笑って言うのであった。亜希子さんは、それをちょっと考えて、
「そうですね、あたしも少し、着物について勉強してみようかな。」
と、にこやかに笑ってマネさんに言った。
本振袖に勝利! 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます