黄金に光る糸

叶あぞ

黄金に光る糸


 亀品橋の上で玄城げんじょう貫来つらぬきと睨み合っていた。

 玄城の手には真剣が握られており、切先をだらりと下げた構え。対峙する貫来も同じ構えを取っており、剣の心得のある者が二人を見れば、二人が同じ流派の剣術を使う、同門の人間だとすぐに看破したであろう。

 玄城の足元には、さきほど彼が切り伏せた死体が三つ転がっている。玄城は素早く視線を下に送り、死体の位置が、自分の動きを妨げないかを気にしていた。

 時はすでに子の刻(午前零時)を過ぎていた。亀品橋は小田宿のすぐ近くだったが、さすがにこの時刻に他の通行人はいない。

 つまり、もしここで奥義を使うことになっても、誰かに見られる心配はしなくてもよい――。

「玄城」

 と、貫来が呼びかけた。

「《糸》を置いていけ。貴様の命は取りたくない」

 玄城は、自分の懐中に隠した《糸》の存在が、ジワリと熱を帯びたような錯覚があった。

「そういう言葉は、自分よりも弱い人間に対して使う言葉だ」

 言いながら玄城は着物の下で、前後に置いた足の重心を微妙に変えた。貫来に切り込む隙はない。であれば、貫来がこちらに切り込んできたところに隙を見つけて、さっと逃げるしかない。

「分かりやすく言おう。お前の腕ではおれを切れない」

 玄城が挑発するも、貫来は表情ひとつ変えない。貫来はじり、じり、とわずかずつ距離を詰めてくる。

 今か、今か、と刀を握る玄城の手が緊張で汗ばむ。

 そのとき、貫来が構えを変えた。剣先を天に向け、半身に立ち、その下半身は倒れそうなほどに深く沈んでいた。

 その構えには見覚えがあった。同門でも知る者は少ない、比刀真流ひとうしんりゅうの奥義の構えだ。

「待て――」

 玄城の静止も聞かず、貫来の体はすでに動いていた。

 一瞬の判断。向こうが奥義を使うのであればこちらも迎撃しなければならない。古き友を斬らねばならない葛藤は一瞬で沈む。

 同じ流派を学んでいたのだ、手の内は分かっていた。その対処方法も。

 しかし――

 対手の動きをじっと見ていた玄城に、衝撃が走った。

 貫来がにやりと笑った。

八相抜活はっそうばっかつ――」

 それが、比刀真流の新たな奥義の名前だった。

「比刀真流はいつまでも貴様と同じ場所にはいない」

 そう吐き捨ててから一息、貫来の体が水のようにぐにゃりと沈んだ。

 まずい――!

 貫来の姿が足元から溶けるように消えた。

 それは人間の知覚を錯誤させる八つの「殺し技」。しかし玄城が知っている当時の比刀真流は、五つの「殺し技」しかなかったはずだ。

 玄城は知っている限りの「『殺し技』殺し」を実行したが、それでも貫来の姿を知覚できない。玄城の知らない三相分の錯誤が、貫来の姿を隠したままだった。

 ――かろうじて、貫来の「切れ端」を捉えた。貫来の剣先はぐにゃりと曲がり、蛇のように玄城の胴を狙う。

 玄城は自分の五感の一切を信用せず、直感だけで刀を振り上げた。空を切った刃先に手ごたえがあった。貫来を迎撃できたのは、ただの幸運であった。

 咄嗟の判断、玄城は一息に飛び上がり、橋の欄干に片足をかけた。

 そのまま橋の下へ飛び込もうとしたとき――貫来の刀の軌道がくねり、ねじれ、生き物のように玄城の体を追いかけた。

 背中に熱――――

 欄干を踏み切った足が崩れる。しかしすでに勢いのついていた玄城の体は橋の下に自由落下した。

 真っ黒な水面が近づく。

 橋の下まで落ちるのは一瞬だったはずだが、その間に脳裏には様々な思考が駆け巡った。

 玄城の体が水面に叩きつけられたとき、妻のことを強く思っていた。



***


 今が夏でよかった――。暗黒の川面に浮きながら玄城はそう思った。

 夏の川には、日中の陽光の暖かみがまだ残っているようだった。それなのに玄城の体は凍えるほど寒かった。傷からの出血が酷いのだろうと思った。

 背中からはジンジンと耐え難い痛みが続いていた。こうして川を流れているうちは傷の具合を確かめることもできない。自分の命にかかわる心配事であるはずだったが、玄城は考えることすべてがだんだん億劫になっていた。

 最初、貫来の追跡をかわすために、なるべく水音を立てないように気を付けていた。今は水音を立てようにも体を動かす気力がない。まだ自分が生きているということは、追手からは完全に逃れたと思っていいのだろうか。それとも、玄城を切ったときの手ごたえで、もはや追跡するまでもなく玄城が命を落とすと確信したのか……。

 ふっ、と意識を失って、水を飲みこんですぐに目覚めた。

 体をよじって、力を抜いても沈まない体勢を見つける。それだけで玄城の体はひどくくたびれた。

 意識だけが闇に沈む――




「あるものを若殿に届けてほしい」

 と、男は玄城に言った。

 玄城が仕事を探していたところ、知人に紹介され、とある料亭の奥座敷でこの男と引き合わされた。料亭なのに酒も女もない。素面でサシの対面である。

 一目見たときから、こいつはただの御用商人ではないと玄城は確信していた。一見ただ座っているように見えて常に周囲を薄っすらと警戒している。そういう所作が習慣として染みついているのだ。仮に今ここで玄城が不意打ちをしかけても、男は狼狽することなくそれに対応できるだろうという予想があった。

 男の言う「若殿」は、かつて玄城が仕官していた石森家の跡継ぎだ。玄城自身は面識がなかったが、悪い噂は城勤めのときに玄城の耳にもよく入っていた。

 しかし、わざわざ「元家臣」の玄城にこのような話を持ってこなくとも、石森家にはいくらでも腕の立つ者がいるだろう。

 ということは、大事な家臣には任せられないような汚れ仕事だということか。あるいは家中に信用できる人間がいないのかもしれない。

 そしてこの男は、おそらくその「若殿」に飼われている隠密だろう、と玄城は当たりをつけた。

 玄城が男の正体に想像を巡らせている間も男は話を続けた。

「若殿はさる姫君に求婚した。しかし姫君は若殿に条件を出した。『とある品物を持ってくること』。若殿は方々に使いを送って無事にその品物を手に入れた。ところがそれを都に持っていくのが難題での。家中には若殿と姫君の婚姻を快く思わぬ者もいる。……まあ、大名家の内側には色々とあるのだ。そこで外部の者を雇って運ばせることにした。どうだ、危険は大きいが、若殿は気前のいいお方だぞ」

「その品物というのは……?」

「お手前はそれを気にしなくともよい。あまり詮索はせぬように」

「好奇心で聞いているんじゃない。大きさは? 慎重に運ぶ必要があるか? 燃えるものか? 水に濡らしてもよいものか?」

 玄城はむっとして言い返した。

「大きさは懐に入る程度で、それほど重くはない。燃えぬし、溶けぬ」

 男は、こちらを見下したような態度を崩さない。

 いくら金を積まれても、この男の言いなりに命を賭けるというのは面白くない。玄城はわざと悩んだそぶりを見せて、男の反応をうかがった。

 男はここぞとばかりに切り札を出した。

「もしこの仕事を果たされれば、そのときはお手前の仕官も叶おうぞ。それも、以前よりも高い地位での」

 それが決め手になった。




 はっ、と意識が戻った。

 視界に夜の真っ黒な曇り空が広がっていた。あれからずいぶんと川下に流されたようで、水の流れはかなり穏やかになっていた。

 しばらく眠っていたのが良かったのか、足を動かす気力が戻っていた。しかし力を振り絞るほどに体から命が抜けていくような気がした。

 倦怠感と戦いながら、足で必死に水を掻く。

 どうにか川岸にたどり着いたものの、濡れた服が体にまとわりついて、それに逆らって立ち上がる力もない。手足の感覚はとうに消え失せていて、視界が徐々に狭まっているのを自覚していた。頭は回らない。考えるのが億劫で仕方がない。ただ無心で、目的も忘れて、自分の体を前に進める。

 上半身を陸に上げたところで力尽きた。

 玄城はうつ伏せの状態で再び意識を失う。




 妻の笑ったところを最後に見たのはいつだろうか。玄城は思い出せない。

 あれはもともと物静かな女だったが、玄城が比刀真流を破門になり、浪人になったぐらいの時期から、家の中はずっと冷え切っていた。

 去年の夏だった。師範に呼び出された玄城は、日頃の貢献へのねぎらいのひとつでも貰えるのかと期待して行ったところで、不意打ちで破門を言い渡された。

 当時、玄城はすでに比刀真流の奥義を身に着けていたが、それは正式に許されたものではなく、盗んだものであった。

 あの光景は、今も忘れられない――。道場で師範と門弟が二人、向かい合っている。師範の方は、木刀を奇妙に構えると、ふらふらとした足取りで門弟の側面に回り込み、その肩に木刀を振り下ろした。

 さらに奇妙だったのは門弟の方で、最初に向かい合った位置から動かず、木刀を構えたまま、きょろきょろと視線をさまよわせるだけで、師範が回り込むのを見もしなかったことだった。

 しかし玄城はすぐに理解して、そして鳥肌が立った。

 姿――。

 玄城は、正直に言えば、実力よりも年功や人柄で免許皆伝を決める道場の方針に不満があった。自分こそが奥義を会得するに相応しいと思っていた。

 実際、玄城は稽古を一度盗み見ただけで、その術理と勘所を理解して再現できるようになっていた。

 同門の誰にもそんなことはできなかっただろう。玄城は、同門の中で特に親しく、かつ同僚でもあった旅川貫来にだけ、奥義を盗み見たことを密かに話した。

 そして去年の夏。師範に奥義のことを糾弾され、玄城は破門された。そのとき、玄城のことを師範に密告したのが貫来であるという噂が、門弟たちの間で流れた。

 剣術道場というのは、ただ剣術を学ぶための場ではない。同じ道場で学んだ者同士の人脈と信用が、仕事においても重要な意味を持つのだ。

 当時の玄城は石森という大名に番方として召し抱えられていたが、比刀真流を破門された話は瞬く間に同僚たちに広まり、玄城は居場所を失った。玄城はこれ以上の不名誉に耐えられそうになく、妻にも相談せず衝動的に辞職を申し出た。

 妻に職を辞したことを伝えると「そうですか……」と、控えめな反応で答えた。妻は文句も言わずに、収入を失った玄城の代わりに働きに出た。無言のうちに、妻が自分を責めているような気がして、玄城は彼女に話しかけるのが怖くなった。

 玄城は家を空けることが多くなった。定職にはつけなかったが、知り合いから単発の汚れ仕事を引き受けては、誰かを殴ったり脅したり切り捨てた対価として金を手に入れた。

 そんな生活がしばらく続いていたこともあって、あの隠密がぶら下げた「仕官」という餌に抗えず、玄城はこの仕事を引き受けると決めたのである……。




 死にかけていた玄城の意識は苦痛によって強制的に呼び戻された。玄城の体は凍えていた。体中の関節が痛み、耐え難い悪寒が滞留していた。

 かろうじて復活した思考で、このままここに倒れていては刺客に見つかる、姿を隠さなくては、と思った。

 ナメクジのように、ゆっくりと河原を這って進む。

 空はまだ暗い。それが、まだ夜であることを意味しているのか、出血による目の異常のどちらなのか、分からない。気絶を繰り返していたせいで時間の感覚がすでに麻痺していた。

 そばに小さな橋があった。玄城はその橋を目標に、永遠と思えるくらいの時間をかけて移動した。

 何とか辿り着くと、玄城は仰向けに寝そべって、深い息を繰り返した。ずっと苦しかった頭が少し楽になった気がした。

 おれはここで死ぬのか――。

 今にも尽き果てそうな体力を振り絞って、懐から手ぬぐいの包みを取り出した。川の水を吸って濡れた手ぬぐいの中が、ぼんやりと光っていた。

 中身を取り出すと、光はさらに強く玄城の目を焼いた。

 それは黄金でできた一本の糸だった。長い長い糸が一束に折りたたまれていた。

 表面はつるつるとして金のようであり、しかし絹の糸のように柔らかく形を変える。本物の黄金は光を反射するものだが、この糸は暗闇の中でも自ら光を放つ。手にはずしりとした重さを感じた。

 これを運ぶ道中で、好奇心で糸の端を小柄こづかで切り取ろうとしたが、鋼の刃を立ててもびくともしなくて驚いた。

 こんな不思議なものを見るのは生まれて初めてだった。この世ならざるもの。この糸がどういう由来のあるものなのか、また若殿の手先がこれをどこで手に入れたのか、玄城は何も知らない。

 しかし言ってしまえばこれはただの不気味な糸である。こんなもののために命を賭けて、殺したり殺されたりするというのは滑稽だ。

 玄城は光る糸を自分の胸の上で握りしめて、その輝きをぼんやりと見つめながら再び意識を落とした。




 玄城は死ななかった。

 目が覚めたとき、日が高く昇っていた。橋の上から通行人の足音が聞こえる。橋の下に寝ている玄城のことは浮浪者とでも思ったのか、誰も気にかけることなく通り過ぎてゆく。

 青空を見たらあくびが出た。体を起こすと背中に激痛が走ったが、昨晩のような、芯まで凍り付くような寒さは感じない。

 理屈で考えるのであれば、眠っている間に出血が止まったのだろうが。しかし。

 玄城は、眠っている間もずっと握りしめていた黄金の糸を見た。昼の光の下では、さすがに糸の放つ輝きも弱々しく見えた。しかし玄城の心は不思議と落ち着いた。

 玄城は糸を懐にしまうと、のそりと橋の下から出た。通行人の流れについていき、一番近くにあった宿場町の食堂に入った。

 幸いなことに、仕事を受けるときに前金をたっぷり貰っていた。店主は泥だらけの玄城の恰好を見て顔をしかめたが、前払いでいくらか多めに渡すと、すぐに態度を変えて玄城を席に案内した。

 饂飩うどんが美味かった。昨晩はすっかり死ぬつもりだったのに、腹いっぱいになったとたんに生きる活力が湧いてきた。我ながら都合のいい体だ、と玄城は思った。

 食後に茶をすすりながら、考えていたのは追手のことであった。

 玄城が《糸》を持っている限り、対決は避けられないだろう。旅川貫来を――あの比刀真流奥義・八相抜活を打ち破らなければならない。

 玄城の知らぬ未知の殺し技を、どうやって破ればいいのか……。

 そんなことがはたしてできるのだろうか。橋の上で奥義を逃れられたのは奇跡としか言いようがない。手合わせして確信したが、あの旅川貫来なら次は確実にこちらを仕留めて来るだろう。次も逃れるには、今度はさらに強力な奇跡が必要になるだろう。

「最後は神頼み、か……」

 自嘲気味にひとりごちた。玄城は店員を呼ぶと、金を握らせて使いを頼んだ。

「こいつで紙を買ってきてくれ。――あ、それから、これをもう一杯」

 と、空になったどんぶりを掲げた。




 街道沿いの宿場町は、人間が朝から夕方まで歩いたときに、ちょうど次の宿場町に到着するような間隔で作られているものだ。真夜中をぶっ通しで歩き続ける人間でもなければ、宿場町に近い道をわざわざ夜に歩く者はいない。

 昼間の賑やかさが嘘のように街道には誰もいなかった。左右の林からは虫のけたたましい鳴き声だけが聞こえてくる。人目を避けて殺し合いをするにはうってつけの場所であった。

 玄城は松の木に腰を下ろして待っていた。

 やがて街道の先、宿場町のある方から、幽霊のように、ぬっと貫来が現れた。玄城は立ち上がる。

「来たか」

「呼ばれたからな。貴様と私の仲だ」

 貫来は懐から半紙を取り出した。玄城が宿場町の入り口に張り出していたメッセージだ。貫来はその紙をくしゃと丸めて放り捨てた。「生きていたのか」とか「大人しく《糸》を渡せ」とか、そういうことは一切言わない。それは、無駄だと分かっているからだ。奴は、無駄なことを足すと美しさが削がれると考えている男だ。

 それでも玄城は、貫来の他に人間の気配がないかを探っていた。

「一人か?」

「一人で来いと書いていたのは貴様だろう」

 貫来も同様に警戒している様子だった。

「ここでやるのか?」

 貫来の問いに、

「ああ」

 と答えると、貫来は静かに刀を抜いた。

 玄城は松の木から離れて街道に出た。貫来も、ぴたりとついてくる。

 玄城が足を止めると貫来も足を止める。

 息が詰まるほどの殺意が、二人の間に充満する。

「私以外の誰を連れてきても、鞍馬玄城の相手には不足だろうからな」貫来が口を開いた。「貴様を殺せば、千絵ちえが喜ぶ」

 その名を玄城は久しぶりに耳にした。一瞬だけ、意識が過去に向けられた。

 千絵は貫来の妹だ。去年の夏、破門騒動が起きる少し前から、玄城と千絵は密かに心を通わせて、逢瀬を繰り返すようになった。妻のいた玄城との道ならぬ恋に悩んだ千絵は、そのことを唯一の肉親である兄に告白した。二人が会ったのはそれが最後だったという。

 千絵と貫来は、代々石森家に仕えている名家の生まれである。不倫のような醜聞が広まれば、家名に重大な傷がつくと千絵も理解していたのだ。

「いい加減、決着をつけよう」

 玄城は、自分に言い聞かせるように言った。

 貫来は切先を天に向けた。

 この勝負が一瞬で終わることをお互いに理解していた。貫来は八相抜活を使い、玄城がその突破を狙う。それ以外にやることはない。奥義以外の技の合わせは無意味だ。

 これは、そういう勝負。


 貫来が音もなく前進した。

 玄城の手に汗がにじむ。緊張による汗だった。脈拍が早くなる。

 ――貫来の姿が闇に溶けて消えた。

 玄城は刀を眼前に構えていたが、すでに玄城の視覚は貫来に「殺され」ている、何を見ても意味がない。

 五感は無意味だ。

 ただ心の中で数を数えた。

 信用できるのは、貫来が消えた時点での彼我の距離。

 その歩数だけは誤魔化せない。

 一歩、二歩、三歩、四歩――

 五歩目のタイミングに合わせて、玄城は振り向いた。

 玄城が刀を振るより先に、胴に衝撃を受けた――


 狙いもタイミングも完璧だったが、玄城が決め打ちで斬り込む一方で貫来の方には玄城の動きがすべて見えている。玄城が振り向くところは見えていただろうし、それより先に斬り込めると見たから斬り込んだのだ。

 最初から勝ち目のない勝負だった。

 だが――。


 玄城は胴に衝撃を受け、同時に「カーン!」と高い音が響いた。

 体の芯に衝撃が走り、剣先が狂う。

「何――!?」

 驚きの声は玄城ではなく貫来だった。

 貫来の刀は確かに玄城の胴に斬り込んだが、その手ごたえは肉のものとも骨のものとも違った。まるで、岩に刀を打ち付けたかのような、強烈な反発があった。

「っ、セイッ!」

 互いに初太刀をしくじったが、次の行動が早かったのは玄城だった。

 玄城の刀は、袈裟に貫来の体を一閃した。

「何故――」

 呻くように言って貫来が倒れる。刀を振った勢いのまま玄城も倒れかけた。

 玄城はなんとか刀の届かない距離まで離れて、膝を突き、ふうと息を吐いて力を抜いた。貫来の疑問に答えるように、脇のあたりでスッパリ斬られた服を脱ぐ。

 その下には輝く光があった。

 黄金に光る糸――。

 それが、玄城の胴に巻き付けてあった。

 黄金の糸は、鋼の刃でも断つことができない。

「突きだったら死んでいた」

 玄城は慰めるように言った。

 無論それは、貫来の性格上、奇麗に一太刀で切り伏せることを選ぶだろうという確信があったからこそ、これに賭ける気になったわけだが。さらに言えば、八相抜活を使った貫来が、どこから斬り込むかということも、長年の付き合いがある玄城だからこそ、いくつかの場所に絞り込むことができた。

 しかし刀で断ち切れぬにしろ、貫来の叩きつけた質量が脇腹に直撃していた。さっきから玄城は、呼吸をするたびに脇腹に違和感を感じていたし、経験上、もうすぐ耐え難い激痛に見舞われるだろうと予想していた。おそらく骨が折れている。

 貫来は仰向けに倒れたまま、首だけを玄城の方に向けていた。肩から斜めに切り傷はあったが、出血はそれほどでもない。すぐに宿場に運んで医者を呼べば、助かる確率は五分というところだろう。

 玄城は立ち上がった。呼吸の音に妙な雑音が混ざっていた。骨以外もどこか痛めたのかもしれない。

「何をする――」

 貫来の腕を取って肩にかけようとしたとき、貫来はぼんやりとした声で言った。

「殺せ……」

 貫来の言葉を無視して、玄城は足に力を入れて踏ん張った。

 五歩か六歩を進んだところで玄城は倒れた。貫来が激痛に呻く。

「すまん」

 一応謝る。

「私を連れていくんじゃなくて、貴様が一人で戻って、医者を連れてこい」

「……なるほど、お前はいつも賢いな。だがお前をここに残すと、一人で腹を切りそうだからダメだ」

「だったら、私を運んでいる最中に貴様を刺す。抱きかかえていたら避けようがないぞ」

「いや、お前はそういうことはしない」

「……貴様のそういうところが嫌いだ!」

 もう一度立ち上がろうとした玄城の頭を貫来が叩いた。力が入っていないので痛くはない。

「……貴様は、千絵の仇だ」

 貫来がつぶやくように言う。

「……千絵は死んでない」

 言い訳がましいと自分でも思ったが、一応訂正を入れた。

 千絵は家名に縛られた生き方を捨てて一人で旅に出た。それには玄城も手を貸していた。それ以来、貫来にとっての玄城は、「親友」から「仇敵」になってしまった。

「死んだようなものだ」

 貫来の恨み言は、宿場町に戻るまで続いた。



***


 玄城は《糸》を懐に抱え、都の四辻で「若殿」の使いが現れるのを待っていた。

 貫来との決着を終え、すでに満身創痍であった。

 「若殿」の使いは、玄城にこの仕事を持ってきたあの男だった。男は開口一番「遅すぎた」と言った。さすがに腹が立って、ぞんざいに懐から《糸》を取り出した。

「もはやそれは無用となった。若殿が心変わりして、姫様への求婚を取り下げた。今は別の女子に夢中である」

 玄城は《糸》を懐に戻すと、男に背を向けた。

「此度の仕官の話は忘れてもらうが、しかしおぬしの働きを特別に若殿にお伝えしてもよい。お主にはさらにやってもらいたいことが……おい、聞いておるか――」




 玄城が家に帰ったのは夜更けだったが、妻は起きて待っていた。

 妻は、玄城の傷を見ておいおいと泣き始めた。行先も告げずに家を空けた玄城のことを心配しているのであった。

 玄城は妻の肩を抱いて、泣き止むのをじっと待った。それから、玄城は反省して、ここ数日で何があったのかを妻に語った。家に持って帰れたのは、前金として受け取った金と、黄金に光る糸だけであった。


 数日後、妻が玄城に新しいふんどしを渡した。

「これ、履いてみて」

 真っ白な木綿の生地には、あの黄金の糸で玄城の名前が刺繍がされていた。

 玄城は言われるがまま褌を履いたが、自分の名前が股間で光を放っている様はずいぶんと滑稽であった。とても人前では見せられない。馬鹿丸出しである。

「おいおい、大事な糸を、こんなくだらないことに使っていいのか?」

 玄城が笑いながら言うと、妻は、口元だけは笑みを作って答えた。

「その褌なら、もし誰か別の女の前で服を脱いでも、おかしくて笑ってしまって、浮気どころではないでしょう?」


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