肉入りちくわ

犀川 よう

肉入りちくわ

 どこにでもいるような普通の夫婦の寝室でのこと。

 夜中にもかかわらず妻は突然ベッドから跳ね起き、熟睡している夫を揺り起こした。

「あなた起きてちょうだい!」

 何度か揺さぶられ何事かと目を覚ました夫は、手探りで眼鏡をさがす。

「ねえ聞いて」

 夫は見つけた眼鏡をかけて妻を見ると、室内灯でオレンジ色の顔色をした妻が切羽詰まった表情をしている。

「なんだいこんな夜中に。何か悪い夢でも見たのかい?」

「ううん違うわ。というよりもいい夢を見たくらいよ。いいえ、神のお告げともいうべきかしら」

 妻の言葉に夫は頷き、続きを促す。

「わたしね。夢の中で言われてしまったのよ。どうして今までこんなことを考えなかったんだっていうくらいのことなの。天啓というのはこういうときに使う言葉だったかしら?」

「ああ、そうかもね。で、君は何を知ったのかな?」

 妻は夫を正面に見据え、厳かに告げた。

「肉入りちくわを作れって言われたの」


 カーディガンを羽織ってキッチンに来た二人は椅子に座って話を続ける。

「どうして、ちくわの中に肉を入れないのか、あなたは考えたことがあるかしら?」

「いや、ないね。そんなことに関心を寄せたことすらないよ」

「それはダメよ。何事も好奇心が大事よ」

「料理に関して人一倍興味のない君が言うと、何か不思議な気分になるね」

 肩をすくめる夫を無視して妻は立ち上がって冷蔵庫を開ける。

「いい? ちくわに肉を入れるのはとても神聖な行為なの。チーズやきゅうりを入れるなんて俗な行為でしかないの。あの穴には肉、それも牛肉を入れるものだと、神様が夢の中で教えてくれたの。ああ! なんてこんなことを気がつかなったのかしら。あの隙間を見て牛肉を入れなければと考えなかったわたしたちは、とんだでないかしら」

 冷蔵庫に向かってしゃべり続ける妻の背中を眺めながら、夫は小さく溜め息をついた。

「別にちくわに何を入れてもいいけど、こんな夜中に起きてやることじゃないよ。それに君は料理をすることが好きではないだろう?」

「いいえ。違うわ」

 牛肉とちくわを取り出して冷蔵庫を閉めた妻は、夫が眠そうにしている表情を一瞥すると、ちくわを袋から取り出し、夫の前に突き出す。

「この穴には牛肉が入るべきなの。誰もそれを疑ってはいけないのよ」

 妻の確信めいた表情を見た夫は、諦観の気持ちを見せながら、「わかったよ」と返事をした。


 早速作ってみましょうという妻に抵抗する気力すら湧かない夫は黙って指示に従うことにした。

 まずはステーキ用の牛肉をちくわの穴に入るように角切りにする。ためしに妻が目分量で切ってからちくわに入れてみると穴が小さくて入らない。

「牛肉をもっと小さく切らないと」

 妻は何かに追い詰められたような顔をしてちくわの穴に合うように牛肉をカットしてみる。しかしなかなかうまくいかない。大きいか小さいかのどちらかになってしまう。

 することのない夫は書斎から透明なプラスチックの定規を持ってきて、ちくわの穴を測ってあげようとした。

「ダメよ! あなた、なんていうことしているの?」

「え? 測っているだけだけど」

「どうして測るなんてことをするの?」

 妻はやや錯乱気味に夫を非難する。

「ちくわの穴を測るなんてどうかしているわ! あなたまだ寝ぼけているのかしら?」

 ブツブツいいながら目分量で切っては失敗する妻。夫は彼女の鬼気迫る表情と雰囲気にのまれ、書斎に戻り定規を元に戻した。


 ようやくちくわの穴にフィットする牛肉をカットすることができた妻は、それをちくわの穴に入れようとした。

「ああ、なんてことかしら! 牛肉が柔らかすぎて入れることができないじゃないの! あなた、わたしはどうすればいいのかしら?」

「そうだねえ。今夜は諦めて寝るというのはどうだろうか」

「馬鹿をおっしゃい。なんで肉入りちくわを作れないから寝るというのよ。そんなことをしてあなたは何の得があるというのかしら?」

「うーん。睡眠時間は確保できるのではないかな。明日も仕事があるからね」

「だめよ。仕事なんて休めばいいじゃない」

「きみは、ちくわに牛肉を入れれないから休みたいなんて上司に言えるかい?」

「もちろんよ。あなたが言えないならわたしが言ってあげるわ。上司さんだって理解をしてくれるわ。『それは仕方ありませんね』って言うに決まっているわ」

「だといいね」

 反論は悪い方向にしかいかないと理解しているような顔をした夫は、キッチンの戸棚からつまようじを取り出す。

「これを牛肉に刺してしてはどうだろう」

「あら、いい考えじゃないの」

「これはいい考えなんだね」

 夫の皮肉を無視して、妻はちくわに牛肉を入れることができた。


「なんてことなの!」

「……私も最初からわかってはいなかったけど、こうなることは予想はできたかもしれないね」

 下ごしらえのできた「肉いりちくわ」を焼いてみたところ、中身の牛肉にまで火が入らない。強火にすればちくわだけが焦げてしまい、牛肉は耐火毛布にくるまった状態のようだ。

「どうしましょう。これでは肉入りちくわを作ることができないということになってしまうわ。それではわたしは妻として失格だわ」

「そんなことはないよ。大丈夫だから。そこは心配することではないよ」

 なだめる夫を前に妻は動揺を隠せない。

「肉入りちくわが、肉入りちくわが……」

 夫は妻の怯えように驚きながらも、解決策を提示する。

「牛肉を先に焼いておいて、後からちくわに刺してはどうだろうか?」

「ダメよ! あなた、どうしてそんな酷いことをわたしにさせようとしているの? 肉入りちくわなのよ。一緒に焼かないとダメに決まっているでしょう。もし別々に焼いてうまくいったとして、上司さんに『別々に焼いて疲れているので今日はお休みにします』なんて言えないでしょう?」

「もはやこれ以上どうなろうとも、上司に言えることは何もないんだけどね」

 夫のボヤキを無視して妻は狼狽しながらもなんとかできないかと思案を続ける。

「思い切って、ちくわの中に牛肉を入れるのではなく、牛肉でちくわを巻いたらどうだろう。逆転の発想をするんだ。逆もまた真なり――」

 夫のアドバイスは最後まで言うことができなかった。妻が夫にビンタしたのだ。

「あなた。よりにもよってなんてことを言い出すの! 実家の両親が聞いたら怒って離婚させようとするわ。目の前のことがちょっとうまくいかなかったからといって、そんなかたちで逃げようだなんて。わたしたちに子供ができて、その子がグレたとき、あなたは『逆転の発想』とか言って躾ができると思っているのかしら!」

 ああ、と床にへたり込み泣きだす妻。途方に暮れた夫はただ、妻に向かって理由のわからぬ謝罪を繰り返すしかなかった。


 すったもんだの末、レンジで加熱してから焼くということでなんとか肉入りちくわは完成した。味も思ったほど悪くはないようで、夫もやれやれという表情をしながらも安堵の色を隠せなかった。

 ミッションを果たせた妻は、できあがった肉入りちくわを箸でつまみ、夫に見せる。

「どうかしら?」

「ああ、よくできているよ。様々な困難に打ち勝って、すごいじゃないか。おめでとう。頑張ったね」

「ありがとう。あなたのおかげでもあるかしら」

 そういうと妻は、夫の方に肉入りちくわを近づける。まだ熱々のようで、夫に熱気が伝わっているのか夫は少しのけぞってしまう。

「ところであなた。最近帰りが遅いようですけど」

「ああ、残業が多くてね」

「そうですか。あまりにも遅い日が多いので、わたし上司さんに連絡をしたんですよ」

「え、え?」

「なんだか会社の女の子と随分親しげにしているそうではないですか」

 妻は肉入りちくわから牛肉を手で引っ張り出して口に入れる。そして、ちくわの穴から夫を覗きこみ、こう言った。

「あなたの指、ちくわの中に入らないといいですね」

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