『光源の人』解題

垣内玲

解説というかネタばらしというか

 こむら川、お疲れ様でした。こむさん始め、評議員の皆様、本当にありがとうございます。

 本作について、こむさんから「解説が欲しい」との要望がありましたので、普段あまり自作について解説しないんですけど、実際我ながら分かりにくかっただろうなあと思っているので、自分自身の振り返りも兼ねて、本作の背景について書き残しておきたいと思います。


※普通に知ってることも書かれているとは思いますが、一応最低限必要な背景知識ということで一通り書いてあります。


 これ、「第1話の語り手」と「第3話の語り手」、「第1話の語り手の政敵であり、第2話の語り手の父である“左大臣”」と「第3話に登場する女房」が誰なのか、作中で固有名詞を書いていないんですが、これらの人物が誰なのかわからないと、特に「女房」が誰なのかわからないと、「女房」の最後の台詞の意味が分からず、タイトルの意味もわからないと思います。


 こういう作品を作る場合、①上記の人物が誰なのかわからないまま読み通してもお話として面白く、わかる人には最後の「女房」の台詞がタイトル回収になっていることが分かって+αで面白い、という構成にするか、②全ての登場人物の固有名詞を出すか、どちらかしかなかったのですが、今回後に述べる理由で②にはしたくなくて、かといって①で主要人物が誰なのかわからない人が読んでも面白いというレベルの作品を作り込むには、単純に僕のキャパ(執筆時間と舞台となっている平安時代・平安文学についての知識)が足りておらず、結果的に人物についての情報が断片的に提示されてはいるけどわからない人には全然分からないし、主要人物が誰なのか分からない状態で読んでも最後の「女房」の台詞の意味が分からないのであまりカタルシスもないという、なんとも中途半端な出来になってしまいました。


 で、それぞれの主要人物が誰なのかですけど、まず第1話の語り手は、一条天皇の皇后、藤原定子ふじわらのていしです。関白藤原道隆の娘ですけど、もうちょっとわかりやすく言うと、清少納言の主です。清少納言は『枕草子』のなかで、主人である定子の後宮がどれほど素晴らしい世界だったかをこれでもかというくらいにキラキラと描いていますが、実際の定子は本作の記述にもあるように、父の早すぎる死と、その後を継ぐはずだった兄伊周これちか弟隆家たかいえが馬鹿だったせいで、政治的にかなり苦しい立場に立たされます。清少納言は『枕草子』の中で、主人のそういう政治的苦境について一切言及していません。『枕草子』の中では、定子を頂点とする後宮の華やかなサロンの煌びやかな様子だけが描かれていて、定子といえば和歌や漢詩への造詣の深い文化人で、一条天皇に愛され、機転の利く女房たちに囲まれた素晴らしい后だったというイメージが定着していきます。そのイメージは、千年後の今でも変わっていません。


 第3話の語り手ですが、これは定子の家が没落して、定子の政治的影響力が衰えた後になって入内じゅだい(帝の后になること)した藤原彰子ふじわらのしょうしです。そして、その父親の「左大臣」というのが藤原道長のことです。道長は、定子の父親である藤原道隆の弟、つまり、定子から見ると叔父に当たります。道隆の死後、その後を子の伊周が継ぐか、弟の道長が継ぐかで争いが起こり、道長も自分の娘を一条天皇の后にするわけですが(この時代は天皇に自分の娘を嫁がせて、生まれた子どもが次の天皇になって、新しい天皇の外祖父となった人物が摂政とか関白とかいう役職について政治の実権を握るという、いわゆる摂関政治の時代す)、道長にとって厄介だったのが定子の存在です。

 一条天皇は定子を本気で愛していて、道長の娘である彰子を后にしたけれども、彰子の元にはなかなか通ってくれないのです。一条天皇だけでなく、他の貴族も、「定子様がいた時代は良かったな~」とか言ってるわけです。

 なんでそんなことになってるのかというと、理由は大きく2つあって、まず道長の娘の彰子は、定子のような才気煥発という感じの女性ではなくて、見た感じ幼く、自己主張も薄い(ように見える)、言っちゃえばあまりいい女じゃなかったということがあります(実際にはこの印象は大変な間違いで彰子という人のすごさがこの時点では全然発揮されていなかったというだけなんですけど、とりあえずそれは本作の理解にはあまり関係がないので割愛します。僕は彰子様の方が定子の100000倍くらい好きです)。もう1つは、『枕草子』によって作られた、定子や定子時代の後宮のキラキラしたイメージがすっかり定着して貴族や女房たちが「定子様の時代に比べて今は…」みたいに言ってるせいで、彰子のイメージが余計地味な印象になってしまうということです。


 ここまで書いてきたとおり、藤原定子という人のイメージって、基本的には『枕草子』にあるような、頭が良くて美人で話も上手くて、一条天皇にとっては2歳年上の幼馴染みで従姉のお姉さんで、女房たちもみんな定子様のことが大好きで…っていうこれ以上ないくらいキラキラした世界観なんですよね。だから、本作の第1話みたいに、世界に絶望している定子様っていうのはあんまりイメージされていなかったんです(少なくとも3年前くらいまでは)。でも、外側から見た定子様がどれだけキラキラしているように見えていたとしても、本人の心がそんなに平穏だったはずはないだろう、と。そんなふうに考える人も当然いました。


 ちなみに、第2話の和歌は定子の辞世の歌で、「あなた(一条帝)が一晩中愛し合ったあの夜を忘れていないなら、私を失った悲しみの涙が何色であるか見てみたい(血の涙を流しているはずですよね?)」っていうような意味です。ものすごい執着です。


 で、最後の登場人物である「女房」なんですけど、これが紫式部です。紫式部は彰子に女房として仕えた人なんですが、なんで彼女が女房として採用されたかというと、「物語が好きな一条天皇がハマりそうな物語を作れる人」ということで呼ばれたのだ、と言われています。

 ご存じの通り、紫式部は清少納言が大嫌いでした。誤解している人も多いですけど、清少納言の方は別に紫式部を嫌ってはいません。少なくとも清少納言は紫式部の悪口を書き残してはいません(まあ、清少納言の性格で紫式部を好きだったかっていうとそれもどうだろうとはおもいますが)。紫式部は清少納言の悪口を日記に書いてます。「あいつすぐ知識マウント取ってくるけどその知識自体薄っぺらいし、映える写真ばっかインスタに上げてんのマジでうぜえ。ぜってぇろくな〇にかたしねえよ」みたいなこと言ってます。


 紫式部が清少納言をここまで憎んだ理由については①紫式部は陰キャなので陽キャな清少納言が気に入らなかったとか、②漢文とか和歌についての知識は、紫式部の方が清少納言よりも圧倒的に上なんだけど、「女が学問なんて」って言われ続けていた紫式部が人に知識マウント取ろうとしてるように見られないために必死なのに、清少納言は(紫式部から見れば雑な)漢文や和歌の知識で上手いこと言ってよくバズってるのでムカついてるとか、③自分の主人である彰子(そしてその父である道長)の政敵に仕えている人物なので当然紫式部にとっても敵であるとか、様々な見方がありますが、人間社会の現実を洞察することに長けた紫式部にとって、現実の煌びやかな面だけを描いた『枕草子』のスタンスは物語作家として容認しがたいものだった、ということもあっただろうと思います(でも一番は単純に陽キャうぜえっていう感情だったと思います)。


 『枕草子』の主人公は定子ですが、『源氏物語』も定子の身に起こった出来事をモデルにしているという説があります。最初のヒロインである桐壺更衣(きりつぼのこうい)という人は、身分が低くて実家の後ろ盾が無い中で、それでも時の帝には愛されて子どもを産みます。その子どもが光源氏なんですけど、光源氏の母親である桐壺更衣は、身分の低さに不相応な帝の寵愛を受けたことで、他の后たちの嫉妬に苦しめられて亡くなります。これが、家が没落したにもかかわらず、一条天皇に愛され続けた定子をモデルにしているのではないか、という説です。正直、これについてはちょっと飛躍しすぎじゃないのかなあと思わないでもないんですけど、この説を正しいとすると、『枕草子』は一条帝に愛された定子様は今日も幸せそうに笑っておられました!尊い!という作品であるのに対して、『源氏物語』は、「いや、身分が釣り合わない相手に愛されすぎるのしんどいと思うよ??」という、「シンデレラの続編」みたいな物語であると言えます。


 『源氏物語』では、たくさんのヒロインにそれぞれ光が当てられ、それぞれの美しさや気高さが描かれるわけですけど、光を当てられている彼女たちはみんな不幸です。彼女らに光を当てる、光の源であるその人も、客観的には位人臣を極めますけど、少なくとも彼自身の主観では不幸です。


 本作の最後で「女房」が語る台詞は、紫式部という人の文学観や人間観を踏まえて読んでもらえたらと思っています。


 最後に、なんでそもそも定子とか彰子とか道長とか紫式部という固有名詞を出さなかったのか、ですけど(最初に言ったとおり、そうすればもっと分かりやすかったのは百も承知なんですが)、今、大河で『光る君へ』が放送されている真っ最中に、しかも次回の放送でいよいよまひろ(紫式部)が『源氏物語』を書き始めるというタイミングで、「紫式部が主人公の小説ですよ~!読んでくださ~い!」とか言えるわけないじゃないですか。

 この話の構想自体は割とずっと昔からあって、「光」というお題を聞いた時点でもう、これ以外の話を考えることはできなかったんですけど、いや、でもそのまんま紫式部の話にするのは流石に…それやるなら去年とかにすべきだっただろ…となり、「紫式部の話だとは明示せずに、わかる人にはそうだとわかるような書き方にしよう」と思ったものの、いざやってみるとまあ、それも難しく、結局紫式部とか藤原道長の固有名詞は伏せられていたのに清少納言とか敦康親王とか伊周とかの固有名詞は出てくるので主要人物の名前を伏せる意味があったか微妙だし、「女房」が誰なのかわからない人にはオチの意味がわからないで消化不良になってしまうしで、実に中途半端な仕上がりになってしまいました。


 言い訳みたいになっちゃうんですけど、これ、本当はもっと、平安時代のこと勉強してから書くつもりだったんですよ。いつか書きたいと思ってた所に、『光る君へ』が始まっちゃったじゃないですか。もう僕がこの先何年勉強しても、『光る君へ』を超えるものなんか書けるわけないから、このネタ自体がお蔵入りかなあって思ってたら、今回のテーマが「光」で、もうこれしか思いつけなかったんですよね。平安時代舞台の作品を書くにはあまりにも勉強不足なのは自覚しつつも、いくら勉強しても『光る君へ』を超えるものを書けるわけはないんだから今書いても10年後に書いても同じだし、それだったらたまたま「光」がテーマの今回書いちゃおうと、まあそういう「エイヤッ」で出しちゃったのが本作です。


 本作がわからなかった、という方に関しては、「女房」がだれなのかわからなくても楽しめるような作りに出来なかった自分の力不足なので申し訳ないです。「女房」が誰なのか、分かってくれて、タイトルの意味も理解してくれた人もいたのでそこは嬉しかったです。ありがとうございました。


 あともう一つだけ。本作、史実には全く忠実ではありません。紫式部が『源氏物語』を書き始めたのは彰子に出仕するよりも前であるという説が有力ですし、その他、細かいところで史実と違うというか、詳しく説明すべきところをかなり省いていたり、「その話をするならこの人が登場しなきゃダメだろ」という人物についての記述を丸ごと削っていたりしていますのでご了承ください。

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