後の祭りの百鬼夜行
宵宮祀花
後夜祭
「皆さんには、百鬼夜行が通過した街の調査をして頂きます」
カッチリとしたダークカラーのスーツを着た女性は、黒縁眼鏡を左手の指先で軽く押し上げながら、わたしたちに向けてそう言った。彼女の背後には警戒色のテープで規制線が張られていて、その奥に丁字路が延びている。
手元には道中配られた街の資料がある。彼女も同じものを持っていて、順を追って説明してくれている。
此処は運悪く百鬼夜行の通り道となってしまい、怪異蔓延る汚染区域となっている地域だ。汚染度合は、最高レベル一歩前の
街に踏み込んだだけで死にはしないけど、一つ対処を間違えれば命が危ない区域を指す。
わたしたちの仕事は、スタート地点である現在地から集合場所の累ヶ淵神社までのあいだに出る怪異の対処法を調べること。例えばこっくりさんなら最中は十円玉から手を離しちゃいけないとか、使った紙はビリビリに破いてすぐ燃やすとか、十円玉は単独で使うとか。そういうこと。
調査のバイトをする上で、重要事項は三つ。
一つ。割り振られた区域に出没する怪異を全てチェックすること。
一つ。道中なにが起きても割り振られた区域から絶対出ないこと。
一つ。ゴール地点である累ヶ淵神社では絶対お参りをしないこと。
それら注意事項を話し終えると、スーツの女性はわたしたちに一言。
「では、お気をつけて」
それだけ言って、駐車場に駐めてあるバンに戻っていった。
高額報酬! 現金手渡し! 日給百万円! 成果ボーナス有!
いまこの現場にいるのは、怪しい風俗店でももう少し考えるだろう胡散臭い文言のウェブ広告を見て集まった人たちだ。勿論、わたしもその一人。何故ならあの広告は一定以上の霊感がある人間にしか見えないものだったから。試しに霊感のない友人に見てもらったら、猫の写真集の広告だったらしい。ちょっと見たかった。
今回のアルバイターは、わたしを含めて六人。だから丁字路の右と左で、三人ずつ分かれることになっている。
わたしと同じ方向に行くのは、一緒に来た幼馴染の苺ちゃんともう一人、知らない男の人だ。黒いフード付きパーカーを着て、顔の半分は黒マスクで隠している。髪も自然な黒髪に見える。彼はバイト内容の説明を受けているあいだも、そしていまも、延々スマホをいじっていて周りを一瞥すらしていない。そうかと思えばなにも言わずスマホを前に向ける形で構えて「はーい、皆さんこんにちはー」などと言いながら、規制線を越えていった。
一瞬見えた画面にカメラ越しの街並みが映ってたから、もしかしたかネット中継か録画をしているのかも知れない。ユーチューバーってやつ。
「え~お二人とも初めてじゃないんですかぁ? 頼もしいですぅ」
「そーそー。だから理沙ちゃんが危なくなったらオレたちが守ってあげる」
「きゃ~! かっこいい~」
逆方向へ向かうグループも男二人に女一人で、聞こえてくる会話からして三人ともお互い初対面のようだった。そして三人共が本名を名乗っていた。あの感じからして服装もいつも通りなのだろうと思う。
「じゃ、理沙ちゃん行こっか」
「サクッと済ませて報酬で飲み行こうぜ~」
そんな軽い会話をしながら、女の人の左右を男の人二人が挟む形で道の奥に消えていった。去り際、女の人がわたしたちのほうを振り向いて、一瞬クスッと笑ったのが見えた。偏見だけど「私は二人に守ってもらえるけど、あなたたちは頼りにならないオタク男が一人だけで可哀想ね」って感じの笑み。
彼女は笑って見せただけだけど、実際に「女二人なんてカワイソ~」ってわざわざ言ってくる人は、まあまあいる。他人に守ってもらう前提でこういうところ来るのはやめたほうがいいと思うんだけど、それを伝えても「ブスの負け惜しみでしょ」って笑われるだけだから、いつしか忠告はしなくなった。
「神社まで歩くだけで百万とか楽勝過ぎだよな」
「どの店行くかいまのうちに見とこうぜ」
「あたしレモンサワー飲みたぁい」
男二人に挟まれて肩を抱かれながら悠々と歩いて行く姿は、ホストかコンカフェのキャッチとその客みたいだ。
まあ、実際はわたしたちのほうがコンカフェの従業員みたいな格好なんだけどね。
わたしは黒髪に白のインナーカラー、灰色のカラコンを装着していて、苺ちゃんはホワイトベージュのふわ髪ツインテールにピンクのカラコンを装着。服装は二人とも黒白のアキバ系ミニスカメイド服。
別にわたしたちはふざけてこの格好をしているわけじゃない。あと、コンカフェのバイトから直行しているわけでもない。穢区域に入るのに必要だからであって断じてわたしの趣味ではない。
怪異に個を晒すことがどれだけ危険かわかっているから、わたしたちは可能な限りいつもの自分を消してきている。苺ちゃんは消しすぎだと思うけど、やり過ぎて悪いものでもないからまあ、いいのかな。
「ぼくたちも行こっか」
「そうだね」
人数分けはされてるけれど全員仲良くしましょうとは言われてないので、わたしは特に先行した彼を追うでもなく、苺ちゃんと一緒に規制線を越えた。
一歩踏み込んだ先は、明らかに外と空気が違っていた。
「うわあ……さすが穢区域。さっきの人たちほんとにこれ見えてた?」
「わっかんない。てか百鬼夜行が本祭りなら、いまは後夜祭って感じ?」
「ずっと居残って騒いでるとこなんか、ほんとそれっぽい。早く帰れよなーもー」
百鬼夜行は通常、門から門へ通り抜ける形で通過する。その門に挟まれた地域は、怪異汚染区域に認定されてしまう。
周りの景色は一見するとただの静かな住宅街。
だけどそれだけじゃ済まないものが、そこかしこにある。
「そんじゃ、レポート書いて行きますかぁ」
バインダーに紐で括り付けられたボールペンを握り、一つ目の怪異に対峙する。
見た目は凄くわかりやすい、いかにもなお化けだ。物凄く背が高くて、長い黒髪を前に垂らしていて、ミイラみたいな体と大きな手。服はボロボロだけど、テンプレの白ワンピじゃなくてトレンチコートに見える。
ボソボソとなにか呟いているようだけど、その内容はよくわからない。というか、脳が理解を拒むというか、本能が聞くなと警鐘を鳴らす感じがする。わたしの場合、こういう直感は結構当たるからなるべく聞かないように努めることにした。
【No.021】
形状、トレンチコートを着た長身痩躯で黒髪の人型存在。
状態、小声で何事か呟き続けている。長い髪で顔が隠れている。
注意、呟きの内容を認識してはならない。
通り過ぎて姿が見えなくなってから、わたしは苺ちゃんを見た。
「苺ちゃん、あれどう思う?」
「理解したらだめなのは
「危なかった。黙って抜けてきて正解だったよ」
なんて需要のないわからせジャンルだろうか。
レポートに『話しかけてはならない』の一文を追加した。
十字路に差し掛かると、今度は標識が見えてきた。赤い三角形の、何処にでもある『止まれ』の標識だ。ただ、本当にそれだけなら何処にでもある何の変哲もない標識なんだけど……目の前にあるのは誰がどう見ても異常だった。
まず、数が多い。道路標識なんて一本立っていれば充分なのに、ざっと1ダースはある。林立している。そのどれもが『停止』や『進入禁止』を命じるものばかりだ。逆三角の止まれの他に、円形に白でハイフンが書かれたものや通行止めを表すもの、歩行者通行止めなんかもある。
「取り敢えず止まってみよっか」
「そうだね」
わたしたちは標識に従い、手前で足を止めた。
暫く待っていたら標識にザザッとノイズが走って、別の表示に切り替わった。青い看板に、白で絵と文字が書かれたそれには『※※通行中』とある。看板の種類自体は特定車両専用を示すものが元になっているっぽい。
なにかが通行するならまだ待ったほうが良さそうだと思ったわたしたちは、じっとその場で待機し続けた。
すると十字路を横切る形で、大型バスが通過した。どう見ても道幅はバスが通れる広さじゃないのに、体感時速五十キロくらいで駆け抜けていった。無数の道路標識が十字路の真ん中に立っているのに、それもお構いなしで。道路標識側も「いまなにかありました?」みたいな顔で普通に立っている。
「あれ……?」
一瞬見えた、バスの座席。
此方に張り付いて窓を叩いていたのは、わたしたちより先にスマホを構えて入って行った、あの彼ではないだろうか。他にも乗客の姿はあったけれど、誰も彼も青白い顔で俯いていて、どう見てもこの世のものではなかった。どこであんなものに乗ってしまったやら。すっかりお客さんだったから、わたしたちにはどうにも出来ない。
「彩葉、標識変わったよ」
「え、あ、本当だ。行こっか」
標識はいつの間にか、歩行者専用と一方通行を示すものに変わっていた。現実でも使われているデザインで、怪異専用とかそういう妙な表示もない。一方通行の向きは直進。たぶんこれも逆らったら駄目なんだろう。ていうか、左右はたったいまお化けバスが爆速で駆け抜けた方向だから、行けてもあまり進みたくない。
【No.022】
形状、道路標識。十数本林立した状態で十字路の中央に立つ。
状態、一般的な道路標識と同様の表示の他、異常を示す表示有。
注意、標識の指示に従い動くこと。
渡りきって暫く進んでから後ろを振り返ったけど、標識はまだ其処に立っていた。背面は普通の標識の裏側と変わりないみたいで、なにも書かれてない金属板が見えるだけだった。
「ああいうのもあるんだね」
「百鬼夜行が通ると人も物も歪んじゃうからね」
車がやっとすれ違えるかどうかという住宅地を抜けると、国道に出た。国道なのに車の通りがなくて、まるで出番を待っている映画のセットのよう。
国道沿いの歩道を歩いていたら、錆びたバス停に行き着いた。看板の名前の部分も時刻表の部分も錆びだらけで、五十年くらい放置されていたみたいに風化している。傍にある木製のベンチも、触れただけで木くずになりそうな有様。
でも、端のほうに誰かが座った痕跡がある。真新しい糸くずと手汗の跡だ。なんでこんな崩壊寸前のベンチに座るかなって思ったけど、怪異は人によって見え方が違う可能性もあるんだった。
「ねえ苺ちゃん、このベンチどう見える?」
「どうって、普通のベンチだと思うけど……外にあるわりには綺麗かな」
「なるほど。やっぱそうなんだ」
「え、彩葉には違って見えてるの?」
わたしの見え方を伝えると、苺ちゃんは「たぶんそっちが正解だわ」と言った。
「あれ? なんか落ちてる……」
なんて話しながらベンチを眺めていたら、傍で光を反射しているなにかが見えた。
拾ってみると、それは誰かの財布だった。黒い長財布で、光って見えたのは留め具部分の金属だったようだ。
「さっきの人のかな? ベンチについてた糸くずも黒かったし」
「かもね。此処の怪異に遭遇したとき対処間違って慌てて落としたとか?」
「端っこ座った跡があるから、たぶんこれだと思う。このベンチを利用したら乗客になるんじゃないかな」
「んじゃあやっぱ彩葉が正解か。にしても財布どうしよ。持っていくのは嫌だけど、置いとくのもなぁ……」
どうしたものかと苺ちゃんと話していると、前方から自転車に乗ったお巡りさんが来た。制服に制帽。何処からどう見ても巡回中のお巡りさんだ。顔が異様に暗くて、目元が全く見えないことを除けば。
「どうされました?」
お巡りさんはわたしたちの傍に自転車を止めて、話しかけてきた。声は若い男性のもので、不審なところはなにもない。寧ろ普通すぎて怖いくらいだ。
「お財布が落ちてたんです。預かって頂けませんか?」
「何処に落ちていました?」
「其処の、バス停のベンチの傍です」
「畏まりました。そちらの連絡先を頂ければ持ち主の方が見つかり次第お礼をお送りしますが、如何しますか?」
「いえ、お構いなく。そんなつもりではないので」
「そうですか。では、此方お預かり致します。ご協力に感謝します」
「よろしくお願いします。お疲れ様です」
お巡りさんは苺ちゃんとごく普通のやり取りをすると、お財布を鞄にしまって再び自転車で走り去っていった。
【No.073】
形状、若い男性巡査の姿をした人型存在。自転車に乗っている場合有。
状態、通常の警官同様の会話を行う。目元が暗い影になっている。
注意、通常の警官に対する応答を行う。その際、犯罪行為を行わないこと。
レポートに書き込んでいると、バスの止まる音がした。何だか忙しい。
『乗りますか?』
マイク越しのような、ノイズ混じりの機械音声が聞こえる。
車体の横には普通のバスと同じく行き先表示板があって、何処発何処経由何処行といくつかの駅名が書かれているんだけど、そのどれもがバグっている。万一乗ったら何処へ連れて行かれるやら、知れたものではない。
っていうかこれ、たぶん読めちゃいけないやつだ。
「いえ、乗りません」
「わたしも乗りません」
ややあって、バスの扉が閉じてゆっくり発車していった。
いま来たバスのレポートも書きたいところだけど、バス停に居座ったままだとまた別のバスが止まってしまうかも知れないので、少し離れることにした。いくら怪異のバスとはいえ、乗車待ち詐欺みたいな迷惑行為をするのは気が引けるし。
誰が来るわけじゃないけど、何となく通行の邪魔にならないよう端っこに寄って、わたしはさっきのバス停とバスのレポートを書いた。
【No.088】
形状、市営バスの停留所。
状態、錆塗れで、ベンチは崩壊寸前。時刻表、バス停名共に判別不可。
注意、ベンチに座ると乗客と見なされる。その場合、乗車拒否不可。
【No.089】
形状、白地に青緑のラインが入った、市営バス。
状態、所々に錆が浮いており、行き先表示板は文字化けしている。
注意、行き先表示板が『読めてしまった』場合は、乗車拒否不可。
国道を抜けるとまた住宅地に入り、今度は辺りが建売住宅や格安アパートばかりになってきた。国道の向こう側は一軒家や農家が多かったのに、こっちは何だか景色が単調で寂しい雰囲気だ。
ふと、前方にワゴン車のような形の車が止まっていることに気付いて足を止めた。
「……っ!」
直後、わたしの体は金縛りのように固まった。
息が出来ない。目が離せない。あれは駄目だ。駄目なやつだ。
一言で言うなら、無数の人が寄り集まって出来た救急車。人間が複雑に絡み合い、車の形を成している。警戒ランプ部分が赤い内臓で出来ていて、僅かに蠢いている。あれは中に乗せる患者を求めている。それだけの存在だ。目をつけられたら終わる。患者と見なされたら終わる。
――――助けて、苺ちゃん。
「デケェ図体しやがって邪魔なんじゃボケカスがァ!!」
目の前を、真っ白なカボチャパンツが舞った。
瞬間、無意識に止まっていた呼吸が戻って来た。状況を理解するより早く、地面にしゃがみ込んで息切れを起こすわたしの眼前で、気色悪い肌色の救急車が特撮映画のクライマックスみたいに爆発した。
「…………は、ぇ……?」
住宅地で起こっちゃいけない爆発炎上をバックに、苺ちゃんは拳を構えて仁王立ちしている。絵面が強い。
「彩葉、大丈夫? 偽救急車なんだから路駐はだめだよねっ」
傍まで戻って来てわたしを心配しながら思い出したようにぶりっこしだしたけど、色々遅いって言うか、わたし相手に今更っていうか、そうじゃないっていうか。
手を借りて立ち上がると、スカートや足についた砂を払い落としてくれた。
あの気色悪い救急車モドキは、影も形もない。ついでに言うなら爆発炎上の痕跡もないし、近隣から人が飛び出してくることもない。さっきの出来事は夢だったんじゃないかってくらい、閑静な住宅街だけが其処にある。
「行こ。もう怖いのはいないから大丈夫だよ」
「う、うん……ありがとう」
苺ちゃんに手を引かれ、わたしはのろのろと歩き出した。
昔から苺ちゃんは、こうしてわたしを助けてくれている。直感が鋭いだけで怪異をどうこう出来ないわたしの代わりに戦ってきてくれた。
さすがに爆発炎上は初めて見たけど。
住宅地を歩いていると、アパートの前で井戸端会議をしている主婦の群れがいた。背格好や後ろ姿は何処にでもいる中年マダムだけど、顔だけ失敗した福笑いみたいになっていて、目には光が宿っていない。話の内容もゲームのNPCを思わせる定型文無限ループだし。こういう薄目で見ると普通っぽい怪異が実は一番嫌い。
「あら、あナた、見たこトあるわ。どこノお嬢サんだったかシら?」
「お久しぶりです。二丁目の斉藤の娘です」
「そうね。そウね。いまハどこに住ンでるんだッタかしら?」
「北海道です。行きたい大学がそこにしかなくて」
「そうそう。そうよね。そうよね。そうよね。今度会いニ行くわね」
「どうぞお気遣いなく。それじゃあ、私たちはこれで」
会釈をして通り過ぎると、主婦たちはまたNPC会話に戻った。何処の息子が家を出て東京に就職したとか、何処の娘はいい年なのにまだ結婚もしていないとか。所謂田舎あるあるなテンプレ会話を無限ループし続けている。ある意味地獄だ。
【No.092】
形状、数名からなる主婦の群れ。
状態、全て中肉中背の中年女性だが、顔はパーツが不自然に崩れている。
注意、会話には無関係の情報を返すこと。個人情報を伝えると会いに来る。
今回は道中のみの調査だけど、建物内まで調べるとなったら結構大変そうだ。時折近くの家や施設から視線を感じるし。その中には、対処不能な怪異の気配もある。
「あと少しだね。ていうかこの辺りで向こうと合流じゃない?」
「あ、本当だ。あの道がそうだよ」
進行方向に、真っ直ぐ延びる道と右へ曲がる道が見えてきた。右に向かうとすぐに石段が待ち構えていて、その先がゴールの累ヶ淵神社だ。
左側ルートの人たちはどうだっただろう、なんて考えながら右折して石段を登っていたら、遠く背後から騒がしい声が聞こえてきた。
「え、あれ……追われてる?」
左側の道を見下ろすと、三人がなにか黒い靄の塊に追われているのが見えた。
男の人二人が先行していて、遅れている女の人を無慈悲に引き離していく。
「ねえ……っ、待って! 待ってよぉ! 守ってくれるって言ったじゃん!」
女の人が、息も絶え絶えに追い縋ろうとする。けれど、二人の男は忌々しげな顔で舌打ちをした。角を曲がって、此方に向かってくる。後ろからは、真っ黒ななにかが迫ってきている。あれは元々対処不能な怪異じゃなく、対処をミスった怪異だ。
「やだっ……置……て、かな……でっ……!」
「うるせえ! ついてくんじゃねえよ!」
「テメェ一人で死ね! このブス!!」
男の片割れがそう叫んだときだった。
累ヶ淵神社の拝殿が、バンッと音を立てて開き、中から巨大な青白い手が伸びた。わたしと苺ちゃんが石段の左右に避けると、その手は蛇のように這って鳥居を抜け、石段を駆け上がろうとしていた男たちを鷲掴みにした。
「ギッ!?」
「ぐぇっ!」
まるで人形を乱暴に扱う子供の手つきで握られた男二人が、潰れた声を上げる。
遅れて角を曲がった女の人が、巨大な手を見て反射的に足を止めた。そして、すぐ背後に迫っていた黒い靄に、あっと思う間もなく飲まれてしまった。最期にこっちを恨みがましく見上げてきたけど、担当範囲は越えられないからどうしようもない。
二人の男を掴んだ手はそのまま逆再生みたいに戻っていって鳥居を潜り、拝殿へと吸い込まれていった。
「ま、累様の前でその言葉を口にしちゃったら、ね。仕方ないよね」
閉じた拝殿の扉を眺めながら、苺ちゃんが呟く。
さっきまでの大騒ぎが嘘みたいに、辺りは静まり返っている。目に見える怪異も、人がいた痕跡も、なにもない。
残りの石段を登り切って一息つくと、派遣元の女性が現れた。
「お疲れ様です。此方が今回の報酬です」
「ありがとうございます」
苺ちゃんと声を揃えて言いながら、分厚い封筒を受け取る。交換する形で調査したレポートを渡すと、女性は「お預かりします」と言って黒革の鞄にしまった。
「それでは、またのご契約をお待ちしております」
女性は機械みたいな折り目正しいお辞儀をすると、石段を降りていった。
と同時に、周囲に命の音が溢れる。時間が動き出す。街が生気を取り戻す。
けたたましい蝉の声。車が国道を駆け抜ける音。何処か遠くで、救急車両が走っている音。子供たちがはしゃぎながら走っている気配。熱気を帯びた風が頬を撫でて、乾いた葉擦れの音が重なる。一息ごとに胸を満たす、じっとりとした濃い夏の匂い。肌を刺す強烈な日差し。そして、思い出したかのように吹き出す汗。
「あっつ……帰ろっか」
「うん」
予定より少し多い臨時収入を抱えて、わたしたちは帰路についた。
まずは、コンビニでアイスを買おう。そうしよう。
後の祭りの百鬼夜行 宵宮祀花 @ambrosiaxxx
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