第8話/テコ入れ
ツルヨがいなくなり、布団で眠り続けて何日経ったかわからない。
あんなことを言ったせいで、ツルヨは俺の前から姿を消してしまった。もうこの家には俺しかいない。俺に笑いかけるあの子はいない。
食事も睡眠も取らないまま、餓死という消極的自殺を見据えてひたすら眠り続ける。積極的自殺の勇気が無い自分に呆れてしまう。
眠れない日も布団から出ずに耐え続けた。それでも俺が死なないのはきっとツルヨがあの日に食べさせてくれたおっぱいステーキのお陰だろう。風呂に入らないせいで泥のようにぬめる肌。自分がゆっくりでも人間から死体に近付いていることがわかる。それが喜びだった。どうせなら土の上で横になった方が、死んだ後に植物の栄養源として地球環境に貢献できて価値があるかもしれない。俺という命に価値が欲しい。そんな自己愛のせいでツルヨという女の子を傷つけた。
もう何も考えたくない。
そうして何日も眠り続けていると、いつの間にか枕元に同い年くらいの女の子が立っていることに気付く。
ツルヨではない。
ショートカットの利発そうな女の子で、眠っている俺をまじまじと見ながら仁王立ちしている。窓から見える空にはくっきりと月が浮かんでいる。今は深夜だろうか。もはや時間感覚がない。
「甲斐次郎?」
女の子が忌まわしい物を見るような目で問いかける。鋭い目つきには俺への嫌悪が克明に現れていた。
「はい」
答えた俺に女の子がその右手を向ける。その腕にはまるでクラゲの足のような触手が生えている。それを見て灰坂と同じに俺を殺しに来た奴なんだなと見当がつく。今度はクラゲ女子か。クラゲ女子の足元には割れたガラスが散乱していた。窓をぶち破って侵入してきたらしい。
クラゲ女子の視線には殺意が込められていた。きっと俺はこのまま死ぬ。自殺の勇気もない死に損ないである俺にやっと訪れる救い。ツルヨをあれだけ傷つけた俺がこんな簡単に救われていいはずがないとは思うが、もう抵抗する力が無い。だからしょうがない。
「あなたが死ねばパパが助かるの。恨まないでね」
パパが助かる!
なんて素晴らしい願いだろう。
この子はきっと父親が大好きなんだ。父母娘の家族3人で仲良く暮らしてきたに違いない。それとも父子家庭か? いやもしくはこれから産まれる妹のために父を死なせるわけにはいかないとかでも嬉しい。よくわからないけれど、親を想う子の美しい願いがそこにあるということが重要だ。中年の幸福より少女の愛情のために死ぬ方が心地いい。中年は俺みたいで汚い。どうせなら美しいもののために死にたい。人を殺してまで叶えたい願いなんてどれも自分勝手で優劣なんてないはずなのに、俺にはどうしようもなく中年より少女の願いの方が良きモノに思える。思えてしまう。
「……なに笑ってんの?」
クラゲ女子に言われて自覚する。俺は笑っていた。
「別にいいだろ。笑ってたって」
だって今、幸せなんだから。
クラゲ女子は警戒するようにこちらを見て後ずさる。
「何を企んでるの?」
「は? 早く殺してくれよ」
「そう言って何かする気でしょ」
「何もしないって」
「何で笑ってたの?」
「理由」
「え?」
「お父さんを助けるために俺を殺すんだろ? その理由が嬉しいんだ」
「私の事情なんて関係ないでしょ。ちょっとくらい抵抗してよ。やりづらいじゃん」
「気に病むことないよ。俺さ、もう何日も飲まず食わずなんだ。そっちが何もしなくたって、どうせこのまま死ぬ」
クラゲ女子はその顔に嫌悪を剥き出しにする。彼女に勇気を与えなければいけない。
「俺を殺してお父さんを助けるんだろ? 勇気を奮い立たせてくれよ。君が俺を殺す、それは俺たち二人にとって希望なんだ」
しかしクラゲ女子はこちらに向けた腕を下ろすと、侮蔑の滲む目で俺を睨みつけた。
「気持ち悪い」
もはやクラゲ女子から殺意は感じられなかった。彼女は何もかもが嫌になった様子で俺に背を向ける。
「……は?」
思わず怒るような声音が漏れる。
振り向いたクラゲ女子は静かな怒りに表情を歪めていた。
「気が変わったの。あなたみたいな人間が幸せになるくらいなら、私の願いなんか叶わなくていい。もうあなたに用はない」
話が違う。もう水分なんかほとんどないはずの身体から冷や汗が吹き出してくる。
「俺を殺さなきゃお父さんはどうなるんだよ」
「まあ、死ぬんじゃない?」
クラゲ女子の声は冷淡だった。
「それでいいのかよ?」
「今はとにかく、あんたの気持ち悪い自己満足をめちゃめちゃにしてやりたいの」
クラゲ女子はにまりと笑みを浮かべる。
「あなたほど厭だって思える人、初めて会ったよ」
俺が高校中退を決めたらクラスで一番の美少女が泣き出した 〜1年後、彼女はメイドとして俺の家に押しかけてきた〜 オタゴン @otagon_vr
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