レッドフード・ハンティング02
Ayane
第1話
その夜の狩りは一筋縄ではいかない相手だった。
ジルは森を駆け抜ける狼へ向けて銃を構え、その頭蓋を撃ち抜かんと引き金を引く。
放たれた銀色の弾丸はまっすぐに狼の後頭部へ吸い込まれていき――そのまま通り過ぎていった。
獲物である狼は後ろに目でも付いているのかと思うように、頭を傾けて最小限の動きで自身にとって致命傷となる一撃を避けたのだ。
驚きは一瞬。すぐに銃口を向けなおして二発目、三発目の弾丸を撃ち込む。
それすら、目の前の狼はすり抜けるかのように避けていく。一見当たったように見えても、全く手応えがなかった。
「ヴァイス!」
控えている相棒を呼び出すと、次の瞬間、漆黒の狼の前に銀色の狼が躍り出る。
不意打ちで振るわれたヴァイスの爪は煉瓦をも斬り裂く名刀ともいえる。いくら強靭な肉体を持つ狼とて、彼の爪が擦ればただではすまないだろう。
漆黒の狼はそんな
避けた先へジルは弾丸を撃ち込んだが、まるでステップを踏むかの如く相手は跳び上がると、月を背に宙で身を翻した。
一枚の絵画のごとき光景は、常人であれば目を奪われて然るべきほどに美しい。
しかし、ここにいるのは狼退治の任を受けた
決して見惚れることはなく、ヴァイスは追撃のために自身も跳躍し、爪を突き出した。
狼が体を捻り、脚を振るってヴァイスの腕を弾く。
銃口を向けて引き金を引いた瞬間、その金眼がジルを捉えて空を蹴った。狼がいた場所を弾丸が通り過ぎる。
地面に着地した狼はそのまま、ジルに突進してきた。
その速度に銃を構える暇は与えられない。とっさに傍に巻き付けたホルスターからリボルバーを引き抜き、牽制も込めて引き金を引くが。
「がっ!?」
「ジル!」
狼は止まることなく、弾丸を文字通り紙一重ですり抜けてジルの首を掴んだ。
へし折られる、と死を覚悟するが狼はそのまま、自分に牙を剥いて襲い掛かろうとするヴァイスとの間にジルを割り込ませる。
人質だ。
ヴァイスの動きがピタリと止まる。
それを見て、狼は「ふぅ」と小さく息を吐いた。
「あぶないあぶない。危うく狩られるところだった」
まったくそんなことは思ってなさそうな軽妙な声音に、悔しさから歯を食いしばる。
自分たちとこの狼の間には圧倒的な実力差があると、ジルもヴァイスも感じていた。
狼はジルの首に僅かに力を入れてヴァイスを牽制しつつ、話しかけた。
「お前たち、仲間か? 狼と狩人が手を組むなんて不思議なこともあるもんだな」
ヴァイスが唸り声をあげて、狼を舐めつけている。しかし、動くことはできない。現状、できることはただの威嚇だけだ。
「テメェ、そいつを薄汚い手で触ってんじゃねえ」
「へぇ、なんだ? このお嬢ちゃんに懸想してんのか?」
「だったらなんだ」
狼の言葉にヴァイスが吼える。それを聞いた狼は口笛を吹き、ジルに視線を移した。
「てことは、お前の獲物ってことか」
自らの唇をぺろり、と舐めながら狼は目を細める。妖しい光が灯る様に、ヴァイスの耳がピクリと動いた。
「横取りするのも、ありだよなあ」
「テメェ……ッ!」
ヴァイスが怒りから飛びかかりそうになるのを必死に抑える中、ジルの腕がだらんと落ちた。
まさか、力加減を間違えて気絶させてしまったのだろうかと狼が少しばかり力を緩めたところ、袖口から何かが零れ落ちた。
それを目にしたヴァイスは鼻を塞ぐ。
ぶわりと周囲に充満したのは、卵が腐ったかのような異臭。
とうとつにそんな臭いに包み込まれた狼は「ぶぇっ!?」と間抜けな声をあげて、鼻を押さえた。
その隙にジルが銀のナイフを抜き、狼の腕を斬り飛ばさんと振るう。
慌ててジルの首から手を離した狼は、その場から飛び退いた。受け身をとって着地したジルはすぐさま、リボルバーを向けて引き金を抜く。
銃声が二、三発と周囲に響き渡る。当たったとは思えない。狼の気配がだんだんと遠くなっていく。
一先ずは脅威を退けたと判断して、ジルは強い異臭に咽せた。
「ゲホッ、ゲホッ!」
「おい、大丈夫かよ」
鼻を抑えながら、それでも強い臭いがするのか耳がぺたりと折れているヴァイスが近づいてきた。
ジルは口元を抑えながら、「問題ないよ」と目尻に涙を浮かべてヴァイスを見る。
「一筋縄じゃいかなそうだな。一旦引くか?」
それを聞いて、ジルはしばし考える様子を見せると、首を横に振る。
「……人里に被害が出るかも」
「あいつ、血の匂いがしなかった。動物の匂いはしたけどよ、人間の匂いはなかったぜ」
動物の匂いはしたが、人間の匂いがしないということは、森から出たことがない、人を喰ったことがまだない可能性が高い。それは、今すぐに狩る必要はないということだ。
あくまで狩人は、人を喰らう狼を倒すのが役目。
「だから、今日は引いてもいいと思う」
「珍しいね、ヴァイスがそんなこと言うなんて」
「っ、当たり前だろうが」
ジルが微笑むとヴァイスは歯を食いしばった。
その瞳の奥には嫉妬と怒り、そして焦りがないまぜとなった炎が燃えている。
よほど自分の獲物に他の狼を近づけさせたことが腹立たしいのだろうと判断し、ジルは立ち上がった。
「今日は引こうか」
ヴァイスの提案に乗って、森を出ることにする。それを聞いて、ヴァイスはホッとした様に力を抜いた。
ジルはちらり、と背後を一瞥してからヴァイスを連れて歩きだす。
暗闇の向こう側から、二つの赤い瞳がジルとヴァイスを見つめていた。
レッドフード・ハンティング02 Ayane @musica0992
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