転職に取り憑かれた男

羽弦トリス

転職に取り憑かれた男

午後11時50分。終電で自宅最寄り駅に到着。

ザァー。

外は雨だ。男は舌打ちをした。スマホでは今日は晴れの予報を出していたのに。

男はもう一度、天気予報アプリを開く。


「後、30分で止むのか……」


男の名は明かさないでおこう。40代後半で背は高いが腹が大黒様のように太鼓腹で見苦しい。

自宅には、妻子がいるがもう、とっくに寝ている時間。

嫁さんを途中で起こすと、大変機嫌が悪くなるので通り雨を駅でやり過ごす事にした。


男は、貿易の団体職員で朝の6時に出勤して、夜中、否、朝から翌昼まで残業をするとこがザラだった。

今日、11時50分に最寄り駅に到着したのはラッキーな部類でもある。

1日だけ、22時以降働いても翌日休みにならないが、3日間22時以降働いたら翌日は休みになる。

そして、男の今日は3日間目。

自動的に明日は休みだ。


仕事は、接岸した外国船に乗り込み、輸出入物の検査証明書類を作成する事だった。

だが、これだけ働いても30万円の壁は超えない。

何故ならば、団塊世代が多い時代は、その年下の給料の数%を削って定年退職する職員の退職金を作り、若手の職員は退職金が無い代わりに基本給を上げることで、統一したが、男の基本給は17万円それに、残業代が16万円で33万円あるが、天引きされる金額があるので、20数万円だ。

もちろん、一時金という名のボーナスはあった。


男は精一杯だった。若い時の様に身体も動かないし、若い職員に自腹で飲ませたり、月の小遣いが5万円では足りなかった。

5万円でタバコ代、飲み代をやりくりしなければならなかった。

昼めしや晩めしは、会社の弁当を注文する。それでも、深夜まで働く男の給料から非情に差っ引かれる。


男は、タバコに火を付けて煙を思いっ切り吸って吐いた。

恨めしそうに外を眺めている。

男は考えていた。転職を。転職するなら今だ!と。


「すいません、火貸してもらえます?」

男が振り向くと、隣りに同じ年代の中年が立っていた。この無人駅には自分一人取り残されたと思っていたのだが。それに、夜だと言うのにサングラスを掛けている。


サラリーマンの男は、サングラスの中年にライターを渡した。

男は、

「ありがとうございます」

と、行ってハイライトに火をつけた。男はサラリーマンにライターを返して、

「もし、良かったら飲みませんか?」

と、缶ビールをサラリーマンに渡した。


サラリーマンの男は大の酒好きである。しかも、明日は休みだ。

「良いんですか?」

「どうぞ!ライターのお返しに」


2人は無人駅のベンチに座り、缶ビールを飲み始めた。

サングラスの男は、何故かビニール袋に数本の缶ビールを持っており、1本が2本、2本が3本と2人で飲み進めた。

ツマミはアタリメであった。


「通り雨ではなさそうですね。雨雲レーダーでは30分で止むはずが、1時間も降ってます」

と、サラリーマンは言った。

「私の雨雲レーダーでは、後2時間降ります」

「あなたは、何のお仕事ですか?」

と、サラリーマンは尋ねた。

「人材派遣の会社です」

「ほう、人材派遣。実は今の職場に嫌気がさして転職したいのです」

と、言って新しい缶ビールのプルタブを引いた。何故か、缶ビールはキンキンに冷えている。長い間ビニール袋の中の缶ビールなのに。


「どういう、スキルをお持ちで?」

と、サングラスの男は尋ねてきた。

サラリーマンは英検、通関士、様々な貿易に関するスキルを持っていた。


「あなたに、ピッタリの仕事があります。給料はこれです」

と、男は手のひらを開いた。

「ご、50万円?な、なんの仕事ですか?」

「貿易です。あなたは、海外の顧客と提携先の会社の物品の取り扱い説明をするだけです」

と、サングラスの男は缶ビールを煽った。

「ぜ、是非、やらせて下さい。来月には退職するんで」

「でも、定年退職まで働いてもらいますよ!その前に退職されたら、困るのですがよく定年退職前に辞める方が多くて」


サラリーマンの男とサングラスの男はスマホで電話番号とLINEの交換をした。


雨は止んでいた。


2人は無人駅を後にした。


サラリーマンの男が帰宅したのは、夜中の3時過ぎだった。

シャワーを浴びて、ベッドに寝転んだ。


翌朝、10時。

男は目が覚めた。

「おはよう」

と、男の嫁さんが言った。

「おはよう。もう、こんな時間か……。洋平は学校か?」

「あなた、洋平は昨日から修学旅行です」

「そうか……なぁ、里美。オレ、転職することになった」

「……え?ホント?まだ、住宅ローン15年残っているのよ!次、決まったの?」

「うん。だいたいね。月50万円の給料だ。同じ貿易の仕事。会社が変われば、似たような仕事でも、給料全然違うんだな?」

里美は、牛乳とトーストとハムエッグを男に渡した。


「転職成功したら、焼き肉だね?」

「うん。今日、先方さんと連絡取ってみる」

「でも、今の会社直ぐに辞められるの?」

「当たり前だ。早期退職者には、オレでも退職金がもらえるんだ」

と、男は牛乳を飲みながら言った。

「いくら?」

「300万円」

「20年勤めて300万円かぁ〜。無いよりマシだね」


男は昨夜のサングラスの男に電話した。

喫茶店ポエムで会う事になった。


15時。指定された時間だ。男が入店すると一目で分かるサングラスの男がテーブルに着いていた。

「昨夜はビールごちそうさまでした」

「いえいえ」

「で、仕事の具体的内容ですが」

「はい。ボックスを外人に渡すだけです。英語のスキルがお持ちですので、説明書を読んで渡すお仕事です」

「何がボックスに入っているのですか?」

「精密機器です。1つ約束が」

「何です?」

「絶対に中身を見てはいけません」

「……わ、分かりました」

「以上です。では、来月アタマからお願い致します」

「こちらこそ」

サングラスの男は代金を支払い店を出た。


翌月から男は外人にボックスを渡す仕事を始めた。

男は外人に、決して中身を見せてはいけない事と、冷蔵庫のような物で保存する様に説明した。

翌月、銀行に53万円振り込まれていた。その晩は家族で焼き肉屋に行く。皆んな、喜んだ。

だが、仕事は更に忙しくなり、1日、10箱も渡す日があったが、夜中まで働く事はなかった。

その頃には手取り80万円はあった。


男は必死に仕事を頑張った。


ある日、会社から持ち出したボックスを運ぶ最中腕から落としてしまった。

箱からは、ドス黒い液体が流れていた。


男は恐る恐る、ボックスの中身を確認しようとした。

しかし、サングラスの男の指示では中身は覗いてはいけないと言われていた事を思い出した。

しかし、破損したかも知れないから、ボックスの中身を確認した。


……な、何これ?


ボックスの中身は、何者かの内臓の一部である事を知った。


……臓器売買?


そう、男は臓器売買の一部を手伝っていたのだ。

すると、背中に衝撃が!


いってぇ〜。


サングラスの男が立っていた。

「だから、ボックスの中身を見てはいけないと言ったのに。あなたには死んでもらいます」


と、サングラスの男は更にナイフを振りかぶった。


男は痛む背中をかばいながら、思いっ切り走った。


そうか?そうだったのか!定年退職まで働かないのでは無く、オレみたいに中身を見てしまい口封じの為に殺されていたんだ。


男は帰宅した。しかし、意識は朦朧もうろうとしてきた。

嫁さんの里美が震えていた。

「あ、あなた、どうしたの?背中から、物凄い血。救急車呼ぶから待ってて」

「待てっ!里美!」

「何よ!あなた、酷いケガじゃない。どこで転んだの?」

「ち、違う。さ、刺されたんだ。里美、オレ転職失敗したんだ。貧乏でも、お前と洋平の側にいたかった。……い、今までありがとう、さ、里美」


男は息絶えた。

部屋に里美の悲鳴が響いた。



ザーッ。

男は目を開いた。

無人駅にいた。外は大雨。腕時計は午前2時。

隣りにサングラスの男が座っていた。

「相当、お疲れのようで」

「ここは?」

「駅ですよ。缶ビール4本飲んだところで、あなたは寝てしまわれた。防犯上危ないので、私は隣りに座ってました。勝手にライターを拝借しましたが」


な、なんだ、夢か?良かった。


「貴方は、よっぽど転職されたい様子で、寝言でも転職、転職とうなされていましたよ。そんなに転職されたいのですか?」

と、サングラスの男はハイライトを吸いながら言った。

「い、いえ。転職はもう結構です。ちなみに、あなたは人材派遣の会社員でしたよね?私にどんな、仕事を紹介するつもりでしたか?」

と、男はメビウスに火をつけて尋ねた。

「外国人に、ボックスを渡す仕事です」


サラリーマンの男は、雨が弱まると、缶ビールのお礼と、サングラスの男にライターを渡して、走って無人駅を飛び出した。


ザーッ。

また、雨足は強くなった。


「オジサン、ねぇオジサン」

と、サングラスの男に声を掛ける若い男が立っていた。

「ねぇ、オジサン。僕に仕事紹介してよ!」

「今、何と?」

「だから、今、紹介して下さいよ!オジサン」

サングラスの男はニヤリと笑みを浮かべて、仕事の紹介を始めた。


ザーッ。


雨は激しくなった。


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