金魚
香久山 ゆみ
金魚
息苦しい程の熱帯夜。かつての級友を思い出す。生きづらそうだったあの子。彼女が語った、幼い夏の思い出――。
夏祭りで金魚すくいをした。早々に紙が破れて諦めかけた時、真っ赤な金魚がすいとこちらに向かってきて、ラストチャンスとばかりに息を止めてえいやっとポイを持ち上げたら、まるで金魚の方で調子を合わせたみたいにひょいと器に飛び込んだ。
そうして連れて帰った金魚を、彼女は可愛がった。水草を入れた水槽ですいすい泳ぐ赤い体と小さくも優雅な尾鰭を飽かず眺めた。
両親はやっと歩けるようになったばかりの妹にかかりきりで、寂しさを感じている折でもあった。毎日水槽を見つめてはガラス越しに金魚と彼女はお喋りした。金魚が話せるはずがない。具体的にどんな会話をしたか、どう話したのか思い出せない。けれど、靄の向こうの遥かな記憶では確かにお喋りしていた気がするのだ。
一度妹に構ってケガをさせて以来、両親に制せられて気儘に妹に近付くことはできなかった。彼女は金魚を妹の名前で呼んだ。金魚もそれに応えた。彼女が水槽に近付くといつも、水草から出てきてじっと見つめた。時に苛立ちをぶつけることがあっても、金魚は変わらず彼女に対峙した。
ある日小学校から帰ると、妹が水槽に張り付くように掴まり立ちしていた。
「あーちゃ」
姉の名前を、金魚に向かって呼び掛けた。
思わず妹を突き飛ばす。妹がわあわあ泣き、母が飛んでくる。姉は叱られている間も、上の空だった。
けっして金魚に名前を付けてはいけない。小学校で流行っていた都市伝説だ。名前を呼ばれることで自我を生じた金魚は、寿命がきた時に周りの命を巻き添えにしていく。とくに近くに同名の存在がいれば彼我を同一視して身代わりに連れて行ってしまうという。
母の叱咤と泣き声と立ち尽くす姉。ショックのせいか、金魚に纏わる記憶はそこで途切れていて、次に思い出す景色にはすでに金魚も水槽もない。死んだのかも覚えていない。以来、家族の誰も金魚の話はしない。けれど、時々鏡にパクパクと金魚が口を動かす姿を目の端に捉える気がする――。
私は、彼女のその話を信じたわけではない。どうせ作り話だろうと。いやそもそも怪異など何も起こっていやしないのだ。ただ、いつも論理的な彼女なのに、話がまとまっていないと思っただけだ。視点が曖昧だし、そもそも彼女には姉はいるが妹はいない。
特別親しいわけでもなかったので、話を聞いたのはその一度きりだし、現在彼女がどうしているのかも知らない。噂では、高校卒業後、夜職に就いた彼女は、赤いドレスを翻し夜の街をすいすい泳いでいるらしい。
金魚 香久山 ゆみ @kaguyamayumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます