散り際に光る

中村ハル

燃えて散るのが

 終わりかけの幽霊は光る。

 今、目の前にいる崩れかけた女も、きらきらと煌めいていた。ぐずりと垂れ落ちる頬の肉、踏み出すごとに千切れて落ちる手の指。呻きなのか崩壊した喉が押しつぶされる空気音なのか判然としない濁った音が漏れ出る唇が、顎ごと外れて地べたで爆ぜる。

「汚いな」

 聞こえぬように口中で呟き、僕は手にした鈴を鳴らした。

 澄んだ音が、薄暗いフローリングの部屋に響く。女が、煌めきを増す。あと少しだ。もう一度。

 今度は続けて強く鈴を振る。耳障りな鈴の音に顔が歪むのが判る。女の顔も、同時にひしゃげて、内側から一際強く光った。

 しゃん。

 手首のスナップを効かせて、更に一振り。

 女は砂に変わるように、光の粒に解けて、消えた。

 ふっと、室内が暗さを増した。終わったのだ。

「ありがとうございます!」

 一瞬の間を置いて、壁際で固まっていた初老の男女が駆け寄ってきた。

「これで、ようやく娘も安らかに」

 今しがた散った女の母親が、涙ながらに僕の腕に縋った。隣で深い皺を眉間に刻んだ父親が、その背を撫でさすり、頭を下げる。

「君に頼んで本当に良かった」

 僕に向けられた涙ぐんだ眼差しが、一瞬険しく虚空を見据える。

「あの坊主ときたら、放っておけと無責任なことを」

「お父さん、もう済んだことですよ。あの子はこうして成仏できたんですから」

 ねえ、と弱々しい微笑みで、母親が僕を見詰めた。

「そうですよ、もう、苦しまれることはありません」

 白々しい声が、唇から漏れる。僕はにっこりと、笑みを浮かべた。


 貰った謝礼を覗き込む。

 茶封筒の中には、提示した金額よりも多めの札が入っていて、思わず登ってきた笑みを誤魔化そうと唇を噛んだ。幾度か犬歯で唇を嬲りつつ、茶封筒を鞄に滑り込ませた。

 これでしばらくは、のんびり過ごせる。

 だが、夏休みに奮発してしまった旅行代も、回収しておいてよいかもしれない。

 幸いにも、次のターゲットには目星がついていた。

 先日、学生会館で見つけたグループだ。

 スマホで時刻を確認すると、まだ十一時だった。今から行けば、見つけられるかもしれない。メッセージアプリでいくつか返信をして、大学へと向かう。

 昼時でまばらに混み始めた白く明るい会館内を見渡すと、すぐに目印が見つかった。

 四人グループの一人の肩に、黒く平たい男がべったりと貼り付いている。それはアメーバのように蠢きながら、男子学生の顔と頭に腕を回してぶつぶつと耳元に呟いているようだった。その度に、彼は顔を顰め、額に手をやり、青い顔で溜息を零す。ひどく具合が悪そうだが、それはそうだろう。影の頭は頬ずりでもしているのか、顔半分をびったりと覆っていく。

 だが、真っ黒なその姿は、大きな窓から差し込む強い陽射しを浴びて、きらきらと、細かく光を撥ねて煌めいているのだ。前回見かけた時よりも、その光は強く、大きくなっている。

「あ、大志、ちょうどいいとこにきた」

 男子学生の向かいに座っていた一人が、僕を見て手を振った。

「あれ、笹山じゃん」

 僕は初めて気付いたように驚いてみせて、手を振り返す。笹山と、視線が絡んだ。手元のスマホをさりげなく振っているのを目で確認する。

「今話してたんだよ。大志、得意じゃん」

 笹山が辺りを憚るように見渡してから、声をひそめた。

「除霊、とかさ」

「やめてよ」

 僕は苦笑しながら椅子を引いて、当然のように輪の中に落ち着いた。テーブルに着いていた三人が上目に僕を見る眼差しには、警戒と後ろ暗い好奇心が滲んでいる。

 きらめく黒いものを背負った男子に至っては、もはや喧嘩でも売る勢いで僕を睨み上げる。それに微笑みを返して、そっと腕に手を添えた。

「気に触ったらごめんだけど、辛いよね。左肩と、そうだな、頭と顔、かな」

 凶悪な目付きが吹き飛び、見開かれた目が、光を取り戻す。希望だ。胸中の昂ぶりを抑えて、僕はゆっくりと息を吐き出し、さらに微笑みを深くする。

「大丈夫。話を、聞かせてくれるかな」

 目の前で睫が湿っていくのを、僕はにっこりと見詰めていた。


 三人が肝試しに行ったのは、一ヶ月前の真夏の夜だったそうだ。

「全然聞いてなかっただろ」

「そんなことないよ。はい、これ」

 夫婦から貰った謝礼の茶封筒から数枚の一万円札を引っ張り出して、笹山に手渡す。

「お、こんなにいいのか」

「思った以上に入ってた」

「悪いね」

「笹山のおかげじゃん」

「バイト先で小耳に挟んだだけだよ」

 バイト先のスーパーで、娘が住んでいたアパートに、死んだ娘が出るのだとパートさんから聞いてきたのは笹山だ。

「行ってみて駄目だったらどうするつもりだったんだよ」

「だから笹山に、あくまでも素人学生がちょっと視てみるだけ、って言ってもらってるじゃん。光ってなかったら、正直に僕には無理です、って断ればいいだけだし」

「まあ、嘘は吐いてない」

「嘘なんて吐かないよ。ホントに視るだけ、だしね」

 話しながら、腰掛けたベンチの向かい側、真っ昼間なのに誰もいない公園のブランコに視線を向けた。

「いるのかよ」

 鼻に皺を寄せて、笹山が呻いた。ブランコは、ぶらぶらとゆれている。

「もういなくなる」

 ブランコには赤黒い塊が乗っているが、ぽわぽわとした綿毛の如き光に包まれて、ひと揺れごとに風に吹かれて散っていく。

 強い風が吹いて、光の綿毛は渦を巻いて空に飛ばされ、ブランコががくんと乱れて止まった。もうそこには、何も乗っていない。

 僕はそこそこに厚みのある茶封筒を鞄にねじ込む。

 鳥のさえずりが聞こえ始め、背後の道路から「ママ、公園」と幼子がねだる声が聞こえた。

「僕は見るだけで、何もしないよ」

 子供の頃から、視るだけで、何かできたためしなどなかったのだ。

「まあ俺は、なんでもいいけどさ、楽に稼げるなら」

 笹山が肩を竦めて、スマホのメモ画面を読み上げた。

「必要なくても一応覚えとけよ。肝試しに行った家から記念にライターを持ち帰った。それがこれ」

 渡された安いライターをなんとはなしに弄び、三人が語ったどうでもいい肝試しの話を、僕はぼんやりと聞き流す。

「で、何日後?」

「あの感じだと、一番強く光るのは、来週かな」

「じゃあ、そこで再集合かけておく。場所はどうする。学生会館じゃさすがに雰囲気出ないだろ」

「なんか適当に見繕ってよ」

「しょうがねえなあ」

 笹山が横目で僕を見て、鼻から息を吐いた。

「助かるよ」

 言いながら立ち上がり、公園の入り口を振り返って、足が竦んだ。

「ままあ、公園、いこうよう」

 小さな玩具のベビーカーを押した、頭の大きなぬめりとした何かが、ぐらぐらと頭を前後に揺さぶりながらそこにいる。

「ままあ、まーまあ、公園んんん」

 大きく赤い頭が前後左右にぐりんと揺れて、小さなベビーカーが小刻みに撥ねている。

「まああああまあああ」

 陽光に照らされているはずの大きな頭も、その下にくっついた乳幼児の身体も、なぜか闇を纏ったみたいに、薄黒く翳っている。

「大志?」

「光ってない」

 僕はぶるぶると頭を振って、後退るしかできない。


 夜はいい。

 光っているヤツは見つけやすいし、光っていないヤツは視えにくい。

 暗い陰の溜まる場所から慌てて距離をとって歩く。

 この間の公園みたいに、光っていないヤツに出くわすと、僕は本当に、何にもできない。足元に這い寄ってきた黒く光る平たく素早い虫を寸でのところで躱して、思わず舌打ちが漏れた。まだ、虫の方が踏み潰すなり、叩くなり、殺虫剤で始末できる分だけマシだ。

 ただ視えるだけで、どうにもならないモノに怯えて、叫んでも、誰も助けてくれなかった。だからせめて、気休めにでもなればいい。もういないですよと言ってあげることで、安堵できるのならば、それでいい。

 それぐらいしか、できないのだ。

 ぼんやりとした光に、首を巡らす。

 眩く汚い飲み屋街の路地の奥が、ふわりと柔らかに明るい。

 どん詰まりの灰色の壁に、凝ったネオンサインが輝いていた。なんの店だろうか。足を止めて目を凝らすと、どうやら仏像のようなデザインのようだ。シーシャの店か、飲み屋だろうか。二人連れが路地を奥に向かって進んでいく。

 カレーとか置いてないかな、と空腹を覚えて踏み出そうとして、固まった。

 二人連れは真っ黒で、伸びたり縮んだり震えたりしながら進んでいる。片方の首が、前触れもなく後ろにがたん、と落ちて、何にもない顔と目が合った。

 喉の奥で、空気が引き攣る。手が震えて、膝が笑って、鳩尾が痙攣する。

 視線が合ったままの首は動いていないのに、身体だけが奥へ奥へと進んでいる。逆さまになっている首が、ぶるぶると震えていた。笑っている。僕を、嗤っている。

 へたりそうになる膝を何とか引きずろうとして、涙が滲んだ。うう、と声が漏れる。怖い。

 首が、少しずつ、こちらに向かって伸びている。身体は、光る仏像に向かって、遠ざかる。

「あ」

 叫んだつもりが、後は熱い空気になった。

 首が、ぐん、と奥に吸い込まれていった。仏像の腹がばっくりと割れて、ぎらぎらとした光が痙攣する黒い塊を咀嚼していく。もうひとつの影は、何本もの腕に千切られて仏像の顔面に呑まれて消えた。

 一欠片の闇も残さず飲み下すと、仏像は優しげな微笑みを浮かべて、また穏やかに光り佇んでいる。ゆらりと、ピンクに蠕動する何かが路地を曲がっていった。

 僕は後じさり、必死で視線を路地から反らす。

 呼吸が心音と同じ速度で繰り返されて、目眩がする。吸うばかりで、吐けない。

 目の前が、ちかちかと光を放つ。

 眩しい、苦しい、誰か。

「どうした」

 不意に降ってきた声が、僕の肩を掴む。

 ああ、とか、うう、とか呻いているのは僕の声だろうか。

「落ち着け、ここまでは出てこられないから」

 言いながら、男が僕を引きずって、路地から遠ざけてくれる。

 飲み屋の提灯、色とりどりのネオン、コンビニの蛍光灯、擦れ違う人たちのスマホの明かり。眩しい、眩しくて、吐きそうだ。

 眩しい眩しいと、繰り返していたのかもしれない。

 男が何かいいながら、僕を抱えるように連れて行ったのは、薄暗い地下のバーだった。

 ぼんやりと仄暗い明かりに、ようやく深く息を吸う。

 心地よい香りは何の匂いだろう。

 堅い革張りのソファにずり落ちて、男を見上げる。

 間接照明を背負った姿はうっすらと輪郭が光るだけで、顔がよく見えなかった。

「助かりました」

 差し出された水を一息に飲み干すと、掠れた声が出た。

「あいつ、何なんですか。あんなに強い光、視たこと、なかった」

 さっき、男はあの仏像が視えているような口ぶりだった。あの路地から、出てこられないと言っていたはずだ。

「君だろ、最近、乱暴な稼ぎ方してるってのは」

 落ち着いた深い声が咎めるのに、耳が熱くなる。まさか、同業者にバレるなどとは、思っていなかった。いや、僕は、お祓いのフリをしているだけの偽物だ。噂がどこかから広まったのだろう。

 僕の狼狽に同情したのか、大きな手が、優しく肩を掴む。

「君が気付くことに、他の人らが気付かないわけないだろ。光るヤツは放っておいても勝手に消える。だから放置しているのに、そればかり狙ってる少年がいるって、噂になってるぞ」

「すみません」

 消え入りそうな声を絞り出すのがやっとだった。頭の中は、真っ白だ。

「あいつらが光ることに気付くのは、人だけじゃない」

 僕は顔を上げる。

「光っている弱いヤツを狙うヤツがいる」

 男は光を背負ったままで淡々と僕に説明をした。ほんの僅かに、目が光を撥ねている。

「それならば、そいつらを誘うために、わざと光るヤツが出てくると思わないか」

「それが、さっきの仏像」

 男が頷いた。

「疑似餌ってやつだ。光でおびき寄せて、喰らう」

 小さな擦過音がして、目の前に、突然に眩い光が浮かんだ。

 目を眇めて顔を背ける。

 小さな炎が、男の顔を照らす。

 僕の目がちかちかと炎の瞬きに誘われる。

 ライターだ。どこかで見た、安っぽいライター。

「そうだとすると、君だって」

 誘い出されたのは、僕か。

 立ち上がろうとした肩を指先で押し戻されて、またソファーに沈み込む。

「でも、光るのは、消えかけの幽霊だけだって」

「人だって光るだろう。芸能人とか、スターと呼ばれる人たちを見てみろ。まあ、あれは、エネルギーが溢れてるからだけどな」

 ライターの炎に浮かぶ、にやりと笑った男の口元は、優しげだ。

「君のは、散り際に線香花火が強く光るのと一緒だ」

 すい、と伸びた指先が、僕の胸元に突きつけられる。見下ろした視線の先で、指先がTシャツの胸にめり込み、するりと淡い光の黒い塊が引っ張り出された。

 男の指先に絡みついた丸く弱い光は、糸のような尾を垂れ下げて、頼りなげに揺れている。

「残念だが、美しかろう」

 僕の鼻先で、ライターの炎が動いて、男の指に絡んだ淡い光の糸のような黒い尾に近づいた。

 手を伸ばす間もなく、炎は細い糸を駆け上り、淡く丸い輝きは赤く焼かれた。

 男の指先で、赤い火球がばちばちと美しく光を爆ぜる。

 助けを求めるように小さな光の手を四方八方に伸ばして、一際強く輝くと、ぽとり、玉が冷たい石の床に落ちた。

 じゅ、っと音を立てて、僕の光が、消えた。


 そこそこの厚みの茶封筒をカウンターに乗せて、僕は小さく舌打ちをした。

 今まで稼いだ金額の、有り金全てだ。

 男はそれを拾い上げて、中身を改めもせずに鞄にしまう。

「そんな顔をしたって駄目だ。仕事には報酬を払うのは当たり前だろう」

「頼んだのは僕じゃないです」

 ばつの悪い顔を反らしたのは笹山だ。

「なんでお前が」

 横目で睨み付けると、臑を蹴飛ばされた。

「君にくっついてる内に、なんとなく光が視えるようになったらしい。それで、君が光ってるからどうにかしないといけないと」

「消えちゃうと思ったんだよ、大志が」

「感謝した方がいいぞ、友達に」

「そうだよ、感謝しろよ、俺に」

 唸る以外に、僕に何ができるというのか。

「君にはこれをやるよ」

 渡されたのは、古びた安っぽいライターだ。

 あの男子学生に纏わり付き、ライターを媒介して僕に憑いていた黒く平べったいヤツが燃やされて祓われた今となっては、ただの安いライターでしかない。

「持っていれば役に立つこともあるだろ」

「どうだか」

「まあ、そうふてくされずに。また稼げば良いじゃないか。仕事ならいくらでもある」

 僕は困惑して男を見返した。

「できないんじゃなくて、やらなかっただけだろ、方法が判らなくて。君が片付けた案件の中に、自然消滅じゃないものが数件混じっていた」

 男はスマホに目を落としながらにやりと笑った。

「それに意外と、特殊能力はいらない場合も多い。視えた方がやりやすいのは確かだけどな。そういうわけで、笹山君とコンビでいいかな。人手が足らなくってね。まずは簡単なのから」

 僕のスマホが着信音を鳴らす。

 教えたはずもないのに、メッセージアプリには目の前の男からの通知が届いている。

 僕は頭を抱え、その背中を笹山が叩いた。

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散り際に光る 中村ハル @halnakamura

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