かくれんぼう

花野井あす

もういいかい?


 ――もういいかい?

 

 少年が目を覚ましたとき、空は血のような茜色をしていた。

 そこはどこかの山中さんちゅうのようだった。少年は深い茂みのおく、土から半分顔を出すような形で寝そべっていた。

 ぎろり、と目を動かせば、その眼球に止まっていた小蝿がぶうんと音を立てて離れていく。 

 汗のにじむ暑さのなか、日暮ひぐらしの哭く声とざわざわと揺れる木の葉の音だけが少年の周囲をつつみ、それ以外には何もない。

 土をかくように体を起こしてみれば、じくじくとした痛みが体中にある。視線を下ろしてみると、泥だらけの白いTシャツやモスグリーンの短いズボンからひょろりと枯れ木のような手足が生え、その皮膚には引きずられような、そんなかすり傷がところどころある。

 

「いい……なあ?」

 

 絞りだした声は酷くしゃがれている。

 首には縄がくくりつけられ、それが喉を圧迫していた。結び目を掻きむしるが、その縄は強く結ばれて、解かれない。

 諦めた少年はだらりと手をおろし、ぽつりと小さく呟いた。

 

「もう……いーかい……」

 

 返事はない。 

 少年はふらふらと立ち上がり、よろけるように茂みのなかを進んだ。

 早く帰らないと、夜になって、なってしまう。

 

 ――もういいかい?

 

 掠れた声は、山中で反響する日暮ひぐらしの叫びにかき消される。それでも、少年はぶつぶつ、ぶつぶつと言葉を落として、ゆらゆらと進んだ。

 町へ下りたときには、夕暮れは西端だけに残されていた。家々の窓からは光がぽつぽつと灯り、夕餉の香りがひとけのないあぜ道を漂う。

 少年は一軒の家の前に立っていた。

 ここに、。だから、見つけてあげなくちゃ。

 ぽつりとそんなことを呟いて、少年は呼び鈴のボタンを押した。

 

 ピンポーン……

 

 乾いた電子音。その音が鳴らされて、間もなくしてぱたぱたと誰かが玄関のそばへ歩き寄る音がした。

「どなた?こっちは忙しいんだけど」

 現れたのは、若い女だ。

 女は迷惑そうに眉を寄せて少年を見るや、今度は青ざめた。

「あんた、どうして生きて……」

「おかーさん」

 少年はにいと嗤った。ずず、と首から繋がれた縄を引きずって、女のそばへ寄る。

 

「もーいいかい?」

 

 首をかしげ、女の手に触れる。その女の手のひらには、赤い線上の痕が残されている。縄を握り、引いたような、そんな痕が。

 女はただただ啞然として、見開いた目で少年を見つめていた。

「どうして……あんた、どうして……」

 少年はこたえない。代わりにまた、「もういいかい」とだけ返して、女をじいと見る。その虚ろな目にはじかれたように、女はうわずった声で応じた。

「え……ええ!ええ!もういいから!」

 いいから、もう、いいから。

 だからこの手を、離して。

 悲鳴のような声を上げて蒼白顔で何度もうなずき、後ずさる。けれども少年の手は女から離れない。ぎりぎりと血の滲むほどに爪を食い込ませて、にたりと嗤った。

 よかった。

 じゃあ、隠れん坊はおしまいだね。

 少年は虚ろな目で円弧をえがき、同じように口元をつり上がって続けた。

 

「みいつけた」

 

 もう、日暮ひぐらしの声はしない。

 そこには女の形をした黒く伸びた影と、その影を溶かす黒い空があるだけだった。

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かくれんぼう 花野井あす @asu_hana

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