挨拶
透峰 零
ただいま
母と兄から聞いた話だ。
夕刻というには遅く、深夜というには早い時刻のことだった。母は台所で夕飯の仕上げをしており、兄は廊下を挟んだ和室で一人遊びをしていた。
私はリビングで寝ていたらしいが、小さすぎて覚えていない。恐らくは七時とか、それくらいの時間だったのだろう。
台所に立つ母の耳に、玄関の引き戸を開く音が届いた。私の実家は田舎で、寝る時以外は鍵なんてかかっていなかったのだ。
きっと父が仕事から帰ってきたのだろう、と思った母は「おかえりー」とだけ声をかけて特に確認もしなかった。和室にいた兄も同様だ。
だが二人とも、廊下をスゥッと通っていく父の姿は確かに見たという。
私の家は、廊下の突き当たりをリビングと逆側に折れれば洗面所になっているのだが、そこに入っていく様を二人とも見たらしい。
父が手洗いから出てきたら夕飯となる。兄もリビングにやってきて、二人して父を待った。
しかし、待てど暮らせど父が洗面所から出てくる気配はない。
不思議に思った母が廊下に出た時、再び玄関の戸が開いた。
「ただいまー」と呑気に言って入ってきたのは、他でもない父である。驚いた母と兄が洗面所に確認に行くと、そこはもぬけの空だった。
不思議なこともあるものだ、と首を捻りながらも晩御飯を済ませ、片付けを始めた時、一本の電話が我が家に入った。
それは、父の叔父の訃報を知らせるものだった。叔父と父はよく似ていて、私の祖母――すなわち、父の母であり叔父の妹からも「本当の親子のようだ」と言われるほどであったらしい。
だからきっと、我が家を訪問したのは叔父だったのだろうというのが、母と兄の出した結論だ。
「死ぬ前に挨拶に来てくれたんかなぁ。留守にしてて悪いことしたなぁ」
と、今でもこの時のことを話すと父は残念そうに言う。
挨拶 透峰 零 @rei_T
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