第2話 煮える国 下

 城内の足音はずっと響いているようで、視界に映る兵や執事たちはどれも息を切らしている。この中で仕事を怠ったものがいたとしても、きっと上司には気がつかないで過ごせるだろうに。それでも誰一人手を止めず働き協力し、こだわっているのはからだろう。世界から一つ平和ができた、あるいは不安が消えた。大きかろうが小さかろうが、今ここにいる人たちは苦しくない、そんな気がする。


 控え室で侍女数人に化粧を整えられている自分を見ていると、徐々に変化していく目や頬に驚いてしまった。今までそういった洒落には縁がなかったので、若者の流行に追いついた自分は最強なのではと震えた。もう用はないと侍女には出てもらい、少しだけ可愛らしく、ほんの少しだけ可愛いらしく鏡の前でポーズをとろうとすると。


「アリカ!久しぶりじゃん!やっぱり可愛いじゃんか」


 不意を突かれた自分の絶叫は天国まで届いただろう。乱暴に開けられた扉からぞろぞろ現れたのは5人の男女、旅の仲間だ。中には今朝見た双子もいる、私の劇的に変化した様相を見て驚いている。どうだいこれが大人なのですよ。


「みんな久しぶり、私服初めて見た。男どもはあいかわらず暑苦しいね」

「漢ってのはこうでなくちゃな」


  揃いも揃って自前の筋肉を見せつけてくる。旅中だったら鬱陶しく感じたのだろうが、今は微笑ましく感じる。しばらく思い出話で盛り上がっていると、双子の妹の方がリーダーの所在について訪ねてくる。皆心当たりはないように見えたが一人だけ接触があった。


「そういえば、昨日買い物してたなあ。袋一杯に詰めてよろよろと、夜中なのにご苦労なこった」


 買い物?食生活は私に似て淡白だ、自炊してるなんて聞いたことがない。おそらく誰かに頼まれたに決まっている。


「結婚式には来るってさ」

「それだけ?」

「それだけ。なんだか忙しいみたい」


 彼を頼りにしている人はいつ何時でも存在し、「ありがとう」の言葉で包まれている。今も一人で誰かの助けになっているのだとしたら、あまり喜ばしくない。いつも私は暇を持て余していたというのに。


「せっかくの結婚式だというのに、生憎の曇り空で残念だなあ」

「ああ今にも雨が降りそうだ」


 背後で裏方がそんな会話をしていた、確かにここ最近はずっと快晴だったはずなのに。


 簡単な打ち合わせを終え、私の出番が少ないことを確認し、いよいよ結婚式が始まる。タタラは結局来なかった。


 城下町では屋台や音楽やらで賑わい、あたりは眩しいほど輝いて熱気が伝わってくる。駆け走る子供、甘い香り、奏でる音楽隊、どれも実に祭りらしい。そんな中一つの鐘が鳴り始めた。


 教会での結婚式、一番後ろの席についた。他人事ではあるが「誓いのキス」は少し恥ずかしい、私の耳が赤くなるのを見られたくない。平常心でいる覚悟を決めていたが、数刻がたったが未だ新郎新婦は現れない、段取りに躓いているようだ。脇の扉から私を手招きしている影に気づいた。音を立てずに協会から出ると、純白のドレスを着飾る仲間の姿が、青ざめた顔をしている。


「ダーリンったら指輪を無くしてしまったようなの、枕元に置いたままだって。お願い!とってきて」


 嫌な顔をする私を見て新婦が必死に説得をしてくる。傍では慌てふためく侍女が何とかごまかせないかとナットを持ち出し、一方では既婚の兵が自前の指輪を高値で貸そうとしている。新郎は死んだような目で倒れている。致し方ない、渋々願いを聞き入れることにした。


 場所は国の外周に沿ったところにある小さな宿、馬で向かっても往復で一時間半はかかるだろう、それほどこの国は広い。だが私は例外だ、神から授かった加護がある。仲間も全員持っているが、私が一番速い。


 踏み込んだアリカの姿は瞬く間に城壁の縁まで飛んで行った。振り返った彼女は一言置いていく。


「この借りは倍で返してよね!」


 直下に思える壁下を物怖じせず駆け下り、あっという間に城下町へとたどり着く。屋根から屋根へと走る影は脱兎の如く消えてゆく、その瞬足によって人々は気づいてもいない。仲間内からは彼女のその風を切る速さスピードは燕を超えると言われている。暗闇の中ドレスを着ているにも関わらず、足を崩すことなく正確な足取りで、ものの十分で目標の宿へと到着する。


 枕元には一つの箱が乱雑に置かれていた。滑らかな触り心地のその箱を開けてみると、確かに指輪がある。大きくも小さくも感じない丁度いい大きさのダイヤモンドが白く輝いて、しばらく見惚れてしまう。意外にも私は乙女なのかもしれない。


 胡座をかいている場合ではないとアリカは再び屋根へと飛び移る。国の外周には殆ど人はおらず、辺りはしんと静まっていた。城に戻るべく足に力を入れたその時、雲が赤く光りはじめた。


 雲の上で何かが起こっている、雨や雷のような気候の類いではない。魔法だろうか?


 その光は徐々に勢いを増して、遂に城の上の雲からその姿をみせる。それはー


「マグマ?」


 突然空から降ってきたマグマは国を覆うほどの塊、まるで太陽だ。心臓の鼓動が早くなる、そのあまりにも巨大なマグマに眼球が左右に震え、ついに私はその瞬間を見てしまった。国がぐつぐつと煮えていく過程を。ガスが爆発し、家はめきめきと音を立てている。世界で一番高い建物だった城も溶岩で見えなくなっている。恐らく殆どの人は死んだだろう。


 子供の頃蟻の巣を足で踏みつけたことがある、多分悪意はあった。もちろん結果は解りきってはいたが、ただ足下で隊列を組んでいる黒い集団を踏んでどうなるのか見たかった。その集団は動きを速め、散り散りになった。あからさまに慌てている様子が面白可笑しく感じたのを覚えている。だから今私の目の前で国が焼けているのを笑って見ている奴がいる、そんな気がする。


 彼女がふと空を見上げると、晴れた夜空の中で黒い影が動いていた。眼を凝らすまでもなく、それがなんなのか彼女にははっきりと分かっていた。


「あのドラゴンが…」


 翼を大きく広げ、宙に浮く紺色のドラゴンには見覚えがある。


「生きていたのね」


 それは魔王の二番目に位置する手下だった。旅の途中で幾度も戦いを繰り広げた、だがあいつは殺したはず。仕留め損なっていたのか?その奥にまだ誰かいる、あれは人?


 そのドラゴンと人間は東の方向へと向き、翼をはためかせ飛び去っていく。彼女の上空ですれ違う時、人影の正体が判明した。それは誰もがよく知っている「タタラ」と呼ばれている英雄だった。


 もう何も考えられない、考えたくない。とりあえず後を追いかけるだけ、それが今の私にできる精一杯の精神だ。


 着ていた鮮やかなドレスをぼろぼろにしながらも走り辿り着いたのは、人も動物も寄せ付けない死の辺境、火山地帯だった。空は赤く、そこにいるだけで肌は焼けるようで、火の粉があちこちで舞っている。とうとう見失ったかと思いきや、背の高い火山の噴火口に二つの影を見つける。彼女は気づかれぬよう慎重に近づいていく。あと十歩のところまで進むと、タタラが右手に何か球体のようなものを握りしめているのに気がつく。


 追いついたところで何を話せばいい、どうしたらいいのだろう。「もしかしたらタタラは関係ないのかも」とか「気軽に声をかけてみようか」などと変な思考がよぎる。「右手に持ってるのなあに?」あれは多分頭蓋骨だ。


 アリカが躊躇し続けていると、気がつけば彼らの姿はなかった。唖然として二人が居た場所へ急いでかけ登る。広い噴火口の淵に立ち、下を見下ろしてみると、マグマによる明るい光が彼女を照らした。光眩しく目を細めてしまったが、揺らめく熱気の中一部始終を目撃した。巨人のような大きな手が彼らを握りしめ、マグマの海へと消えていったのだ。

 

 後悔が腹の底から湧き出てくる。判断力に劣る私の脳ミソに腹が立つ、声をかけることもできずにただ突っ立っていただけの存在。あいつはきっと犯人だ、あのドラゴンと協力関係にあった。いつからだ、最初から?


 折れたように膝から崩れ落ち、その時アリカは考えることをやめた。ひたすらに夜空を見上げるだけ、事態は最悪の形で終ろうとしていたが、彼女の背後から足音が迫ってきていた。二人組の女がアリカに声をかけるが、彼女には聴こえていない。今度は肩を叩いてみると大層驚いて二人の方へと振り返る。後退りをしたその時、アリカの片足が絶壁へとガクンと落ちて体制を崩してしまう。


 声をかけた二人のうち片方が身を乗り出してアリカの手を掴む、もう片方が腰に抱きつくように抑えている。だが小さな体ゆえ踏ん張りきることができず、二人はアリカに続いてしまった。つまり三人とも落ちてしまったのだ。


 マグマが迫ってくる。皆で救ったあの国のように、ぐつぐつと焼けて死ぬのだ。私を救おうとしてくれた二人には申し訳ない。目をぎゅうと瞑ってきたる死に備えていたが、その時はなかなかこなかった。これが走馬灯というものだろうか?しかし落下している感覚は残っている。


 目を開けると、そこには青い空が広がっていた。そこに障害物はなく、どこまでも続く地平線。だが落ちていく先には巨大な何かが居座っている。だんだんと近づいていくにつれ、それがいかに巨大な物なのかを感じる。


 このままではぶつかってしまう、そう考えたアリカであったが当然体の自由は言うことを聞かず、落ちていくまま。ついに激突するかと思えたが、顔面すれすれで避けることができた。しかし、アリカはすれ違いざまに巨大なそれと。赤い皮膚、太い髭、二本の牙、仄かに香る加齢臭。


 彼女たちは閻魔大王の左膝に墜ちた。

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奈落のファンタズマ 多津風 旨 @jodanjodan

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