最終話

 柳の家は2階建ての一軒家であった。周りは閑静な住宅街になっており、幅の広い通りに面した場所に、それは建っていた。

 表札には「柳」とある。スマホの地図上では、目的地のピンと自分を示すマークがほとんど重なって見えている。

 進はスマホをポケットに入れ、敷地の中に入る。ドアの横にチャイムが付いている。中から音は聞こえない。

 チャイムを一回押す。高い呼び出し音が鳴るが、家の中からは反応がない。もう一度鳴らすが、やはり誰も出てこない。どうしようかと悩んでいた時、ドアのカギが回る音がした。

 進は一歩後ろに下がった。やがてドアがこちらに開き、そこから女性の顔だけが現れた。それは間違いなく、昨日会った由貴子の顔と同じであった。

 由貴子の表情は、まるでお化けでも見たかのように青ざめていた。目を見開き、口元は震えている。

「どうして家の場所が分かったの……?」

 やっと開いた口から漏れた言葉には、明らかな動揺があった。

「突然すいません。気になることがあって……」

 答えになっていなかったが、その言葉に、由貴子は一瞬ためらったように見えた。ドアから体を出し、後ろ手に閉めた。

 薄手のシャツを腕めくりしており、手先は少し濡れていた。

「どうしたの?」

 至って冷静に、由貴子は答えた。

「竜太はどこにいるんですか?」

「竜太なら、病院に入院していると言ったじゃない!」

 穏やかだった声質に、怒気が孕んだ。その後は何も言わず、気を紛らわせるように腕をさすっていた。

 その行動に進の気持ちが早っていく。

 明らかに昨日と様子が違う。やはり何かあるのだと、進は確信した。

「それなんですが、ここに来る前に、病院に寄ったんです」

 腕の動きが止まり、代わりに細い腕を握りしめた。進を見る目に、強い光を感じる。

 それに構わず、進は続けた。

「竜太、もう退院してるって。それどころか、意識はあったっていうじゃないですか。昨日話していたことも、担任の岡田先生に伝えていることも、きっと」

 嘘ですよね。そう続けようとして、進は口をつぐんだ。事実の裏に隠れている由貴子の本音を突いてしまうと思ったからだった。


 しかし由貴子に答える気は無かった。握っていた腕を解き、進の目をじっと見つめた。今までに見たことない、愛と決意の眼差しだった。

「学校に戻りなさい。もう、私たちに関わらないで」

 はっきりとした拒絶の言葉だった。由貴子が家に入ろうとドアを開ける。

 しかし進はドアを掴んだ。由貴子の表情が険しくなる。

「すいません。でも、これは竜太にとって大事なことなんです。それは、貴女にとっても同じくらい大事なことだと思うんです」

「意味が分からないわ。私と竜太のことが、どうしてあなたにまで関係あるの?竜太と特別仲がいいわけじゃないって、昨日自分で言ってたじゃない」

「確かに僕と竜太は特別親しいわけじゃない。けど、僕は竜太に変な気持ちを持ってほしくないんです」

「変な気持ち?」

 ドアを閉めようとする力が、少し弱まる。

「竜太は、復讐を考えてるんじゃないですか?」

 由貴子の瞳が震えた。

「そんなこと……!

 その先の言葉は出なかった。彼女は何か言おうと口を開いたが、ぐっと唇を嚙み締めただけだった。

「須賀卓也ですよね」

 その名前に反応したことで、進はこれまで不自然に思っていたことが頭の中で繋がった。

「昨日僕が病院から出たとき、あいつもいたんです。僕に気が付いて、竜太のことを聞いてきた。そこでこう言っていたんです。柳の所に行っていたのかって。普通、病院から出てきたら自分の体調のことか、もしくは誰かが入院しているのかという風に聞いてきますよね。なのに竜太のことを一番に聞くのは、あいつ自身もここに竜太が入院していることを知っていたんです」

「……誰かから聞いたんじゃないの?」

「このことを知っているのは、竜太のお母さんと、岡田先生しかいないと思います」

「じゃあ、先生から聞いたんでしょう?」

「岡田先生は、竜太の件について聞いてくるのは僕だけだと言っていました」

 由貴子の奥歯がギリっと音を立てた。イラ立っているように体を揺すっている。

「貴女が言っていないのであれば、竜太があの病院で入院しているのを、須賀は知っていたことになります」

 竜太のクラスメイトでさえ知らなかったのだから、岡田がわざわざ話を広げていることはまずありえなかった。岡田としても話が広がって、様々な風評が出てくるのを好まなかったはずだ。学校側からも口止めされていることかもしれない。怠惰な岡田であっても、最初に進が竜太のことを聞いてきた時には、何も話そうとはしてくれなかったのだから。


「彼は、竜太からお金を奪っていたの」

 彼、という言葉がとても無機質なものに進は感じた。

「あの子が病院に運ばれてきたときは意識が無かった。これは本当。けれど、その後心肺蘇生機のおかげで意識を取り戻したの」

「そこで私は聞いたの。どうして竜神川で溺れることがあるの?って。そうしたら、あの子、泣いちゃって。他の先生たちには部屋を出てもらって落ち着いたら話してくれたわ。もう1年間もそんなことがあっったって。私は気付いてあげられなかった。仕事が忙しくて家に帰れなかったり、帰っても生活時間が合わなかったりしたから」

「それでお金を持たせていたことが、知られちゃったみたい。そこからお金をせびられるようになったって」

「ご飯の代金とか参考書代とかも取られていたから、私にもう少しお金を欲しいって言ってきたの。竜太に渡していたお金は決して少なくなかったから、何かあったのか聞いたの。でも、何でもないってはぐらかされたわ。それが3日前」

「昨日もお金をせびられたけど、私が変に思っているからもう出来ないって断ったそうなの」

「けどそれが」

 声が震える。

「彼に、とっては、反抗されたと思って」

 悲痛な思いが、進の胸に突き刺さる。

「逆上して竜神川に連れて行って、嫌がる……竜太を……」

 口元を抑え、それ以上は何も言えない由貴子に、進は追及出来なかった。

 途端に事実を知りたかった自分の気持ちが、悪いモノのように感じた。


 遠くで救急車の音が鳴った。騒がしく不安を煽る音が、進の胸を内をさらにかき回した。

「一体、竜太は……」

 しかし由貴子は首を振った。

「貴方には関係ない。早くここから出て行きなさい。他人の事情に、これ以上首を突っ込まないで」


 そのとき、近くでサイレンの音がけたたましく鳴り響いた。天蓋に付いた赤いランプが目に入ると、救急車が家の前に止まった。

 すぐに救急隊がおりてきて、二人の元へ駆けつける。

「柳さんですか?」

 若い男性の救急隊員が尋ねると、由貴子は「そうです」と短く答えた。もう、進のことは見ていなかった。


「私たちが、須賀卓也を殺しました。死体は、奥の風呂場にあります」


 進は息を飲んだ。冷静に話す由貴子の目には覚悟が宿っていた。

 後から来た救急隊員に指示を出し、様々な物を手に家に入っていく。その後を由貴子が付いていくと、こちらを振り返ることなく、家の中へと消えていった。


 足に力が入らなくて、その場にしゃがみ込む。

 胸を鷲掴みにされたような息苦しさと眩暈がやって来る。


 やがてパトカーも数台やってきて、降りてきた警察が玄関の側でしゃがみ込む進を見つけた。

「大丈夫かい?」

 振り向いた進の顔を見て、警察は片膝をついた。

「君は、この家の人かい?」

 ただ事実確認をするだけの表情に薄気味悪さを感じた。首を横に振ると「この家の子と友達なのかな?」

 それには、首を縦に振った。すると警察は進を立たせ、腕を取って歩き出した。パトカーの前まで来ると、開いたドアに入るよう促した。

 進はパトカーに乗り込むと、中で待機していた別の警官が質問をした。

「どうしてこの家の前にいたのか、教えてくれるかな?」

「あぁ、はい……」

 力の抜けた返事をすると、ポケットに入れていた封筒を手に取ろうとして思い出した。ポストに入れるよう岡田が言っていたことなど、すっかり忘れていた。

 けれど今の進の頭では他の言い訳など何も思いつかなかった。もう事実だけを話すしかない。どんなことをしても、柳親子の犯したことは変わらないのだから。


 ふと窓の外を見た。先程の警察も、家に入っていく。一体中ではどんなことが起きているのだろう。

 もう竜太たちと会うことは、きっと叶わない。

 自分はどうしていれば良かったのだろうと、出ない答えを探し続けながら、ポケットから皺だらけの封筒を取り出した。

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竜が沈む 月峰 赤 @tukimine

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