電球

細井ゲゲ

電球

「ミュージシャンはいいな」と羨むことが多いのは、例えば、その場に機材、最悪、アコギさえあれば、途端にミュージシャンになれて、好きな曲を奏でながら歌を歌って、その場を一瞬にひとつにまとめ上げることができることにあると感じている。その点、自分は何も楽器も弾けないし、歌唱力も平均よりも下回っているため、大多数がそうなように、到底ミュージシャンの力量に及ばない。じゃあ、他にラップができるとか、ボイスパーカッションができるとか、そういったものはどうかというと、一体感が生まれないうえに、弾き語りと比べれば人を選ぶわけで、ミュージシャンに憧れる理由に適うものではない。じゃあ、何か弾けるようになるために練習をすればいいという考えに落ち着くだろうが、こんな邪なきっかけで始める自分が許せないという理由で手をださないまま三十五年が経った。私は面倒な性格なのである。


 缶ビール五本目を呑んでいる時、目の前でテレビを見ている彼女に、そう力説した。しかし、彼女は、ふうん、と言いながら格安のどこのものだがわからないスナック菓子を頬張っていた。

「いや、だからさ、人前でできることの最も理想なものは楽器ってことなのよ」と言いながら、彼女のスナック菓子に手を伸ばしたら、無言ではたかれる。まったく私の話を聞こうとしてくれなかった。

「あ」と言った彼女は、久しぶりに私の顔を見る。やっと話に付き合ってくれるかと思えば、「風呂場の電球切れそうだから、買っておいて」と伝えられた。

 分かったとだけ返事をし、途端に私は、これ以上話することを諦めた。些細な話も許されないカップルというのは、果たしてカップルと言えるのだろうか。

 どうせ忘れそうだったから、缶ビールの残りを呑み干し、ほぼ寝巻の姿のまま出かける支度をする。

「あ、ついでにアイスもお願い」

 わかったと応える。この段階で、私の怒りは沸点に達し、ひと言も喋りたくない心境だった。

 アパートの一室から外に出て、心もとない電灯に照らされている電信柱が目に入ると、何も言わずに、殴りつけた。三度も。右手の拳からは血が流れ、じんじんと鈍痛がやってくる。

 いわゆる平和主義というのは、結局、自分へのストレスが大きくなり、どこかのタイミングで爆発する。私の場合は、こうやって物に当たるという典型的な悪い部類なのだが、いつまで経っても変えられなかった。腹が立てば、電信柱を殴る。それで平和に済むのなら、簡単な話だった。


 コンビニで買い物を済ませると、酒に酔って陽気になったこともあり、好きな曲を爆音で聴きたくなった。夜風も心地よい。遠回りして、好きな曲に身を浸しながら帰ろう。

 私はスマートフォンを開いて、サカナクションの「忘れられないの」を再生した。アップテンポすぎず、バラードすぎず、しっかり踊れる曲、今の気分に最適なチョイスだった。

「素晴らしい日々よ」

 いつもは歌詞なんてものはオマケと思っていたが、そのフレーズがやけに引っかかった。素晴らしい日々か。自分の人生を振り返って、果たして素晴らしい日々だったと言えるだろうか。酩酊、夜、心地よい風、それぞれが合致すると、やはり人を勘違いさせるのだろう。私は、まさしく悲劇のプリンスとなってうぬぼれているのだ。


 ちょうど曲が終わる頃、自宅のアパートに到着した。

「ただいま」

 何の反応もなかった。すべての電気が消えている。

 私は真っすぐ浴室に向かい、スマートフォンの灯りだけを頼りに電球を代えた。試しに電気のスイッチを入れると、問題なく点灯した。

 頼まれたアイスを冷凍庫に入れ、丸めたコンビニ袋を台所のシンクに置いたままにして、そのままリビングの電気をつけた。

 テレビ前のテーブルには、五本の空の缶ビールが散らばっていた。


 彼女が飲酒運転の車に轢かれて死んだのは、もう三年も前になる。それからの日々は、まるで夢の中のようなもので、何をしてきたかなんてほとんど覚えてなかった。私はほどなくして精神的な病にかかり、国からの援助で生計を立てていた。毎日思い描くことは、彼女との生活、そして、その細かなひと場面を永遠に反芻している。当時は腹が立ったことなんてものは、今思えば大した話ではなかったし、もっと、そういった日々を大切にするべきだったと思った。しかし、得てしてそういったものは、失ってから気づくものだし、分かり切っていることなのに、私も例にもれず、彼女がいなくなってから、彼女の存在の大きさを痛感しているのだった。


 電球が切れてもないのに、何度も新しいの買っては交換しているうち、部屋の中には新品同然の電球が山のように積み重なっている。彼女と交わした会話で、なぜか、「風呂場の電球切れそうだから、買っておいて」という彼女の言葉を鮮明に覚えていた。そして、それが昨日交わされた会話かのように、私は電球を買い続けていたのだった。私は、大量の電球を横目に、新しく缶ビールを空けては口にし、ふう、と短い溜息をもらした。


 * * *


「やっぱり臭い、きついですね」

「そりゃそうだよ。人が死んでそこそこ日が経ってるんだから。腐った魚のニオイって嗅いだことない? それと理屈は同じだよ」

 全身に防護服をまとった二人の男性が、古びたアパートの一室を物色していた。

「先輩、なんかめちゃくちゃ電球が置いてあるんですけど」

「おお、本当だね。まあ、親族からすべて処分するように言われてるから、片っ端からガラ袋に入れちゃって」

「わかりました。取り敢えずここからやっちゃいます」

 片方の男性は、きれいに陳列された電球の山を崩さないよう、上から順に袋の中に、次々と投げ入れた。生前交わした会話のひと場面だけを切り取り、それを永遠に繰り返してきた男性の結晶が、何ら関係ない男性の手によって無と返されていくのだった。

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電球 細井ゲゲ @hosoigege2024

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