無精ひげ、未読スルーをする

 この前のネットカフェでの一件以降、波多野さんの俺への距離感はますますバグってしまったようだ。

 ラインはほぼ毎日入ってくるし、毎朝大学やバイトに行く前になると俺に挨拶に来る。

 

 と、言っても内容は「ちゃんと朝ごはん食べましたか? 今から行って来ます」と言う感じの通り一遍なものだ。

 そりゃそうだろう。

 カップルでも新婚家庭でもあるまいし、ましてや20歳になったばかりのうら若き女子大生と50前のおっさんにそんな毎朝話すことなどある訳ない。

 

 特に波多野さんは見た目はどこかのアイドル、と言われても疑わないくらい可愛い子だ。

 そんな彼女と、お世辞にも美形とは言えない……本当にどこにでもいるおっさん。

 それこそ他の入居者にあらぬ疑いをかけられかねない。

 俺がもうちょっと、えっと……イケオジ? みたいだったら波多野さんも楽しかったろうに、申し訳ない限りだ。


 で、さっきもそんな波多野さんに「今朝も元気だよ。有難う。波多野さんも無理ないようにね」と通り一遍な言葉を返す。

 もちろん彼女が嫌なわけじゃない。

 むしろ、こんなオッサンに対してそこまで熱量を向けてくれてありがたい限り。


 彼女の振る舞いは発達障害の特性によるものである事もわかってきたので、こっちもそれなりに考えて理解し、接する必要があるというだけ。

 適切な心の距離の取り方が苦手。

 いちど「こう!」と決めたら、柔軟に変化させるのが苦手。


 相手の心境、と言う目に見えないマニュアル化できない物の理解が苦手なので、自分がよし! と思えばガンガンいく。

 Aと決めたら状況が変わろうともA。

 AダッシュやBに変化する局面になると、脳がフリーズを起こしやすくなる。


 波多野さんの中では「友人になったオッサンに対する挨拶は友達へのコミュニケーション」と言うのが一つのルーティンになったんだろう。

 まあ言い方変えると臨機応変がダメ、とでも言おうか。


 そんな事を考えながら、俺は波多野さんからの波状攻撃のように届いたラインを見る。

 内容は……


「電車の中、凄く蒸し暑い……」

「斜め前に居る女の人のやってるゲーム楽しそう!」

「大学からバイトのコンボ辛い(汗)でも……かなた、がんばります!!」

「車窓から見えた看板とってもお洒落……管理人さんにも見せたかったです」


 と言った、どう返答すればよいか悩む内容。

 わざわざ報告する事かな?

 最近の女子はみんなそうなのか。

 

 困った事に俺は小説書いてる割に筆不精だ。

 しかも、お世辞にも会話の語彙ごいが豊富とは言えない。

 ま、いわゆる口下手と言うやつだ。

 それでもほっとくには可愛そうなので……


「満員電車、辛いよね。俺も会社勤めの頃はきつかった」

「ゲーム、好きなんだね。嫌じゃなければ、どんなのやってるか教えて」

「学生は学業とバイト両方だから大変だよね……無理せず頑張って。愚痴があれば聞くよ」

「そんな看板あるんだ。良かったね」


 と返す。


 しかし……俺みたいなオッサンとラインして楽しいのかね……

 いまどきの子はラインが楽しいみたいだが、俺は縛られてる感とあの独特の通知音が苦手なので、サイレントにして1日に2度ほど確認する程度だ。

 なぜかあの「ピロン」の音はきついんだよな……

 

 良いのか悪いのか、連絡してくる人間も居ないし。

 ま、会社勤めの頃に比べると非常に気楽なので、どっちかと言えば「良い」に寄っているが。

  

 そんな事を思いながら、俺は風呂のお湯が溜まったのを確認する。

 さて、入るか。


 俺の小説以外の数少ない趣味。

 それは朝風呂だ。

 入ってる間もそうだが、出た後で日の光に当たりながらジャスミンティーを飲むのが幸せだ。

 おおげさかもだが「生きてて良かった」と感じる。


 それから1時間。


 幸せな朝風呂を終えて、ロッキングチェアに身を横たえながらぼんやりと日の光を眺める。

 不思議とこうやってボンヤリと多幸感に浸っているときが一番小説のアイデアが出るんだよな……


 そうしてる内にウトウトと……


 ※


 どうやら完全に寝入ってしまったらしき俺は、管理人室のインターホンの音で目が覚めた。

 いかんな、完全に寝てしまってたか……昨夜遅くまで小説書いてたからな。

 やれやれ、50近くなると睡眠の質も悪くてダメだ。

 時間を確認すると、もう14時半だった。


 おおっ、これは凄いな。寝すぎもいい所だ。

 さすがに俺も慌てて起きると玄関に行き、ドアを開けると……そこにはこの世の終わりみたいな顔でうなだれている波多野さんが立っていた。


「あれ? 波多野さん……どうしたの? 今日は大学の後、バイトじゃ……」


「お休みもらいました……」


 消え入りそうな声でポツリとつぶやく彼女に俺は心配になった。

 大学で何かあったな。


「どうしたの? 良かったら話聞くよ。大学で嫌な事でも……」


「ライン……」


「は?」


「ライン……お返事なかったから……管理人さんに嫌われたと思って。講義も手につかなくって……確かめようと思って。会いたかったからバイトも休んじゃいました」


 その言葉にハッとして慌てて携帯を確認すると……おおっ、未読が15件。

 内容を見ると……


「お忙しいですか?」

「お返事……欲しいな」

「ランチのオムライス、美味しいです! 今度オムライス食べに行きましょう!」

「……オムライス、好きじゃなかったです?」

「嫌われちゃったかな? ゴメンなさい」

「お話し、してもいいですか? 声、聞きたいです」

「やっぱ……ダメですよね? ゴメンなさい……」

「お別れだけは……したくないです。お話しさせて下さい」


 と、言った内容が未読のままズラッと並んでいた。

 って言うか、勝手に内容進めちゃってるし……俺、何も言ってないんだけど。


「私、至らないところ多いです。でも……直しますから! だからもうちょっと……もうしばらく……ううん、もう1年チャンス下さい! 絶対直しますから。だから……嫌いにならないで……」


 俺は周囲を見回して、すすり泣きし始めた波多野さんを中に入れた。

 こんなトコ見られたら、管理人クビだよ……


 ※


「あ、そう……だったんですか」


 管理人室へシクシク泣いている波多野さんを入れて、携帯はサイレントにして日に1~2回しか確認しないこと。

 そのため、波多野さんからのラインに気付かなかった事を説明すると、波多野さんは安堵した表情で俺をじっと見た。

 って言うか、ライン未読なんだから嫌いも何もないだろ。常識的に考えて。

 あ、でも未読スルーって奴か。


「ゴメン、俺ホントこういうメールとか苦手で。でも今度からは音ありにして、分かるようにするよ」


「ううん、大丈夫です。管理人さんの生活を邪魔したくないので、全然そのままにしてください。そう言う事なんだって分かれば気になりません。ゴメンなさい」


 そう言って涙に濡れた顔でニッコリと微笑む波多野さんに、一瞬ドキリとしてしまった。

 やばい、一瞬……一瞬だけどグッと来てしまったぞ。落ち着け、俺。


「あ……ならお言葉に甘えて。でも、波多野さんも遠慮せずライン送ってよ。君とラインするのは楽しいから」


「え……」


 俺の言葉に波多野さんが顔を赤くして、目を潤ませたままじっと見つめてきたのでさらに焦った。

 な、なんだ!?


「私……そんな事言ってもらったの始めてです。……嬉しい」


「そうなんだ。俺は楽しかったよ。君ってやっぱり視点が豊かだなぁって。あれだけメール送れるのも、気付きがそれだけ多いってことだろ? それは君の美点だよ」


「えへへ……そうですか。あ、じゃあこれからも沢山ラインしますね! あの……やっぱり、せめて1時間に1回は確認して下さいね。私も管理人さんとやり取りするの、すっごく楽しいんです!」


「俺と? そうかい? こんなおっさんで済まないな、って思ってるんだけど」


 波多野さんは勢いよく首をブンブン振ると、俺に顔を近づけて言った。


「私、すっごく楽しいですよ。なんて言うか……管理人さんって、まるでふわふわのクッションみたいです。どんなときでも、どんな風な私でも優しく暖かく受け止めてくれるって言うか。で、すっごく心地良いんです。だからラインやお話ししたいんです」


 おお……これは……中々に動揺するな。

 思えば、離婚して以来誰かと真正面から関わることなんてなかったのに、いきなり特濃とんこつスープみたいな子と関わってるんだもんな……


「そうかい……それは……嬉しいな。今後ともよろしく」


「はい! ぜひぜひ今後ともよろしくです!」


 そう言ってニッコリと笑う波多野さんのニッコリ顔にまた俺は焦ってしまった。

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