孤福

@nonba

第1話

 じりじりと肌を焼く休日の昼下がり。初夏はどこへ消えたのか、太陽が増えたかと錯覚するほど暑い夏になっている。私の名前は青木。神奈川で普通の会社員をしている。25歳の今、友達の結婚ラッシュが続いてご祝儀の出費がかさんで懐が寂しい。親は私に「はやく孫の顔が見たい」と急かしてくるが、孫の前に結婚だよ。というかそれ以前にまず彼氏だよ。今もこうして明るい時間からビール片手に嘆いているが、それだけで現状は特に変わりはない。毎日上司のご機嫌取り、話を全然聞いてくれないクレーマーへの対応、お局様の小言など膨大なストレスに忙殺されていて、出会いの場に赴く時間と気力も私には残されていない。最近は酒を胃に入れる時も結婚のことばかり考えてしまって、晴れるものも晴れない。

 みんなどこで知り合うんだろう、今の年齢から付き合うということは、もうほぼその人が結婚相手で確定だよね、もう次の相手絶対間違えられないじゃん、でもそれで悩んでたらいつの間にか30手前なっちゃったりして。悪寒がする。いや、そもそも結婚する必要あるのか?一応ひとりでも生きていける?いやでもやっぱり結婚はしたいな。

一度この思考回路のループにハマってしまうと抜け出すのが難しい。休日は外に出かけず家でゆっくりすると決めているが、インスタで誰かの恋人や子どものストーリーを見るたびに頭を抱えるようになり、休日でも気持ちが休まらなくなってしまった。無縁仏まっしぐら人生になってしまうのか。私が死んだら誰か私の骨受け取ってくれる人居ないかな。居ないな。救いようがない。ぱきぱき肩と首を鳴らして、飲み終わったビールの缶をゴミ箱にシュート。弧を描いた缶はゴミ箱のへりにカコンと弾かれた。ため息をついてソファに寝転んだ。

 某日、私は有給消化で東北の実家に帰省した。ここ数年で地元はかなり過疎が進んでしまった。神奈川よりは暑くなく、ひさびさの伝統的な平屋は心地よい。本当なのかは分からないが、この土地は昔から神力が強い地域らしく、色々な場所に神社や祠がある。実家の近所にも祠があり、幼い時よく遊びに行ったのを覚えている。ふと思い出したので、久しぶりにそこに足を運んだ。

 繁々と生えた草を退けながらお目当ての祠が見えた。目立たない場所にあり、かつ小さいので誰も手入れする人がいないのだろう。祠の前にある狐の像は黒く汚れ、祠にはひび割れも多くあり雑草に呑み込まれていた。年月の経過をしみじみと感じていたところ、突然背後から草を掻き分けてくる音がした。息を呑み、心臓が早く脈打って目を見開いた。イノシシか、それともクマかと思って身構えたが、入ってきたのは人間だった。私以外にここを訪れる人がいたのか、とびっくりしていたら、入ってきた人も目を丸くして驚いている。若い男性だ。20代半ばに見える。地元にこんな人居た?

 その男性は、あ、っと掠れた声を出したので、私もとりあえず会釈しておいた。

数秒沈黙が流れる。気まずい。

「あ、こんにちは。」

「こんにちは。」

「僕以外に人が来てるの、初めて見ました。」

「私もです。ここ地元ですか?」

「はい。会ったことありましたっけ?」

「いや、無いと思います。こんな人少ない田舎で知り合ったことないって、珍しいですね。」

 男性は背は高めで、よれたTシャツに半ズボンという明らかにパジャマっぽい格好で現れた。パジャマであちこち行くというのは田舎の帰省あるあるなのでよく分かる。少し話してみると、この男性も久しぶりに帰省したらしく、思い出が還ってこの祠にやってきたそう。お互い特にやることもなかったので、小一時間ほどお喋りしてしまった。

 男性が今住んでいるのは東京、年齢は26歳、保険会社に勤めている。

狐像を掃除しながら、談笑してその場で別れた。家に帰ってから、そういえば名前を聞き忘れたことに気づいた。

 普通に話も合ったし、まあまあ顔もかっこよかったし、地元一緒だし、年齢も近いし。駄目だ、また結婚うんぬんに脳内が引っ張られている。そもそも名前も聞いていない。しかし、あそこに行ったらまた会えるかな、と謎の期待もしていた。

 次の日。私はまた狐の祠に向かっていた。祠に着くと先客がいた。昨日会った人だ。その人は振り向くと、ニコニコしながら挨拶してくれた。

「また会いましたね!」

「2日連続でここで会うとは、私もびっくりです。」

「僕、ここに来たらもしかしたら会えるかなと思って来たんですよ。」

「あはは、嬉しいです。そういえば昨日、名前を聞き忘れたんですけど、なんていうんですか?」

「僕は藤岡です。あなたは?」

「青木です。」

藤岡さん、と頭の中でつぶやいて、私は会話を続けようと色々質問を投げかけてみた。

藤岡さんは明るい雰囲気でハキハキした人で、話していて楽しい。その日もたくさんお喋りして解散した。

 その後、3日連続で祠に行き、3日連続藤岡さんとお喋りして帰るということがあった。

解散する時も名残惜しい感覚があり、自分が彼のことを意識し始めたことも分かっていた。25歳にもなってチョロすぎるだろ、と諫める自分と、貴重なチャンスを逃すな!と背中を押す自分がいる。藤岡さん、いつくらいまでこっちに居るのかな。連絡先交換できたりしないかな。近所住んでるのかな。帰省で思わぬ出会いがあったので完全に浮かれている。なんならちょっとメイクして会いに行くようになった。多分意味はない。

 その日もまた狐の祠に行った。藤岡さんは居なかった。もう帰省終わっちゃってたらどうしよう。私は目の前の狐像にしゃがみ呟いた。

「あー、藤岡さんと良い感じになれたりしないかな。狐さん、私じゃやっぱり無理?」

「無理じゃないよ。」

目の前の狐像がそう返してきた。絶叫した。

ついに自分の脳みそは末期を迎えたのか、幻聴まで聴こえているんだ。困惑と焦りが入り混じって恐怖に変わる。次の瞬間、狐像の耳がぴくっと動き、視界が白い煙に覆われた。

 叫びながら立ち上がって逃げようとすると足元が歪んで倒れてしまった。そのままグッタリしていると、だんだん意識がクリアになって周りの風景が目に映し出される。そして、見ている風景がさっきと違うことに気づいた。違う場所に吹き飛ばされた?いや、祠が目の前にあるから同じ場所にいる。視点が低くなったんだ。下にあった水たまりを覗き込むと、何か見える。ぴんとたった三角の耳、長い髭、つりめがちな黒い瞳、こげ茶の毛が生えた、立派な夏毛の狐だ。私は狐に変身してしまっていた。パニック状態になって、これは夢だと言い聞かせようとする。叫ぼうとしてもギャア、ギャアと変な声が出てくる。狐って鳴き方「コン」じゃないの?そんなことを気にしている場合じゃない。そこにさらなる試練が私に襲いかかった。誰かが草むらをガサゴソ進んでくる。来たのは藤岡さんだった。逃げたいが藤岡さんをもう少し見ておきたいので逃げたくない。

「ん?何かいる?」

気づかれた。逃げる?

「猫?」

違う違う。夏毛で痩せて見えるけど。

「猫か、アライグマだな。」

どっちも違うわ。

「猫ならうちで引き取るけど、アライグマだったら」

え、アライグマだったら何?

「駆除対象だなあ」

戦慄。そんなハードモードアライグマ人生なんて最悪だ、まずアライグマじゃない。死にたくない!脱兎ならぬ脱狐で逃げ出した。

後ろから藤岡さんがこらー!と追いかけてくる。気になってる人にこんな形で追いかけられている、前世何したらこうなるんだ。あの狐の祠で祈ってしまったから?誰か夢だと言ってほしい。そして後ろから尻尾を掴まれた。ギャアと声をあげると藤岡さんに抱えられていた。

「よーし、もう捕まえたぞハクビシン!」

狐だっての!間違った選択肢を増やすな!さっきと言ってること違う!というかハクビシンも駆除対象じゃん!

「うお、こいつすごい暴れるな、こんなとこ青木さんに見られたくないんだけど!」

その青木だよ!!

 我ながら完璧すぎるツッコミをギャアギャア叫ぶ。藤岡さんの顔が近すぎて駆除から逃げているというより照れすぎて逃げている。これがこの祠に宿った神力の効果なの?悪い気はしないな。

 すると、祠の方でギャアと狐の鳴き声がした。視界が白煙に包まれる、さっきのあれだと勘づいた時には私は人間の姿に戻っていた。藤岡さんに首根っこを掴まれた状態だった。うぐっ、と息が詰まり、藤岡さんに倒れ込んでしまった。

数秒沈黙が流れた。

「え?!青木さん!」

「こんにちは!」

「え?!」

とりあえず挨拶してしまった。ここからどうしよう。

「ちょっとすごいことが起きたんです!藤岡さん聞いてください!」

 事の詳細を話すと藤岡さんは信じられないという顔で、口が開きっぱなしだった。

「つまり、この祠の狐像に祈っていたら、青木さんがアライグマ、じゃなかった、狐にされたってことですか?」

一生こんな目には遭わないだろうという目に一気に遭ってしまった。私も藤岡さんも今日の出来事が面白すぎてゲラゲラ笑っていた。

「あの、藤岡さんっていつまでこっちにいますか?」

「実は今日までなんですよ。だから最後に連絡先とか貰えないかなって。」

「え!是非!」

ちゃっかり連絡先をもらってしまった。狐騒動で少し距離が縮まったような気がする。この祠が私に良い相手を引き連れてきてくれた。明日はお供物持ってこよう。

「藤岡さん、もし機会があればどこかでご飯とか食べませんか?」

「良いですよ!ありがとうございます!あ、そういえば青木さんって狐像に何を祈ったんですか?」

「え、それは、えっと。」

「はは、ご飯行く時、聞かせてくださいね。じゃあまた今度!」

 この夏が瑞々しく彩られていく。

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