第3話 夜凪

 翔太は枕に顔を埋めたまま、心の中でぐるぐると回る思考を止めることができなかった。山本龍司とのLINEOのやりとりが終わった後も、牧瑠香のことが頭から離れなかった。噂という曖昧なものに対する不安と、それに巻き込まれるかもしれないという恐れが、彼の心に重くのしかかっていた。


「牧さんと、僕…」


 翔太は何度も同じことを考えては、その度に自己嫌悪に陥っていた。山本が言ったように、確かに彼女に惹かれている自分がいることは否定できなかった。だが、それを素直に認めることは、彼にとって大きな勇気を必要とすることだった。


「好きなのか、僕…?」


 ベッドの中で寝返りを打ち、天井を見上げた。夜の闇が、彼の心の中に入り込んでくるような感覚があった。彼女の冷たい眼差し、そしてその奥に隠された何かを感じ取ろうとするたびに、彼の心は揺れ動いていた。


「明日、美桜ちゃんに会うんだな…」


 翔太はその事実を思い出し、少しだけ緊張が走った。宮崎美桜――中学時代の同級生であり、小学校から仲が良かった幼馴染の女の子だ。少しおっとりとしているように見えるが実は勝ち気で活発な性格で、芯の強い女の子だった。少々悶着があり疎遠になっていた彼女と久しぶりに会うことになる。何を聞かされるのか。そして、それが牧瑠香にどう関わるのか。


「噂って、一体…」


 翔太は目を閉じたが、すぐに再び開けた。目を閉じると、頭の中でさらに思考が暴走してしまうのだ。彼は仕方なくベッドから起き上がり、机の引き出しから日記帳を取り出した。誰にも見せるつもりはなかったが、彼にとっての唯一の逃げ場だった。


「…また今日も、彼女のことばかり考えている。」


 翔太はペンを走らせながら、自分の心情を書き留めた。日記に書き出すことで、少しでも頭の中が整理できると信じていた。だが、今日は違った。書けば書くほど、彼の心はますます乱れていくばかりだった。


「瑠香の秘密を知りたい。でも、その真実を知ったら、どうなるんだろう…そして、どうするんだろう…」


 ペンが止まる。翔太はその先をどう書くべきかわからなかった。彼は日記帳を閉じ、深い溜息をついた。窓の外を見ると、月明かりが海沿いの町を淡く照らしていた。その光景が、どこか非現実的に思えた。


「ちょっと外に出てみるか…」


 翔太は制服のまま部屋を出て、家のドアを静かに開けた。冷たい夜風が彼の頬を撫で、彼を現実に引き戻した。心の中にわだかまる不安を、少しでも和らげるために、彼は夜の町へと足を踏み出した。


 夜の町は静かで、昼間の賑わいが嘘のようだった。翔太は、家から少し離れた海岸へと向かって歩き始めた。月明かりが道を照らし、彼の足音が静寂の中に響いている。


「夜の海か…」


 昔から、夜の海は彼にとって特別な場所だった。父親と一緒にスズキの夜釣りに出かけた記憶や、友達と夜遅くまで砂浜で遊んだ帰り道など、思い出が詰まった場所だった。今、その海の潮声が、彼の心の中の迷いを少しでも洗い流してくれることを願っていた。


 海岸に着くと、波の音が静かに耳に届いた。月明かりが海面を優しく照らし、その光が揺らめいていた。潮の香りが鼻をくすぐり、夜の海の静けさが彼を包み込む。


 翔太は、砂浜に足を踏み入れた。砂の感触が心地よく、彼は波打ち際まで歩いていく。足元に波が寄せては返し、その冷たさが素肌に伝わった。


「瑠香…」


 翔太は彼女の名前をポツリと呟く。その響きは、夜の風に乗って消えていった。翔太の心の中に、瑠香の存在がますます大きくなっていることを感じた。そして、その大きな存在が、翔太自身をどう導いていくのか、その先はまだ見えなかった。


「僕は瑠香のことを知りたい、もっと近づきたい…でも、瑠香がそれを拒んだら…」


 翔太は夜空を見上げた。星が点々と輝き、月が静かにその光を放っている。その光景は、彼にどこか安心感を与えていた。


「瑠香が好きだ…」


 翔太は自問自答しながら、瑠香への思いを整理しようとした。彼女に引かれる理由、それは彼女の持つ謎めいた魅力にあるのかもしれない。彼女の冷たさの中にある微かな温かさ、それが彼を引き寄せているのだろうか。


「瑠香のことをもっと知りたい…」


 だが、その思いは、翔太にとってまだ理解しきれない感情だった。彼は自分が何を求めているのか、完全には理解できていなかった。ただ、瑠香が特別な存在であることは、確かだった。


 夜の海辺で、翔太は瑠香への思いを胸に抱きながら、静かな時間を過ごした。その時間は、翔太にとって瑠香との関係がどうなるのかを考えるための、貴重なひとときだった。

 夜の海の潮声はどこまでも響いていた。

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佐野と牧 御新香ころりん @shin-korori

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