無精ひげ、ドライブをする

 残暑……とはとても言えないような9月の昼下がり。

 俺は波多野さんを乗せて、海辺の道をドライブしていた。

 最初はエアコンをつけていたが、途中から風邪を入れた方が気持ちいいと気づき、40分近くずっと窓を開放している。

 静まりかえった車内に音量を絞ったカーラジオの音だけが流れる。

 なんか……一昔前のロードムービーみたいだな。


 俺は助手席に乗る、お通夜のようにションボリしている波多野さんを見る。


「暑くない? 大丈夫かな」


 波多野さんは無言でコクリと頷く。

 これはちょっと一苦労、って奴か?

 まあ仕方ない。

 何せ、久々の失恋なんだからな。


 波多野さんから泣きながら話しを聞いたのは、昨日の夜8時。

 管理人室のインターホンが鳴って開けてみると、すでに目を真っ赤にしてしゃくり上げている波多野さんがいた。

 もう毎度のこととはいえ、やっぱり毎度焦る。

 来年の今頃まで首にならずに居られるのか?


 そんな事をのんきに考えながら、波多野さんを部屋に招き入れる。

 まあ、これも他の住民に見つかったら首案件だが仕方ない。

 背に腹は代えられぬって奴だ。


 で、話を聞くとどうやら大学のコンパで知り合って、好きになった男性に振られたらしい。 しかも結構こっぴどく。

 事情を聞いたが要領を得ないし、夜も遅いので気張らしがてら翌日にドライブでもどうか? と進めたのだ。


 で、今に至る。


「有り難うございます、管理人さん」


 お、2時間ぶりに声を聞いた。


「どういたしまして。でも無理してしゃべらなくていいよ。心が疲れてるときは、疲れたままに任せること」


「でも、しゃべりたくなってきました」


「なら良し。しゃべれる所まででいいから聞かせて」


「と、言っても単純です。気になってた方……Aさんとします。Aさんと2人でご飯に行ったんです。Aさん、とっても紳士的な方でこの人となら……って思ったんですけど、Aさんが『僕なんて地味だから波多野さんに釣り合うかな』って言った時『確かに見た目もおっしゃる事も地味かもですけど、それも味です』って返したんです。そこからAさん、しゃべらなくなっちゃって……なんでかな」


 おお……それは、大惨事だ。

 って言うか、そこで「なんで」なんだな……

 気持ちや空気が読めない、ってやつか。


「で、会話が続かなくなって焦ったかもです。私お水を取ってこようと立ち上がったら、丁度横を他の人が通りかかってて、その人に……ガシャ~ンって。で、その人の持ってたお水がAさんに……。私、呆然としてたらAさんが代わりに謝ってくれたんですけど、それっきり……私、何か間違っちゃったのかな……」


 そう言いながらシクシク泣き出す波多野さん……に俺は何も言えなかった。

 何から何まで間違ってるよ、とはさすがに言えない。

 ADHDの特徴そのものだから、言われたって直しようがない。

 A君も気の毒だが、波多野さんだって気の毒だ。

 どちらも悪くない。


「仕方ない。君もA君も出来る事をした。その結果相性が悪かっただけ……良かったら海辺を歩かないか? もちろん無理にしゃべらなくていい。1人で来てるつもりになればいい」


 波多野さんはしゃくりあげながらこくりと頷いた。


 まだ残暑の暑さは強烈で、新学期も始まり平日ど真ん中のせいか、人は全く居ないので、まるで俺たち二人しか世界に居ないような錯覚を覚える。

 そんな海辺を歩きながら、俺は波多野さんをチラッと見る。

 

 頑張ってもどうにもならないもの。

 折り合いをつけてあきらめるしか出来ないもの。

 分かってるんだ、そんな事は。

 誰でもそれはある。

 でも……すがりつきたいものだってある。

 

「これは独り言なんだけど……俺、今小説書くのが辛くてね」


 波多野さんの方を見ずに独り言のようにしゃべる。

 ま、独り言なんだけど。


「ちょっと前までバンバン浮かんでたんだよ。書きたいものが。もちろん、レベルは低いけどね。でも、調子に乗って書いてたら浮かばなくなってきちゃってさ。間抜けだよね。でもさ、そうなって改めて自覚した。俺は小説が心の底から好きなんだ、って。誰の前でも堂々と言えるくらい好きだ。だって、書けなくなるかもって思った途端、困ったくらいに不安になった。もう好評価とかコメントとかどうでもいい。ただ、書かせて欲しい。自分の大好きな作品世界に俺をまた連れて行って欲しい、って思う」


 波多野さんさんがしゃべらない事をいい事に独り言を続けた。

 参ったな、俺の悩み相談になり始めたぞ。


「仕事をやめたとき、色々失った。そして小説もなくしそうになって、自分にとって大切なもの。手のひらに最後まで握り締めて痛いものが見えてきた。それは小説を書くことなんだ。評価されることじゃない。自分の嬉しい事や辛い事、不安な事や笑える事を物語の世界に込めて、その中を空想で旅する。その行為が好きなんだよ。それを気付いた」


「……そう……なんですね」


「ああ。結局人は全てを手に入れられない。自分の限界にぶつかる。全力を出しても難しい。それは超えられるものもあるけど、無理なものもある。無理だったとき……それも悪くないかな、って。自分にとって本当に大切な気持ちや考えに気付ける。だって、本当に辛いときに残ったものは自分にとって揺るがないものだろ」


「私にとって揺るがないものってなんだろ……」


「ゴメンな。それは俺では見つけてあげられない。君の心の一番深いところにあるからね。でも……辛くて仕方ないとき、何が浮かぶ? 誰が浮かぶ? それ……またはそれらが君の本当に大切なものなんだ。それを支えにするといい。そして、それは君からずっと離れずに寄り添ってくれたものだ。だからそれを支えにするんだ」


「管理人さんは小説なんですか?」


「ああ、そうだな。才能はないし一生趣味レベルだが、俺にきっと最後まで寄り添ってくれる。思えば子供の頃からそうだった」


 そう言うと、俺はハンカチで汗を拭きながら海を見る。

 残暑の日差しに照らされた海面は、心を浮き立たせるほどの青だ。

 

「だって、今、この瞬間も『ああ……この海面の景色を小説にしたらどんな表現になるかな?』って考えてるんだよ。もう中毒だね。きっと脳が動く限り小説を考える。生きてる事が書くことなんだよ。俺には」


 海はいい。

 だた、そこにあるだけ。

 何も言わない。語らない。

 でも何かを感じさせる。押し付ける事無く、でもいつも必ず感じさせる。何かを。


「私……二つ浮かんでます。今」


「へえ、そうかい? よければ教えてよ」


「はい。一つ目は……イラストです。この海や光、夏の空気をイラストにしたい。それにこの前読ませてくれた管理人さんの小説の挿絵も書きたい」


「そっか。じゃあそれが君にとって支えてくれる裏切らない奴だ」


「はい。で、二つ目は……なんでだろ……管理人さんです」


 え?

 俺は弛緩した身体に一気に力が入った。

 おいおい……

 

 思わず波多野さんの方を見たが、彼女は海を眩しそうに見ており俺のほうに目を向けない。


「ふふっ、きっと私の最初に出来たお友達だからですね。それに管理人さんは何が合っても私を裏切らない気がするんです。どんなときも私の味方でいてくれる。だから……イラストと同じくらい浮かんじゃいます」


 そう言って真備主そうな笑顔を浮かべる彼女の顔を俺は、冷や汗を拭いながら見た。

 やれやれそういうことか、一瞬ビビッたよ。

 さすがにこんなオッサンに……それはないよな。

 気が抜けたせいか、急に空腹感を感じた。

 汗もけっこう出ているし、そろそろ涼みたいな。


「波多野さん、良かったらお昼にする? 近くにいつも立ち寄るレストランがあるんだ。そこの店主と店員さんまだ若いけど、サンドイッチがとにかく美味しいんだよ」


「え、そうなんですか! 私サンドイッチ大好きです。ぜひぜひ!」


「元気になったみたいで何より」


 俺は波多野さんを見て、自分も元気になってくるのを感じた。

 小説の悩みとかも薄くなっている。

 俺も、この子に救われてるのかもな。


「管理人さん……これからも私を助けてくれますか?」


 おずおずと話す波多野さんを見て頷いた。


「当たり前だ。俺たち友達だろ」


「こんなデコボコですけど……」


「俺もだよ。お互い埋めあえばいい。埋められなかったら一緒に、協力して出てるところを磨いていこう。それも友達だろ?」


「……はい!」


 俺たちは顔を見合わせて笑いながら、サンドイッチを食べに歩いた。

 少しづつ成長すれば……いや、成長しなくてもいい。

 ただ、自分の歩幅で歩いていけばいい。

 転びそうなら助け合えばいいだろ?

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無精ひげと女子大生 京野 薫 @kkyono

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