彼女が地味メガネ女なわけがない! 〜片想いしている侯爵令嬢が婚約破棄され王子に罵倒されていたので、彼女の素晴らしさを教えてやった〜

柴野

本文

「ブリトニー・クオツォール! お前との婚約は破棄するッ」


 夜会の最中、高らかに告げられたその言葉に、パーティー会場が騒然となった。

 声の主はホールの中央に佇む金髪に灰色の瞳の青年。この国の王太子である彼は隣にピンク髪の少女を侍らせている。


 あれは確か、どこぞの貧乏男爵家の娘だった。王太子の寵愛を受け、王妃になろうという愚かな玉の輿狙いの女だろう。

 そして王子とその婚約者の婚約を破棄させるため、このような茶番劇を企てたに違いなかった。


 彼らに対峙するのは一人の美少女。艶やかな黒髪をしたその令嬢は、表情一つ変えぬまま質素なドレスの裾をつまみ、深々と頭を下げた。


「コンラッド王太子殿下にご挨拶申し上げます。クオツォール侯爵家の娘、ブリトニーでございます。お久しゅう」


 顔を上げた彼女は、かけていたメガネをくいっと上げる。

 その所作は目を見張るほど美しく、目を奪われる。メガネの奥の深い藤色の瞳がきらりと光って見えた。


「失礼ながら、そちらの女性はどこのどなたでございましょう。彼女と殿下が親しいことについては聞き及んでいるのですが、お名前を存じ上げませんで」


「何っ! お前は、彼女の名すら知らぬと申すか」


「不勉強で申し訳ございません」


 もちろんこれは嫌味だ。王太子の業務の十割を担っている彼女が貴族年鑑に目を通していないわけがなく、単に彼女は『上級貴族へ名乗ることもできないなんて』と少々呆れているわけだ。

 だが王太子コンラッドはまるでそれに気づかず、彼女を馬鹿にするように笑った。


「さすが地味メガネ令嬢、頭でっかち女で社交に疎いから、華々しい彼女の噂など聞かぬというわけだな!

 教えてやろう。彼女はシェリー・オデラン男爵令嬢。私の最愛の女性にして、お前の代わりに新たな婚約者となる者だッ!」


「コンラッド様ぁ……。コンラッド様にお選びいただけるなんて、シェリーは幸せ者ですぅ」


 王太子コンラッドに身をすり寄せるシェリーという名の男爵家の娘に、周囲からの様々な視線が突き刺さる。

 嫉妬。羨望。賞賛。


 馬鹿馬鹿しい。皆どうして男爵令嬢ばかりを見るのだろう。の視線は、彼女に釘付けだというのに。


「そちらのオデラン男爵令嬢を妃としたい殿下のお気持ちは承知いたしました。ですがそれなら愛妾となさってもよろしいはず。理由をお聞かせ願えますか」


 静かに、どこまでも静かにコンラッド王太子に問いかける彼女。

 それに対し愚かなる王太子は堂々と答えた。


「お前が地味なメガネ女だからだ! いつもつまらぬ無表情、私に媚びることもせず可愛げの欠片もない。お前のような女を妃に迎え入れるなど恥でしかない!」


 と。


 それから彼は次々に言い放つ。

 あまりにも非常識的な暴言の数々を。


「女はただ愛らしく、花のように笑っていれば良い。だというのにお前は何なのだ。大して着飾ろうとせず、ダサメガネばかりかけている。そんな女が私に相応しいと思っているのか!」


「――――」


「お前では、嫁ぎ先などなかろう。

 一生城に文官として勤め、働くがいい。傷物を雇ってやるというのだ、私の温情に感謝してほしいものだな」


 ああ、もうダメだ。

 最初は黙って見ていようと思っていたが、耐えられない。


 俺は人混みをかき分け、ホールの中央まで進み出た。

 それまで得意になって喋り続けていた王太子、彼にしなだれかかるふしだらな男爵令嬢、そして佇む彼女の目が向けられる。


 俺はそれに構わず声を張り上げた。


「大いに異議あり!!! コンラッド王太子の言葉は全面的に間違っています!」


 俺はそこから長い長い演説を始めた。

 ――侯爵令嬢ブリトニー・クオツォールがどれほど魅力的で素晴らしい令嬢なのかということを。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 しがない伯爵家の次男である俺が彼女と出会ったのは、子供同士の婚約者選びのための見合いの場であった。


 他の令嬢たちがお茶やお菓子できゃいきゃいと盛り上がったり、お気に入りの令息を見つけて遊びまわる中、彼女だけは輪から外れて一人本を読んでいた。

 メガネをかけた彼女は一見目立たなかったが、横から覗き見えた藤色の瞳がとても綺麗で、それまで令嬢たちに見向きもされず独りだった俺はふと声をかけた。


「あの、貴女は」


「……あら。わたくしに何かご用ですか」


 その少女が顔を上げると同時にバタンと閉じられた本の表紙を見て、俺はギョッとしたのをよく覚えている。

 それは年の離れた兄が苦心して読んでいた本と同じものだったのだから。


「申し遅れましたね。わたくし、クオツォール家長女、ブリトニー・クオツォールと申します」


 驚いて声も出ない俺をよそに名乗り上げると、彼女はほんの少し――本当にほんの少しだけ微笑んだ。


「驚きましたよ、わたくしに声をかけてくる方がいらっしゃるなんて。皆様わたくしなんて見向きもしませんのに」


 メガネをくいっと上げながらの彼女の言葉の意味がその時はわからなかったけれど。

 その日以来、子供同士の集まりに出る度に彼女の姿を探し、よく観察するようになって、その意味がわかった。


 彼女は本当に素晴らし過ぎるほど素晴らしい逸材だ。

 知能は俺をとうに超え、同世代の令嬢や令息が束になっても到底敵わない。大の本好きらしい彼女は様々な知識を蓄えており、落ち目だったクオツォール侯爵家をあっという間に豊かにさせたほど。


 それに美貌だって一流。

 ひっつめにされた黒髪は艶っぽいし、藤色の瞳はうっかりすると吸い込まれてしまいそうだ。……本の読み過ぎで目が悪いのでメガネは手放せないようだが、それでも彼女の美貌は隠し切れない。


 だから当然、見る目のある者にはすぐにわかってしまうわけで。

 初めての出会いから一年後、俺が己が抱き始めた気持ちを恋慕と理解する前に、国王陛下からの打診があり彼女は王太子コンラッドの婚約者となってしまった。


 それから妃教育に外交に、ろくに公務を果たさない王太子の手助けにと奔走する彼女の姿はとても凛々しく、陰ながらそれを見続けた俺はますます惚れた。

 陰ながら彼女の姿を追い続けた――もちろん良識の範囲で、だが――俺はわかる。彼女は断じて地味メガネ令嬢などと呼ばれていい存在ではないのだと。


 だから、たとえ王太子であろうが何であろうが彼女への侮辱だけは許せなかった。




 夢中で話していたので、色々と恥ずかしいことを言ってしまったような気がする。

 「メガネを上げる仕草が可愛い」だとか「知的な瞳に心惹かれる」だとか。思い返すだけで羞恥心で死にそうだ。


 それでも後悔はない。

 俺は無礼を承知で王太子を強く睨みつけた。


「婚約破棄は結構。当事者がたでお好きにどうぞ。しかしコンラッド殿下のそれは彼女への……ブリトニー嬢への誹謗中傷です。直ちに謝罪し、その認識を悔い改めるべきです!」


 ……沈黙。ただただ、沈黙。

 コンラッド王太子は完全に固まってしまい、何も言わない。男爵令嬢も狼狽え、視線を彷徨わせている。


 だがそんな中でもまるで動じていない少女が一人。

 彼女は足音もなく俺の方へ歩み寄ってくると、囁くように言った。


「あなたは確か、カートライト伯爵令息ピーター様でしたね」


「は、はい」


 真正面から見つめられ、声が震える。

 先ほどまで饒舌に話していたというのに彼女がそこにいると思うだけで胸の鼓動が跳ね上がった。


 俺はかれこれ十年、彼女に片想いし続けていたのだ。

 まともに話せたのは出会いのあの日だけだったから、彼女は覚えていないかも知れないと思っていたのに。


「助けていただき、ありがとうございます。あなたのお言葉、胸に沁みましたよ」


 メガネの向こうで細められた目が俺の心をグッと掴む。

 ああ、これはダメだ。こんなにも素晴らしいものを間近で見てしまっては――。


 しかし彼女はすぐに俺から目線を逸らし、王太子の方へ向き直ってしまう。

 惜しいようなそうでもないような、そんな心地がした。


「コンラッド殿下。婚約破棄の旨、承りました。

 しかし先ほど殿下が仰ったのは彼の言う通りわたくしへの誹謗中傷ですので、父と相談してきっちり対応させていただきます。もちろん慰謝料も。

 そしてこの婚約は王命。近々国王陛下からお話しがあると思われますので…………いえ、これは余計な口出しですね。申し訳ございません。

 では、失礼いたします」


 黙りこくったままの王太子と男爵令嬢を残し、彼女は踵を返して会場を後にした。

 最後にちらりとこちらに意味ありげな視線を投げかけたのは、きっと気のせいだろう。


 優雅に歩き去る彼女の後ろ姿をまじまじと見つめながら、俺は思わずにやけていたのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 後日、コンラッド王太子が廃嫡され、第二王子が新たな王太子となったとの知らせが届いた。

 当然ながらあの男爵令嬢も無事とはいかず、男爵家ごと平民に落とされ、路頭に迷っているという。平民に落ちぶれた令嬢の行く末など死か娼婦になるかの二択に等しいので、どちらにせよあまりいい未来はないだろう。


 そして肝腎要、彼女の行く末はというと。

 俺をはじめとした国中の貴族はてっきり彼女が第二王子の婚約者になるのかと思っていたが、そうはならなかった。

 第二王子にはすでに婚約者がいたというのもあるが、彼女が強く拒んだらしい。そしてその代わりに彼女が選んだ新たな婚約者は――。


「ピーター・カートライト伯爵令息、ご婚約を申し入れたく思います」


 他ならぬ俺だった。


 彼女が直接屋敷にやって来て求婚された時、俺は死ぬほど驚いた。

 理由を問うと、「あなたはあの夜会の場でわたくしを庇ってくださいました。そのお姿が眩しかったのです」と無表情のままで言う。しかしその頬はほんのりと染まっていて、彼女は本気なのだと思えた。


わたくしはクオツォール侯爵家を継ぐことになるでしょう。ですからあなたにはぜひ、婿になっていただきたい」


「……俺なんかでいいのですか」


「あなたが長年わたくしを見てくださっていたことにも気づいていましたよ。あなただからいいのです」


 そして挟まれる、メガネをくいっと上げる動作。

 俺はそれに陥落した。本当に俺が彼女と釣り合うかどうかなどという思考が一瞬でどうでも良くなってしまい、勢いで頷いてしまっていたのだ。




 その後、色々なことがあった。

 どうやらクオツォール侯爵夫妻はまだ彼女を後継者と認めていなかったらしく諸事情あって俺と彼女の婚約を強く反対してきたり、廃嫡されたはずのコンラッド元王太子が今更彼女の素晴らしさに気づいて復縁を求めてきたり、娼婦になった男爵令嬢が復讐しにやって来たり。

 しかし彼女はその全てを跳ね除けあるいはねじ伏せて、女侯爵となり俺を最後まで手放さないでいてくれた。


 本当に有能過ぎるほど有能で、凛々しいメガネが魅力的なひと

 そんな彼女を妻とし、口付けることを許された俺はとても幸せと思った。

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