28

「遅かったね」

「……まぁ、な」


 半分くらいはあんたらのせいだよ、と言いかかった所をアネリはなんとか飲み込んだ。一通り泣いて落ち着いたセシルは、アリアにぴったりと付いて離れなくなった。悪い人間では無いと教えたつもりだが、彼女達が無意識に放った言葉に傷付いたのは変わらない。レーナもこのことにはきっと気付いているだろう。


 家1つよりもはるかに太い幹を持つ、巨木に空いていた洞から魔法によって改造され、作られた家の中は普通の家と変わらない。入るための扉があり、主に生活をするキッチン付きの大きい部屋と、書斎、玄関を入ってすぐにある階段から上がれる2階には小さいながらも部屋が3つある。


 ここに初めて来たセシルはもちろん、アリアも1回しか来たことはないので家の中を見て目を輝かせているのが布越しにも伝わってきた。


「おや、アネリにおチビちゃんたち!君たちも来たのか」


 突然、大人と子供で微妙な温度差が生まれている玄関に底抜けに明るい声が響いた。つい数時間ほど前に館で別れたアキが姿を現した。次の瞬間、その顔に子供たちが息を吞む。


「アキ、布!」

「あー!」


 レーナが素早く指摘するも、もうすでに遅いと気付いているアキは、目が合ってしまった子供たちを見て頭を搔きながら肩をすくめた。

 晒された顔を改めて見る。魔法使いの証である星空の瞳とは違う薄紫の瞳、ずり落ちたままにされている眼鏡がよく似合うたれ目のおとなしそうな覇気のない顔だ。

 レーナの弟子としてこの家で暮らしていた時から、ずっと変わらずにいる薄紫色。見慣れているようで初めて見たような気もする不思議な顔だ。

 ふと自分の弟子たちを見下ろすとアリアは自分の手でセシルの目を隠し、自分はぎゅっと目をつぶっている。セシルは何が何だか分からずに困惑して固まっていた。


「…まぁ、アネリのところだからちょうどよかったね」

「あぁ…というかそのためにここまで呼びつけたんじゃないのか」

「それとこれは別件!今のは完全に事故だよ。ほら、まずは上がって上がって~」


 大げさに肩を落としてわざとらしくため息をついたレーナは、次の瞬間には跳ねるように肩を跳ね上げて部屋に3人を招き入れた。レーナに続いてアキもあちゃ〜などと宣いながらついていった。様子を見ながらアリアの肩を軽く叩く。


「アリア、もう目をつぶらなくていいぞ」

「うん?」


 目を開くと目の前がチカチカした。急に視界を奪われたセシルは何が起きたのか分からずに困ったような顔でこっちを見ている。その顔が面白くて思わず笑うとセシルも笑ってくれた。


「驚かせてすまない、あいつの目は見て大丈夫だから心配しなくていい。だけど他のやつらには言うなよ」

「なんで?」

「後で説明する、里長がな」


 いたずらをする時のようににっと笑った師匠に連れられて部屋に入る。中はアリアの家のようにごく普通の部屋だった。食事をとるためのテーブルに椅子が3つ並べられている。壁には色んな人の絵が飾られているのが印象的だった。


「座って座って〜」


 レーナはヒラヒラと手を振りながら、帽子の中から追加で2つ、簡素な椅子を取りだして座った。もうひとつにはアキがよっこいしょ、と腰を下ろす。


「まぁ、まず最初にびっくりさせてごめんね」


 手を合わせて少し首を傾げたレーナに対して、アキが突っ込む。


「いやいや、もう少し真面目にした方がいいんじゃない?」

「まず謝るのはお前だろ」


 さらに突っ込んだアネリに、場が一気に砕けたものになる。アキは気弱そうな見た目に反して親しみやすそうな下町のおじさんといった雰囲気だった。


「ごめんな、驚いたろ」

「びっくりしたけどだいじょうぶ!」


 明るく返事をしたアリアを見て、アキが目を細めた。隣のセシルはアキを見つめたままそわそわとしていた。


「あ…あなたは人間…?」

「あぁ、よく知ってるな」


 恐る恐る聞いたセシルに対してはっきりと答えたアキの目は穏やかに凪いでいる。彼はあまり驚かない子供たちに対して意外そうな顔をすると懐から紙を丸めたような物を取り出した。アリアが無邪気に手を伸ばす。アキはアリアの頭を撫でながら、それをアリアの届かない位置まで遠ざけながら笑った。


「それなに?」

「葉巻って言うのさ、人間の大人が吸うんだ」

「おい、子供たちの前で吸うなよ」


 セシルもそれを知っていた。いや、この光景を知っていた。それを吸っている父に近寄ってそれが何かを聞くと大人に必要なものだ、と毎回はぐらかされる。母がそんな父を見つけると、子供の前で吸うなんてと怒り、くすくすと笑っている使用人たちに命じて回収させた。

 

「セシル、どうしたの?」


 懐かしいような、つい数日前まで当たり前だったような日常を思い出し、胸が痛んできて下を向くとアリアがのぞき込んできた。首を横に振ると疑わし気にしばらくこちらを見つめてくる。何とか口角を上げるとそれでいいと言わんばかりににこりと笑って、ようやく解放してくれた。


「新しい子とはずいぶん仲良くやってるなあ」

「そうそう、この子のことなんだけどさ」

「あんたと同じ人間だよ」

「えっ」


 向かいに座っている大人たちは、子供たちを横目に話していた。自分も人間とは言え、自分以外の人間がいるとは思っていなかったらしいアキは目を見開いて椅子からずり落ちた。落ちた眼鏡を掛けなおしながら、こちらを穴が開きそうなほど見てくる彼にどんなことを言えばいいか分からずに師匠の方を見る。


「布、外していいぞ」

「うん」


 言われた通りに頭の後ろで結んでいる紐をほどくと、驚くほどあっさりと布は取れた。里長はひゅうっと口笛を吹く。アリアはなぜか自慢げな顔をしている。


「これは…将来が楽しみな子だな」

「だろ?私の弟子だからな」


 アリアと同じ自慢気な顔で言い放った師匠はアキに師匠バカだな、と呆れたように言われている。その穏やかなやり取りには 長年積み重ねた信頼のようなものが垣間見えた。自分もこんな風にいつかネルやフェリスのような同年代の魔法使いたちと仲良くなれるかもしれないと思うと、少し心が軽くなった。

 ふと手に温かく柔らかい感触が触れる。ここ数日ですっかりなじんだアリアの手だ。いつでもにこにこと笑っている彼女は今もこちらを見て口元に柔らかい笑顔を浮かべていた。

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黎明の魔女は爪を喰らう ねぎしお @yanderusato

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