橋の端を走る

うびぞお

今日も私は橋の端を走る

 10年前に買った赤い折り畳み自転車が私の愛車。フォルクスワーゲンってアルファベットで一応は書いてある。電動アシストどころか変速機もついてない。きこきこペダルを漕げば前に進むけど、タイヤが小さいのでなかなか前に進まない。朝はきこきこ会社に向かい、夕方はきこきこ家に向かう。


 通勤距離は往復しても大した距離じゃない。問題は、橋だ。

 家と会社の間には、洞々と流れる大きな川がある。下流で海が近いから川幅はとても広い。だから渡された橋も長い。橋の長さは1kmくらいある。

 片側二車線の道路を挟んで自転車と歩行者用の通路があって、私は、その左端を自転車で漕いで行く。横を半分渋滞の自動車がのろのろと追い抜いていく。夕方の橋の車道は混んでいて自転車と自動車の速さが余り変わらない。


 しかし、とにもかくにも最大の難関はこの登り坂だ。

 しんどい。息が切れる。いつまでも上り坂が続く。登り切っても今度は延々と橋が続く。早く、早く下りに辿り着きたいのに、いつまでも川を渡ってばかりいる。


 揃いのジャージを着た運動部の高校生たちが騒々しく私を追い抜いていく。はしゃぎ声が後ろから近づいて、うるさいと思う間もなく、すぐ横を通り抜けた。ふざけてフラフラしてる自転車とぶつかりそうになる。

 サーセンじゃないよ、ぶつかって転んだらどうしてくれるんだ。でも彼らは、誰かとぶつかりそうになったことなんて全く気に掛けず、どんどん遠ざかっていく。いつものことだ。


 そうして橋を渡っていると、この橋の欄干はちょっと低いんじゃないかって思う。

 欄干の向こうに目をやれば、橋のずっとずっと下を川が流れているのが分かる。ずっと下を流れている。ずっとずっと下だ。ビルだったら何階くらいの高さなんだろう。数日前の雨のせいで、川の流れの幅が広がって、水量が増えて、流れも激しい。

 この高さだから、砂利の上に落ちたらアウトだし、水の中に落ちてもこの急な流れでは海まで流されてアウトだ。


 勢いよく走ってくる自転車にぶつけられて、その衝撃で、この低い欄干を乗り越えてしまったら





 男か女か分からない甲高い笑い声と、自転車のペダルの音、車輪が回る音が、突然後ろから聞こえたかと思うと、

 振り返って、その声の主たちを見る前に、どんという衝撃が来た。

 バランスを大きく崩して。上半身が欄干に乗り上げた。

 私の自転車がガシャンと倒れた音がしたけれど、それどころではない。腰から上が欄干の上に乗っていて、ずるりと重心が下に下がった。

 慌てて、欄干を掴もうとするけれど、つるりとしたそれには、掴むところがなく、私の指が滑る。

 頭が川に近付く。

 ヒッと息を吸う。


 落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ちる落ち







 左の膝と


 右の足首が


 欄干の格子に挟まって、墜ちかけた体が止まった。

 その反動でぐらんと体が揺れたけど、なんとか欄干の格子の隙間に左手が触れる。

 足の力で、少しずつ体を川の方から車道の方へと寄せていく。


 ずる


 右足首が格子から滑りかけて、バランスが壊れ掛ける。


 慌てるな慌てるな慌てるな。

 心臓が音を立てるくらい激しく鼓動して、手足がぶるぶる震え、背中が冷たい。

 右足を格子の間にねじ込んだ。




 はっはっと息を切らして、欄干に両腕を置いたまま、しゃがみ込んだ。

 汗がどうっと流れ落ちて、全身がぶるぶると震えて止まらない。



 ああ、でも助かったんだ。



 両手の力が抜けて地面に落ちると、指先に金属が当たった。見ると私の自転車だった。なんとか、跪いて体を持ち上げて立ち上がり、ゆっくりと自転車を立たせた。

 私を殺しかけたのは誰だと思って、顔を上げ、声の消えた方向を見た。


 自転車・歩行者通路には誰もいない。



 渋滞だった自動車も走っていない。



 向こう側の通路にも誰もいない。



 長い大きな橋の端

 橋はどこまでも続いていて前も後ろも見えない







 私は一人だった。


















 了

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橋の端を走る うびぞお @ubiubiubi

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