無精ひげ、友達になる

 朝7時の緑地公園内を歩きながら、疲れを感じた俺は近くのベンチに座って水筒の中の麦茶を飲む。

 ふう、とため息をつきながら俺は思わず苦笑い。

 30分歩いただけで身体に重さを感じてしまうとは……

 20代の頃に営業をやってた頃は、1時間半くらいなら息も切らさなかったのに……って、それは盛りすぎか。

 1時間くらいだな。

 そんな誰に対してか分からない言い訳を考えながら、目の前を行き交うランニングウェアの女性や、早々と出勤してるスーツ姿のサラリーマンをぼんやりと眺める。


 この7時の散歩はアパートの管理人を始めてから、雨や台風の日以外はずっと続けている。アパートの管理人の仕事は本当に動く事が無い。

 アパートの掃除や保守点検はあるが、保守点検なんていくらぼろアパートでもそんなしょちゅうは無いし、掃除は1時間もせずに終わる。

 他は書類を書いたり。

 そんな日々で後は小説を書いているのは、精神的には気楽だが体力的にはやばいくらい落ちた。

 そんな訳で、せめてもの健康維持のために歩き始めたのだ。


 最初はきちんとした仕事や生活をしている人たちを見て、気が滅入るかな……と思ったが、蓋を開ければそんな事も無く、見事に他人事として感じていた。

 我ながらこういう生活が向いてたのかな。


 それからしばらく足を組んだままぼんやりとしていたが、そろそろ歩き出すか……と思い、弾みを付けて立ち上がろうとしたとき、右足の太ももの裏が(ピキッ)と固まったような動きと共に激しい痛みに襲われた。


 あ……これ、やったな。


 最近よくやる。

 急に立ち上がろうとしたり、ベッドの中で変な格好で伸びをしようとしたときに来る「足がつった」と言うやつ。


 俺は再度ベンチに座って、流石に声を上げるわけにもいかず、無言でしばし堪える……が、これは痛い。

 毎回そうだが、いっそ殺してくれと思うようなこの痛みはなんなんだ。


 それから5分くらい1人でベンチに座って小さな声でうめいていると、頭の上から「あの……」と心配そうな声が聞こえてきた。


 脂汗を滲ませながら見上げると、そこには先週からの新入居者、波多野かなたさんだった。


「あ……これは……お恥ずかしい。いや、大丈夫ですよ」


 と、言っても呻きながらの返事じゃ流石に説得力は無かったらしく、波多野さんは気の毒になるくらいオロオロしながら俺の目の前にしゃがみ込んだ。


「だ、大丈夫じゃないですよ……それ、絶対大きな病気です! あ、あの……救急車呼びますので」


 そう言って波多野さんは恐ろしい早さで携帯を取り出して番号を入力し始めた。


 え! まじかよ。

 さすがにそれは……困る。

 足が攣って救急車なんて笑えない。


「あの……ホントに大丈夫です。足が攣っただけですから」


「え? え!? でもでも……え? ホントに大丈夫ですか? 私を気遣ってごまかそうと……」


 いや、さすがに会って1週間の人相手に、そこまで……しかも重病をごまかすって、小説でも整合性とれてないだろ……あいてて。


「そうじゃないです……ホントに……さっきよりはだいぶ痛みも引いてきたので」


 俺はそう言うとわざと足をしっかり動かして見せた……が、治りきってないのに無理に動かしたせいか、痛みがぶり返してしまい思わず「あ、痛!」と足を押さえ、またベンチの上で呻く羽目に。


「ええっ! やっぱり重病なんじゃないですか!? すぐ救急車を……」


 ※


「すいません、早とちりしちゃって……なんとお詫びすればよいか……もう泣きたいです」


「いや、いいんです。あんなところで足つった俺が悪いんで。ほんと、気にしないで下さい」


 あの後、波多野さんは本当に救急車を呼んでしまい「もうすぐ着きますが、患者はどこですか!」と波多野さんの携帯にかかってきた救急隊の方に事情を説明し、結構強めに怒られてしまった……

 やれやれ、これはお詫びする以外に無い。

 お忙しい所すいません、だ。

 その後、波多野さんがどうしてもお詫びがしたい、と言うので彼女の良く通っているカフェへ場所を移し、コーヒーとクロワッサンと言ったお洒落な朝食を一緒に食べている。

 

「しかし、波田野さん大学とかいいんですか?  通学途中だったんじゃ?」


「はい、大丈夫です。今日の講義はそこまで絶対出ないといけないものではないですし、いくらでも振り替え聞きますので。でも、早目に出てカフェで朝ごはんでも……と思ってたらまさか管理人さんがいらっしゃるなんて、ビックリぽんです」


 ビックリぽん、ってなんだ?

 今どきの若いこの間で流行ってるのか?

 よく分からん子だな、相変わらず。


「なら良かったけど、友達とか彼氏に連絡はいいんですか? 心配されるんじゃ……」


「私、彼氏とか友達とかいないんです」


 しょんぼりと肩をすくませて困った顔をする波田野さんを見て、俺は慌てて言った。


「いや、別に友達とかはそんなに大事じゃないですよ。社会に出たら付き合いなんて結構薄くなっちゃうし、まして30代40代になったらサッパリですよ。彼氏も波田野さんくらい可愛かったらすぐです」


「え……そう……ですか。……どうも。結構、管理人さんってストレートにおっしゃいますね。可愛いって……」


「ああ、いや。すいません」


「いえいえ」


 しまったな。失言のフォローとはいえ、流石に50前のオッサンに言われたら気持ち悪いよな、常識的に考えて。

 しかしこんなに可愛いのに彼氏はおろか、友達も居ないのか。

 やっぱ、発達障害ってやつのせいか。


「私、さっきのでもそうですけど、ホント目の前がこう……なりやすいんです」


 そう言って波田野さんは両の手のひらをピンと伸ばして、顔の前で前後に動かした。


「ああ……視野が狭くなるって奴ですか」


「はい。焦るとホントに目の前しか見えなくて。それに融通利かなくて空気も読めないんで、最初は色んな子が仲良くなってくれるけど、その内サーって潮が引くみたいにいなくなっちゃうんです……」


 そう言いながら、波田野さんはみるみる悲しそうな表情になり、その内涙ぐみ始めた。

 ええっ、おいおい……

 泣かれたらどうにもならないぞ、俺では。

 

「あ、あの……でも俺は波田野さんのいいところだと思いますよ。それも」


「……え?」


 今にも泣き出しそうだった波田野さんは、俺の言葉にキョトンとした表情に変わった。

 

「それって言い換えれば、これ! って思うことには凄い集中するって事ですよね? それに何より、波田野さんは心が優しい。さっきだってあんなに必死に救急車を呼んでくれたじゃないですか」


「……でも……勘違いでした」


「それは結果論です。もし、僕が本当に重病で、それをごまかそうとしてたならあなたは命の恩人だ。会って1週間のアパートの管理人にあそこまで必死になれないです。常識的に考えて」


 波田野さんはまた涙をあふれさせ始めた。

 これは小説の1場面だ。考えて、落ち着いてもらわないと。


「自信持ってください。波田野さんはいいところが一杯ありますよ」


「……有難うございます」


 波田野さんは涙をあふれさせたままニッコリと笑った。

 その笑顔は驚くほど……可愛くて、ドキッとした。

 おいおい、ダメだろ。犯罪だよ犯罪。

 そんな俺の焦りなど知る事も無く、波田野さんは眉をひそめて何か考えていたが、やがて思い切ったようにテーブルに身を乗り出した。


「あの……管理人さん!」


「は、はい」


 え? 何、なんなんだ。


「一生のお願いがあるんです!」


「えっ! な、なんですか……できることなら」


 しどろもどろでそう答えると、波田野さんは小動物みたいなくりっとした瞳を一杯に見開くとさらに身を乗り出した。

 近い近い!


「私と友達になってください!」


「……は?」


「ですので、私たち友達になりましょう! ほら、お互い異性とか恋愛じゃなく、気の置けない間柄? ってやつです。困った事があったら気楽に話したり、暇なとき一緒にどこか遊びに行ったり。時々飲みに行ったり……あ、私2ヶ月前20歳になったんで、お酒大丈夫です。飲んだこと無いけど」


 と、友達……

 また、何と言うとっぴな事を……


「でも……俺、48歳ですよ? さすがに君みたいな若くて可愛い子と友達ってのは無理が……」


「そんな事無いです! 友達ってお互い気楽に楽しめるか、信頼しあえるかどうかです。年齢なんて関係ありません!」


 い、いや……しかし、いくらなんでも……

 愛の告白をされたわけでもないのに、ある意味それクラスの衝撃だよ。

 さすがに即答できずに黙っていると、波田野さんは不安そうな表情になりハンカチで目を押さえた。


「……ゴメンなさい。流石にずうずうしいですよね。私、いっつもそうなんです。友達になれるかな……って子にもそれで『距離感おかしい』『暑苦しい』って距離置かれて……ごめんなさい、さっきの忘れて下さい! へへ……ホント、私っておバカ!」


 そう言って無理に笑顔を作っている波田野さんを見て、俺は離婚届を渡したときの妻の顔を思い出した。

 そういえば……あいつも同じ顔してた。


「よし! これでいいんだよね。小説一本で生きてきたいって事なんだね?」


 あいつ……俺と別れたがっていた。

 だから、俺から開放してやりたかった……

 でも……


 俺は気がついたら勝手に口から言葉がこぼれていた。


「いいですよ。なりましょう……友達」


「……え?」


「こんなオッサンじゃ色々不満でしょうけど、なりますよ」


 その途端、波田野さんは声を上げて大泣きし始め、俺の友達としての最初の行動は、周囲の俺への冷ややかな視線に耐えつつ波田野さんを店の外に連れ出すことだった……

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