第2話『遺族』
うらぶれたビルの路地裏を吹き抜ける風が、壊れたネオン管を揺らす。さっきから何度も、青白く点滅して消えかかっているのだが、消えない。まるで、湿ったボロ倉庫にゴミのように転がっている少年のゆめうつつを表しているかのようだった。やがて夜は来て、ネオン管は本来の輝きを取り戻す。
『イーサン、仕事の時間ですよ』
金属の断面のように冷徹で、滑らかな機械音声が少年の頭の中で響く。煩わしそうに頭を振り、いよいよ少年は覚醒した。
「勘弁してくれ、マザー。夢の中でさえ頭痛がするのにもう仕事かよ。やっぱり安モンの薬じゃあ駄目だな」
たまには悪夢以外も見させてほしいよなとぼやきつつ、鉄屑と粗大ゴミで造り上げた棲家を背に、壊れかけの光学迷彩を羽織った少年は夜の街を征く。
資本主義の象徴、独立企業国家アウフヘーベンは数年前の核戦争をモノともしないように日常を謳歌していた。2055年8月、一つの星が核爆発を起こし戦争が終わった。
アウフヘーベンとズィムリアのちょうど中間に当たる大陸オデッセイである。
核反応時に発生した放射線はオデッセイの住人の殆どを即死させた。戦争の恐怖に怯えていた非戦闘民は平和という言葉を知らずに死んでいった。急激に膨張する熱は線上にエネルギーを放出し、地上のあらゆる人工物と生命を焼き尽くした。
大気は灼熱を帯び、この熱によって建物内に居た人間ですら皮膚深くまで炭化させられた。
次に爆風と衝撃波が発生し、炭化した建造物は吹き飛ばされ一瞬にして地上は更地になった。
イーサンの住んでいた孤児養護施設も被曝した。孤児達は皆、皮膚が焼け爛れ、溶けた肉を引きずり、焼死体につまづきながら僅かな汚染された水を求めて幽鬼のように歩き続けた。
唯一地下に張り巡らされた巨大地下鉄に乗っていた人間のみが生き残り、学生のイーサンもその地下鉄に乗っていた。地下という物資不足の中、僅かな食糧を求めて幾度となく争いが起きる。イーサンはそこで生きるしかなく、過酷な地下生活から生き残りが救出されたのは戦争終結から半年後のことであった。
様々な姿の人々で溢れる歓楽街を縫うように進む。
機械人間、獣人、ヒトの姿をしていないアンドロイド達…科学の力で産まれたヒト以外の人々が殆どで純粋なヒトなど数える程しか見つからない。
重厚な防護アーマーや大仰な銃火器を身に纏う傭兵に、男性を蠱惑的に刺激する衣装の受付嬢。空中警察の無人航空機が粗雑な見回りを施す夜闇に聳え立つ視力に悪影響を及ぼす程鮮明なビビットカラーの高層建築群、それらを空中回廊が蜘蛛の巣のように網を張っている。ビルの谷間を企業のホログラム広告が賑やかに流れ、地に近づくにつれそれらの数は増しており、色彩と音源の洪水のようだった。
オデッセイから救護難民としてこのアウフヘーベンに保護されたのち、我々は僅かな資金と職業斡旋証を渡されて、この国で最も繁華した街スクランブルタウンでの第二の人生を無理矢理に歩まされた。
保護してからの対応が妙に雑だったのはおそらく救助はあくまで建前で、本音は世間のイメージ向上のためだったからというのが真状だろう。
大手企業の寄せ集めが勝手に国を名乗り出したのが始まりの国だ。資本主義の塊だから当然のように貧富の差がある。ただし国としてらしく大統領はきちんといるし、政治的権力も莫大だ。
「知ってる?マザー、向かいの国の社会主義連邦はみんな足並み揃えて平等なんだってさ。良いよなぁ、俺もふかふかのベッドで寝てみたい…」
『平等と公平は違いますよ、イーサン。それに働き者も怠け者も統一して同じなら頑張る気力が出ないでしょう?』
頭の中で響くこの声、自分からマザーシステムと名乗ったからマザーと呼んでいるが、実際の所これがなんなのかよく分からない。
物心ついた時には聞こえていたような気がする。多分、父と母が死んだ頃だ。
頭の中の情報の整理をしてくれるから便利なのだが、脳に何か埋まっているのではと考えるとなんだか気分が悪くなってくる。
しかし、もし機械が喋っているのであれば相当高いレベルのAIであると言えるだろう。自律思考でき、意思を持つAIというのはいまだ開発されていない。まぁ、母がいるとすればこんなふうに世話を焼いてくれるのだろうか。
「マザー、今日の仕事は?」
『福門開発機構からの依頼です。』
「げっ、あそこかぁ…。」
今回の仕事も案の定、アタッシュケースを目的の場所まで運ぶだけの簡単なお仕事…に見せかけた運び屋である。
◇◇◇
指定された場所で待っていると、全身黒ずくめの知的な眼鏡の男が現れた。
アタッシュケースを受け取って、指定されたビルまで足を進める。警官に見つかると面倒なので出来るだけ建物の間の暗がりを進む。
この国は警察ですら民間企業に委託しているから、取り締まりのやり方が乱暴なのである。捕まったら殴られ蹴られ、最悪撃たれてもしょうがない。それだけこの街は犯罪で溢れている。
突然体がふらついて壁に寄りかかる。
栄養不足だろう、畜生、戦争さえ起きなければこんなことにならなかったのに。
思わず溜息がこぼれる。
「俺…なんでこんなことやってんだろう…。」
ふと、過去を思い出し立ち止まった。養護施設での生活、あまり周りと馴染める方ではなかったが、それでもあそこには平穏があった。平和があった。
“家族”がいて、帰る“家”があった。
薬やサプリメントばかりの無味乾燥した餌のような食事ではなく、暖かく腹を満たす食事があった。愛があった。
今の現状はどうだ。
家もなければ頼れる人もいない。
満足いく食事もできない。
足りない。欠けている。
つまり、今自分は…猛烈に寂しいのだ。
◇◇◇
配管が入りくんだ路地を進み、ネズミの大群を追い払いながら先を急ぐと大通りに出てしまった。ここから目的地までは人混みに塗れることにする。木を隠すなら森だ。
ふと、道ゆく女性にぶつかってしまった。
ぶつかった衝撃で荷物を落としてしまう。
「…見つけた。」
「え?何か言いました?」
数秒遅れて気づく…
「あれ、どっちがどっちだ?」
ぶつかった人も全く同じ意匠のケースを持っていたため、落としたケースのどちらがどちらのものか分からなくなってしまった。
急いでいたのか顔も分からない相手はパッと右のカバンを手に取ってそそくさと人混みに消えてしまった。仕方ないので自分も残りのケースを持って目的地に急ぐ。
◇◇◇
薄暗い電気街の、怪しげな薬剤を売っている建物の裏口、この中が目的地である。運び屋に営業スマイルは要らない。毅然とした態度で荷物を受け渡せば良い、そう考えドアノブを少し強気に捻る。
扉を開くとそこには女性が椅子に座っていた。異様なのはその女性の周りに屈強な男達がボコボコにされて倒れていること。
よくよく見ればこの女性、先程ぶつかった人だ。
艶のある、喪服のように漆黒のスーツを着こなす細身の身体。精巧な体のパーツの中で自己主張する胸の膨らみに沿って曲がるこれまた黒いネクタイ。
絹のような白銀の髪を頭の後ろで薔薇のようにまとめ上げている。女性にしては背の高い体の上に、いかなる技巧の持ち主でも造り得ない程、美麗で精謐な容姿を持っている。
「あ…好き。」
それしか考えつかなかった。
あまりの運命的な美しさに言葉を失っていたが、とりあえず何か言おうと口を開いた瞬間その女性は一言。
「…貴方は、かっこよく死にたいですか?」
:GEAR HEARTS 掘故徹 @saketoba5te2
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