終章 Dawn

終章

 来栖くるす紫苑しおん


 吹き付ける風が頬を撫で、その中に混じる微かな冷たさが冬の到来を感じさせた。

 まだまだ雪が降る季節ではなかったが、舞い落ちる雪の光景を思い出すと、私は憂鬱な気分になる。

 冬は嫌いだ。

 まだ慣れない人混みをなんとか避けながら、時に機嫌の悪そうな人にぶつかりながら、私はゆっくりとした一歩をしかし止めること無く踏み出し続ける。

 脳裏に記憶が蘇りそうになって、無理やり別のことに頭を集中させる。イヤホンで耳を塞ぎ、街の喧騒が激しいロックに変わる頃、私はようやく笑顔に戻ることが出来た。

 けれどやはり音を上書きしても、肌で覚えた感覚は騙し切ることが出来ない。それから目的地に着くまで、私の体に冷たい風が当たる度に一つずつ、あの冬の事をつい思い返してしまう。

 生まれ育った村で起きた、陰惨な事件の事を。私を守ってくれた人たちの事を。

 やはり冬は嫌いだ。いなくなってしまった人たちのことを思い出してしまうから。

「よう、久しぶり」

 工房の入口から出てきた加賀美かがみさんは、私を見るなり優しい眼差しを向けた。

 あの日、私達を迎えに篠宮しのみや村に来てくれた時と同じ眼だった。

「早速で悪ぃけど、頼めるか」

 私はそれに頷くと、加賀美さんと共に作業室へ足を踏み入れた。

 加賀美さんの友人は、部屋の中でコンピューターに向かって何かを打ち込んでいる様子で、後ろから覗いた限りそれは文章のようなものだった。

 加賀美さんが掛けた声に振り返ったその人は、少し陰鬱さが見え隠れするが穏やかそうな人だった。

「どうも。葦澤あしざわと言います、よろしく」

 彼は加賀美さんの古くからの友人で、書き物をしているらしい。YOMIヨミで起きた「さやかの呪い事件」の記事をまとめたのもこの人なのだそうだ。

 私の故郷、篠宮村で起きてしまった事件について、詳しく知る人は今や私しか居ない。

 もみ消された真実を少しでも広めるために協力してくれないかと加賀美さんに頼まれ、私が呼び出されたというわけだった。

「辛いことも聞くけど、大丈夫そうかな」

 私は葦澤さんの言葉に強く頷いた。もう、嫌がってられない。避け続けては居られない。

 私は、記憶の深いところへ潜り込むように、始まりから終わりまで、私が見てきたその全てを思い出し、あの時と同じ気持ちで語り続けた。

 加賀美さんも葦澤さんも、ただ黙って聞いていた。


「ありがとう、これで充分だ」

 私が語り終わると、葦澤さんがコーヒーを一口飲んで、リンクスを経由したレコーダーを止めた。

「もうあれから二年も経ったけどよ、今はもう新興宗教の集団自決ってメディアに報道されちまっただろ? 今更信じるやつがいるのかね」

 加賀美さんはそう言って訝しげな顔をする。

「だからこそだよ。あの報道の仕方は少し無理やり過ぎた。篠宮から離れて暮らしていた遺族たちが怪しんで、独自で調査を進めてるんだ。記事をまとめたら、俺がその人達に接触するつもりだよ」

 葦澤さんはそう言って、「今度は俺も役に立たなきゃな」と呟いた。

 加賀美さんも神妙な顔になり、「殆どは新堂しんどう畑川はたかわかなめさんのおかげだったもんな」と呟いた。

 それらの名前を聞いた瞬間、私の目からは勝手に涙が溢れてきた。自分でも驚くくらい大粒で、いくら止めようとしても収まらなかった。

 加賀美さんが黙ってハンカチを差し出してくれ、私はそれに縋って泣き続けた。

 私を保護してくれたマサぃ、危険から守ってくれた朱音あかねさん、記憶を取り戻してくれた小麦こむぎさん、姉と協力してくれた要さん。

 そして、私のためにずっと研究を続けていた凛苑りおんお姉ちゃん。

 全員が私を助けてくれたのに、みんないなくなってしまった。

 ──私は、何も出来なかった。

 篠宮村はその後、事件が明るみになってからは警察やマスコミ、野次馬の絶え間ない到来で騒然としていた。しかし誰も真相に辿り着くことはなく、不気味がった信者ではない村人達もどんどんと離れていき、今では本当の限界集落と化してしまった。

 村を統括していた御三家の崩壊によって、全体の管理維持がめちゃくちゃになったことも相まったのだろう。

 稀人まれびとはカグツチにより完全に消滅したらしく、「何かがこちらへやってくる」気配もしなくなり、カクリヨは残骸となった実験施設を事実上廃棄、霊廟れいびょうのサービスも取り止めになった。

 意識保存サービスの継続を試みようとしたが、扉となっていた「さんかく様」と共に保存されていた意識データも全て消滅してしまった。

 その結果サービス利用者から訴訟を起こされ、問題を巡って内部分裂へと発展し、最終的には完全に壊滅したそうだ。

 葦澤さんが掻い摘んで色々説明してくれて、私はそれに聞き入ってしまった。何しろあれから事件の情報はわざと受け取らないようにしていたから、当事者であるはずの私以上に彼は事情を知っていた。

「クルス粒子の放出は止まったようだけど、もう既に漏れた分は消えなかったみたいでね。その影響で、幽霊を見たって人が増えたみたいだ」

 葦澤さんは遠い目をしてそう語った。

「でも悪いことばかりじゃないんだよ。YOMIが無くても、亡くなった家族と再会出来た、もう一度会って話せた、伝えきれなかった事が言えたとか、色々な話を聞いたよ」

 発達した科学が生んだYOMIによって、むしろ貧しくなったと思える人の心というものを、死者との向き合い方を通して見つめ直そうとする人々の動きは、近年活発化しているそうだ。

「ちなみに、俺もその一人」

霞美かすみに会ったのか!?」

 大声を出した加賀美さんに向かって、葦澤さんは優しい顔でゆっくり頷いた。寂しさを覚えながらも安寧に満ちた、不思議で穏やかな顔だった。

「君も、あまり塞ぎ込まないようにね」

 葦澤さんは再度私に感謝し、寂しそうな背中でそう言い残して帰っていった。

「紫苑、この後空いてるか?」

 加賀美さんにそう聞かれ、私は頷く。言われるがままついていくと、貸駐車場らしき場所にたどり着いた。

 ガレージの扉を開けるとそこには、懐かしき真紅のステーションワゴンが停まっていた。

「これ、朱音さんの……」

「修理しといたよ。知人に車屋が居るから格安でやってもらった」

 以前からしつこいように加賀美さんに免許を取れ免許を取れと言われていたのだが、こういう理由だったかとこれを見て納得した。

 どこで何をやったのか詳しくは知らないが、手続きは終わっているらしく、もうそれは私のものになっているそうだ。

 でも、どうしても受け取る気になれなかった。

「じゃあせめて一回は転がしてやれ。ホラ、ここまでの道のりとか丁度いいぞ」

 加賀美さんにそう言われ、送信されてきた住所は、街から離れた田舎の方の住所だった。

 その場所には加賀美さんの友人が住んでいるとのことだったのだが、一体彼は何人の知り合いがいるのだろう。流石の人脈の広さには感心するばかりだ。

 少し時間はかかるが、初めての長距離運転にしては簡単なルートだと言うので、私は仕方なく朱音さんの車に乗り込んだ。


 朱音さんの車は、とても乗り心地が良かった。まだ初心者の私には良く分からないが、なんとなく気持ちがいい。操作を素直に受け止めてくれるような感じだろうか。

 大好きな音楽をかけ、余計な事を考えず、知らない景色を楽しみながら走る道中は心に平穏をもたらしてくれる。朱音さんがドライブが好きだったと聞いた事があるが、今なら分かる気がした。

 ドライブは自分との対話だ。今悩んでいることや向き合わなければならない事の整理になるし、考えがよくまとまる。

 私は、箱守はこもりであることを辞め、これからは来栖紫苑と名乗って生きていくことに決めた。

 あの村の出来事を記憶から少しでも薄れさせるためでもあり、そして、篠宮御三家の人間という重責から解放され、自由に生きて欲しいという姉の願いを尊重したいからでもある。

 自分がこの先何がしたいかはまだ分からない。やりたいことが具体的に思い浮かばないし。

 でも、それをゆっくり探すのもいいかもなと思う。それも一つの人生の在り方なのではないだろうか。

 でも出来ことなら、誰かのために出来ることがやりたいなと思う。

 ナビが示した住所に着くと、田んぼや畑に囲まれた一軒の古い民家が建っていた。

 ここが加賀美さんの知り合いの家だろうか。

 玄関の前に車を停め、インターホンを鳴らすと、「開いてます」と声が聞こえた。どこかで聞いたような女性の声だった。

「お邪魔します。加賀美さんから訪ねるよう言われ……」

 そこまで挨拶しながら家を上げた瞬間、私は驚きのあまり続きが出てこなくなった。

 迎えに出てきたのは、見紛うはずのない二人の女性。朱音さんと小麦さんだったからだ。

 朱音さんは光を失った目でそれでも私を優しく見つめており、小麦さんは真っ白になった髪の毛を恥ずかしそうに手で弄っている。

 見た目だけでは一瞬誰だか分からない程変化が激しかったが、私には一瞬で分かった。

「久しぶり、紫苑ちゃん」

 小麦さんの声を聞くと、私は無意識に二人にしがみついていた。

「何で……」

 溢れる涙を拭いもせず、確かに感じる温もりを離さないよう、掴んだ服を力いっぱい握った。

「加賀美さんが、死んだことにした方が安全だからって、色々手回ししてくれたんだ」

 朱音さんがそう答え、今までの経緯を話してくれた。

 あの日、私の連絡で駆けつけた加賀美さんによって運ばれた二人は相当に危険な状態だったそうだ。

 街の病院へ到達するまで保たないと思われていたが、奇跡的に命の灯火は繋がれたままだった。特に朱音さんが保ったのは、私が最後に赤いカプセルを朱音さんのリストバンドに挿し込んだおかげでもあったと言われた。

 でも何より二人が保ったのは、あの時私に見えていた、ずっと寄り添って適切な指示を出すマサ兄ぃと穂香ほのかさんのおかげだった。

 処置を終えると、二人は仲良さそうに手を繋いで、夜の篠宮に消えていってしまったが。

 朱音さんは、鏑木かぶらぎひじりの呪いによって内臓のいくつかと視力がほとんど駄目になっていた。内臓の方は細胞クローニング技術により、全快とはいかないものの生命維持に必要な機能は最低限取り戻せた。だが、もう子供を生むことは出来ない体になってしまったそうだ。

 視力の方は神経が完全に駄目になり、義眼を装着しても何をしても、もう取り戻せることは出来ないそうだった。

 小麦さんは鏑木永盛ながもりに貫かれた際の傷で脊髄に損傷があり、一時期は半身麻痺の状態までになったが、リハビリを乗り越えてやっと歩行補助の機械があれば立って歩けるまでに回復したそうだ。

 だが、今の医療技術をもってしても、クルス粒子に蝕まれた部分の再生は阻まれてしまっており、二人とも完全に回復することはもう二度と出来ないのだそうだ。

 だけど、二人はそれを受け入れて、穏やかに生活している。改めてその精神力に私は脱帽した。

「そっか、葦澤さんに会ったんだ。元気だった?」

「はい。今回の事件の真相をまとめて記事にしてくれるって」

 朱音さんはそれを聞いて、「あの人らしい」と笑った。

「紫苑ちゃんは? これからどうするか決めた?」

「うーん、まだ。ゆっくり探そうと思ってます」

 小麦さんがその答えを聞いて、それがいいねと優しく言ってくれた。

「……その身体じゃ二人とも不便じゃないですか? そうだ、しばらくお手伝いとして住み込みで働くのもいいかなぁ」

 私がそう言うと、二人は是非そうしてくれと言って笑った。

 軽口ではなく、二人に助けられた恩返しがしたい。まずはそこから始めて、私は私のやりたいことを見つけようと、そう思った。

 それから二人と過ごした時間は、とても穏やかなものだった。

 窓の外は相変わらず寒風が吹いていた。

 ふと覗いた窓の先に、お父さんとお母さんと、凛苑お姉ちゃんが居るのが見えた。三人ともなんだか嬉しそうで、優しげな笑みを浮かべている。

 瞬きの一瞬でそれは消え、今のが幻想だったのか本物だったのか考える間もなかったが、私はそのどちらでもいいと思い、「約束、守ってくれたんだね」と窓に外に向かって投げかけた。

 いつか母の語ってくれた、私の名前の由来を思い出す。

 紫苑は花の名前で、「遠くにいる君を想う」や「追憶」という花言葉があるそうだ。

 どんなに離れようと時間が過ぎようと、その人を想う事で、いつだって繋がれる。

 繋いだ心や繋いだ意志は消える事は無い。誰かの為に行動した人たちの確かな意志は、今でも私の中に、薄まらず残っている。

 意志の強さは全ての障害を越えて行ける。どんな困難でも運命でも、乗り越えて行ける。私はそれを、みんなから教えてもらった。

 彼ら彼女らのように、今度は私が、誰かの為に行動を起こせる人間になる番だ。そう考えると、ちょっとだけ、今自分が何をしたいのか分かってきた気がする。

 クルス粒子が世界にもたらしたのは、幽霊を見るというマイナスな面だけではない。科学や理屈で語る事の出来ない、人の精神の本来あるべき姿を写す鏡のような役割の、プラスな面もあるのではないだろうか。

 いなくなってしまった人たちの想いへ寄り添う事、それはもしかしたら、歪んだ愛の形に見えるかもしれない。だけど、たとえひずんでいたとしても、ありのままの姿で居続ける事は美しいと思う。飾らないそれは、その人の真の心の形だから。

 正しいから歪んでいるのか、歪んでいるから正しいのかは、それぞれの感性に依るんだろうけど、私は、そんないびつなこの世界の美しさが理解出来る気がする。

 生者だろうと死者だろうと、互いが互いを分かり合おうとする事で、世界はもっとより良くなれるはずだから。

 あるがままのその世界を、きっと愛せる日が来るはずだから。


 了

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ディストーション・デルタ りっきぃ @nightman_ricky

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