彼ハ誰時か黄昏か
レンフリー
彼ハ誰時か黄昏か
目も眩むような鮮やかな赤色と光輝く黒色が、空一面を彩っていた。
「黄昏時って、知ってる?」
鮮やかな空の光を背景に、神社の境内で佇む女性は、口角を上げる。
「朝と夜の境に存在する、妖怪とか幽霊とか、おかしなものに出会う時間」
現代では見る機会の少なくなった巫女装束を身にまとう姿は、どこか非現実さに溢れていた。人ではない別のナニカに、魅入られたような気さえしてくる。
「ねぇ。あなたには、私はどう見える?」
俺は差し伸べられた手をじっと見つめながら、口に溜まった唾を飲み込んだ。
そしてーー、
この茶番を終わらせることにした。
「どう見えるも何も、いつもと変わらないただの幼馴染じゃねぇか」
「ぶー。久しぶりなのに、何でのってくれないかなぁ君は」
子供じみたふくれっ面を向けてくるのは、この神社で生まれ育った、俺の幼馴染だ。
癖っ毛混じりの長い髪をポニーテールにした、快活さ溢れるお転婆娘。
傍から見れば美人だと思うし、高校時代には何人かに告白されたこともある程度には、学校でも人気があった。
ま、俺から見たこいつは、いつまでも子供っぽいことが好きなお節介焼きって感じだな。
「そもそも、夕方ってそんなに怖いもんか?けっこう明るいだろう」
「そう思っている間に暗くなるから、危ないよっていう教訓なんじゃない?知らないけど」
「おい関係者」
「関係者みんなが詳しいと思わないでくださ~い」
高校を卒業してから、俺は都内の大学へと進学した。今日は上京して初めての夏休みで、初めての里帰りだ。
帰ってすぐはやれ墓参りだの親戚への挨拶だので忙しかったが、今日、ようやく時間ができたので久しぶりに顔を見せにきたら、このやりとりである。
本当に、こいつは最後に会った時から何も変わらない。
いや……少し変わったか。
最後に会った時よりも、髪を少しだけ伸ばしてる。
身体もどこか細くなった気もするし、顔も以前よりシュッとして、大人びて見える。
後は、前よりも落ち着いている。
だけどそれは、大人になったというのとは違う、別の……。
「というか、君は東京に帰る準備をしないでいいのかい?明日、出るんだろ」
彼女の言葉に、どこか拒絶のようなものを感じてしまうのは、俺の気のせいだろうか。
「もう終わってるよ。後は出るだけ」
「そっか。ま〜た寂しくなっちゃうなぁ」
「俺以外の友達だってたくさんいるだろ?」
「そうだけどさ~」
大きなため息。乙女心がわかってないなぁなんてぼやいているが、事実だ。
こいつは俺なんかとは違って、色んな奴と仲が良い。神社の娘っていうのもあるのかもしれないが、人懐っこい性格と整った容姿で、同世代の中でも特別、目立っていた。
「君は、寂しくないの?」
「……別に?時間があれば帰ってくるしな」
「そうじゃなくてさぁ。ほら、美人で噂の幼馴染をひとり地元に置いていくんだよ?」
「いや~べっつにぃ?」
「なんでさ!これよくある寝取られの導入だよ!」
「そもそも付き合ってねぇじゃねぇか!ってその前に好きでもねぇよ!」
「うっわ傷つくわ~。カワイイ女の子に好きじゃないなんてよく言えるね!」
普段なら冗談でも言わない。が、こいつは別だ。子供の頃から何回泣かされたことか。
良いところも悪いところも、家族以上に見てきた相手だ。いまさら惚れた腫れたなんて、熱を上げるような関係にはなれない。
「そういうお前だって、俺と付き合えるか?」
「あ~それはちょっと。私、また自分の布団におねしょされたくないし」
「何年前の話掘り返してんだよ!」
彼女が、からからと威勢よく笑う。
俺も、その勢いにつられて、吹き出すように笑う。
もう夜がすぐそこまで来ているのに、俺たちはふたり、いつもの場所で昔のように笑った。
本当に、こいつといると心地が良い。
少しだけ感じていた違和感も、どこかへ吹き飛んでしまいそうだ。
だけど、楽しい時間っていうのはすぐに終わってしまう。
それは、この黄昏も同じだ。
「さっ、そろそろ帰りな。暗くなるよ」
「街灯もぜんっぜん無いしな」
「そうそう。あ、言っとくけど、明日は見送りとかしないからね。だから、ここでさよならだ」
「ああ、じゃあな。また年末に帰るよ」
「うん。それじゃあ、ばいばい」
セミとカエルの鳴き声が響く夏の暑い日の、夜と昼とが交差する夕焼け空の中。彼女はそういって、俺に手をふった。
俺は彼女の表情に違和感を覚えたが、応えるように手を振り返すと、背を向けて神社の境内を後にした。
神社は小高い丘のようなところにあり、歩道とは石造りの階段でつながっている。
俺はその長い階段を降りながら、空を見上げた。
鮮やかだった赤は、墨汁のような黒にほとんど塗りつぶされつつあった。
この空と同じ色を、前にも見たことがあった。
あれは、確かーー。
「あ~、あいつと虫とりに行ったときか」
まだ小学生に上がったばかりの頃、彼女とふたりで、山の中へ虫とりに行ったんだ。
遊ぶことに夢中になって、夕方のサイレンが鳴っても遊び続けて、気づいたころには辺りは暗くなり始めていた。
あの時、泣いていたのはどっちだっただろう。
(ぜったい、はなしちゃダメだからね)
(うん、ずっといっしょだよ)
(ひとりで、どっかにいっちゃいやだよ)
(うん、ずっと、ずっといっしょだからねっ)
それは、幼い頃に交わした、その場限りの約束。
すでに果たされたはずの、大したことのない口約束だ。
「あ~、なんか変だと思ってたら、あん時と同じ顔してたのか」
だけど、今日のあいつは、あの時と同じ顔をしていた。
震える手を、足を、唇を押さえた、あの日と同じ顔をしていた。
あの日の約束はその場限りのもので、俺たちはもう、大人と呼ばれるくらいには大きくなった。
だけど。まだ、あいつが律儀に守っているなら。
まだ、ひとりが怖いと泣いているなら。
何をするべきか、分かっているだろう?
俺は階段の途中で踵を返すと、一気に境内まで駆け上がった。
上がった息のまま周囲を見まわすと、今まさに暗闇に溶けそうになっている後ろ姿を目掛け、薄暗い境内を全速力で駆け抜ける。
全ては、先ほどから俺に背を向けたまま、ぼおっと本殿を見つめている、あいつのーー。
空っぽの手を、つかむために。
「……ほへっ?」
すっとんきょうな声を上げて彼女は繋がれた手を見て、そして俺を見た。
俺は荒くなった息を整えながら、彼女の手を、しっかりと握る。
「別に、手を離すわけじゃねぇから、そんな、寂しそうな顔、してんじゃねぇよ」
別に、今日言う必要はなかったかもしれない。
お互いの連絡先は知っていて、連絡だってしょっちゅう取っている。
だけど、今この場で言わないと、何かが終わってしまう気がした。
それはきっと、別れ際の彼女がどこか朧げて、何かを諦めるような顔をしていたから。
まるで夕陽のように、何かが消え去ることを、怖がっていたから。
だから、子供の頃の他愛もない約束を守るために、手を握りに戻ったのだ。
荒くなった息を整えているうちに、境内に設置された灯籠に、明かりが灯る。
黄昏の時は過ぎ、ありきたりな夜が、訪れた。
人工の明かりに照らされた彼女の顔には、驚きがあって、少しするとはにかみ、最後には太陽のような笑みが浮かび上がった。
「なんだよも~!寂しがり屋め!」
「ばっ!ちっげぇよ!お前だろそれは!泣きそうな顔しやがって」
「ちっが!あ~けど、まぁ、今日はそういうことにしておいてあげましょう」
「なんだよ、やけに殊勝だな」
「ん~、だって今の私は、すっごくご機嫌だからね」
彼女は笑う。ニコニコと、嬉しそうに。
「だからもうちょっとだけ、こうして、握っていてね」
その頬がうっすらと、季節外れの桜模様が見えたことは、まぁ、指摘しないでおいてやろう。
そんな、夏の終わりの物語。
〇 〇 〇 〇 〇
で、キレイに終わるはずだったんだけど、なぁ。
「なんで、夜行バスの中まで付いて来てるわけ。見送りはしないんじゃねぇのかよ」
「言ってなかったっけ?私、今日からきみんとこに住むんだよ?」
「……なんで?」
「君、片付けとか料理とか、ぜ~んぜんできなくてお母さまに大目玉喰らったんでしょ?このまま一人暮らしさせるのは不安だからって、君のご両親と私の両親の相談の結果、私が派遣されることになったのです」
「いつの話だよそれ」
「昨日!親が住むよりは気心知れた私の方が気楽でしょ?」
「……家の仕事があるからって、進学しないで地元に残ったんじゃねぇのかよ?」
「それがね~。兄さんがお嫁さん連れてきちゃったから、今の実家は肩身が狭くてさ〜。ナイスタイミング」
そう言って、夜行バスに揺られながら、彼女は笑った。
お嫁さんなんて絶対嘘だろうし、地元に残った理由もそんな殊勝な理由なはずはない。だが、真実を知ることは互いの両親がどこまで見透かしているのかを知ることにもなるため、ツッコむのは止めておいた。
というか、もっと早く決めてくれよ。来るなら夜行バスとってねぇよ。
次に帰省した時のことを考えて頭を抱える俺を尻目に、彼女は座席にあったアームレフトを持ち上げると、俺に体を預けるように寄りかかってきた。
「……手、離さないでよね」
「……嫌って言っても、離さねぇよ」
人の手で遊び始めた幼馴染だった彼女を尻目に、バスの窓から空を眺める。
夜は終わり、黒い空を染め直すような、清々しいまでの青空が顔をのぞかせていた。
彼ハ誰時か黄昏か レンフリー @renfree
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