第四話「星の下の貴方」

 授業の疲れと、もやついた思考と、教科書と課題の重みでずっしりと詰め込まれたバッグを肩にかけなおしながら、私は亀も心配するような速度でノロノロと歩を進めていた。

 学校や塾から自分の家まで、バスを使えばもう少し早く着くのだが、自分の成績の悪さからバイトを許してもらえず、運賃を我慢し自分への戒めも込めて徒歩で今日も塾から帰っている。

 と言っても、宿題の重さを考えたら、今日くらいは泣く泣くお小遣いを削ってバスで帰れば良かったな、とバス停を越えて少し経ってから思ったが、歩いて帰らないと、河原に行けない。

 別に、鈴山がいるかもとか、気になるということでもないが、本当に、全くそんなこと全然ないが。

 まぁ、せっかくだし、こんな真暗闇の中で、電灯の心細い光と、空に瞬く星だけが頼りのこの場所で一人かもしれないのなら、危ないかもしれないし、一応のためだ。


 それにしても、何故突然、石塚先生は友人と遊ぶようにと言ったのだろうか。

 私に友達が一人もいないのを、石塚先生は知らないからだろう。

 そんな大層な存在が出来たら報告をしたいくらいだ。

 私自身、一人を好んでいるわけではない。

 ただ何故か避けた覚えも無いのに「避けられた」だの、関わりづらい「根暗な奴」など言われるのが面倒になってからは、クラスメイトから距離を置いただけだ。

 誰かと束のように集まらなければいけないような社会を生み出す教室は本当に苦手だ。

 「仲良くしよう」という言葉を契約のように交わす彼ら彼女らの意味が、私にはまだ理解出来ない。

 どこからが友達なのだ。どこからが親友なのだ。どこからが恋人なのだ……そういう線引きこそ、授業で教えてほしい。


 気を抜くとすぐに目にかかってしまうような、切りそびれた前髪が揺れる。

 星が、髪の隙間から零れ落ちる。こちらの思いとは裏腹に、凛とした空気が澄みわたっていたので、私は一度立ち止まって、くすぶっている自分を消し飛ばすように大きく深呼吸した。

 確かに、石塚先生の人と関わることを推奨する点においては的を得ているのかもしれない。

 私はまだ、同年代の誰かとコミュニケーションをまともに取ったことが無いのだ。

 静かに閉ざされた夜の闇の中で一人息を吐くと、目の前に見えたのは通り道の川の前。

 私が昨日鈴山天音と出会った、あの場所。

 そこで、ぴたりと足を止める。


 鈴山天音が。河原で座っていたのだ。


 昨日と同じ、空井高校の制服を着て。体育座りでぼんやりと砂利を弄びながら川面を眺めていた。

「本当にいたんだ……」

 座っている鈴山はまだ、私に気付いていない。

 このまま、無視をして帰路に着くことも可能だ。

 しかし、今日わざわざ私に河川敷に行く宣言までしたのだ。さすがに何も言わずにここを通ったとは言えないだろう。

 私は砂利を踏みながら、彼女の元に歩き、座っていた鈴山の背後で声を掛けた。

「鈴山」

 教室で見たときよりも、あらゆる場所に隙がある彼女に声を掛けると、鈴山はこちらに目を向けた。

「笹川!」

 心の底から喜びを表現するように突然立ち上がり、犬だったら尻尾を振らんばかりに喜んだ。

「わーい! 今日は来てくれないかと思っていたよ~」

「私もまさかこんな時間までいるとは思わなかった。帰っても良かったのに」

 鈴山は、桃色の爪で、軽く頬を掻いた。

「えへへ。時間潰すにはここが一番だから、気にしないで」

「時間を潰す?」

「いいの、いいの、こっちの話!」

 辺りはすっかり暗く、人のいる気配も無い。ずっとここで一人座っていたのか?

 空はいつものように墨をひっくり返したように黒く、不規則に星があちらこちらで私達を見物している。

 私は、ちらりとさっきまで鈴山が座っていた砂利の近くを見た。

 学校で聴いていたスマホとはまた別の黄色の片手サイズの小さな音楽プレーヤーと長い青緑色のイヤホン。

 そして、食べた痕跡の残るカップ麺。まるでホームレスのようで首を傾げる。

「外で食べるカップ麵……」

「昔は歩きながらカップ麵食べてたんだよ! それに比べたら私ってばお上品じゃない?」

「……そう、だね」

 そうだろうか。なんだか、教室で見かける完全無欠な鈴山とカップ麵は、かけ離れたものだと思っていたので、私は曖昧に頷いた。

「鈴山もこの辺りに暮らしているんだね。近所なの?」

「うん! 由崎市の奥の方に住んでいるよ。笹川も由崎?」

「そうだよ」

「おー! じゃあ少し時間大丈夫だね。ちょっと座らない?」

 腰を下ろした鈴山に倣って、私も恐る恐る隣に座ることにした。

 近くに来ると、彼女の薔薇の花の香りが鼻腔をくすぐる。

 柔らかで華奢な体躯、人形のように細長い手首に細い指先を間近で見てしまうと、自分との異分子感が強くなってしまった。

 彼女が眩しすぎて、私は暗闇の中に溶けてしまいそうだ、なんてこっそりと考える。そんなこと、無いだろうけれど。

 私は、輝く隣の彼女から目を逸らし、視線を逃れるために空を見上げた。

 まだ暗闇に目が慣れていないからなのか、あまり星を確認することが出来ない。

 目を細めて難しそうな表情をする私を見て、鈴山天音はクスクスと笑った。

「笹川ったら、めっちゃ星探すの必死じゃん」

「見えないからさ……。鈴山はここに、よく来るの?」

「星を見ていると落ち着くから、気付いたら来ちゃうんだよね」

「由崎市は空が広くてよく見えるから良いよね」

「分かる! 同じように考えている人がいて嬉しい~!」

 照れたように笑う鈴山と、風が吹き微かに聞こえる木々と川の囁き。

 星と月が宝石さながらきらめきに満ち溢れたこの世界は、私にとって、幻想的な世界だった。

「笹川知ってる? 星が輝く理由は星自体が燃えているからなんだよ」

「へぇ。物知りだね、鈴山は」

「ふふ~ん! 好きだとさ、知りたくなっちゃうんだ。星たちはね~今でも孤独でも力強く、必死に輝いているんだよ」

「そうか。強いんだね」

「あたしも負けてられないな」

「誰に?」

「星にも世界にも! あと色々!」

 鈴山天音はそう宣言して勢いよく立ち上がった。

 下に敷き詰められている砂利が彼女の動きに合わせて少し音を立てる。

 鈴山の向ける相手のスケールの大きさに驚いたが、彼女ならやってのけてしまうのだろうと思うと何故だか応援したくなってしまった。

 鈴山につられて私も立ち上がってしまう。彼女には何かを突き動かすものでもあるのかもしれない。

 立ち上がり目線が合った私に、鈴山は金髪のツインテールをなびかせながら、微笑んだ。

 その笑みは私の時を止めてしまうほど魅入ってしまう、美しいものだった。

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笹の葉に鈴といちごみるくを 矢神うた @8gamiuta

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