私と彼女のお盆ケーキ
小日向葵
私と彼女のお盆ケーキ
「ケーキを焼きましょう」
「ケーキ?」
「そう。いちごと生クリームのデコレーションケーキ。おいしいよっ」
「焼くより買った方が早いでしょ」
「それじゃ
よく判らないことを言う。
「ほらこの本を見てよ。たったの十ページで、美味しそうなケーキが出来上がるんだよ」
英語の宿題に必要な参考資料かと思ったら、ケーキ作りの本なんて借りてきてる。菜々美めこやつ、最初からちゃんと宿題をする気なんてなかったなぁ?単なるデート気分だよこの子。
「そりゃ手順は載ってても、苦労は載ってないからの十ページだよ。まず菜々美は一度、牛乳をかき混ぜてバターを作ってみるといいよ」
「おお、新鮮生バターってやつね。この本の最初の方にも載ってた」
どうせ『しばらくかき混ぜると水分と脂肪分が分離します』くらいしか書いてないんだろうなー、と私は予想する。昔一度作ったけれど、あれは手作業ではきつい。ハンディミキサーがないと、次の日は腕が筋肉痛で死んでしまうと思う。
「どうしてもケーキ作りたいの?」
「うん。ケーキを作って恵理に食べさせたいし、恵理の作ったケーキを食べたい。むしろ
「妄想ストップ」
欲望がダダ洩れしている。ていうかなんでそんな親父チックな欲望なんだろう。
「お盆休みにはケーキ!みたいなムーブメントを作って一儲けするっていうのはどうよ」
「そもそも流行らなさそうだし、もし流行ってもどこかのケーキ屋に乗っ取られる未来しか見えない」
「ぐぬぬ、この
「なんだ、菜々美にも
まあどっちにしても、何かしらやらせて失敗で諦めさせるしかない。成功して満足するなんてことは、今までに一度もないんだから。
「そしたらさ、まず生バター作ろう。それを材料にクッキー作ろうよ」
「あたしのバターで恵理がクッキー焼くって、もう結婚だよね」
「違う」
ああ周囲の視線が痛いよう。みんなは図書館では静かにしようね、とほほ。
次の日、きちんと材料を全て用意して待っていた菜々美に私は驚いた。
「ふふふ、昨日
「あっ偉い、ちゃんとノンホモ牛乳買ってる」
私は牛乳の入った瓶を見て驚いた。普通に売ってる紙パックの牛乳は、口当たりを良くするために
「え、だってこのお話は百合なんでしょ?」
「ん?」
「だからノンホモ」
「んん?」
「しかしホモ牛乳って何なのかしら。雄牛の牛乳?」
「それ言い出したら、人類みんなホモかって話になるでしょ」
牛乳に卵、ホットケーキミックス。簡単なクッキーを作るならこれでオッケーかな。ちゃんとバターを作れる牛乳を用意してくれたので、私も手提げからハンディミキサーを出す。
「じゃあこれ使って、まずはバター作ろう」
ステンレスのボウルに牛乳を入れて、ハンディミキサーでかき混ぜる。あんまり速くすると飛び散って大変だからねと念を押してから、菜々美に任せてほんの五分くらいでもう固形分と水分が分離し始めた。
「わーすごいね!」
ぎゅいーんと回転するハンディミキサーの先に、みるみる黄色っぽい固まりがくっついていく。ちと残った牛乳が多いな……これは少しクッキーに使ったら、残りは沸かしてミルクティーにしよう。ここにそのまま粉を入れたら、クッキーにするにはゆるゆるで向かない感じになりそうだ。
「へー、バター完成だねっ」
「いい感じだね」
固形分を全て小さめのボウルに移す。一リットルくらいの牛乳からこれくらいしか出来ないのか、というくらいにちんまりとした固まりがそこにあった。五十グラムもあればいいくらい。
「よっし次は粉投入!」
「あっ待って」
しかし私の声は遅かった。
菜々美は素早くボウルにホットケーキミックスを投入したのである!ああああそれじゃゆるすぎてクッキー種にならないよぉぉぉぉぉ。
「そして撹拌」
ぎゅいいいーん。ハンディミキサーが咆哮を上げる。
「卵も投入!」
私はもう何も言えない。ただ目の前で進んでいくホットケーキ作成を眺めているだけだ。
「あれ?これ随分ゆるくない?」
「うん……残った牛乳全部使ったらそうなるんだよ……」
「仕方ないからホットケーキにしよう」
「そうだね、そうしようか」
フライパンを熱し、作ったばかりのバターを少し取って引き、手際よくホットケーキの生地を回す。ああ菜々美の手際がすごく良い。局地戦には強いけど大局が見えないタイプかこの子は。
周囲に香ばしくてわくわくする香りが漂い始める。ああこれは幸せの香り。
ぽん、と鮮やかにひっくり返す手際も鮮やかだ。思わず見とれてしまう。今フライ返しを使わずに、手首のスナップだけでひっくり返したよこの子。
「一人二枚ってとこかなー。はちみつと手作りバターで食べようね」
「美味しそうに焼けてるね」
「ふふふ、日頃からお好み焼き作って鍛えてるから」
なんか違うけど。ツッコむのはやめとこう。
「ま、最初はケーキの予定だったし?これにいちごと生クリームをデコっても美味しそうだよね」
「あー、それありかも」
「でも今日は用意してないから、バターとはちみつ」
そんなこんなで瞬く間に四枚のホットケーキが焼き上がり、二枚の平皿にそれぞれ二枚のホットケーキが積まれた。手作りバターとはちみつをたっぷりかけて完成!!予想以上に美味しそう!
「では頂きましょう」
ナイフとフォークで切り分けて、ほかほかのホットケーキを口に運ぶ。うわっ美味しい!バターの風味が違うだけで結構味が変わるのねこれ。言うなれば黄金の香り、まろやかで口の中が幸せで溢れるみたい。
「思ったより美味しくてびっくりしてるわ、あたし」
菜々美も同じ感想みたい。焼きたてのホットケーキは美味しいけれど、手作りバターだとさらに美味しい。夏休みの自由研究とかにいいんじゃない?高校じゃもうやらないけど。そしてこの美味しさをレポートで表現するのも難しいと思う。
何度かはちみつを追加して、ストレートの紅茶を飲みつつホットケーキ二枚を平らげる。うっぷ、ちょっと量が多かったかも知れない。バターが後から効いてきた。もちょっと紅茶飲もう。
「ねえ恵理」
「なに?」
「あたしが作ったバターで、あたしがホットケーキ焼いたら、これ結婚じゃなくない?恵理は何もしてないよね?」
「そもそも最初から結婚じゃないよ」
お腹いっぱいでちょっと苦しいのに、菜々美の妄想の相手なんて難しい。胃に血が回っていて、脳への血流が不足してる気がする。
「でもあたしの作ったホットケーキを恵理が食べたってことは、これは結婚でいいんじゃないかな」
「その理屈で言ったら、学食のおばちゃんはどれだけの相手と結婚してるのよ」
「……学食ハーレムって新しい概念かな」
ふうふう言いながら変なことを言う菜々美。そんな概念……ちょっと面白そうな気もする。おばちゃんだとあれだから、アラサーくらいの未亡人が学食で働き始めその料理に魅せられた複数の男女生徒と面白い展開に、とか。家庭科の実習なんかも交えて大パニック。そこに悪徳教頭の息のかかった弁当屋が、学食を廃止してお弁当販売開始の陰謀と共に学園へ……
いかんいかん、何考えてるんだ私。
満腹感に満足げな菜々美のカップにも紅茶を注いで、私はひとつため息をつく。
ああ、今日も平和です。色々と。
私と彼女のお盆ケーキ 小日向葵 @tsubasa-485
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます