断章

ミナガワハルカ

観測者効果と不確定性原理

 ダイヤルを回すため指を入れようとすると、手の中の受話器が反射的にこわばった。それに気づいて私は嗜虐的に笑い、ダイヤルの周りを指先で優しく撫でほぐしてやった。つとめてゆっくりと、丹念に。じらしながら。受話器の力が抜けてゆくのがわかった。頃合いを見計らってそっと指を差し込むと、受話器からため息が漏れた。

 私は一気にダイヤルを回し下げた。



 †



 通りすがりに腹を切られた。鋭い、とても鋭い刃物だったので、腹の皮だけでなく、いくつかの内臓にもすっぱりと切れ目が入った。

 私が慌てていると、通りすがりの親切な医者が傷を縫ってくれた。医者は手際良く腹の皮を縫いふさぎ、これでよい、と言って立ち去った。

 しかし、医者が縫ってくれたのは皮だけで、内臓はほったらかしにされた。

 縫い閉じられた腹の中で、私の内臓たちはぱっくりと口を開けている。

 そのうち、私の心配通り、内蔵たちは血を吐き出し始めた。

 しかし腹はもう縫い閉じられてしまったので、そこはまったくの闇の中。誰にも見られることがない密室で、だから内蔵たちは、勝手な血を吐き出しはじめた。

 それは黒曜石に似た、ガラス質に輝く砕けた小石。黒曜石と違うのは色が真紅であること。その小石がじゃらじゃらと腹の中に溜まっていく。

 黒曜石は岩漿マグマが冷えて固まったもの。赤く燃える岩漿は冷えて固まり黒く輝く。

 私の血はもともとが冷えている。だから固まっても赤いまま。

 小石ではらが膨らんだ私は、やがてそれを産み落とした。私の体内から出た瞬間、それは赤い花びらに変わった。花びらたちは風に舞い、どこかへ行ってしまう。

 勝手なものだ。



 †



 赤ワインの樽に投げ込まれた私はゆっくりと舞いながら沈み、静かに沈殿していく。やがて躰中の血液がワインと同化し、私という存在が消えてゆく。

 白ワインだったらよかったのにと思ったが、青白く澄み通った水面にいつまでも浮かぶ私はつまり不純物で、だから私は考えを改めた。



 †



 猫のように懶惰らんだに暮らしたい。

 二度寝のまどろみのなか寝返りを打つと、誰かに背中を撫でられた。存外に心地いい。しばらく撫でられるに任せていると、そのうち急につまみ上げられ、屑籠くずかごに放り込まれた。

 屑籠の中は青い空になっていて、私はその中を堕ちていく。

 雲をいくつも突き抜け、地面が迫る。私はまだまだ堕ち続ける。

 ついに墜落した私はささやかな飛沫しぶきを上げて地面に飛び込んで、なおも堕ち続ける。未練がましく。

 やがてまつわりつく暗闇が質量を持って私を圧し潰すまで。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

断章 ミナガワハルカ @yamayama3939

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ