羊の群れ達に

太刀山いめ

第1話羊の皮を被った何か達

 私が「ここ」に入ってかなりの日数が経った気がする。外の世界で傷を負い保護される形でここに入った。

 ここは私の過ごした外の世界と比べて危険が少ない様に管理されている。入った当初こそ人馴れしていない私はブルブルと震えていたと思う。ここの管理者達はそれを踏まえて甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。

 私は出された食事にさえはじめは恐れて手も出せなかった。外の世界でも私はそうだった。


 仲の良かった従弟をコロナで亡くしてからだったと思う。

 急に食欲が失せた。たまに食べてもビスケット数枚にソーセージ一本と言った具合いで、丸々としていた体躯は徐々に小さくなっていった。

 医師がカロリー補給の為にとエンシュアリキッドを月のギリギリ満量迄処方してくれた。スチール缶に入ったドロドロの液体…これが私の主食となった。一缶二百キロカロリー。それを日に二本飲んだ。

 それでも四百キロカロリーにしかならず、体重減少を遅らせる事さえ出来なかった。

 私を置いて一人寂しく亡くなった従弟…


「私も連れてってくれれば良かったのに」

 そんな事を一日に何度思った事か。

 私は生への意欲を手放していたのかもしれない。今でも病みつかれた従弟との通話を思い出す。


「兄さん、今度こそ駄目そうだよ…」

 自宅から搬送される前に従弟は私にそう告げていた…


「置いて行かないでくれ」

 私は心からそう願ったけれども、受話器からは「ぜーぜー」と言う苦しげな呼吸音が聞こえるだけになり、やがて通話が途切れた。


「私を置いて行かないでくれ…」

 今もそう言いながらもエンシュアリキッドを飲む。

 だが圧倒的にエネルギーが足りない…

 だが、だからこそと暗い悦びが首をもたげる。

 これで従弟の元に行けるかもしれない。そう淡く思い、そして強く願っていた。


 体重が短期間に三十キロ減少したある日の午後。私は勤め先で意識を手放した。そして後ろにあった棚に寄り掛かる様に倒れたらしい。


 それから「ここ」に運ばれた。弱った生き物を癒す場所に。だが奇しくもその場所は「従弟が最期を迎えた場所」だった。




 気が付くとカラカラと私は嗤っていた。何と言う天の配剤。私は従弟と同じ空間に運ばれたのだ。これを運命と言わずして何と言う。嗤いながら泣き、私は身体を掻き抱く。己を抱き締めた。この場には抱いてくれる人等…いや、元々居ないのだ。


 私は従弟の最期に居てやることも出来なかった。最期の別れである葬儀にも参列出来なかった。そう言う「決まり」だったからだ。だがあとになって風の便りで知った。従弟がワクチン接種を受けさせて貰っていなかったことをだ。

 一人住まいの私と違い、従弟は家族と過ごしていた。元々心臓を悪くしていた従弟は何度もここと自宅とを行き来する生活だった。私との通話で受話器越しに「尿が出ないんだ、兄さん」そう悲しそうにポツリと言っていたのを覚えている…


「殺された」

 私は思った。生き物は生きているだけで何かを消費している。人間と言う生き物にとっては「金」がそれに当たる。金は食料にも日用品にも「生命」にすらなる万能の消費剤だ。

 「穀潰し」と言う言葉が頭をよぎる。従弟は金を喰いすぎたのだ。だから見捨てられた。ワクチン接種をしていたならば…万が一にも生きるきっかけになったかもしれないのに。従弟はコロナに罹患して二日間自宅に転がされていたらしい。




「死にきれなかったか…」

 私はそう独り言ちた。私はどうしてここに居るのか。運が良かったのかはたまた悪かったのか…



 ピンポン…機械音が鳴る。

『皆様にお伝えします。食事の準備が整いました。歩ける方は取りに来て下さい』


 放送がかかる。私はよろよろと身を起こし食事を取りに向かう。ロビーに配膳車が来ていて管理者が羊を誘導する牧羊犬の様に忙しなく動いている。

 この列にも慣れた。ここに居る我々は放牧される羊と同じなのだ。牧羊犬に誘導されて草をはむ「羊の群れ」。


 すれ違う人達は皆同じお仕着せ姿。同じ種類の生き物の群れ。我々は毛を刈られる為にいるのか…それとも保護される稀少動物か…どちらか。


 草をはむ様にゆっくりと。置いた食事を食べた。ここでは私は羊だ。外の世界では飼い主に忠実な犬だった。逆らわず、たまにじゃれついては引き剥がされる…そんな日々。

 私はここでは食事を摂取するたびに羊の皮を被った「何か」になっていく。ここでも外の世界での忠実な犬の如く従順に振る舞う。食欲は無くともゆっくりと咀嚼して嚥下する。それが丸々と肥えた羊になる秘訣だ。

 ここではそれが私の一番の仕事。

 食後には牧羊犬ならぬ管理者が薬を飲ませに来る。


「口を開けて下さい」


「あー」

 餌を強請る子規(ホトトギス)の様に口を開けて見せる。


「大丈夫ですね。有難うございます」

 管理者はやはり忠実な牧羊犬の如く羊を導く。時間通りに様々に動いてくれる。

 羊にとって、逆らわずに居たらこれ程頼もしい存在はない。


 私は肥えない迄も体重を維持し、回復してくる食欲を恨めしく思いながらも生命を回復させていく…

 空になった食器を持ちまた羊の群れに合流する。ここに居る彼等も元々は羊ではない「違う生き物」だったろうに。今では皆無表情に空の食器を運ぶ。

 私はまた管理者に導かれて割り当てられた仮の住まいに戻る。この箱庭に似た場所に「一匹」になる。私ももう無表情な従順な獣。




「まだ当分会えそうにないよ…兄弟」

 白い天井を眺めて羊は鳴いた。



終わり

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羊の群れ達に 太刀山いめ @tachiyamaime

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