光マン!

須藤二村

第1話


 お前は「光マン」と呼ばれる男だ。いや、呼ばれていた、と言うべきか。お前が今いるのは、かつての栄光とは程遠い、冷たく無機質な一室。天井はどこまでも平坦で無表情、壁には見慣れた無数の傷痕が残されている。部屋の隅には、粗末なベッドと固定された鉄の椅子が置かれ、そこに時間の流れは感じられない。窓の外には薄暗い照明がぼんやりと点灯し、かつてお前が守ろうとした街が、今はただ無関心に、その静寂を保ち続けている。

 お前はかつて、この街の救世主だった。光の力を操り、闇に潜む犯罪者どもを次々と討ち倒した。その姿はまさに正義の化身、民衆の希望そのものだった。だが、その光はやがて、少しずつ、いや確実にお前自身を蝕んでいった。

 光マンとしての使命感は、次第にお前の心を狂わせた。罪なき者さえ、影の中に何か邪悪なものを見出しては、その光で焼き尽くそうとした。お前は自らが絶対の正義だと信じ、誰にも止められぬ存在へと変わり果てた。その過程で、かつてお前を信じていた者たちさえも、お前の手によって消されていった。


 そして今、光マンの名は忌避され、恐れられる存在となった。街の者たちはお前を「闇マン」と呼び、あの頃のお前がいたことさえ忘れ去ろうとしている。

 だが、お前はまだ光マンであることを捨てきれずにいる。この腐りきった世界を浄化するためには、自分のやり方こそが正しいと信じて疑わない。お前の闇の中で燃える光が、やがて全てを照らし出す。その光は希望なのか、それとも破滅なのか。それを知る者は、まだ誰もいない。お前自身すらも。


 お前の過去は、光マンとしての運命を決定づけた。お前は、地方都市の繁華街に生まれた。ドブ臭い薄汚れた街と喧騒の中で、お前の幼少期は始まった。母親は夜の仕事に従事し、昼間は眠り、夜になると艶やかな姿で街へと消えていった。母親はいつも不機嫌で、安心して近寄ることができるのはひどく酔って帰った時だけだ。母親が何をしているのか、お前は幼いながらに薄々感じ取っていたが、それがどういうことかを理解するにはまだ時間が必要だった。

 本当の父親の顔をお前は知らない。母親も語ろうとしなかった。代わりに現れたのは、いつの間にか家に居ついていたヒモのような男だった。母親に甘い言葉を囁き、金をせびり、時折、お前にも優しさのような素振りを見せたが、その目には常に冷たい光が宿っていた。お前が邪魔だと、うっとうしいと、そう言わんばかりの視線でお前を見つめていた。

 お前が「良い子」でいる限り、母親はきっとお前をもっと愛してくれるはずだと信じていた。そのため、お前はどんなに男に叩かれようと、蹴られようと、決して泣かなかった。泣けば、母親を余計に苦しめてしまうと思ったからだ。母親のために、黙って耐えることが、お前にとっての愛情表現だった。

 だが、お前が六歳になった頃、その薄氷のような日常は崩れ去った。男と母親は、いつものように口論していたが、男はついに母親を床に押し倒し、馬乗りになってその首に手をかけた。台所の床の上で、手足を振り回す母親の顔がみるみる赤紫に変わっていき、男はさらに力を込めていた。お前はその光景を、恐怖と混乱の中で見つめていただろう。

 その瞬間、何かが弾けた。お前の中に封じ込められていた何かが、一気に解放された。お前は生まれて初めて、声を上げた。涙を流しながら、喉が裂けるような叫び声で!

「やめろ、死んじまえ!」

 お前の叫びと同時に、部屋の電灯が一斉に破裂して、目の眩むような光があふれた。

 次の瞬間、男は床に崩れ落ち、母親もばたりと腕を床に投げて、それきり動かなくなった。お前は理解した。お前が願ったことが現実になったのだと。これが、お前の正義の始まりであり、最初の殺人だった。

 恐怖と混乱、そして憎悪が入り混じった複雑な感情がそこにはあった。お前はただ、母親を救いたかっただけだった。だが、その行為はお前と母親との間に、永久に埋めることのできない深い溝を生み、神の用意した陥穽かんせいに捕えられてしまった。

 お前はその瞬間から、光マンとなった。そして同時に、その光はお前を狂わせることになる。お前の中で芽生えた「正義」は、やがて歪み、背中から輝く強すぎる光が、お前の歩む先に濃い影を落としたことは間違いない。


 お前がここにいる理由はひとつしかない。どういう訳か、お前はあの必殺技「光フラッシュ」を使えなくなったのだ。もしその力が健在だったなら、国家権力ですらお前を捕えることなど到底できなかったはずだ。だが、光を失ったお前は、ただの凶悪犯としてこの刑務所に収監された。それが運命だったのだ。少なくとも、俺のように人生を惰性で生きてきた者にとっては。


 さて、ここで俺の罪を告解する前に、正義について語らせてもらおう。お前とは、きっと気が合うはずだ。なぜなら、俺は正義などというものを信じていない。何かと戦う者は、その瞬間に狂気に取り憑かれた亡者に過ぎない。悪などというものは、ただの主観を妄信した幻想に他ならない。この世には正も邪も存在せず、ただ己の利益を害する者と助ける者がいるだけだ。俺はかつて、法こそが全ての民の護るべき指針だと思っていた。しかし、それが全くの誤りだったことに気づいたのだ。法の抜け穴を利用し、悪意を実現するために生きる者たちがいる。俺は家族を失い、ただ独り虚しさの中で生き続けるうちに、その真実に気がついた。お前も同じなのだろう? 光マン。

 やつらの存在を許してはならない。やつらを放置すれば、無辜なる魂は一体どうやって救われるというのか。俺は光マン、お前を探し続けていた。そして、長らく行方をくらましていたお前が、自らこの場所に現れた。それは運命という他にない。お前がこの刑務所に収監された時、俺が最初にお前と対峙したのを覚えているか? 俺にはすぐに分かった。お前の目の奥に、復讐の光が爛々と輝いていることを。お前がここに来たのは、この場所に潜む悪を消滅させるためだったのだろう? 「光フラッシュ」が使えなくなったというのも、おそらくは嘘だ。

 俺のことを狂っていると思いたければ思うがいい。俺も、お前も、ここにいる悪党も、そして虚構の正義を信じて平凡な日々を過ごす外のやつらも皆狂っているのだ。


 長年の計画を実行に移す時が来た。お前がこの手紙を読んでいる頃には、俺はもうこの世にいないだろう。お前はその独房から出て、囚人たちがいる塔を目指すだけでいい。その間の鍵は全て開いている。なぜそうなっているのか、お前が知る必要はない。それは俺の償うべき罪だからだ。お前はただ、自分の正義を成せばいい。お前は正義として堂々と光マンの悪を行使しろ。


 ✻ ✻ ✻ ✻ ✻ ✻


 看守の手紙はそこで終わっている。

 光マンは、手紙を四つに折り、手から発する閃光で瞬く間にそれを灰にした。灰は床に落ちることなく、空中で消え去った。

 光マンが一瞬息を整えたその時、牢の扉がカチャンと音を立てた。

 光マンはゆっくりと扉をスライドさせる。金属の擦れる鈍い音が、冷たい空間に響き渡った。通常ならセンサーが反応して当番が駆けつけるはずであった。古びたレールが悲鳴を上げるように、その音は廊下に反響している。扉が完全に開ききると、壁とぶつかってひときわ大きな金属音がとどめを刺した。

 目前に広がる薄暗い廊下が、ひっそりと彼を迎えている。光マンは一歩を踏み出す。廊下の終わりに見える蛍光灯の光が彼を誘っているかのようであった。それは独居房から外のエリアへ通じる扉だ。おそらくは、その扉も開いているのだろう。


 足元に響く微かな音に耳を澄ませながら、ゆっくりと歩き始めた。これから起こるであろう出来事を前に静寂が際立っていた。あまりにも静かだった。

 光マンは、ただその光に向かって歩き続けている。



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光マン! 須藤二村 @SuDoNim

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