夜叉、或いは糸に縋る亡者

太刀山いめ

姥捨山

 姥捨山とは?

 働けない、動けない、そんな「役立たない」「要らない」人の「捨て場」である。

 そんなの昔話だって?いいや違う。現代にも姥捨山は存在する。そこは一見穏やかな空気を纏っているが、薄皮一枚剥いてしまったら一気に死の匂いをぷんぷんに放ち生きる物を拒むだろう。

 姥捨山は現代に口を開けた辺獄であり、もう一歩踏み込めば地獄に通じている。生きながらに地獄詣でが出来てしまう。






「あたしに死ねと言うの?」

「いや、父さんの話を聞け。お前の為を思ってだな…」

「あたしが要らなくなったんでしょ?」

「そんな事はない。我が子を愛さない親は居ない」

「あたしを女として見といてよく言うわ」

「その話はするな」

「事実でしょう」

 父とのそんなやり取りから始まった。あたしと父との関係はただれていた。父と言っても義理の父。男女の関係となるに、倫理観の欠如した「オス」は庇護のもとにあたしを食べた。

 始めは抵抗もしていたが身体が成熟するにつれあたしも「メス」としてオスを求める様になっていった。

 だけれどもそれは儚い逃避でしかなかった。本当は嫌で嫌で堪らなかった。

 唇を合わせる度に煙草の味がした。

「あたしにも吸わせて」

「お前にはまだ早い…」

「あたしを食べたのはもっと早いんじゃない?」

「…そう言うな」

「あたしはもう大人…違う?」

 そんな駆け引き。あたしは父からLARKを引ったくると父の愛用のジッポで火を着けた。煙が肺に充満する。あたしは初めてなのにむせることも無く紫煙をゆっくりと吐いた。「苦い」それがあたしの感想。父との行為以外で初めての大人の味。

 あたし達親子は歪んでいた。何せ再婚した母が数年前に他界し、血の繋がりのない父娘家庭が出来上がったのだ。父は寂しかったのだろう。母に日に日に似てくる連れ子のあたしを求めたのは仕方のない事だったのだろう。この数年関係を持ってからあたしはいつの間にかそう思う事にしていた。

 だけれどもやはり心が擦り切れてしまったのだ。学校の同級生が途端に「子供」に見えて話を合わせるのに苦労する様になった。そうしたら幾ら子供だろうと女子は女子。異質な空気を纏うあたしは嫌煙され始めどんどん友達と呼べる存在が居なくなっていった。女子もまた女なのだ。高校生になったがその頃にはボッチ確定。だが男子からは何故か告白される事が増えたのは笑えた。あたしは男子と広く浅く関係を持った。それを薄々感じた父は一段とあたしを求め激しく食べた。

 食べられた後は必ず煙草を吸った。最近はあたしが食べる事も増えた。関係を持った男子からは上手いと評判になっていた。


「この尻軽女」

 クラスの女子は私をそう呼んで嫌がった。嫌がられても構わない。そんな自分をあたしが一番嫌っている。

 それでも汚れたあたしを求めてくる男子を愛おしく思ったりもした。




「兎に角…入院させるからな」

「勝手に決めないで」

「もうお前が自分を傷付けるのを見たくないんだ」

 父はあたしの手首に巻かれた包帯を見やる。


 リストカット

 自分を罰した証。あたしはある日学校で産毛剃りのカミソリで自傷した。その様をクラスメイト達はどう見たのだろう。どうでもいいと思いながらもあたしは自分を見て欲しかった。そう思ってしまったのだ。狂おしい程に。

 私は擦り切れて行く。段々と使われる度に溶け出す石鹸みたいに。いや、石鹸の泡のように、人魚姫みたく消えてしまいたかった。


 あたしは檻に入れられた。強制入院と言うそうだ。あたしの意思に関係なく。

 真っ白い部屋のベッドが今のあたしの自由になる場所になった。何の刺激もない部屋。あたしは籠の鳥。傷ついた小鳥。

 父は年頃の娘と言う事で個室に入れてくれた。変な虫が付かないか心配している…本音はそんなとこだろう。そう斜に構えていた。


 此処で毎日を過ごす上で困ったことがある。

 持ち物制限だ。事前に父が揃えてくれたがなんとも不便極まりない。割れ物、金物、紐類、刃物等が持ち込めないのだ。鏡も共用のお手洗いにしかない。どうやって女を維持したらいいのだ…

 それに入院するにあたってあたしは伸ばしていた髪をバッサリ肩口辺りまで切り揃えた。父に押し切られた入院だったが事前説明で、長引く事を伝えられていたので病院に入っている理髪店で三十センチ程切ったのだ。流石に腰まである自慢の髪を切りたくは無かったが背に腹は代えられない。


 そんな準備もしてはいたが…


『患者様にお知らせします。朝食の準備が出来ました。取りに来られる方はロビー迄お越し下さい』

 アナウンスが流れる。

 此処では食事位しか楽しみが無い。今日は何が出てくるか…

 収容されている患者達がロビーに向かう。すれ違う人々は皆淀んだ目をしていて誰とも目線が合わない。

 男の患者からもいやらしい視線を感じないし、女の患者からも嫌悪を向けられる事も無かった。


「はい。熱いので気を付けて持ってね」

 看護師さんが膳を渡してくれる。

 あたしは礼を言ってそれを受け取る。ふと視線を感じる。

 後ろを振り返ると、真っ白な白髪をぼさぼさに伸ばし髭も伸び放題の高齢患者が虚ろな目であたしを見ていた。


(まるで夜叉みたい…)

 痩せて骨の浮いた手足。落ち窪んだ目、はだけた衣服、口をだらしなく開けて立っていた。

 あたしは何だかうすら寒い感覚に襲われてそそくさと個室に戻った。


「あー、食べた食べた」

 食事は美味しくもなく不味くもなく、平均点の味わい。

「スナックが食べたいなぁ」

 量もカロリーも計算された食事は来たばかりのあたしには物足りなく感じた。



「ああああ…もう嫌だ!」

 廊下から怒声が聴こえる。

「大丈夫だから、ね?」

 看護師がなだめる声が聞こえる。ここに来てから毎日の様に奇声や何かを殴る音が聞こえてくる。


「もう、一体何なのよ…」

 あたしは辟易していた。



「お父さん面会に来られましたよ」

「分かりました」

 父が面会に来た。


 看護師が病棟入口のロックを解除する。そうすると差し入れを持った父が入ってきた。

 娑婆の匂い。煙草の匂いを纏わせて。


「頼まれてたスナック、これで良いか?」

「ありがと」

「珈琲も買ってきた」

「ん」

 ロビーで話す。あたしは自分で買いに行けないので差し入れは助かるのだ。


「入院…辛いか?」

「そりゃあ辛いって」

「でもお前の為なんだ」



「なんだよもう!離せよ!」

 奇声が上がる。そしてバタバタと走る音。ロビーにざんばらに髪を伸ばした少年が入ってくる。そしてあたし達を横切り真っ直ぐ病棟入口にかけて行く。


『ガシャン、ガシャン』

 開かない。そうなのだ。頑丈に施錠されているのだ…


「和弘君!落ち着いて」

 男女の看護師がかけて来た。

 そして「和弘君」をなだめながら中へ戻そうと手を出した。

「痛いよ、和弘君、噛まないで!」

「大丈夫だよ和弘君。此処は安全だよ?」

 二人の看護師がなだめる。


「うちに帰りたい…」

 和弘君と呼ばれた患者は最後にそう漏らすと、二人に連れられて病室に戻っていった。



「びっくりしたな…」

「此処では毎日こんなだよ」

 あたしは吐き捨てる様に言う。


「お前は…大丈夫だよな」

 そう言った父はあたしの正気を疑っている様だった。



 面会時間いっぱい迄父は居た。そしてあたしの短くした髪を愛しそうに撫でると名残り惜しそうに帰っていった。

 あたしはそんな父の愛撫にも似たスキンシップが嫌いでは無かった。病的とも言われそうだが、確かな「絆」を再確認していた。


 それからも父はあたしに赦しを乞うかの如く日参した。

 仕事の後に。また休日にも。看護師達からは「愛されてますね」との評価だ。それは間違っていないと思う。



「下の売店でアイス買ってきたぞ」

「父さんナイス」

 あたしの好きなレディーボーデンのアイス。ハーゲンダッツよりは安いので良く買っていた。

 ふと視線を感じる。

 面会に使っている病棟のロビー。あたし達を見ている患者が居る。


「夜叉…」

「夜叉?」

 父はあたしの目線を辿る。そして息を呑んだ。

 そんなあたし達をみながら夜叉は近付いて来る。あたしを庇うように父が身を固くするのが分かった。そして目と鼻の先に夜叉は立った。


「電話がしたい。小銭貸してくれ…」

 夜叉は見た目に反して弱々しく声を発した。

 いや、夜叉は人間だった。弱弱しい一人の老患者だった。伸び放題の白髪に伸び放題の白髭。夜叉でないならルンペンか…


 父が困っていると様子を見に来た看護師が割って入ってきた。

「山本さん、お金の貸し借りは出来ないの。お電話したかったら私達が代わりに架けますから」

「家族と話したい」

「山本さん…」

 看護師が少し言葉に詰まる。

「山本さん。私達が代わりに架けるから。ね?」

 憐れむ様な声音で言った。そして夜叉…山本さんを病室に戻しに行く。

 それを見て思った。老患者の家族はもう来ないんだと。


「捨てられたんだ…あの人」

「何だって?」

「ううん。何でも。あー、アイス美味しいわ」

 あたしは小学生の時分に習った「姥捨山」を思った。働けない、動けない、役立たなくなった人間の「捨て場」それが姥捨山。役立たなくとも足腰丈夫なら足を折って放置する。そんな辺獄…この世の悪趣味を煮詰めたこの病棟には相応しい呼び名かも知れない。…前に感じた寒さの正体はこれだったのだ…薄ら寒い感情が沸き起こる。



「痛い、痛いよぉ」

 右手をケロイドにした患者がスマホ片手にロビーを徘徊する。

「ママ、痛いよぉ。何で分かってくれないのぉ!」

 絶叫する。そして一頻り騒ぎ終えると自分で病室に戻る。


「怖くないか?」

 身を固くした父が聞く。

「全然。あたしに危害を加える訳じゃないし。毎日あんなだよ」

「…そ、そうなのか」

 明らかに狼狽していた。


「また来るからな」

 そう言って父はあたしの髪を撫でる。もう髪も伸び始め、入院の時より入院前に近くなってきた。


「次は髪留め持ってきて。あたしの部屋に有るから。お気に入り、父さん知ってるでしょ?」

「了解」

 愛撫を名残り惜しそうに止めると、父は病棟を出る。入口を開けた看護師と共に見送った。


「夏姫ちゃん。お部屋戻ろっか」

 あたし。「夏姫(なつき)」に看護師が優しく言う。

「はい」

 短く応える。

「くれぐれも食べ物分けたりしないでね?」

 毎度同じ注意を受ける。まあ元々個室だし、話す相手も居ないので分けるつもりは無い。安心して欲しいものだが、看護師も仕事なのだ。メイドさんではない。



 此処で外を感じるのは面会人あったればこそ。

 面会人は希望をくれる。いつか退院出来るのだと。いつか回復出来るのだと。


「口を開けて下さい」


「あー」

 あたしは雛鳥の様に口を開けてみせる。


「お薬全部飲めましたね。OKです」

 そう言って親鳥の如くの看護師は部屋から出ていった



(父さんまだかなぁ…)

 面会を楽しみにする。父はあたしの男。彼氏未満。面会人は太宰治の蜘蛛の糸の如く。

 はつらつとした人の営みを感じさせる…極楽へ誘う蜘蛛の糸。


 今日も病棟には奇声が響く。

 彼等には面会人はおろか、外出の自由も無い。人間の権利を奪われた哀れな羊たちなのだ。


 あたしは「亡者」。一筋の蜘蛛の糸にしがみついて生き長らえようともがく亡者。「夜叉」…同じ亡者が毎日怨嗟の声を発する。


 ここは閉鎖病棟。



 現代の姥捨山。



終わり






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夜叉、或いは糸に縋る亡者 太刀山いめ @tachiyamaime

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