第2話…アツシ、絶叫!
ピンポーン!
唐突に、家のチャイムが鳴った。
こんな時に一体誰だ?
祐介と凛が、顔を見合わせた。
もう一度、チャイムが鳴ると、続けて玄関ドアをノックする音も聴こえた。
すると、トイレの外にいたアツシの気配が、フッと消えた。
凛がドアに耳をあて、確認する。
アツシの荒い息づかいが、全く聴こえない。
「あれ? お兄ちゃん、アツシいなくなったよ」
「……そうか! ゾンビは、音のする方へと向かうんだ。ゾンビが出てくる海外ドラマを見たことあるけど、そんなシーンがよくあった」
「え、じゃあ玄関の方に行ったの?」
「きっとそうだ。よし、後ろからアツシを捕まえようぜ」
祐介達は、トイレの中で武器になりそうな物を探した。
祐介はハンドタオルを、凛は便所ブラシを、それぞれが手に持った。
準備が整うと、そっと鍵を外し、玄関の方を覗いた。
そこにフラフラと歩く、アツシの後ろ姿が見えた。
祐介達は音を立てないよう、慎重に近づいた。
「それっ、今だ!」
祐介は、両手で引っ張ったタオルを、アツシの首に巻きつけた。
とたんに暴れ出す、アツシ。
凛は正面から便所ブラシで、アツシの顔面を突こうした。
だが、アツシが寸前で避けたため、後ろにいた祐介の顔面に、汚いブラシ部分が命中する。
「ぶわっ! 汚ねえ!」
「あ、ごめーん」
「ごめーんじゃねえよ!」
顔が濡れた祐介が、憤慨する。
だが、今は怒っている暇もない。
またアツシが、襲いかかってくるからだ。
祐介が、アツシと取っ組み合いを始めると、気の強い凛も加勢する。
凛は、おんぶのようにアツシの背中に飛び乗ると、彼の薄い髪の毛を引っ張った。
ピンポーン!
コンコンコン!
ずっと玄関にいるのは、初老の男だった。
彼は苛立っていた。
家の明かりがついていて、声や物音も聴こえてくる。
人が居るのは、明らかだ。
それなのに、いつまで経っても、誰も出てこない。
「はよ出ろや、ほんま!」
男の名前は、大野徳弘。
関西出身だ。
彼はヒロシの麻雀仲間で、谷岡邸に来た理由は、ただ一つ。
麻雀でのアツシの負け分を、取りに来たのだ。
ちなみに大野は、この日、風邪気味でマスクを着けていた。
「おーい、ヒロシ!」
とうとう我慢が出来なくなった大野は、大声で呼びかけた。
それと同時に、ドアノブを掴んでみる。
意外にも、ドアは力なく開いた。
実は、凛が帰宅した時、鍵をし忘れたのだ。
「なんや、開いとんのかい」
大野が隙間から、顔を覗かせた。
そこには組んず解れつ、取っ組み合いを繰り返す兄妹達がいた。
その異様な光景に、大野は眉間に深いしわを作る。
「……お前ら、何やっとんねん?」
大野の声に、祐介と凛が振り向いた。
一瞬、力の抜けた祐介達は、アツシに払いのけられた。
そしてアツシは、玄関にいる大野の存在に気づき、足早に彼へと歩み寄った。
「おっ、アツシ! おまえ、この前の麻雀の負け分、今日こそキッチリ払えよ!」
「うがぁぁぁ!」
アツシが叫びながら、大野に襲いかかる。
「うわっ、何やアツシ! 気ぃ狂ったんか!」
大野の首を締めるアツシ。
祐介は急いで、その手を引き離した。
「すいません! アツシの友人ですよね? この人、ちょっと酔っ払っているんです!」
「いや、酒乱にも程があるやろ! 悪魔が乗り移っとるやないかい!」
大野はマスクを取ると、痛めた首を押さえて激怒した。
「あの、すいません。今日のところは……」
「言われんでも帰るわ! こんな発狂男、はよ縄で縛っとけや、ほんま!」
大野は怒鳴りつけると、舌打ちをして、仕方なく帰って行った。
その後もアツシは、手に負えないほど暴れたが、やがて取り押さえる事に成功した。
玄関の隅で埃をかぶっていた、二つの縄跳びで、アツシの体をグルグル巻きにしたのだ。
ちなみに、この縄跳びは祐介と凛が、小学生の頃に使っていたものだ。
まさか、こんなふうに役立つとは。
兎にも角にも、これでアツシはもう動けない。
さらに、アツシの口をタオルで縛ると、彼はフガフガと唸るだけになった。
「……噛まれてないよな? 凛」
ふと祐介が、凛に問いかけた。
ゾンビに噛まれると、ゾンビウイルスに感染するかもしれない。
それを祐介は、心配したのだ。
「大丈夫、噛まれてないよ。それより、アツシどうする?」
「うーん、こんな奴がいたら、生活出来ないしな。もういっそ、ゾンビですって公表しようか。テレビの取材が殺到して、お金を稼げるかもしれないぞ!」
「そんなのイヤ! クラスのみんなから、気持ち悪がられちゃうよ」
祐介は、しかめっ面で再び、うーんと唸った。
こめかみをポリポリと掻きながら「じゃあ、畑に埋めるか?」と、提案する。
「畑?」
「母さんが、野菜を作るために買った、農地があるじゃないか。今はアツシが、ビールのつまみにと、枝豆を植えているんだけど、そこにアツシを埋めようぜ。埋めた後、枝豆の葉っぱや蔓を上に置いて、カムフラージュすれば、分からないだろう」
「……殺して、埋めるの?」
「殺すっていうか、すでに死んでるけどな。ゾンビの弱点は頭だから、頭をカチ割れば、やっつけられるよ。どのゾンビ映画でも、そうだったから」
またアツシが、暴れ出した。
首を左右に振り、ウガウガと唸っている。
そんなアツシを押さえつけながら、凛が言った。
「でも、アツシがいなくなったら、さっきのおじさんが探すよ。きっと警察も来るよ」
「大丈夫。酔っ払って外に飛び出し、そのまま行方不明になったっていう事にするよ。アツシが暴れていたのは事実だからな。そのおじさんが証人だよ」
凛は感心したように、何度も頷いた。
「お兄ちゃん、頭いいね!」
妹に褒められた裕介は、得意げな顔をした。
しかし、そんな会話の最中も、アツシは延々と暴れ続けている。
凛は、苛立った声を出した。
「じゃあ早く、アツシをやっつけてよ! うるさいから」
「ここじゃあ駄目だ。アツシの太った体を、二人で運ぶのは大変だぞ。畑まで歩かせた方が、どう考えても楽だろ?」
「あ、そっか、そうだね!」
さっそく兄妹は、アツシを起き上がらせた。
外は肌寒いので、祐介は上着を着る。
アツシには、黒いロングコートを羽織らせた。
だが玄関を出たところで、祐介が困惑した顔で振り返った。
「畑は、すぐそこだけど、それまでに人に顔を見られたら困るな」
「全員、マスクすれば? もう十一月だし、おかしくないでしょ?」
「おっ、それは妙案だな」
祐介は、凛から差し出されたマスクを着けた。
さらに凛は、玄関棚に置いてあった個包装のマスク二枚を、自分とアツシに着けた。
「よし、俺がアツシを引っ張って先頭を行くから、お前は後ろからアツシを押してくれ」
「うん、分かった」
◇ ◇ ◇
暗い夜道を歩く、三人の影。
風に転がる落ち葉を踏みしめながら、祐介は街灯の光に近寄らないよう、注意して進んだ。
途中、何度もアツシが暴れたが、その度に祐介と凛が、蹴って殴って強制的に進ませた。
おかげで、肌寒かった身体が温まった。
畑は、すぐに見えてきた。
約五メートル四方の、狭い土地だ。
周りには他人の畑があり、近くに家はない。
ここまで来るのに、人ともすれ違っていない。
それはとても幸運だったが、ここにきて、祐介の具合が悪くなる。
「……なあ凛、このマスク変じゃないか? ずっと思ってたんだけど、煙草とニンニクの匂いがするぞ」
「あ、それ玄関に落ちてたマスク。あのおじさんが着けてたやつだよ」
「おぶぉええ……!」
祐介は、嘔吐しそうになった。
急いでマスクを取ると、地面に叩きつける。
「お前、ふざけんなっ! おっさんが着けてたマスクを渡してくるか、普通!」
「だって、マスク二枚しかなかったんだから、しょうがないよ。誰かが、あのマスクをしないと」
「だったら、アツシでいいだろ! ゾンビなんだから、気にしないだろ!」
「あ、言われてみれば、そうだねー」
「……ふざけんなよ、まったく!」
ペッペッと、何度も唾を吐く祐介。
その時、遠くで車の走る音がした。
続けて、犬の遠吠えも聴こえると、祐介は焦りを覚えた。
いつまでも、気持ち悪がってはいられないのだ。
誰かに目撃される前に、事を済まさなければ。
祐介は気を取り直し、少し離れた茂みの中にある大きな木に、アツシを縛り付けた。
アツシに着せていたロングコートを脱がし、それで動けないようにしたのだ。
アツシの見張りは、凛に任せる事にして、祐介は土を掘るためのスコップを探した。
街灯の弱い明かりが、それらしき農具を照らしている。
「お、スコップ発見!」
祐介は、誰かの畑に放置されていた、長さ一メートル程の鉄製のスコップを見つけた。
ヒヤリと冷たいスコップを両手で持ち上げると、枝豆を植えている畑へと戻った。
畑の枝豆は、辺り一面、乱雑に生えていた。
ちゃんと畝にしていないからだ。
アツシらしい、いい加減な植え方だが、それがかえって好都合。
人一人なら、隠せるだろう。
祐介は力を込めて、中央付近をスコップで掘り始めた。
一方、木に縛ったアツシを監視している凛は、とても暇だった。
鼻歌を歌ったり、木の枝を振り回して時間を潰していると、性懲りも無く、またアツシが暴れだした。
「もうっ! アツシ、しつこいよ」
怒り顔で凛が近づくと……ゴツンッ!
アツシが凛に、頭突きをした。
それは大きな石と石が、ぶつかるような音だった。
突然の衝撃に、凛は膝の力が抜け、大の字で倒れる。
ほどなくして、頭を押さえ半身を起こす凛。
「いたたた……」
パラパラと、土や枯れ葉を落としながら立ち上がると、アツシを睨みつけた。
「いったぁい……もうっ、何すんの! アツシのバカ! ハゲ! デブ! エロオヤジ!」
「おい凛、助けてくれよぉ!」
なんと、突然アツシが喋り出した。
凛は驚きのあまり、思考が停止する。
口を縛るタオルが外れたアツシは、次々に言葉を発した。
「凛、聴いてるのか? 早く縛ってるこれを取ってくれよ! 俺はゾンビじゃないって! ずっと演技してたんだよぉぉ!」
ぽかんと、口を開けたままの凛。
言葉が出てこない。
まるで静止画のように、ピタリと動きを止め、立ち尽くした。
「お前、俺に精力増強のドリンク、飲ませただろ? あの時に目が覚めたんだよ! それでムカつくから、ゾンビのふりして、お前に襲いかかったんだよ! 懲らしめてやろうと思ってな! だって、こっちは階段から落ちて死にかけたんだからな!」
何度も瞬きを繰り返した後、凛は恐る恐る、アツシに問いかけた。
「……呼吸してなかったって……お兄ちゃん言ってたよ」
「それ、たぶん睡眠時無呼吸症候群だよ! 今月から病院に通い出したって、言っただろう?」
そういえば最近、アツシが無呼吸がなんとか言っていたように思う。
そんな事を思い出しながら、凛は再び問いかけた。
「……じゃあ、ずっと演技してたの? 人が訪ねて来ても?」
「大野のオヤジの事か? あいつ、金の催促に来たのが分かってたからな。ああやって、追い払ったんだよ」
凛は頭を抱えて、顔を左右に振った。
「嘘よ、そんな訳ない。これは夢よ。私、頭を強く打って幻覚を見てるんだ……絶対にそうよ。だって、ゾンビが喋るわけないもん……」
「だから、ゾンビじゃないよぉ! 祐介にも言ってくれよ! このままだと、あいつに頭をカチ割られて、埋められちゃうよぉぉぉ!」
頭が混乱していた凛だが、ふと昨日読んだ少女漫画を思い出した。
その内容は、今の状況に酷似している。
頭を打った少女が、不気味な男の幻覚に操られる話だった。
……私は、この少女のようにはならない。
……操られてなるものか。
凛は、キッと鋭くアツシを睨んだ。
何かを決意した目だった。
アツシに近づくと、緩んだタオルを再び口に押し付け、きつく結ぶ。
アツシは、またフガフガと唸り、喋れなくなった。
「私、騙されないからね!」
そこへ、穴を掘ったばかりの祐介が、スコップを肩に担いでやってきた。
薄っすらと、汗をかいている。
穴を掘る作業は、かなりの肉体労働なのだ。
息を整えながら、凛に問う。
「どうした、凛?」
「早く、アツシを……幻覚を見せてくる、このゾンビをやっつけて!」
「幻覚?」
「とにかく早く!」
「ああ、分かったよ」
長身の祐介がヨイショと、重い鉄製のスコップを天高く持ち上げた。
それを見上げて、アツシは顔を激しく左右に振った。
「フガーッ! フガーッ!」
助けてくれと訴えるように、ジタバタしている。
それは、まるで生きた人間のようだった。
「悪く思うなよ、アツシ。いや、生きた屍、ゾンビ!」
殺意に満ちたスコップが、ギラリと光る。
次の瞬間、それは勢いよく振り下ろされた。
「オラーッ!」と叫ぶ祐介。
「行けぇぇ!」と叫ぶ凛。
「フンガーッ!」と叫ぶアツシ。
——任務完了。
祐介が、土をかぶせる。
その上に、寄せてあった枝豆の蔓を元どおりに置いた。
「これでよし! まさか育てている農作物の真下に、ゾンビが眠っているとは、誰も思わないだろう」
「やったね、お兄ちゃん。まさに、木を隠すなら森の中っていうやつだね!」
「いや、ちょっと違う。とにかく、もう帰ろうぜ。腹が減ったよ」
「そうだね。冷蔵庫にローストビーフがあるから、あれ食べようよ」
「いや、ちょっと肉はいいや……」
そんな会話をしながら、祐介は、ふと空を見上げた。
秋の夜空には、満天の星が輝いていた。
……ウゥゥゥ……。
どこかで、地獄からの呻き声がする。
そして、モソモソと土が動き出した——
おわり
ゾンビになったアツシ 岡本圭地 @okamoto2023kkk
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