無精ひげ、ネットカフェに行く

 夏の日の午前10時。

 酷暑の日差しは容赦なく部屋に飛び込み、エアコンなしではまるでサウナのごとく。

 そう、わが管理人室のエアコンがよりによって昨日から故障しているのだ。

 

 まぁ、10年ものだし去年から異音ややたらと水滴もたれてたのでやばいかな……と思ってたが、やはりこの夏は越せなかったか。


 などと、余裕を感じてたのも最初の頃だけで、すぐにあまりの暑さにいくら水を飲んでも頭がボンヤリする。

 これはまずいな、常識的に考えて。

 幸運にも修理は明日来てくれるが、それまでこの一日をどうするかな?

 部屋にずっと居るのは無理と分かったので、どこかで時間を潰したいところだが何しろ今はお金が無い。


 世間一般並みの収入をもらってればネットカフェ、とかホテルに、とかあったがあいにく細々とした収入で生きてる身だからな。


 とはいえ仕方ない。

 家賃収入がはいるまで厳しくなるが、近くの珈琲店に避難するか。


 そう思い服を着替えたとき、ドアをコンコンと叩く音がしたので返事をしてドアを開けると、そこには大きなビニール袋を下げた波田野さんが立っていた。


「こんにちはです。今日も暑いですね」


 そう言ってニッコリと微笑む波多野さんの笑顔はいつも涼しげで全く暑苦しさが無い。

 相変わらず、浮世離れした雰囲気だな……


 そんな事をのんきに考えながら俺も笑顔で頭を下げた。


「こんにちは。今日はどうしました?」


「昨日実家から食料が届いたんです。カップめんとか袋ラーメンがダンボール一箱分。せっかくなので管理人さんにもお友達としておすそわけを、と」


「それはそれはご丁寧に。有難うございます。しかし、カップめんとか一箱って凄いですね」


「家の母からなんですけど、私が食に無頓着で、ほっとくと平気で1食2食抜くのを知ってるから定期的に送ってくるんですよ。後、私お料理ほんとダメで……。でも私だって一応女子なので、流石にカップめんばかりの箱が占拠してるのは……」


 そうなのか。

 まあ、年頃の女子の部屋にカップめんとかが詰まったダンボールがデンと置いてあるのは、確かに見栄え悪いよな。


「有難うございます。じゃあお言葉に甘えて」

 

 そう言っては波多野さんからカップめんのギッシリ入った袋を受け取った。


「じゃあ俺もお返しに……」


「あ! いいですいいです! そんなお返し目当てじゃないんで……ところでどうしたんです? このお部屋サウナみたいじゃないですか……」


 そういって波多野さんは眉をひそめる。


「すいません。管理人室のエアコンが壊れちゃってて。明日修理に入るんですけど、ちょっと今日はこんな感じで」


「え、それって大変なことですよ! 私のお部屋来てください!! 今日一日過ごしてもいいので」


 おいおい! なんて事言うんだよこの子。

 いくらなんでもそんな事出来るわけ無いだろ。


「いや、それは大丈夫です。流石に年頃の女の人の部屋に行くのはまずいですよ」


「友達なら余裕です」


「そういう問題じゃないと思いますよ。いくら友達でも男女ですから。常識的に考えて」

 

 まったく。波多野さんはどうも友達ってやつを過剰に神格化してるんじゃないのか?

 波多野さんは不満げに唇を尖らせていたが、やがてハッと何かに気付いたような表情をすると、両手を1回叩いた。


「じゃあ一緒にお出かけしましょう! 私、友達出来たら前々から行きたいと思ってたトコがあるんです」


 その爛々らんらんと輝く目を見ながら俺は嫌な予感を感じていた。

 何考えてんだ、この子……


「あの……どこに行くんですか? 車はあるので大抵の所は行けますけど、この暑さだし。申し訳ないけど家賃収入が入る前なので手持ちも……」


「あ、それは大丈夫です! 私に任せてください。奢りますので。行くのはネットカフェです」


「ネットカフェ?」


「はい。私に付き合ってもらうので奢らせて下さい! こう見えてバイト代も使うあてがほぼないから貯まってますし」


 結局、波多野さんの勢いに押されたのと、実際あの部屋に居るのは無理がある事も手伝って、彼女と車で20分くらいの駅前にあるネットカフェで過ごすことになった。


 ネットカフェなんて何年振りかな……

 前職の営業時代、速く契約がまとまったので後輩に誘われて入った事はあった。

 しかし、仕事をサボっているのがどうにも嫌で、結局あれから全く行かなかったのだ。


 まさかそれがこんな若い女の子と来るとはね……


「ここ私がよく来る所なんです」


 そう言うと、波多野さんは手馴れた様子で手続きを行っている。

 俺はと言えば所在無さげに周囲の漫画を見ていた。

 俺たち、どう見えてるのかな?

 親子……はこんな所来ないだろ。

 たぶん、最近良く聞くパパ活っぽいな。

 やれやれ、そう思うと心なしか店員の眼も気になるぞ。


「お待たせしました。リビングルームを取ったので行きましょ」


「え? 同じ部屋なの?」


 驚いてそう言うと波多野さんはキョトンとした表情で言った。


「もちろんです。でないとお話できないじゃないですか? せっかく友達同士でネカフェ来てるのに別々のお部屋なんて意味ないですよ」


 まあそうだけど……

 いかんな、このせまっくるしい店内も手伝って、緊張してきたぞ。

 これじゃますますパパ活臭が……

 

 とはいえ、お金を出してもらってる身であれこれ意見も出来ず、やむなく二人でリビングルームに入った。

 こういう部屋は始めて入ったが広々としており、床のマットもふかふかだ。

 こいつは驚いた。

 今のネカフェはここまで進化してるのか……


「さて、読むぞ! 私、友達出来たらネカフェ一緒に来るのが夢だったんです。ずっと1人で来てたので。だからめちゃくちゃテンション上がってます。管理人さんも好きな漫画とって来てくださいよ。ここ、すっごい数置いてあるんですよ」


「ああ……俺はいいよ。せっかくパソコンも置いてあるから、小説書かせてもらってもいいかな?」


 そう言うと波多野さんはポカンとした表情を見せ、それはやがてジワジワと嬉しそうに変わっていった。


「す……凄い凄い! 目の前で小説を書く人、始めてみるから興奮です! どんなの書かれてるんですか?」


「いや、大したものじゃないよ。サスペンスっぽい奴だけど。それに投稿サイトに出してるだけで、出版の当てがあるわけでもないし」


「そんなの関係ないですって! うわあ……良かったら見せてもらえますか?」


「い、いや……ダメだよ。こんなのつまらないから」


 そう言うと波多野さんは不満そうに唇を尖らせたが、やがて漫画を読み始めたので俺もサイトを開いて小説を書き始める。


 今書いてるのは孤児だった女子高生が、自分の住んでいる養護施設で発生したある子供の失踪事件に迫る、と言うもの。

 暗いテーマと展開のせいか読者受けは良くないが、非常に楽しく書けている。


 静まり返った室内に波多野さんが漫画をまくる紙の音と、俺がキーを叩く音が響く。

 おお、この感じ悪くないな。

 ネットカフェは狭くて居心地悪い印象だったが、かなり集中できるしリラックスできる。

 家賃収入が入ったら一人でも来ようかな。


 そんな事を考えていると、背中と顔の横に人がくっつく感じがして驚いて横を見ると、波多野さんが画面を覗き込んでいた。

 

 ってか、近い近い!!

 

 呼吸さえも感じられそうな距離に波多野さんの横顔が見えるので、俺はすっかり動揺して思わず横にずれた。

 おいおい、何なんだ……やばすぎだろ。


「管理人さん……面白いじゃないですか。何か凄いドキドキします」


 目を輝かせながらそうつぶやく波多野さんに俺は動揺覚めやらぬ感じで言った。


「そうかい……それは有難う。ただ、いきなり後ろに来るのは控えてもらえるかな。仮にも俺は中年のおっさんだし」


「あ、そうですよね。ゴメンなさい。つい見たくなっちゃって」


「興味本位になるのは分からなくもないが、距離感がちょっと……ね」


 何気なくそう言うと俺は、投稿サイトからログアウトした。

 やれやれ、流石に勝手に見られちゃかなわん……って、なんだ?


 背後から泣き声が聞こえたので、驚いて振り向くと波多野さんが顔を抑えて泣いていた。


「え!? ど、どうしたの波多野さん、ゴメン。へんなこと言っちゃったね」


「ううん……ううん……いいんです。私が……悪かったから」


「いや、俺も言い過ぎた。目の前で小説とかカチカチやられてたらそりゃ気になるよね。すまなかったね」


 必死にそう離すと、波多野さんはしゃくりあげながら言った。


「私……いっつもこうなんです。気になったりするとそれしか見えなくて、相手の気持ちとか考えられなくなっちゃって……それで友達にも嫌がられて、せっかく出来た彼氏にも振られちゃうし」


 そうだった、彼女……発達障害だったな。

 さっきのも過集中って言う特性の一つだっけ。

 彼女も悪気があったわけじゃないのに、俺ってやつは……一番苦しいのは波多野さんだろ。

 俺は自己嫌悪で頭を殴りたくなった。

 

 なおもすすり泣いている波多野さんに俺は言った。


「いいんじゃないかな? それも君のいいところだ。思うんだけど、友達って減点方式じゃなくないか? 俺だって一杯駄目なところがある。君と俺、友達同士お互いの足りないところを埋めていかないか?」


「管理人さん……」


「俺も発達障害、もっと勉強するよ。君の足りないところを埋められるように。だから君も俺の足りないトコを埋めてくれないか。この50前でちゃんとした職にも就けなくて、プロになれそうにない評価されない小説ばっか書いてる俺を、さ」


 そう言って笑うと、俺は再び投稿サイトにログインした。


「良かったら読んでくれないか? 君の視点で何が足りないのか教えくれると嬉しいな」


「そんな……私なんか」


「そんな事無い。君は他人には無い集中力がある。それにイラストを描いてるって言ってただろ? 芸術のセンスがある。この作品は色彩の描写にこだわってるんだ。ぜひ専門家としての視点でアドバイスが欲しい」


 波多野さんは徐々に頬に赤みが差してきて、目が輝いてきた。


「……私でよかったら」


「ああ、ぜひ頼むよ」


 波多野さんはパソコンの前に座ると食い入るように第1話から読み始めた。


「有難うございます……今まで私の生涯にそんな風に言ってくれる人居なかった。だから……まるで無敵になったみたいにフワフワしてます。本当に……嬉しいです」


「胸張っていい。君のは障害じゃなくて個性なんだから」


「個性……」


 そうつぶやくと、波多野さんは夢中で読み始め、ちょこちょこメモを取り始めた。

 ホントに生き生きとしてるな……

 障害じゃなくて個性。

 自分で言ってて本当にそうだと思った。


 波多野さんの良さと俺の良さ。

 上手く保管しあえればありがたいが。

 

 そう思って波多野さんの方を見た俺は心臓が飛び出しそうになった。

 すっかり集中した波多野さんはブラウス姿にも関わらず右足を立てて足も大きく広げて読みふけっていた。

 そのため……生足が……


「あ、あの……波田野さん、その……足が……」


 だが、波多野さんは読むのに夢中で俺の声も届いていない。

 おいおい……ってさらに開いてる!?


 結局何度も肩をゆすり、声をかけ続けてようやく自分の格好に気付き、この世の終わりのように落ち込む波多野さんをその後、さらに慰める羽目にあった。

 やれやれだな……

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