流れ星症候群

mafork(真安 一)

流れ星症候群

 拝啓 岡田徹 様


 丁寧なお手紙ありがとう。お返事が遅れて申し訳ない。

 病気へのお見舞いの言葉も、とても心に響きました。気持ちが弱っているせいか、たいへん心強く、嬉しかったです。果物も体調が許せば美味しくいただきます。


 さて、以下は私達の職業について、ご質問へのお答えです。

 先輩写真家として、あなたの質問やお気持ちに丁寧に答えたいと思う。

 ただし、これは遺書ではないが、それに近しいことが書いてある。

 君には申し訳ない。写真家の先輩に対して、撮影技術とか、心構えとか、役立つものを質問してくれたのだと思う。

 ただ、そうしたものを語るにあたって、どうしても触れなければいけないものがある。

 君との関係に甘え、筆が乱れることを許してほしい。


 『流れ星症候群』を知っているだろうか。


 僕が知ったのは中学2年生の時だった。

 当時からスポーツ写真家を意識していたわけではないけど、陸上競技を見るのが好きだった。僕は体が弱くて、校庭を一周するのにもぜいぜいいってしまうほどだから、とても入部には至らなかった。

 代わりにアスリートの試合を見るのが好きで、校庭では運動部の練習をよく眺めていたし、家ではオリンピックなんかを深夜まで飽きもせず観戦していた。

 ある時、テレビに映った短距離走で、選手の体が白いもやに包まれたように見えた。

 次の瞬間、それが青ざめた炎になった。アルコールランプみたいなぼんやりした炎じゃなくて、それこそ彗星のようなまばゆい光。

 僕が呆気にとられている内に、その選手は断トツの一位でゴールした。

 ただ、その後、急に咳き込み倒れて。その選手が亡くなったことを、僕は翌日のニュースで知った。

 陸上競技は万全の救護体制で臨むから、普通はありえない。だからこそ僕も見るニュースになったのだろう。


 次に似たような情景を見たのは、学校だった。

 いつものように、練習をしている陸上部を校舎の二階からぼうっと眺めていた。すると、一人の女子生徒の体に、テレビで見たような、彗星のような光が宿った。

 その子は、僕の幼馴染でもあった。

 住んでいたのは、マンションの二つ隣。以前同じ光を見た選手は、翌日に亡くなっている。僕は怖くなったけど、こんな話は誰にも言えない。だって彼女が光っているように見えたのは、周りでも僕だけなのだから。

 黙っているのも、告げるのも恐ろしくて、当時の僕は大人に頼った。

 保健室に行って、事実を告げて、『おかしいのは僕の目でしょうか、それともあの子でしょうか』と訊いてみた。

 驚いたことに、先生は僕の言うことを信じた。二〇年以上前の先生の言伝を真に受けるのもおかしいが、君もこの手紙の内容は他言しないでもらいたい。

 保健の先生は言った。


「それは『流れ星症候群』だ。人が、何かに打ち込んでいる時に発する光だ」


 とても信じられない話だろう?

 だけどこの後、僕は写真家として、同じような光を何度も見た。


「この光が見えるのは、どちらかというと心理学上の問題なのだが。確かに、この光が見える人はいる。光を発すること、光が見えること、どちらも『流れ星症候群』だ」


 私もそうだ、と先生は言い足す。

 当然ながら尋ね返した。


「なぜ、光った人は死んでしまうんですか」

「それは正確ではない。一生懸命何かに打ち込んでいる人は、みんなちょっと光っているんだよ。ただし、余命わずかになった時、一番強烈に光るだけでね」


 当時、天文写真のことを思い出した。

 空には無数の星がある。だけど目に入っているのは、特に明るい一部の星だけ。空に向かってシャッターを開きっぱなしにすると、暗い星まで撮影できて、夜空には見える以上の星があるとわかる。

 先生は僕に対して、まだ気づいていない光があると言っていた。


「もし気が進むなら、注意して観察眼を向けてみるといい。本当に一生懸命に取り組んでいる人は、普段からでもしっかりと光っているはずだ」

「なぜ、一生懸命取り組む人は、光るんですか」

「実際に発光しているのではなく、一部の人には光って見えている、ということだが。うーん、そうだな」


 保健の先生は笑って言った。


「燃えているからだろう。一生懸命ってことは、何かを犠牲にして、いわば火にくべているってことだからね。死に際の光が強いのは、一番大事な、残された時間をくべるからだろう」


 不思議な先生だった。

 ただ言っていることは、残念ながら以降の経験に合致する。

 幼馴染の女子生徒は、持病が悪化して翌年に亡くなった。燃えていたのは、彼女にとって最後の大会になるためだった。

 その後、僕は言われた通りに観察眼を総動員して、アスリートや運動部員を注視する。

 先生の言う通りだった。

 確かに光っている人を見つけられたのだ。余命わずかな人が出す、閃光にも似た強烈な輝きではない。けれどはっきりと、一生懸命な人は青い輝きをまとっている。

 意外だったのは、運動部で光る者が予想と違ったこと。エース級の選手にも光る者と光らない者がいて、試合に出番がない補欠でも、光る人は光っていた。オリンピック級の選手は、やはり全員が光って見えていた。

 また、同じ人でも、日によって光り方は微妙に違う。美しく、彗星のような尾を引いて走る選手は、やはりいい走りをすることが多かった。

 僕の写真は、選手の表情だとか、躍動感だとか、被写体を選ぶセンスが優れていると言われる。でも本当は、単にまばゆい光を追ってシャッターを切っているだけだ。


 ここまで読んで、僕の正気を疑っていると思う。

 慰めになるかはわからないが、僕自身も、できる範囲で選手を守ることに繋げてきた。普段に比べて、光が異様に強い選手がいたとしよう。そんな選手には注意するよう、それとなくチームドクターや係員に助言していた。

 去年、競技後に体調をひどくくずした選手が、素早い救護で助かった例があったと思う。

 偶然かもしれないが、あれは注意するよう僕が周りへ言っておいた選手だった。


 話を、僕の学生時代に戻そう。

 これを機に、僕が写真家を目指した理由も話したい。以前、君に問われて、ごまかした答えをしてしまったからね。

 僕は光っている運動部員に、いや、光っている全ての人に憧れた。夜空の彗星を写真に収めたことはあるだろうか。本当にきれいで、同じように光れないことが、打ち込む対象がないことが、何よりもひけめになっていた。

 たくさんの光を見てきたけど、僕の体に光が宿ることはなかった。

 代わりに僕が目指したのは、光っている人を写真に収めることだった。

 もちろん、彗星のようなきれいな光が写真に残るわけではない。あれは僕の目にだけ映るもののようだから。

 僕は、そんな輝いて見える運動部員を、時には競技カルタや、吹奏楽部など、光っている人をみんな写真に収めた。例外なく、いい顔をしていたと思う。

 でも僕の動機は単純だ。

 光れない自分が嫌で、せめて光を写すことで、きれいな輝きに近づきたかったんだ。


 写真はやがて、楽しくなった。いくつか賞をもらい、末席ながら写真家の端くれとして飯を食わせてもらえるようになった。

 そして今、君も知っての通り、重い病にかかっている。

 こう言ってはなんだが、見込みはない。癌はあちこちに転移していたし、なにより発見が遅かった。君もスケジュールが許すなら、健康診断はマメに行っておいた方がいい。


 昔話に説教に、とりとめもなくなってしまった。

 この話をしたのは、君の目にも光が、あの彗星のような青い光が見えるようになるかも、と思ったからだ。

 これは勘だし、根拠はない。ただ保健の先生を始め、私はあの光が見える人を、人生で何度も見かけている。

 君は彼らに近い印象を持つんだ。

 だから、アスリートたちが放つ光について知る限りのことを書いた。

 注意して見れば、君にも見えるかもしれないよ。例え目に見えなくても、光があると知っているだけでもいい。写真には、不思議と撮影者の見方が現れるものだから。


 不思議なもので、光れない自分が嫌で、光っているアスリートを写真に収める仕事についた。気づくと、自分が光っているのか、そうでないか、なんて気にならなくなっていた。

 これが打ち込むということかもしれない。

 僕はもうカメラを持てない。

 もしカメラを持って、最後に競技場へ向かったら、僕は最初に見たような、まばゆい彗星のような光を発するのだろうか。誰かがそれを見るのだろうか。

 今となっては、確かめるすべはないし、それでいいと思っている。

 僕は光はしなかったけど、それなりに一生懸命やったんだ。人生をきちんとくべたんだ。


 最後になってしまったが、別紙にまとめた技術的な助言や、よい撮影場所、頼りになる人脈のほか、君に言葉を贈りたい。

 光を見た一人として言うが、打ち込む人は美しいのだ。

 だから君は、君の感じる光を追ってくれ。

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