初恋の相手は幽霊でした。

川島由嗣

初恋の相手は幽霊でした。

「あの!!守護霊の必要はありませんか!?」

「はあ?」

 バイトに向かう途中、いきなり見知らぬ女性に話しかけられた。白いワンピースを着た女性。年齢は大学生くらいだろうか。必死な表情でこちらを見ている。だが話しかけてきた意味が分からない。守護霊?宗教関係か頭がおかしい人だろうか。ともかく関わらない方がよさそうだ。


「興味ありません。それじゃ。」

「あ、あの!?ちょっと!!」

 女性の言葉を無視して、足早に歩き出す。後ろから声が聞こえるが追いかけてくる感じはしない。忘れることにしてバイトに向かうことにした。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「あ~。疲れた。」

 バイトが終わった後、疲れた体を引きずりながら家路をいそぐ。今日は行く途中に会った女性の事が何故か気になって何度かミスしてしまった。大きなミスではなかったからよかったが。結局あの女性は何だったのだろう。そんなことを考えつつ、あの女性と出会った道に入る。


「げ・・・・。」

「あ・・・・。」

 道に入って思わず固まった。昼間に出会った女性が同じ場所で座り込んでいた。俺を見て嬉しそうな顔をする。違う道を通ろうと踵を返そうとしたが、それを見た女性が泣きそうな表情をして、俯くのが見えてしまった。本当は無視すればよかったのだが、気がついたら俺は女性の目の前に立っていた。


「こんなところで何しているんですか?」

「あ・・・・話を聞いてくれるんですか?」

「そんな気はなかったんですけどね・・・・。貴方の顔があまりにもこの世の終わりのような顔をしていましたから。」

「・・・・・優しいんですね。」

 女性が嬉しそうに笑う。その笑顔に少し見とれつつもとりあえず立ち上がらせようと思って手を差し伸べた。


「夜にこんなところにいたら危ないですよ。ほら立ってください。」

「え・・・でも・・・。」

「いいから。」

「あ!!」

 無理矢理彼女の手を掴んで立ち上がらせる。彼女の手を掴んだ時、全身に電気が走ったような気がした。


「?」

「さわ・・・れた・・・・。」

 彼女が驚いた顔で固まっている。そして俺の手を何度も握っている。気味が悪くて思わず手を振り払った。手を振ってみるが、先ほどの電気が走ったような感覚はもうない。


「なんですか?いったい。」

「だって・・・・私に触れる人がいるなんて・・・。」

「は?」

 意味が分からず聞き返す。すると彼女はいきなり泣き出し始めた。やはり話しかけるべきではなかったと後悔した。彼女は泣きながら話し始める。


「誰も私を見てくれなくて・・・・。触ろうとしてもすり抜けて・・・。唯一話ができたのは貴方だけで・・・・。」

「何を言っているんですか?病院に連れて行きましょうか?」

「だって・・・・。私・・・・。幽霊だから。」

「・・・・・・・・・は?」

 意味が分からず再び聞き返す。だが彼女は泣き続けていた。やはり頭がおかしくなった人かと思ったが、彼女を見て気づいたことがあった。彼女は一日ここにいたであろうに汗一つかいておらず、服も汚れていなかった。

 そして彼女を見ていた時、ちょうど雲から月が出て月明かりが彼女を照らした。彼女には影がなく、少し透けていた。


「へえ・・・。幽霊って本当にいるんだ・・・。」

「信じて・・・くれるんですか?」

「いや・・・だって貴方影ないですし。若干透けてますし。」

「え?・・・・ほんとだ!!」

 女性は月明かりに照らされた自分の姿を見て驚いていた。そんな姿を見て思わず笑ってしまう。ともあれ彼女に対して俺ができることはない。下手に関わらずに立ち去るのが吉だろう。


「まあ・・・大変でしょうけど頑張ってください。幽霊なら襲われることもないでしょうし。それじゃあ俺はこれで。」

 そう言って歩き出す。だが少しだけ歩いたところで、後ろで何かが動いた気がして恐る恐る振り返った。そこには先ほどの女性が気まずそうな顔で後ろにいた。


「あの・・・なんでついてくるんですか。」

「いや・・一人は寂しくて・・・。」

「だからといって、ついてこられても困るんですけど・・・。」

「そうなんですけど・・・。さっき貴方と触った時に何かが繋がったみたいで・・・・。貴方と離れられないんです。」

「え!!」

 言われた言葉が信じられず、一度大きく深呼吸をする。そして全力で家に向かって走り出した。1分程全力で走った後、恐る恐る後ろを振り返る。そこには先ほどの女性が同じように後ろに立っていた。


「・・・実は並走してついて来たとか・・・じゃないですよね?」

「はい・・。重力もかからないみたいで・・・。無理矢理引っ張られていた状態でした。」

 女性はそう言うと俺の前で少し浮いて見せた。現実離れした状況に頭痛がする。


「まじか・・・・。」

「まじです・・・・。ごめんなさい・・・。」

 彼女が辛そうな顔をしつつ俯く。正直こっちのほうが嘆きたいのだが・・・。だが嘆いてもわめいてもしょうがない。ここで騒いでも、俺が頭のおかしい人扱いされるだけだ。


「しょうがないか・・・。とりあえず俺の家に行きましょう。」

「いいんですか・・・・?」

「貴方が嘘をついているようには見えませんし・・・。ここで騒いで通りすがりの人に通報されても困ります。とりあえず俺の家に行きましょう。話はそれからです・・・。」

「うう・・・・。ごめんなさい。ありがとうございます。」

 二人(?)でゆっくりと帰り道を歩く。自宅に着くと、鍵を開け玄関のドアを開ける。


「どうぞ。」

「・・・・お邪魔します。」

 恐る恐る女性が家に上がる。俺は荷物を置いて冷蔵庫から麦茶を取り出す。


「飲み物とかは飲めるんですか?」

「物には触れるんですが飲めるかは・・・わかりません・・・。あの・・・それよりも・・・・。」

「?」

「貴方は一人暮らしでしょうか?ご家族の方に貴方の頭がおかしくなったと思われるのも申し訳ないので。一人暮らしにしては広いような・・・。」

「ああ。一人暮らしですから大丈夫ですよ。両親はこっちです。」

 俺はリビングの隣の部屋を開けて電気をつける。彼女は、恐る恐る隣の部屋の中を見て、部屋の光景に息をのんだ。そこには仏壇があり、両親の遺影が置いてある。


「ご両親は・・・。」

「亡くなっています。ここには俺一人しかいないので、声とか気にしなくていいですよ。」

 女性は部屋に入って遺影の前に座り、写真に向かって手を合わせた。

「申し訳ありません。少しの間・・・・かはわかりませんが、お邪魔させていただきます。」

 幽霊が遺影に手を合わせるのも奇妙なものだと思いつつ、もう一つのコップを出し麦茶を入れて、リビングの机の上に置く。リビングで座って待っていると、祈りが終わったのか女性が戻ってきた。


「お待たせしました。」

「いえ・・・・ありがとうございます。飲めるかどうかはわかりませんがどうぞ。」

 麦茶が入ったコップを差し出す。女性は俺の向かいに座り恐る恐るコップを持つ。そして少しずつ麦茶を口に入れた。麦茶は零れることはなく彼女の中に消えた。


「飲めた・・・!!」

「味はするんですか?」

「・・・・いえ。味はほとんどしないですね。ただ飲んだ感覚があるというのは嬉しいです。」

 女性は寂しそうに笑う。なんとも不思議な幽霊だ。少し透けているのと影がないのを除けば普通の人間と変わらない。気を付けないと外で普通に話しかけてしまいそうだ。


「さて・・・。家に着いたところで状況を整理しましょう。」

「あ、はい。」

「まずは自己紹介から。俺の名前は黒田博と言います。高校1年生です。」

「こ、高校生!?」

「何か?」

「いえ・・・やけに落ち着いていたので・・。てっきり大学生かと。」

「それはよく言われますね。まあこんなもんですよ。」

「そうですかね・・・・。」

「それはともかく。今度は貴方のお名前をお聞きしてもいいでしょうか?」

「あ、失礼しました。」

 自分が名乗っていないことを思い出したのだろう。彼女は背筋を正し、俺に頭を下げた。


「私は加藤美音といいます。貴方と同じ高校一年生・・・でした。」

「!!・・・・驚いたな。私も大学生かと思っていました。」

 最初に見た時は大学生に見えた。制服を着ていなかったからだろうか。


「・・・・あはは。おそらく貴方に出会えた時はもう疲労困憊だったので・・・。老けて見えたのかもしれません。」

 加藤さんは乾いた笑いをする。言われてみれば、加藤さんに会った道は自宅から直でバイト先に向かう時にしか使わない道だ。普段は学校から直接バイト先に向かうし、ここ数日はバイトがなかったから帰りも使っていなかった。


「あそこにどれくらいいたのですか?」

「・・2日ですね。気がついたらあの場所にいて・・・。最初はあの場から移動しようとしたのですが、ある程度動くと強制的に戻されてしまって・・・。」

「なるほど・・・・。」

「話しかけようとしたり、触れようとしたんですが、皆聞こえていないようでしたし、触ろうとしてもすり抜けてしまって・・・・。」

「それなのにどうして俺に話しかけたんですか?」

「黒田さんは明らかに私を目で追っていらしたので・・・・。神にも縋る思いで話しかけました。話しかけた内容は支離滅裂でしたが。」

 言われてみれば白いワンピースの女性が道の真ん中に立ち尽くしていたので、物珍しさに見た気がする。ただ、だからと言って、守護霊というワードが出てくるのは意味が分からなかった。


「どうして守護霊なんて言葉を使ったんですか?」

「実は・・・・私が死んでからあの場に行くまでに色々ありまして・・・。私が生きていた最後の記憶は、車に轢かれる時です。その直後、強い衝撃が私を襲って、私は意識を失いました。ただ次に気がついた時・・・私は白い空間にいました。何もない空間だったのですが、目の前に一人の少年がいたんです。」

「少年?」

「はい。私が困惑していたら、少年がいきなりこう言ったんです。「おめでとう。君は選ばれた。君には誰かの守護霊になって恋のキューピットになってもらう」・・・・と。」

「・・・・・・・・・は?」

 意味が分からず変な声がでる。いけない。頭痛がしてきた。気がついたら目が覚めて全て夢でしたってことにならないだろうか。だが頭痛がそれを否定する。


「信じられないですよね。私も正直信じられません。ただ、問いただそうとしたら「じゃ、頑張って。」とだけ言われてすぐ目の前が真っ暗になってしまって。気がついたらあの道にこの格好で立っていました。最初は変な夢でも見ていたのかと思ったのですが・・・・。誰にも触れず、話しかけても無視されて。いきなり宙に浮いたり、強制的に戻されるのを繰り返すうちに・・・。あの少年が言っていたことは本当なんだと思って・・・。」

「それで俺に守護霊が必要ないかと話しかけたと・・・。」

「はい・・・・。2日近く眠ることもできず、身体というよりも精神が限界でして・・・・。」

 話を頭の中で一旦整理する。でたらめだと言うのは簡単だが、嘘をつくにしてももう少しましな嘘をつくだろう。それに彼女から逃げられないかは最初に試した。だからと言って、俺に毎日ついてこられても困る。


「話は分かりました。」

「信じていただけるんですか!?」

「いえ。正直信じられません。ただ貴方が幽霊で俺に憑いてる?ということは事実のようですし。」

「ということは・・・・。」

「貴方が成仏するのを協力するしかないでしょう。正直言うと、四六時中憑いて回られるのも困りますし。」

「ありがとうございます!!ありがとうございます!!」

 加藤さんは机にぶつかる勢いで頭を何度も下げていた。いや正しくは机を貫通していた。便利だな。幽霊というのは。


「とりあえず、これからは共同生活をするということで、遠慮はなしにしましょう。口調はため口で。同い年のようですし。」

「え・・・あ、うん。わかった。頑張る。」

 ため口に慣れていないのか、少したどたどしかったが慣れてもらうしかない。同じ空間で生活するのに、お互い遠慮しながら生活するなど真っ平ごめんだ。


「よし。離れられる距離とかは色々実験するとして・・・・。一番の問題である加藤さんが成仏する方法について話そう。」

「成仏って恋のキューピットっていうやつ?」

「いやその前に大前提だ。加藤さんは本当に成仏したいのか?」

「え?」

 俺の言葉に虚を突かれたようだった。頷こうとしていたが、結局頷かず黙り込んだ。


「俺が成仏してほしいと思っても、加藤さんがそう思わなかったら非効率的だ。加藤さんの考えによって今後の方針が変わってくる。」

「方針・・・?」

「成仏したくないのなら、お寺とか教会とかに行って無理矢理成仏してもらうとか。効果があるかは知らないけど。」

「!!」

「俺が恋愛できないからという理由で、ずっと憑いてこられても困るんだ。だから成仏したくないというのであれば、それを試すのも視野に入れなければいけない。わかるな?」

「うん・・・・。」

 加藤さんは小さく頷く。俺は一息つくために手元の麦茶を飲んだ。彼女は俯きながら喋りだした。


「成仏しなければいけないっていうのはわかってる。迷惑をかけていることも・・。でも無理矢理は・・・・嫌。」

「それは・・・何か心残りがあるという事か?」

「うん・・・。」

「それを聞いても?」

 加藤さんは俯いたまま黙り込んだ。少し踏み込みすぎたか。反省しつつ今日はいったんここまでにしようと思い口を開いた。だがその前に彼女が話し始めた。


「私には・・・弟がいるの。」

「弟・・・・。」

「うん。今は小学3年生・・・だと思う。弟がどうなっているのかが知りたい・・・。けど。今は心の準備ができていない。」

「心の準備?」

「うち・・・家庭環境が良くなかったんだ。両親は離婚して母親は男の人と出て行った。それからお父さんは酒を飲む毎日。だから私が学校に通いながら、アルバイトして稼いでいたんだけど・・・。」

 思った以上の家庭環境で思わず言葉に詰まる。下手な慰めは無用だろう。俺も両親の事を何も知らずに哀れまれたら怒り狂う自信がある。


「私が事故にあった日は・・お父さんが変な大人達を家に連れてきて・・・。お父さんが今日からこの人達の元で働けって言い出したの。危ない人達だっていうのはすぐわかったから、隙を見て弟を連れて逃げ出したんだ。ただ諦めずに追いかけてきて・・・。必死に逃げていたら目の前に車のライトが・・・。私は弟を突き飛ばすのが精いっぱいで・・・。」

「もういい。」

「え・・・。」

 彼女の言葉を遮る。正直これ以上聞きたくなかった。それに無遠慮に踏み込んではいけないところに踏み込んだことをひどく悔やんだ。思い出したくもなかっただろうに。彼女に向かって頭を下げる。


「辛いことを話させてすまなかった。代わりと言ってはなんだが約束する。加藤さんを無理矢理成仏なんて絶対にしない。俺のキューピットとかはどうでもいい。ただまずはここで加藤さんの心を癒してくれ。その上で心の準備ができたら、弟さんに会いに行こう。」

「そんな・・・・。私の事なんて。」

「いいや。大事な事だ。加藤さんにはまず休息が必要だ。それに弟さんには、加藤さんの想いを伝える必要がある。」

「どうして・・・・。そこまで・・・。」

「誰だって踏み込まれたくないことはある。それに土足で踏み込んだ事を俺自身が許せない。それを償いたい。それに・・・これは個人的な意見だが、当たり前にいた人が急にいた人がいなくなったのなら、その人がどう思っていたのか聞きたいと思うから。」

「あ・・・・。」

 加藤さんはリビングの隣の部屋を見た。俺の境遇が近いことを察したのだろう。だが、俺なんて可愛いものだ。両親はいい親だったし幸せだった。ただ急に亡くなっただけで。


「ともかくこれは俺の自己満足だ。だから気にせずいてくれ。流石に数年単位とかになったら相談させてもらいたいが・・・。」

「・・・・うん。そこまではかけない。本当にありがとう。私・・。貴方に会えて本当によかった。」

 加藤さんは涙を流しながら頭を下げた。ともかく状況は整理できた。不思議な共同生活だが、とりあえずは彼女の心を癒すことに全力を尽くそう。


「だけど!!」

「?」

 先ほどとはうって変わって大きな声を出してこちらに顔を近づけてくる。その勢いに驚き思わずのけぞる。だが彼女の勢いは止まらなかった。

「ただ過ごさせていただくのも申し訳ない!!私が心の準備をしている間、恋のキューピットもやらせてもらうから!!」

「それは・・・別にどうでもいいんだが。」

「いいえ!!私も黒田さんには幸せになってほしいから!!同じ女性の立場からアドバイスできることもあるはずだから!!」

 加藤さんは力強く手を握りしめて自分の胸を叩いた。なんかさっきより元気なんだが。楽しんでいないか?手伝うと言ったことをちょっと後悔しつつ、心の中でため息をついた。

 そんなこんなで、変な守護霊(?)との共同生活が始まったのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「黒田君!!どうして恋をしないの!!」

 加藤さんと不思議な共同生活を始めてあっという間に3カ月近くがたった。今までの不満が爆発したのだろう。彼女は俺に対して憤慨している。俺は気まずくなって頭をかいた。


「そうは言われてもなあ・・・・。好意を持ってくれそうな人なんていないし・・・。」

「貴方の目は節穴なの!?いえ節穴ね!!いっぱいいるじゃない!!」

「そうかなあ・・・・。」

 学校生活とバイト先の生活を思い出す。・・・・うん。特にいないと思う。女性と関わることはもちろんあるが、自分に好意を持ってくれているような人はいない気がする。


「例えば!!図書委員で一緒の女の子!!」

「ああ。藤崎さんな。」

 彼女は真面目な子だ。積極的に委員の作業を手伝ってくれている。図書室だからあまりたくさん話すことは出来ないが、一緒にいて居心地はいい。


「すごくいい雰囲気じゃない!!貴方と話している時に自然な顔で笑うし!!手が当たったときに顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしているじゃない!!」

「付き合いもそれなりに長いからな。手が触れたのは男慣れしてないだけだと思うけど。」

「~!!!!好意がなかったらクッキーなんて作ってこないから!!」

 加藤さんは机を何度も叩いている。加藤さんはなんと説明すれば理解してもらえるのかわからず悶えているようだった。ただ、確かにあのクッキーは美味しくて、あっという間に食べてしまった。でも作りすぎちゃったと言っていたから、それ以上の他意はないと思うが。

 加藤さんは少しの間悶えていたが、やがて顔をあげて俺に向けて指をさす。


「じゃあ次!!ならバイト先の女の子!!」

「ああ。遠藤さん。」

 彼女は俺がバイトしているレストランの後輩のバイトだ。可愛いし、愛想がよくて皆に好かれている。ただ好かれすぎて、トラブルに巻き込まれることも多い。客やバイトメンバーに絡まれているのを助けたこともある。


「帰り道反対方向なのに一緒に帰っているじゃない!!」

「彼女は可愛いからな。トラブルが多いから俺が護衛としてで送っているんだ。店長にも頼まれているしな。」

 店長は遠藤さんの叔父さんだ。本当は働かせたくないらしいが、本人の強い希望で折れたらしい。絡まれたのを何度か助けてから、店長に頼まれ、店長が送れない時は俺が家に送り届けている。


「普通は!!心を許さない人を家に送らせないって!!」

「それはそうだろうけど。店長の推薦もあったから信用しているんだろ。」

「気がなかったら、一人の家にあげようとしないから!!」

「一人で不安だったんだろうし、俺なら何もされないと信用してくれているんだろう。」

「あ~!!!あ~言えばこういう!!」

 加藤さんは地団駄を踏んでいる。3カ月も一緒に住んでいるからなのか、俺に対して遠慮がなくなりずいぶんと感情豊かになったものだ。こちらの方が俺も話しやすいし、居心地がいい。


「な、なら最後に家に来ている女の子!!」

「・・・・加奈ちゃんか。」

 加奈ちゃんは幼馴染だ。彼女の兄とは友人で小さい頃は3人でよく遊んでいた。


「普通は部屋に掃除しにきたり、食事の差し入れをするなんてはしないよ!?」

「彼女は付き合いが長いんだ・・・。」

「でも絶対に好意が!!」

「加藤さん!!」

 加藤さんがヒートアップしている言葉を遮る。彼女も意外だったのか黙り込む。


「加奈ちゃんだけは今の状態では絶対にない・・・。色々あったんだ。」

「あ・・・・。ごめんなさい。」

 彼女も俺の踏み込んではいけないところに踏み込んだと気づいたのだろう。


「いや・・・。俺も説明していなかったのが悪かったんだ。いずれ話すよ。」

「無理しないで。私もちょっと無神経すぎた。」

 加藤さんとはこの3カ月、色々な話をした。彼女の色々な事を知ることができたし、俺の事も色々話した。ただ話していないことも勿論ある。お互い踏み込んではいけないところは踏み込まないように気を付けている。


「まあ3人の事は置いとくとして、ちょっと一つ聞いてもいい?」

「?なんだ。」

「黒田君ってさ。本当に恋愛する気ある?」

 芯をついた質問に思わず加藤さんを見つめる。それで察したのか加藤さんはため息をついた。


「黒田君ってさ・・・。誰に対しても一線を引いている気がして・・・。最近はそんなことないんだけど・・・。」

「・・・・よく見ているな。」

「そりゃあ3カ月、四六時中一緒にいたんだもの・・・。」

 そこまでわかっているのであれば誤魔化しても無駄だろう。俺は降参の意味を込めて両手をあげた。


「わかった。話すよ。加藤さんがあげた人達が俺に好意があるって思えないのも事実だ。ただそれ以上に・・・。」

「それ以上に?」

「実は最近好きになった人がいてな・・・。その人から切り替えられないんだよ。」

「!!」

 予想外の言葉だったのか。加藤さんは思わず驚いた顔で立ち上がった。若干浮いている。だがすぐに納得がいったのかニヤニヤといたずらっぽく笑った。


「なんだ!!それなら納得!!もお~。それならそうと言ってよ!!」

「楽しそうだな・・・。」

「だってこの3カ月ずっとやきもきしていたんだもの。作ろうと思えば作れるのに作らないんだから!!それなら簡単じゃない!!その人との恋を成就させればいいじゃない!!」

「そう簡単にいくなら苦労しないって・・・。というか素直に加藤さんに言うよ。」

「それもそうか・・・。へえ・・・。でもちょっと意外かも。最初に会って一カ月くらいは、なんか死人みたいだったから。」

「・・・それはよく言われる。最近明るくなったって言われるし。それにさっき加藤さんがあげてくれた女性達と話す機会が増えたのも、加藤さんに会ってからだぞ。」

「言われてみれば・・。最初は全然話していなかったような・・。それなら好意を持っているように思えないのもしょうがないか・・。」

 加藤さんは、納得したように頷く。だがすぐに嬉しそうに笑った。


「それで?黒田君の好きな人ってどんな人なの?」

「な・・なんでそんなことを教えなきゃいけないんだ!?」

「えー。だってその人とは無理なのかもしれないけど、黒田君の好みがわかるじゃない。それなら対策も立てやすいし。」

「う・・・。」

「ほらほら。お姉さんに話してごらん?」

「誰がお姉さんだ・・・。」

 加藤さんがこちらに顔を近づけてくる。顔が赤くなるのが分かって思わず顔を隠した。だが確かに好みの女性という話では話さないわけにはいかないだろう。からかったりするが、俺の恋を成就させようという思いは本物だからだ。


「彼女は・・・明るくて一緒にいるとこっちも明るくなれるような人だよ。優しいしこっちに気を使ってくれるし・・。料理とかにも全力で・・・好きだけじゃなくて人としても尊敬できる。」

「へえ・・・。ぞっこんじゃない。詳細は言わなくていいんだけどさ。本当にその人との恋は叶わないの?」

「無理だ・・・。絶対に叶わないんだ・・・。」

 思わず睨みつけそうになるのを必死に堪えつつ、答える。加藤さんは踏み込んではいけないとわかると絶対に踏み込んでこない。誰かを聞いてこないことに心底安堵する。


「それにしても黒田君がそんなにぞっこんになるほどとは・・・。黒田君が明るくなったってここ最近だよね。私が気がつかないっていうのは意外だなあ。ちょっと悔しいかも。」

 その言葉に思わず叫びたくなる。それはそうだろう。だってその人って・・・。






貴方ですからね!!加藤さん!!






 そりゃあ最初は何も思わなかった。でも色々な話をするうちに加藤さんの性格等色々な事を知ることができた。おっちょこちょいなところだったり、意外に可愛らしいところがある!!味がよくわからなくても、俺のために必死に料理を作ってくれところ!!俺が風邪を引いた時もずっと傍で看病してくれて、辛い時は子守歌まで歌ってくれた!!

 ここまでされたら好きにならないわけないだろう!!自分がちょろいのは理解しているけど!!二人の生活が楽しいんだもの!!ウキウキするようにもなるさ!!終わらせたくないと思うぐらいには!!本人に言えればどれほど楽か!!


 ただ・・・それは絶対に叶うことはない。彼女はもう亡くなっている。そんなことを言われても受け入れられるわけはない。万が一受け入れられても、その瞬間俺の恋は叶ったことになって彼女が消える可能性も高い。彼女に会えたことは嬉しいが、同時に恋を成就させるのが成仏の条件というのが恨めしくもあった。


 心の中で悶絶している時、玄関のチャイムが鳴った。出てみると郵便屋さんだった。配達物の封筒を受け取る。差出人の名前を見て思わず顔が強張る。

「何か来たの?」

「・・・ああ。悪いけど俺がいいというまで一人にしてくれるか?」

「?うん。」

 加藤さんはプライバシーを最大限尊重してくれる。彼女は俺とは5mくらいしか離れられない。だが事前に言えば、最大限離れてくれるし、決して邪魔しようとはしない。彼女が離れたのを確認して、封筒から書類をとり出して内容を読む。量はそんなに多くなかったが、30分ぐらいかけて読み終えた。ただ読んだだけなのに、どっと疲れてしまった。書類を封筒にしまい直して深いため息をつく。


「ふ~。」

「お茶入れる?」

「ああ。頼むよ。」

 加藤さんが台所に行き、慣れた手つきでコップに麦茶を入れて戻ってくる。俺はそれを受け取りゆっくりと飲んだ。彼女は心配そうにこちらを見ている。


「大丈夫?」

「ああ・・・。ちょっとしんどくてな。」

「私でよければ聞くけど・・・・?」

「うん。ただこれは加藤さんの覚悟がないと聞かせられないことだ。」

「覚悟・・・?」

「・・・・俺が今読んでいたのは、加藤さん家の現状とかだからだ」

「!!」

 加藤さんの顔が強張る。そう。俺が読んでいた資料は加藤さんの弟さんや家族の事が書かれたものだ。ある程度聞いていたとはいえ、やはりなかなかきつい。


「加藤さんが事故にあった後の事や、主に家族の事についての報告書が届いたんだ。」

「いつの間に・・・・。」

「探偵に頼んだ。超特急でお願いしたから費用はそれなりにかかったが、調べ上げてくれたよ。」

 俺には両親が残してくれたお金がそれなりにある。基本はバイトしていて使わないようにしているが、今回は惜しみなく使った。


「後は加藤さんの覚悟だけだ。さっきも言ったけど、俺の恋はそう簡単に叶うようなものじゃない。だからすぐに消えるなんてことはないとは思う。ただ、俺は加藤さんがあった少年?を信じすぎるのも危険だと思うんだ。いつ今の状態が終わるかわからない。だからその時が来ても、心残りはしてほしくないんだ。」

「・・・・・。」

 加藤さんは俯いている。決めかねているのだろう。確かに急かしすぎたことを反省する。


「今すぐ決める必要はないさ。ただ、覚悟ができたら教えてくれ。」

「いえ・・・・教えてくれる?」

「・・・・いいのか?」

 俺の問いに加藤さんは力強く頷いた。最初に会った時の怯えた様子はどこにもなかった。


「黒田君に色々言っておきながら、私が立ち止まっているわけにはいかないから。3か月でだいぶリフレッシュできたし。それに・・・。やっぱり弟の事は気になっているの。」

「・・・わかった。ただ申し訳ないけど、口頭でうまく説明できる自信がない。資料には詳しく書いてあるけど、過去の事とかも書いてある。トラウマを思い出させる可能性があるから見せたくない。だから直接加藤さんの自宅とか、弟さんの場所に案内したい。」

「・・・ありがとう。」

「いや。これは俺の我儘だ。ただ向かう前に設定を考えよう。」

「設定?」

 加藤さんが不思議そうに首をかしげる。俺は頷いた。


「ああ。案内した時に、加藤さんの知り合いとかに会う可能性がある。その時に俺と加藤さんの関係を喋れないと警戒させるだろう。だからどこで接点があったとか簡単にな。まああくまで保険だ。」

「確かに・・・。じゃあその設定を決めよう。」

 俺の言葉に加藤さんは納得したように頷いた。そこから俺と加藤さんの関係を相談することになった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 報告書を受け取った次の休日。俺らはとある場所に来ていた。

「ここは・・・・。」

「ああ・・・。加藤さんの家・・・・だった場所だ。」

 俺らの目の前には更地があった。区切られていて、人は入れないようになっている。


「加藤さんが事故で亡くなった後、弟さんは施設に入れられたらしい。家は住む人がいなくなったから取り壊したとのことだ。加藤さんのお父さんは・・・逮捕されたよ。」

「!!」

「弟さんが証言したそうだ。変な人達に連れて行かれそうになったと。そこから逃げる途中に事故にあったってな。そこから捜査が進んで育児放棄とかでお父さんは逮捕された。他にも色々やらかしていたようだ。」

「・・・・そうなんだ。」

「弟さんの施設はこの近くにある。次はそこに案内しよう。会えるかどうかはわからないが・・・。」

「・・・・元気なの?」

「元気かは・・本人次第だから何とも言えない。ただ食事はきちんととれているし、学校にも通えているらしい。」

 加藤さんは俯いていたが、やがて顔をあげて静かに首を振った。


「ありがとう。でも弟には会わなくて大丈夫。確かに顔は見たいけど、変に弟の生活に影響を与えたくないし・・・。いきなり弟に会いに来たといっても施設の人に怪しまれちゃうし。いくら姉の友人だと言っても弟に会いに行かないでしょ。」

「それはそうだが・・。」

 設定は詰めてきたが、あくまで保険レベルだ。大人を誤魔化せる保証はない。ただせっかく来たのだから弟さんに合わせてあげたい。


「偶然会うのは確率的に無理だし、施設を張りこむわけにはいかないしな・・・。神に祈りたい気分だ・・。」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「僕は神様ではないけれど、面白いものを見るためなら舞台を整えるくらいはするんだよ。」

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

「「?」」


 唐突に頭の中に少年のような声が聞こえた。思わずあたりを見渡す。加藤さんにも聞こえたのか辺りをきょろきょろと見渡している。


「気のせいか・・・・。」

「お兄さん。何一人でぶつぶつ喋っているの?」

「「!!」」

 声が聞こえた方を慌てて見る。少し離れたところに少年が立っていた。不審そうな顔でこちらを見ている。


「悟!!」

 加藤さんが驚きの声をだす。言われて探偵からもらった写真を思い出した。そうだ。彼が加藤さんの弟だ。

 少しでも警戒を薄めるため、膝を折り、彼の目線の高さに合わせて話しかける。


「君は・・・・加藤悟君だね。」

「え・・・。お兄さん何?まさかあいつの仲間?」

 いきなり名前を言ったので不信に感じたのだろう。後ずさり、すぐに走りだせるようにしている。まあしょうがない。父親があんなのでは他人を信用できなくて当たり前だ。あいつというのは父親の事だろう。


「突然話しかけてごめんね。俺は黒田博。君のお姉さん、加藤美音さんの友人だったんだ。加藤さんが亡くなったというのを偶然知ってね。いてもたってもいられずにここに来たんだ。」

「え・・・姉ちゃんの?」

 加藤さんの友人と言ったことで、警戒心が少し薄れたのだろう。その辺りはまだ子供だ。設定を詰めていてよかったとほっとする。


「ああ。彼女と学校は違ったけど、あることがきっかけで時々話すことがあってね。色々な話をしていたんだ。」

「・・・・・」

 悟君が疑いの目でこちらを見ている。当然だ。人攫いと思うのが当然の反応だろう。ここで当たり障りの事を言っても信用されない。彼女の身近な人間しか知らないようなことを話すべきだ。


「彼女とは仲良くなれた自信はある。色々知っているよ。例えば彼女は機嫌がいい時、無意識に鼻歌を歌うだろ。後ちょっと機嫌が悪い時、顔にはあまり出さないが、鼻がピクピク動くとか・・・。」

「ちょ!!何を言っているの?」

 加藤さんが慌て始める。詰めた設定を無視して喋り始めたことは驚いているのだろう。だが悟君には効果があったのか、驚いた顔をこちらに向けている。


「それ・・・・姉さんの癖。俺以外に知っている人がいたんだ・・・。」

「まあ・・・・それなりに心は許してもらっていたと自負しているよ。」


 悟君は今ので、完全に信じ切ったのか俺の方に近寄ってきた。

「じゃあじゃあ!!姉さんが隠し事をしている時ってさ!!」

「ああ。片耳を触るよな。本人は無意識なんだろうけど、わかりやすいよな。」

「そうそう!!」

「もう・・・・やめて・・・・。私って・・・わかりやすすぎ?」

 悶えている加藤さんを無視して、俺は悟君と加藤さんの話で盛り上がった。



「あ~。こんなに話したの久々かも!!」

「それはよかった。俺も加藤さんの話ができるなんて思いもしなかった。」

「・・・・・人の恥をよくも・・・。」

 加藤さんの話のおかげで、悟君は俺を完全に信用したようだった。時々ぼろが出そうになったこともあったが、なんとか誤魔化せた。加藤さんは道の端で座り込んでいじけている。加藤さんの何かが失われたかもしれないが、必要経費だと思って我慢してもらおう。


「でも・・・そうか。姉ちゃんを支えてくれていた人はいたんだな。」

「?どういうことだ?」

「姉さんは事故に会う直前、塞ぎこむ事が多くてさ。忙しい中バイトして勉強して、あいつの暴言を受けて・・・。俺は守られるばかりで、守れなかったから。」

「・・・・いや。彼女が事故に会う頃は疎遠になっていたんだ。彼女は家の事をほとんど喋らなかったから。だから彼女が亡くなった聞いて、慌てて彼女の事を調べて、彼女の事情を初めて知ったんだ。遅すぎたんだよ・・・。」

「そうだったんだ・・・。」

「言い訳はしない。俺は彼女に何もできなかった。もし・・・と何度も思った。」

「俺もだよ・・・。俺が姉ちゃんを守らなきゃいけなかったんだ。でも俺は・・・、姉ちゃんの重荷でしかなかったんだ・・・。」

「そんなことない!!」

 加藤さんの悲痛な叫びが響く。だが悟君には聞こえない。


「事故の時も俺を庇ってさ。突き飛ばされて意識を失ったから、姉ちゃんの最後は見てないんだ。でも時々夢にみるんだ。見てないはずの姉さんが目の前で轢かれる夢。」

「っ・・・・。」

「夢見が悪い時はさ・・・。轢かれた後姉さんが血まみれで這いよって来るんだ。お前のせいでって言いながら・・・。」

 悟君は泣きながら呟く。彼は幸いにもケガはなかったが、目の前で姉が轢かれたのだ。トラウマになるのも仕方ない。


「悟・・・・。ごめんね。ごめんね・・・・。」

 加藤さんが泣きながら悟君を抱きしめる。といっても人には触れないので、包んでいるような形だが。俺は思わず悟君の両肩を掴んだ。


「悟君。一つだけ聞かせてくれ。君は加藤さんがいなければって思ったことはあったか?」

「そんなことない!!確かに喧嘩したことはあるけど。俺にとっては尊敬できる自慢の姉さんだ!!」

「そんな加藤さんが悟君の事を重荷と思うか?お前のせいでなんて言うと思うか?」

「それは・・・でも・・・。」

 加藤さんが縋るような眼でこちらを見てくる。俺は小さく頷いた。加藤さんの言葉は悟君には聞こえない。でも加藤さんの思いを悟君に伝えなければ。


「俺が加藤さんと話していた時、悟君の話がほとんどだったよ。スポーツが得意で明るくて自慢の弟だって。そんなとき彼女はいつも笑顔だった。」

「姉ちゃんが・・・。」

 これは一部事実だ。加藤さんと一緒に生活していた3か月の間色々な話をしたが、大体は弟の自慢だった。彼女が嬉しそうに話すので、俺も彼女の笑顔が見られるので話を聞いていた。


「ああ。だから彼女の事を良く知る俺達だけは・・・・彼女は俺達の幸せを願ってくれるって信じよう。」

「そうよ・・・。私は貴方達の幸せを願っている。私の分まで幸せになってほしいの。それだけは・・・何があっても変わらないから。」

 加藤さんが悟君に叫ぶ。もちろん声は届いていない。だが、今までの思い出が蘇ったのだろう。悟君は声をあげて泣き始めた。


「姉ちゃん・・・・。姉ちゃん!!」

俺は悟君が泣き止むまで、加藤さんと重なるような形で彼を抱きしめ続けた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 悟君が泣きつかれて寝てしまうと思ったが、彼はすぐに泣き止んだ。涙まみれの顔を拭き、顔をあげる。その顔はどこかすっきりとしていた。

「悟君。」

「兄ちゃんに言われてさ・・・。久々に思い出したんだ。姉ちゃんが台所に立って笑顔で俺を呼ぶ顔。・・・どうして忘れていたんだろう。」

「悟君の中で加藤さんはそれだけ大きい存在だったんだよ。仕方ないよ。」

「でも姉ちゃんの笑顔を思い出せた。兄ちゃんのおかげだ。ありがとう。」

「いや・・・。立ち上がれたのは悟君自身の力と、加藤さんのおかげだよ。」

 俺は加藤さんの方を横目に見る。彼女はまだ悟君を抱きしめていた。俺は本当に何もしていない。彼女の思いを伝えただけだ。


「俺・・・。姉ちゃんの笑顔は絶対忘れない。」

「ああ。俺も忘れない。綺麗事だけどさ。俺達の心の中には彼女の心の欠片があるんだ。」

「心の・・・欠片?」

「ああ。俺達は加藤さんのおかげで人生が変わった。そして俺達は絶対に彼女を忘れない。そうすれば彼女は俺達の中で生き続ける。それってさ。彼女の心が俺達の中で生きているって思えないか?だから心の欠片さ。」

「黒田君・・・・。」

「・・・・兄ちゃんって意外とロマンチストだな。」

「・・・ほっとけ。どうせ綺麗事だよ。」

 かっこよく決めたつもりだったが駄目だったらしい。顔が赤くなるのを自覚しつつそっぽを向く。ただ俺達の中で生きていると言われるよりも、何かの形で表現した方が具体的でイメージしやすいと思っただけだ。そんな俺を見て悟君が笑う。


「あ、そうだ。」

 大事な事を忘れていた。俺は懐から自分の連絡先をメモした紙を取り出し、悟君に手渡した。

「これって・・・?」

「俺の連絡先。これから色んなことがあると思う。その中には立ち向かっても勝てないものがあるかもしれない。助けが必要だと思ったら遠慮なく連絡をくれ。勿論寂しかった時とか、加藤さんの話がしたい時でもいいぞ。住所も書いてあるから遊びに来てくれても構わない。ただ平日はいない時もいるから気を付けてくれ。」

「・・・・・・うん。そうする。」

 彼は渡した連絡先をぎゅっと胸にあてた。


「さて・・・。それじゃあ俺はそろそろ行くな。」

 これ以上俺が彼にできることはない。立ち上がり、彼に背を向ける。悟君には会えたが、もう一つ行かなければいけないところがある。そう思って歩き出そうとしたが、気がつくと悟君が俺の裾を掴んでいた。もう一度膝を折り、彼の目線の高さに合わせる。


「どうした?」

「兄ちゃんはさ・・。姉ちゃんの事好きだったの?」

 悟君はこちらをまっすぐに見つめている。これは嘘をついてはいけないと思い答えることにした。


「・・・ああ。好きだよ。今でもね。」

「え、ええええええええ!?えええええええええええええええええ!?」

 加藤さんが驚いて飛び上がった。そしてそのまま浮いて固まっている。本人に言うつもりはなかったんだが。できるだけ彼女の方を見ないようにして話し続ける。


「俺の初恋だよ。それがまだ消化できていないんだ。」

「ええ・・・。あれって私の事?えええええええ。ちょっと待って。整理できない。」

「そうなんだ・・・。」

「ただ、彼女に囚われたままでいる事を彼女は望まないと思っているからね。だから彼女からもらった欠片を大事に抱えたまま、新しい恋を見つけようと思っているよ。そして彼女に君の分まで幸せだぞ!!って宣言してやるつもりだ。」

「そっか・・・。そうだね。」

「ああ。悟君もそう言えるようにな。じゃあまたな。」

「うん。またね。兄ちゃん。」

 悟君は裾から手を離した。それをみて俺は歩き出した。加藤さんも固まっていたが、俺が歩き始めたのを見て正気に戻ると、彼の元に近づいてもう一度抱きしめた。


「大好きよ悟。幸せになってね。」

「!!姉さん?」

 悟君がきょろきょろとあたりを見回す。加藤さんの声は聞こえないはずだが何かを感じたのだろうか。まあ、幽霊がいる世界だ。頑張って生きている彼に、少しくらい奇跡があってもいいだろう。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 悟君と別れて、俺らは別の場所に移動した。彼女は目の前の光景が信じられず固まっている。


「ここは・・・。」

「お墓だよ。加藤さんのな。」

 お墓には【加藤】の名前が刻まれている。俺はお墓に水をかけて線香を置く。


「何か不思議な気分・・。自分の墓を見るというのは。」

「俺も本人を前に墓参りをするのも不思議な感じだ。」

 俺が祈っている墓の上で彼女はくるくると回っている。どう反応していいのかわからないのだと思うが、何故回るのか。


「それで?自分の墓を見て何か変化はないのか?」

「特に・・・ないかな。成仏しそうとかそんな感じもしないし。」

「そっか。」

 まあ俺もそんなことは期待していない。彼女自身が自分は本当に亡くなっていると自覚をすると何か変わるかもしれないと思っただけだ。後、俺自身も彼女が亡くなっているという自覚をして、初恋に区切りをつけたかったという思いもあった。

 加藤さんは俺のそんな雰囲気を察したのかにやにやと笑う。


「貴方こそ、初恋の区切りはできたの?」

「うるせえ。坊さん呼んで無理矢理成仏させるぞ。」

「まあ怖い。」

 加藤さんは楽しそうに笑う。そんなことを言いつつ、加藤さんは、お墓に移動している間、どう接していいのかわからなかったのか、離れられるぎりぎりの距離まで離れてついてきていたのだ。今も顔が赤いのは、まあ・・・気のせいということにしておこう。

 そんな事を考えていたら、加藤さんが真剣な顔をして俺の目の前に来た。


「?どうした?」

「改めてありがとう。私が憑いたのが貴方で本当によかった。」

「そう言ってくれるのは嬉しいが・・・。どうして?」

「貴方のおかげで悟に会えた。かつ悟も救ってくれた。」

「・・・救えてないよ。」

 繰り返すが、あの時は加藤さんの思いを口にしただけだ。それを聞いて立ち直ったのも悟君自身だ。


「ううん。貴方に会わなければ、悟は私の亡霊にずっと囚われていたと思う。でも貴方のおかげでこれからは前を向けるはず。」

「そうかな・・・。そうだといいな。」

「ええ・・・。私の自慢の弟だもの。」

 加藤さんは寂しそうに笑う。彼女にとって弟の成長は嬉しくもあるが寂しくもあるのだろう。もう傍にいてあげる事はできないのだ。

 それから彼女は両手で自分の頬を叩いた。気持ちを切り替えるためなのかはわからない。いい音があたりに響き渡る。


「さ、私の未練も消化できたし、後は貴方の恋のキューピットとしての役目を果たさないとね!!」

「・・・・そうは言ってもな。初恋の本人が目の前にいて、そう簡単に切り替えることなんてできないんだが・・・。」

「初恋は叶わないものよ!!私に幸せになったって宣言するんでしょ!!」

「やれやれ・・・。余計なこと言ったかな。」

「何か言った?」

「いや、何でもないよ。」

「ほら帰ったら作戦会議するわよ!!まずは好意を寄せてくれる子から誰かにしぼらないと!!」

「やれやれ・・・。」


 加藤さんが先に歩き出したのを見て思わずため息をつく。どうやら初恋の相手との同棲は続くらしい。初恋の女性が隣にいる状態で新たな恋愛をするというのは中々ハードルは高いが、彼女のためにも俺のためにも頑張るとしよう。初恋の相手は幽霊だったが、それはいい出会いだったと胸を張れるようになるために。

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初恋の相手は幽霊でした。 川島由嗣 @KawashimaYushi

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