トイレで考える事

五日野影法師

第1話 本当にトイレだろうか

 夜から朝にかけてトイレに行く回数が増えてきた。年齢のせいと理解しているから慣れるしかない 。だが、ふと不安になる時がある。ここは本当にトイレなのだろうか。 寝ぼけまなこで目の前にある、今座っている便座だと思っているものは本当に便座なのだろうか。10年前に亡くなった父は私が子供の頃 酔っ払って家に帰ってきて、たまに家の階段の隅で用を足したらしい。母は非常に難儀したと愚痴をこぼしていた。今から考えれば信じがたいが、昔は裏路地の隅で立ち小便をするのが珍しくなかった。 酔っぱらった父にとって階段の隅は裏路地に見えたのかもしれない。

 さて、対象は私自身である。父の思い出もそうだが、夜中に間違えて便座を上げて腰掛けて、便器に直接尻を付き驚いて飛び上がったことが有る。私はトイレで寝ぼけるのである。それは不安を掻き立てる。心底寝ぼけていれば不安も起きないのだろうが私は中途半端に覚醒する。直前まで寝ていたから覚醒の状態は今始まったばかりで継続的なものではなく信用できない。今の覚醒と思っている状態が本当の覚醒なのか夢の中の覚醒なのか判断がつかないのだ。実はトイレではないとこで用を出しているのではないか。

 父が階段の隅で用を足したように、私も余人が理解に苦しむようなところで用を足そうとしているのではないだろうか。特に心配なのは「大」だ。仮にトイレではない場所でそれを見つけた場合、その絶望と処理の際の心労は想像に難くない。

 幸い小も大もトイレ以外の場所で見つけた事は無い。おそらく夜中の覚醒に疑問を抱かなくなった時、それは襲ってくるような気がする。気は抜けないのである。

 夜にトイレに起きる同志に問いたい。そこは本当にトイレだろうか。

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トイレで考える事 五日野影法師 @fukamachikun

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