無精ひげと女子大生

京野 薫

無精ひげ、女子大生と出会う

 鏡の中にはウンザリするほどオッサンがいた。

 そんな安っぽいエセ文学作品っぽい言葉が浮かび、俺は鏡の中で苦笑した。

 だが、そんな感想が的外れでは無いくらい、起き抜けに覗いた鏡は困った現実を映す。


 顔の下半分を覆う無精ひげは4割くらいに白い物が混じる。

 ほうれい線はクッキリ出ていて、髪もぼさぼさのせいか同じく白い物が目だつ目だつ。


「ま、どう見てもおっさんだわな……」


 俺は誰に言うでも無く1人つぶやくと、ひげを剃り顔を洗う。

 いつもは面倒でそこまでしないのだが、今日からはそうもいくまい。

 何せ、このアパートに初めての女性の入居者が来る。

 管理人たる俺としては、せめて引かれない程度には身だしなみは整える必要がある。

 ましてや、何をとち狂ったのかこんなボロアパートに女子大生が入ってくるらしい。

 

 2年前、どうしても小説家になりたくて大卒から26年努めた会社を辞めた。

 当時、書いていたサスペンス物が投稿サイト主催の賞で引っかかり、書籍化の話をもらった事を受けて。

 ま、早い話が浮かれきってしまい、勢いで仕事を辞めたと言うわけだ。

 忙しく、人間関係も悪く、仕事へのモチベーションも持てない環境に心底嫌気がさしてた事もある。 


 その後、あるあるだが書籍化の話は流れ、後には無職の48歳男性が残った。

 会社を辞めるときにケンカまでした妻は書籍化が流れた後、家を出て行った。

 離婚届を置いて。


 ま、仕方ない。 

 この事で誰も恨んでない。

 妻も出版社も。

 俺に能力が、才能が、責任感が無かった。

 それに尽きる。

 なので、俺という人間の残務処理をしようと、会社の書類を片付けるがごとくスムーズに離婚届に記入し判を押して提出した。

 早く、俺みたいな人間から解放してやらなきゃな。


 それからはコンビニとかファミレスでバイトしながら小説を書いてたが、長く続かず小説の挫折感から半分引きこもり状態だった俺を見かねた叔母さんによって、彼女の経営してたボロアパートの管理人になった、と言うわけ。


 仕事は居たって気楽で、空いた時間に小説も書ける。

 収入は……何とか贅沢しなきゃ1人で生きていける、ってくらいだが満足だ。

 俺は小説さえ書けてればそれでいい。

 他に趣味も情熱を向ける物も無い。

 

 管理人室……と言う名の1Kの部屋が俺の住まい。

 そろそろ彼女が来る時間かな……

 俺は座っていた座椅子から立ち上がる。


「よっこら……しょ」


 やれやれ。

 立ち上がるのに、最近やたら声が出る。

 ついでに立ち上がった後のため息もワンセット。

 こんなんで今書いてる小説の主人公は女子高生と言うから、笑えない話だ。

 ま、それを言ったら創作なんて出来ないけど。


 俺はアパートの入り口付近を改めて掃除する。

 女の人を迎えるんだから念には念を、だ。

 俺も念のため改めて携帯の画面に自分の顔を映し出す。

 ま、一旦入居したら話す機会なんてまず無いけど……


 そんな事を考えてぼんやりと掃除してたら、背後から「あの……」と女性の声が聞こえた。 おおっ、もう来たのかよ。

 予定時間の30分前だぞ、あり得ないだろ常識的に考えて。

  

 慌てて振り向いた俺は思わず目を見開いた。

 これはこれは。


 肩まで伸びたセミロング? だっけ、にクリッとした瞳。

 小ぶりな唇。

 おいおいマジかよ……

 まさかここまで典型的な「掃き溜めに鶴」を見るとはね。


 鶴さんは不安げな目で俺を見ると「ここって……レイクサイドで良かったですか?」と言った。

 そう、このアパートの名前はレイクサイド。

 人工池の近くにあるから、と言う叔母のくだらないセンスから産まれた名前だ。


 おっと、確か鶴さんの名前は……


「そうですよ、ここです。えっと……波多野かなたさんですか?」


 目の前の女性はホッとしたような表情でコクコクと何度も頷いた。


「はい! 良かった~! 道に迷っちゃって、時間に遅れたらどうしようって思ってたんです。あの、私は波多野かなたと言います。今後ともよろしくお願いします」


 いや、さっき俺が言ったんだけど……まあいいか。 

 そう思いながら弾かれたように頭を下げた波多野さんに俺も頭を下げる。


「よろしく。俺は与田雅也です。ここの管理人をしてます」


「与田さんですね! よろしくお願いします。良かった、優しそうな方で。男性の管理人さんって聞いてたから、いかついクマみたいな人だったらどうしよ、って昨日は寝れなかったんですよ!」


「あ……寝れなかったんだ。じゃあ良かった。安心してもらえてホッとしてるよ」


「いえいえ、とんでもない! すっごく安心してますよ。あ、これつまらない物ですけどお近づきの印に」


 そう言って波多野さんは駅前のケーキ屋の箱をズイッと差し出してきた。


「あ、これはご丁寧にどうも……良かったらご一緒にどうですか? ここのケーキ美味しいですよね」


「えっ、いいんですか……うわあ、私ここのケーキすっごく好きなんです。じゃあ早速頂きましょ」


 な、なんか距離感がちょっとバグってる子だな……

 そんな事を思いながら、俺は波多野さんを管理人室に案内する。

 昼間とは言え、男の部屋に呼ぶのは配慮がなさ過ぎたかな……と思ったが、波多野さんは全く頓着せずに入ってきた。


「汚い部屋だけど良かったら座って。コーヒーか紅茶かどっちがいい?」


「あ! 私、緑茶が好きなんです。でも無かったらコーヒーで」


「……ゴメン、緑茶は無いからコーヒーにするよ」


 若干違和感を感じながらも俺はコーヒーを注いだカップを二つ運んだ。


「じゃあお言葉に甘えて……」


 軽く頭を下げてケーキ屋の箱を開けた俺は……


「……あ」


 中のケーキは見るも無惨に潰れていた。


「……ご、ごめんなさい! バッグに入れてきたんだけど……真横に入れちゃってたみたいです……」


 マジかよ。

 普通手に持ってくるだろ、常識的に考えて。


「……あ、いや、大丈夫。口に入ったら一緒だろ。どれも可愛らしいケーキだったんだよね? 持ってきてくれたその気持ちが嬉しいよ。有り難う」


「……すいません」


「謝らなくて良いよ。さっきも言ったけど、その気持ちが嬉しいんだ。君みたいに優しくて気の利く子が入居してくれて嬉しいよ」


 半分本当で半分嘘だった。

 今まで手土産なんて入居時に持ってきた人間は誰も居なかった。

 ただ、もう半分はせっかくの入居者を逃したくない、と言う浅ましい根性だった。

 ただ、波多野さんには効果てきめんだったようで、彼女は安心したように頷いた。


「すいません……そんな事言ってくださったのは、与田さんが初めてです。みんな呆れたり、ウンザリしてたんで」


「え? そうなんだ……別にこの程度いいんじゃない?」


 そうか、彼女の周りはよっぽど余裕の無い奴が多いのか。

 それはお気の毒様。


「いえ、大家さんだから先に情報提供しますと、私……発達障害なんです。ADHDって……知ってます?」


 ADHD。発達障害。

 そこまで詳しくないが、以前小説のためにチラッと調べた事はある。


「確か……グッと集中しすぎて周りが見えなかったり、場の空気が読めなかったりするって……あれ?」


 波多野さんは何度もコクコクと頷いた。


「そうですそうです。だから私、空気読むのってすっごく苦手だし、何かに気が向くと他の事完全に置き去りになっちゃうし……このケーキも、買った後でイラストのアイデアが浮かんじゃって、ケーキの事すっかり飛んじゃったんです……」


「そっか……いや、オッケー。気にしなくて良いよ。さっきも言ったけど、君みたいに入居するときそんな気遣いしてくれる子は居なかった。そんな優しい子に来てもらえるなら、そんなADHDとか問題ないよ。良かったらこれからも相談に乗るし、いつでも来て」


 なるほど。

 さっきから感じてた妙な違和感はそれだったか……

 言われてみると、コーヒーか紅茶か聞かれて緑茶と答えるのは、特性っぽいな。

 

 ま、だけど俺には関係ない。

 彼女がここを気に入って住み着いてくれれば、俺の収入もアップする。

 悩み相談で居着いてくれるなら儲けものどころじゃないだろ。常識的に考えて。


「管理人さん……有り難うございます……私、そんな優しいこと言ってくれる人居なかった。嬉しい……」


 そう言うと波多野さんはいきなり肩を振るわせると……声を上げて泣き始めた。

 え! ちょっ……マジかよ!

 

「えっと、落ち着こうか。声大きいよ。それ、誤解されるから」


「ご、ごめんなさ……でも……嬉しくて……」


 ますます波多野さんの泣き声は大きくなるばかり。

 これは……凄い子が……

 

 どうするかな、これから。

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