光の残響

めいき~

咲く場所

夜空の下で奏でられる、ピアノが一つ。

赤焼けの雲と、蒼い小さな光が降り注ぐその場所で。



一人のピアニストが、曲をひいていた。



その、膝の上で一匹の猫が体を揺らし。リラックスして、彼女の曲を聞いている。

作られた星空、作られた赤焼け。



ピアニストの足首まで浸かるような、そんな演出。



そのピアニストの名は、三帖雅美。

背は小さく、小柄。


その細すぎる指から奏でられるのは、まるで彼女の印象とは真逆の胸にドスンとくる様な力強い曲運び。


トレードマークは、おさげにしている髪型のリボンがお札という事位。



彼女は自身のピアノの演出、すなわち今この作られた世界を自分で設計する。


ピアニストと演出家で、二足の草鞋を履いている。

もちろん、自分以外のピアニストでも演出を請け負う事はある。


彼女の演出は、実に幻想的で光を使ったものが多い。

例えば、ステージの背景に巨大な滝を制作し。そこに、プロジェクションマッピングやレーザー等を施す事で水の揺らぎを使ってナチュラルに感覚を錯覚させる事で音楽の世界と創り出された世界を配合する。



彼女は、最初はピアニストになりたかった。あくまでも、ピアノで観客を魅了し。その音楽は爪が割れるまで、ひたすらに練習を繰り返したその努力の甲斐もあり。


ピアニストにはなれた、しかしながら彼女にはピアニストの才能は花びら一枚ほども無かったのだ。


だが、彼女は自分がピアニストとして創り出したかった世界を作る事に関しては天才と言ってよかった。


だから、演出の仕事は山ほど来る。彼女の演出で、演奏したい演奏家は世界中にそれこそ掃いて捨てる程いた。


彼女は、ピアニストの仕事が欲しかったし。ピアニストとして、認められたかった。だが、その夢は無残に打ち砕かれた。



いつも、彼女に来るのは演出の仕事の方だ。



だから彼女は、ずっと一人ひたすらピアノをこうして弾き続ける。

一流のピアノ、一流のステージ……。


テストだと言えば、何度でも弾く事ができた。


でも、それはピアニストとしてじゃない。



だから、観客は一人も居ない。


自分の曲を心地よく聞いてくれるのは、愛猫のどざえもん(雌)位。



今日も、彼女の為に最高の曲を。

自身は一日たりとも、練習を欠かしたことはない。



最愛の、そしてたった一匹の観客の為。

彼女は、ピアノを弾く。


いつかはと、願い続け。

もう、自身の指は骨と皮と皴が見える。



母がくれた、蒼いドレス。父がくれた、黒い小さなベレー帽。


子供の時にもらった、黒いベレー帽はぴったりサイズだった。

小さくなった、そのベレー帽をかぶるのではなく。


ただ、おさげに引っ掛ける様にのせる。


それでいい、観客はどうせどざえもん一匹なのだから。

そうして、今日も調整と偽ってピアノを弾いていた。



今日は、何故か一人栗色の髪をした少年が無作法にポップコーンを食べながら座って聴いている。


(音を立てている訳でも無く、座って膝の上の猫と同様に体をゆらせて)



そうして、一曲が終わると。子供の手で、一生懸命拍手をしている音が聞こえた。



(初めて、ピアニストとして拍手をもらった気がした)



心に灯る火が、今までを走馬燈の様に思い出させる。

今日この日、この時に私は初めて報われたのだと。



「お姉さん、リクエストいいかな」


少年は、紅い顔でそういったので。静かに頷く、心なしか自分の顔も明るくなっていたに違いない。


「もちろん、いいわよ」長く長く、ステージの上のピアノに触れて来た。

でも、リクエストは今日が初めて。



「じゃあ……、天使の声を」と少年は笑顔で曲名を言った、それは偶々か偶然か。


私がずっと、自宅で爪が割れるまで練習をしていた時に弾いていた練習曲。


ダメかなと小首をかしげる少年に、いいえとだけ答え。

グランドピアノを、ゆっくりと開いた。


グランドピアノは曲線状のボディが鳥の翼に似ている所から、ある国では翼を意味する言葉で呼ばれる楽器。


「音の天使が、曲という声を聴かせてくれる……」


偽りの夜空を舞う様に、偽りの世界を創り出す音と共に。

本物の力が宿る、練習曲。




間違えようもない、何度も涙を流しながら弾いた曲。




それが、よりによって。人生初のリクエスト曲になるだなんて……。


気がつけば、笑いながら泣いていて。

自身の演出した光の世界で、ピアノがその羽音だけを響かせる。



ペダルを、力強く踏みつけ。

黒と白の鍵盤は、細くなった指からこれ程の音が出るのかと言う程に。



(ねぇ、どざえもん。貴女も、どうか聴いて頂戴)



膝の上にいた、どざえもんはゆっくりと離れ。

一番前の真ん中に座った、まるでそこに居るのが当然と言わんばかりに背筋を伸ばし。置物の様に、しかし体を揺らしながらいつもの様に聞いていた。


(観客は、客席にいる……ね)


少年と、愛猫の為にリクエストされた天使の声を演奏した。


白くなったおさげを揺らし、童心のまま。

真っすぐ、背を伸ばして。

今出せる、最大の力で鍵を叩く。



そこから、奏でられる羽音は。五十年分の想いが込められていた。

怨み、妬みも、喜びも、悲しみもひたすら音一つに込められていた。



ーー毎日、弾いた曲じゃないーー



そう、ピアノを始めたあの日から。ずっと、ずっと弾いて来た練習曲。



一日しか咲かない花があるように、一音にしか咲かない花でいい。

偽りの世界を作れても、本物の想いなんてこもって無かった。



「どうか、光りの鳥よ。羽ばたいて」



私の、最初の観客の耳に。最高の歌声を届けて欲しい。


ふれた指先に、応える様に。

観客は今、世界に溶けていく。


幕は、初めて開いたのだ。

貴女と貴方の為だけに、私という老いた鳥が歌おう。



もう、眼は見えなくても。

もう、足に力が入らなくても。



<夢に届かせる為の一芝居>



最期の鍵を叩くと、蓋をゆっくりと閉じてから立ち上がり。

少年と猫に向かって一礼した。


「どうだったかしら」と淡く笑う彼女に、少年は眼を輝かせて手を叩く。


「素敵な、演奏だね」とその一言が、彼女を喜ばせた。

「ありがとう♪」心なしか、彼女の心も弾んでいた。


「僕ね、ピアノを練習してるんだ。同じ曲なのに、全然違うよ!コツとか、練習法とかあるの?」せっつく様に、尋ねる少年に彼女は言った。



「そうね、毎日続ける事よ。雨の日も風の日も、怪我をしても。雨の日も風の日も、腕が折れても指が動く限り弾き続けるの」


そして、これが大事なのだけど。「自分の世界を持つ事、それを音で表現するの」


「わかんない」と少年は首を傾げた。


「続けていれば、判る世界もあるのよ。ただ、どんなに続けても才能がない私みたいなのもいるけど」と苦笑しながら言った。


咲かないまま、落ちていく花だったとしても。土になれば、他の花を育てる土になる。

だから、咲こうとする努力はその後咲いた花が美しければ美しい程。報われたとも言えるわね、ただ人は自分が咲いて美しくありたいから難しい。


「今は、判らなくてもいいわ。ただ、思い出して欲しいの」


この世界にはそんな花が、一本あったのだと言う事を。忘れられなければ、それは心に届いたという事だもの。


そういって、彼女は少年の頭を撫でた。


「誰かの心に届くのは、芸術家にとって何よりの誉なのよ」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「僕は、忘れていませんよ。貴女の世界、貴女の願い」


少年はいつしか大人になって、彼女の墓の前に来ていた。


「続ける事が、これほど厳しい世界だとは思っても見ませんでした」


雨にうたれて、墓の前で項垂れる。元少年に、濡れている筈の花が揺れた気がした。


彼の名は、スワン。


彼は、両手を見つめそして拳を握りしめた。


「確かに貴女は、ピアニストとしては無名で。演出家としては、世界に轟く方だった」


それでも、貴女が咲きたかった場所は……。


「僕だけは、忘れていませんよ…………」


そういって、彼もまた彼女の世界を追う。


彼女の演奏を聴いていた猫をみて、自分も別の猫を飼い自身の演奏を聴かせている。


「世界を作る芸術家の背中は遠いな、そう思うだろ?」


彼の足元で、一匹の猫が返事をする様にみゃあと鳴いた。




※コメントや講評をみて、別の猫の記述は合った方がいいと思いましたので加筆させて頂きました。(彼女の演奏を聴いていた猫をみて、自分も別の猫を飼い自身の演奏を聴かせている←ここを加筆)2024年8月23日

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