目覚めは外の香りを連れて

 

 外で寝るの初めてだったが、案外悪くない寝心地だ。

窓越しではない鳥の鳴き声も、別に煩いとはいかないくらいの声量で、吹き付ける風や日差しも、夏とはいえ、朝はそこまで強くない。何より、木陰が直射日光を遮ってくれるので、唐突に起こされることもなかった。

当たり前のことだが、お兄様が日の出を考慮した位置に馬車を置いてくれて助かった。ベッドよりは硬いが、何処かが凝っているわけでもないし、私が抱いていた睡眠の心配は大丈夫そうだ。

「……よし……は……」

 馬車の外からお兄様の声が聞こえる。どうやら、私の腕から抜け出して作業を……いいや、そういえば、旅の最中は添い寝禁止だって寝る前に言われたっけ……

 確かに、屋敷の生活とは違って、料理や洗濯。旅の予定なんかを作る都合上、お兄様は早起きしなければならないのか。

 這いながら私の荷物が入った魔法陣を探し出し、中のリュックから時計を取り出して、見てみる。

 ……えぇ。まだ五時半だ。普段より一時間も早く起きてるじゃないか。どおりで……普段より瞼が少し重いわけだ……

「……ぅん。くぁぁぁ……」

 とはいえ、二度寝するわけにはいかないので身体を伸ばす。馬車の中の桜の香りは、寝起きの私には意識を容赦なく落とそうと襲い掛かってくるのだ。

 

 ぴぃ。ぴー、ぴぃ。ちゅるるるぴ。ぴぃー。


 目が覚めてきたせいか、脳が鳥の鳴き声を認識し始めた。こうなると、外の世界は意外と音が多い。天然の目覚まし時計たちの合唱は、滑らかな意識の覚醒を作り出すのに最適だった。

 ゆっくりと立ち上がる。

 外はもっと眩しそうだ。

 私は先程とはまた違う魔法陣を手にし、着替えの服を出す。

 一人でも着られるように改造されたドレスとのことだが……見た目はあまり変わらない。いつも着ているフリルがおしゃれな、お気に入りのドレスだ。

 あ、リボンの裏に魔法陣が刺繡されている。

 

 かちり。


「わっ」

 これが改造点なのか、と指を触れた瞬間、鍵を開ける音が響き、服が消える。

 同時に、私の視界の下側に赤いリボンが映り、ほんのりと重みが来た。

「……すごい」

 手鏡で見ると、肌着姿だった私はいつの間にかドレスを着た私に戻っていた。

 寝た時に乱れた髪を櫛で自然なウェーブに直せば、直ぐに元通りだ。

 うちの司書は、どれだけ優秀であることを誇示し続けるのだろうか。

 

 かりかりかり……

 意外と光に眩まない馬車の外へと出ると、お兄様はノートをとっていた。時折外の景色を眺め、二歩先の簡易テーブルから紅茶を口に含み、味わいながら、お兄様は何を書いているのだろうか。

「……この辺りは、問題無し」

「……」

 眼を軽く細め、溢れる色彩を取り込もうとする彼の横顔に、一瞬挨拶を躊躇してしまう。普段は可愛らしく優しく笑顔を見せるお兄様ではない。一人の旅人が、『月詠夢』という旅人が、私よりも多く映る夏を、観察していた。

 

「……あ、フィリア様。おはようございます」

翡翠の瞳が私の深紅に合った瞬間、旅人は、一瞬で私の執事になっていた。

「おはよ。お兄様。何してるの?」

「この辺りの植生と……魔力調査ですね。この辺りは調査済みなので、変化が無いかのチェックだけですが、後数分すれば終わりますよ」

「……ほんとに仕事なんだね」

「まぁ……ほとんど趣味感覚でやっている人が多いですし、なにより……別に報告書をここまでまめに書く必要はありませんけどね。あ、朝食は用意してありますよ」

お兄様が紅茶を飲んでいた簡易テーブルを再度見てみると、紫色のジャムと保存がききそうな乾いたパンが、具の少ないスープと共に、お兄様の紅茶の対面に置かれていた。

 壊れにくい木製のお皿に置いてあるせいか、真ん中に置いてある陶器のティーセットが妙に浮いているように見える。

当たり前だけど……私って裕福な家庭なんだよね。屋敷暮らしで、お姉様は領主だし。あまりにも日常と化していると実感が湧かないけど、意外と気になるものなんだな。

……まぁ、味は悪くない。それどころかほんのりとした味わいは、景色と掛け合わせると丁度いい。

焼きたての小麦の香りはそこまでないが、その分甘みが強く感じられるパンを、スープに付けて食べれば、味に飽きることなく、柔らかい食感を楽しめる。

結局、普段より早いペースで完食してしまった。

口直しの紅茶を飲む。うん。これは、いつどこで飲んでも変わらない香りと味わいだ。薄めに淹れてあるおかげで、さっぱりとする。

ごちそうさまでした。

……いい天気だ。髪を揺らすいたずらな風。木の上で鳴る、木の葉と鳥による自然のオーケストラ。肺の奥まで透き通る草原の香り。

流々と流れる外の世界は、規則的に流れる時を忘れさせる。

「フィリア様。後片付けが終わりましたら、馬車を動かそうと思いますので、もう少しお待ちください」

 紙束を脇に抱えたお兄様が、馬車に乗り込みながら私に告げた。

 そうだ。この景色は、あくまで私が向かいたい場所へいくまでの過程に過ぎないのだ。この程度の事で満足しているようでは、国に着く前にお腹いっぱいになってしまう。

「わかったよ。何か私に手伝えることはある?」

 食器を運びながら、私も馬車に入りお兄様に聞いてみることにした。

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2024年9月20日 15:00 毎日 15:00

Life『旅の苦難を紅茶に添えて』 るなるな @Thukuyomu

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