優午

 男が独り、薄原に体をくの字にして横たわっていた。

 男が居るのは、街外れを流れる川に架かる橋の下。片目には土が、片目には空が写っている。そよそよと吹く風に、男の髪がゆれた。


 男はため息をひとつ。虚空に双眸を向け、体を仰向けにする。

 男の目が輝く。強い光によるもので、その正体は、天いっぱいに輝きの輪が広がる満月だった。

 片手で顔を覆い、指の隙間から丸い形のそれを見る。男は月に問いかけた。


「 お前は、己の姿を見たことがあるのか 」


 もう片方の手で、薄を軽く撫でる。宙に浮かぶ満月は、返答を拒絶するように、縁の光った雲で姿を隠した。「 薄情者め 」男は古き友人を罵るように、だが悪意があるな様子はなく、それこそ古き友人と笑い話をするように、ぽつりと言った。


 男は、毎日同じ場所で月を見ている。

 来る日も来る日も一方的で、返事の無い会話を続けている── 会話とするのか否か。傍から見たら独り言である。

 それを心安らぐ時として楽しんでいる。

 男の体重に押潰されて折れ曲がった薄が、風にゆられて音をならす。

 男はもう一度、満月に問いかける。


「 この水面に、姿を写してみたらどうだ 」


 そう言って、自分の足元にある川を指さした。

 男は自分が馬鹿なことをしていると自覚していた。

 満月は気怠そうに、面倒くさそうに何重にも雲を被せる。自分の姿など見たくないとでも言うように。

 男は、また、ため息をひとつ。


 男は己をまじまじと観察することには慣れていないらしく、月にそう言うだけで、自分の姿は決して見ようとしなかった。

 草と土が入り交じり、汚れた服は、上等な革外套。易々と買える代物では無い。傷んでいる様子は無く、手入れもしっかりされているようだ。

 男は体を起こし、両腕で足を抱くように絡ませ、身長に対して、こじんまりとした座り方をする。外套に付着した草や泥汚れを気にする様子はなく、黒く濁った目で空中を眺めている。


 男は深く息を吸い、目を閉じて、ゆっくりと、静かに吐く。水面に写った満月は、いつの間にか雲の仮面を取り、ゆらゆらと蠢いている。


 男の体は、無意識に水面の月に吸い寄せられ、気づけば手首まで水に浸かっていた。自分の力で月に穴を開けたように見える。音にならないはずの月の悲鳴が、聞こえたような気がした。


 男はため息をつき、水の滴る手を激しく振って水を飛ばす。そして立ち上がる。関節の鳴る音が、男の体の中だけに響く。

 頭痛がするほど騒がしい街から、一時的に離脱した男は、橋の下で己の心に溜まる黒い煙を吐き出した。


 薄の群をかき分け進み、道なりに歩いて橋を渡る。

 月が見守る薄原から、五月蝿く耳障りな音のする方へ、景色と同化するように、男は自ら姿を消した。

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優午 @Yougo428

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