変わらぬ虹

真白いろは

変わらぬ虹

 黄昏時、がりりと食む。

 広がる優しい牛乳の風味に、やはり夏は氷菓だと確信する。

 今日で1学期は終了。明日からは夏期休暇。みんなは我先にと教室を後にした。先生もおらず、ここには私だけ。さんざめきから最も遥けし場所。

 氷菓がなくなる頃、斜陽も消えようとする。空にすみれが咲き始める。

 まさに、逢魔が時。

「ねえ…。」

 扉の方を向くと、知らない女の子が立っている。長い黒髪を後ろで緩く束ねて垂らし、ただこちらを見ている。着ているのは濃紺のセーラー服。うちはブレザーなのに。この違和感は、その子の影がないのと、さっきから瞬きをしていないことだろう。

「…なに?」

「っ……怖くないの?」

「怖いけど、それより興味の方が大きいかな。」

 ずいぶんと人間味のある子だな。明らかに私と違うのに、目線を四方八方に動かしながら狼狽えている。それに合わせて緋色のスカーフが揺れた。

 段々と、その子の瞳に涙がたまる。すぐにさめざめと泣いてしまった。

「え…大丈夫?」

「違うの…!嬉しくて、驚いて…!」

 近づくと私より少し身長が低くて、華奢な体が硝子がらす細工を彷彿とさせる。しばらく背をさすっていると、その子は名前を呟いた。

 『灰桜はいざくら』というらしい。私もお返しに『花圃かほ』という名前だと教えると、にこりと微笑んだ。

「…花圃は、私のところについてきてくれる?」

「うん。今日はお母さんもお父さんも帰ってくるの遅いから。」

 灰桜がそっと私の手を握る。体温を感じない冷たさだった。頭がぼうっとして、ただ灰桜についていく。


 気づけば目の前には高級そうな扉があり、ギギギと音を立てて重く開いた。中は霞に包まれている。

「こっちよ。」

 少しずつ力が抜ける。灰桜の綺麗な声を頼りに進んだ。

 バタンと扉が閉まったかと思うと霞が解け、向こうに街が浮かんでくる。朝焼けにも夕焼けにも見える空の下、京町家のような建物がずらりと並ぶ。

 意識が浮つく中、地面だけを見ながら歩く。少し経つと土道から石畳に変わり、話し声があちらこちらから聞こえてくる。

「また1人連れてきたのかい?」

「うん。お願いね。」

 どういうこと…?なにをするの?ここはどこなの…?疑問だけが渦を描いた。そして、灰桜の冷たさが手から消える。でも、灰桜の顔を見る気力は尽きていた。

「…さよなら、花圃。」

 え…?行かないで…。どこに行くの…?足の力が抜けていくが、頑張って目線を上げる。

「待って…。」

 私の目に灰桜が映った。しかし、私はそれを灰桜とは思えない。こちらを悲しそうな瞳で見下ろし、額からは2本の尖った角が生えている。瞳は紅く、爪は長く、セーラー服に違和感を感じ得ない雰囲気が漂う。これが本当の『怪』だろう。さらりと身を翻し行ってしまう灰桜を、私はただ見ることしかできなかった。


 私…死ぬのかな…。朦朧とする意識を手繰り寄せるが、離れていくばかり。その時、自分の違和感にも気づく。私、影がない。それから瞬きをしていない気がする。どこか分からないここでは、私の方が『怪』だった。

 だが、地面を這いつくばる私に、影が落ちる。

「お前、人間か?」

 誰かが私の後ろに立っている。音の無さに心臓が跳ねた。

「灰桜のだな?まあ、これ飲め。」

 そう言って差し出されたのは小さな瓢箪ひょうたんで、中には液体が入っているようだった。でも私は地面に手をつくしかできない。

「…死ぬぞ。」

 そう言って、ぽんと栓が開けられ強引に口に押し込まれる。甘いような苦いような液体が、私の口を溢れるように満たしていく。誰かも知らないやつにこんなことされるのは癪だが、不思議と起き上がれるようになっていった。

「…ありがとう…。」

 腕で口元を拭う。青年はやれやれと言うように瓢箪をしまった。

「俺の名前は銀蛇ぎんだ。灰桜の管理役だ。おまえは?」

「花圃…気づいたらここにいた。ねえ、ここはどこなの?灰桜は?」

「…ここは、彼岸と此岸の間。怪異たちが暮らす世界。そして灰桜は魅鬼みきだった。ただそれだけのことさ。」

 そう言って銀蛇はどこかに向かって歩き出してしまう。慌ててついて行った。

 街には様々な店やら家があり、怪異たちが練り歩いている。頭上の空はさっきから変わらない。怪異は眠らないのかもしれない。しばらくすると海が見えてきた。そして、うっすらと遠くに街も見える。銀蛇曰く、あれが『あの世』らしい。私が向こう岸に言ってしまえば、どうしようが死が確定してしまうとのことだ。

 怪異たちは、ここで私たちと同じように生活している。灰桜が私をここに連れてきたのは『魅鬼』という仕事のせいらしい。人間を魅了し、ここに連れてくる。その人数によって給料が決定される。私は、用済みになって灰桜に捨てられたのだ。

「灰桜の家はすごいぞ〜。目もあやに、豪華絢爛ごうかけんらん魂飛魄散こんひはくさん、まさに金殿玉楼きんでんぎょくろうだな。」

「…つまり?」

「ひどく驚いて直視できないほど豪華で煌びやかってことだ。」

「なるほど…。銀蛇は、灰桜の何なの?」

「は?どういうことだ。」

「単なる仕事仲間?友達?あ、もしかして恋仲だったりするの?」

「はぁ!?ちげえよ!単なる仕事仲間だ…。」

 銀蛇は案外分かりやすいタイプなのかもしれない。青い髪に似合わず耳が赤く色づいている。灰桜のこと、好きなんだろうな。ちょっと応援したいかも。そう思って口元を緩ませていると、案の定、銀蛇に釘を刺された。素直じゃないやつだ。

 だが事実、銀蛇はかなり見てくれは良い方だと思う。背は程よく高く、青い髪に切長の瞳と和服がよくあっている。漫画に出てきそうな風貌だ。灰桜と並べば美男美女。誰も寄り付けない。

「…私、灰桜に会いたい。」

 たぶん捨てられたんだろうけど。でも、あの瞳が私の目に焼き付いているのだ。

「あんまり勧めないけどな。今までのやつは全員、元の世界に帰って行った。」

「それでもいい。会ってみたい。」

 銀蛇は息をひとつ吐いて、了承してくれた。そして、あ、と思い出したように言った。

「ちなみに、食おうと思えば俺らがおまえを食えるのは知ってるか?」

「はい?」

「聞いたことないか?怪異が人間を食う。特にお前はまだこっちに来てから日が浅い。神水は飲ませたけど…まあ気をつけろ。」

 いや怖すぎる。え?私食べられるかもしれないの?聞いてないんだけど。いや、妖怪が魂を食べるみたいなのは聞いたことがある。けど、本当に私は食べられてしまうのだろうか。いきなりの死亡宣告に、銀蛇の袖を少しつまんでしまった。思えば確かに、地面に這いつくばっている時はみんなが私のことを見ていた。

 その玉響たまゆら、いきなり誰かに腰を掴まれる。

「こいつ人間だなぁ?美味そうだ!」

 指がぬるりとした感触に襲われる。食われる。心臓が風にさらされたような気持ちに陥った。誰かに後ろから捕まえられたのだ。

 銀蛇が舌打ちして、見たこともないほど怖い顔でこちらを睨む。懐から小刀を取り出した。

「またお前かよ…。何回目だ、玉兎ぎょくと。」

「まあ落ち着けって〜。こいつでも食いながら酒でも飲もうぜ?」

 玉兎と言われたそいつはケラケラと笑う。そして私を俵担ぎして走り出した。銀蛇も遅れずついていく。


 屋根から屋根へ飛び移る。景色が速く流れる。玉兎の少し高い声が響く。

「私は…!灰桜に会いに行かなきゃいけないの!」

「灰桜ぁ?あんなん会ったってどうにもなんないよ。おっ、あぶねっ!」

 どうにもなんない?うるさいな。私は行かなきゃいけないの!

「…クソがっ!」

 到底若い娘が言うべきではない言葉を吐いて、ジタバタともがいた。

「あっ!」

 少し体が静止したかと思えば、すぐに地面に向かう。落ちる…!だが、謎の黒い霧にガッと体を掴まれた。危なかった…。そして上下反転させて見える景色では、銀蛇が紫電しでんを玉兎に浴びせていた。

「…はい、なにか言うことは?」

「申し訳ありませんでしたー。」

 私がまだ掴まれている目の前で、銀蛇が玉兎を土下座させている。母親と叱られている母親のようにも見えている。

「花圃、なにかこの馬鹿玉兎に言うことは?」

「…協力するなら許してあげます。」

「銀蛇の霧に掴まれながら言うこと?」

「…なら永久に土下座してて。」

「ごめんなさい、協力します。」

 こうして玉兎が仲間に加わった。なんだかすぐに裏切りそうな頼りなさだけど。


「かんぱーい!……っあー!やっぱこれだよなー!」

 玉兎が日本酒片手にケラケラする。いや、こんなことしてる場合なのかな。銀蛇も玉露入り緑茶を飲んでるし…。手元の薄荷水はっかすいを見た。この間の世界には、ある程度発展したものも来るようだ。玉兎は牛鍋、銀蛇はカレーを食べている。私はあまりお腹が空いておらず金平糖をつまんでいた。甘くカリカリした食感が心地よく、安心する。

「銀蛇は飲まねえのか?」

「そんな安酒は苦手なんだ。」

 若干ピリピリしつつも和やかなムードに、先ほどまで食べられかけていたことを忘れそうになっていた。っていうか、さっき銀蛇に斬られたのに玉兎は平気なんだ…。元気に銀蛇のカレーをつまみ食いしている。

 私はやはり、間の世界の食べ物を口にしないと死ぬらしく、金平糖を食べるにつれて元気になっているのをひしひしと感じていた。

 というか、改めて感じたことがある。死霊と怪異は違うらしい。怪異は怪異の社会に属していたのだ。確かに思い返せば子供にもすれ違っていた。てっきり、亡くなった人が恨みを抱えていたら怪異になるものだと思っていた。やっぱり私たちとも似た部分はあるのだ。

「で?灰桜に会ってどうすんだ?」

「…どうしよう。」

「決まってなかったのかよ!月夜の蟹か!」

「…怪異って、死んだりするの?」

「…まあな。普通に飯食わなければ死ぬし、満足できたら彼岸に渡ればいいからな。」

「灰桜を彼岸送りにする気かぁ?」

「違うよ。でも、苦しそうだったから…。」

 不意に、銀蛇と玉兎が下を向いた。でも、一息ついて再び食べ始める。なにかあるのかもしれない。


「それじゃあ…。行くか。」

「緊張するなー!」

「なにかあったらよろしくね。」

 目の前には豪邸が。大きく華やかに飾られ、確かにこれの前では身が引き締まる。

 銀蛇が慣れたように門をくぐり、それを玉兎と私がついていく。庭を掃除したり出迎えたり、使用人もいるようだ。高そうな壺や花瓶、皿が並ぶ中、銀蛇はずんずん進んでいく。何回も来たことがあるようだ。

「入ります。」

 銀蛇が襖を開ける。女性が1人、開かれた窓枠に座っていた。いや、灰桜なのか?

 艶やかな黒髪を結ばず流し、少し着崩された和服の上からでもスタイルの良さが伺える。黒々しい角だけがそのまま残っていた。

「…なぁに?」

「こいつが話があるそうで。」

「…そう。それなら銀蛇は待っていて。玉兎は?」

「花圃の懐刀として来ましたー。」

「そう。それならいていいわよ。」

 灰桜は私を見ず、どこか遠くの方を見ている。私から話すべきなのだろうけど、不思議と言葉が出てこない。しばらく、静かな時間が流れた。空はずっと変わらない。玉兎は退屈そうに壁に寄りかかった。

「…なんで、そんな顔するの?」

「え?元々こんな顔よ。」

「私には、灰桜は悲しそうに見える。どこか苦しそうで、それを誰にも言えない…みたいな。」

 それを聞くと、灰桜は窓枠から降りてこちらへ来た。畳の上に正座している私の頬を優しく撫でる。そしてあの時のように微笑んだ。でも、今はそれが演技だとすぐに分かり、目を逸らす。

 ため息をひとつ。灰桜は私の首をやわく握って畳に押し付けた。流石に驚いて声が出る。玉兎もすぐに起きて懐に手を入れた。

「怒らないでね、玉兎。しょうがないの。すぐに帰らない花圃がいけないんだもの。すぐに帰れば何もしないのに…。しょうがないわよね?邪魔なものは掃除しないと。元々いなかったことにすればいいのよ。…人間を食べるのは、久しぶりね…。」

 深淵の瞳に汗が噴き出る。でもなんで…なんでそんなに苦しそうな顔をしているの…?

 灰桜がぎりりと歯を鳴らし、手に力を入れる。

「っ……!」

 玉兎が何やら言葉を唱えて光の玉をぶつけた。しかし灰桜は止まらない。苦しい。死ぬ。息ができない。玉兎が灰桜を斬る。しかしかすり傷までに回復してしまった。

 死ぬ…!その時、視界の隅に飾り箱が見えた。机の下に落ちている。奇貨きか置くべし。藁にもすがる想いで、その中身を掴んで見せつけた。

「花圃…?」

 力が緩まる。その隙に玉兎が私を引き寄せる。銀蛇は来ない。あくまで灰桜側ということだろうか。

「なにをしているの…?」

「近づかないで…!近づいたら…壊す…!」

 そう言って見せつけると、初めてそれが宝石だと気付いた。これは手で壊せない。けど灰桜は戸惑っている。窓から差し込む光で宝石が煌めき出す。段々と輝きが強くなる。そして気づけば…なにかを見ていた。


 私は、可哀想なんかじゃない。

 確かに仕事は失敗ばかりするし、内気で友達もいないけど、可哀想じゃない。

 ほら、笑顔を作るの。口角を上げて、目を細めて。そうすれば全てが綺麗に見える。

 気弱なふりをして油断させ、引き摺り込んで差し出す。今まで何人欺いたか分からない。どうせ元の世界に戻ったら忘れるんだし、気にせずに連れてくる。

 気づけば私は有名になって、家は大きくなって使用人も雇えて、私だけの管理係もできた。だけど何かが足りない。こんなにも私は栄えたのに、何かが足りない。

 ある時、綺麗な宝石をもらった。少し良い関係になった男性からだ。私のことを愛しているらしい。けど、やっぱり何かは足りなかった。

「なんで…。」

「富の多さより、大切なものがあると思うんだ。すまない。」

 他の女ができていた。憎たらしすぎるあまり、そいつと女を間接的に追い詰めてやった。管理係だけが、何も言わなかった。

 私は全てを持っている。けど、何かが足りない。

 もう富はいらない。けど、失うのも怖くて連れ込み続ける。いつになったら、終わるのかな。

「なんで…。」

「灰桜…!?」

「騙したのね…!?」

「許さない…。」

 人間の声が、私に絡みついて解けない。

 もう、疲れたな。


 …気づけば元の景色に戻っていて、手中の宝石を思わず見つめてしまった。しかし、灰桜の声で目が覚める。

「…私は…私は…。」

「灰桜…?」

「私は!可哀想じゃないの!!それを返しなさい!!」

 灰桜の瞳が赤く光る。家が揺れる。ゴゴゴと地響きがする。

 ガアアアアアァァァッッ!

 ミシミシミシッ…

「…梨花一枝りかいっし春の雨を帯ぶ。」

「おお、銀蛇。いや、悲しむっていうより、あれは怒り狂ってね?深淵に臨んで薄氷を踏むが如しだな〜。」

「それはどういう…?」

「危険ってことだ。」

 そう。私たちの目の前には…白龍が出来上がっていた。

 鱗ひとつひとつが金やら壺やら平皿で、相変わらず薄く差す日光に反射して輝く。龍の頭に灰桜がすっくと立つ。豪邸に巨大な穴が開き、玉兎がいなければ瓦礫を被るところだった。

「で?どうすんだ?土下座でもするかぁ?」

「するわけない。とりあえずあれを倒す!」

「…しょうがねえな。行くぞ。」

 龍の尾が振り下ろされるのを合図に、二手に分かれて駆け出した。

 玉兎に手を握られ、屋根の上を駆ける。銀蛇が龍の体を伝い上がる。

 咆哮が耳をつんざく。喉が痛い。でもこの手は離さない。ほら、銀蛇があともう少しで灰桜の元に…

「あなたまで私を裏切るの!?」

「違う。信じているから来たんだ。」

「嘘つき!」

 短剣が宙を舞う。銀蛇の腹部を貫いた。銀蛇が、落ちていく。でもすぐに受け身を取った。

 金銀財宝の胴を駆け上がる。灰桜は頭を抱えてうずくまっている。その時だ。疲労からか、足場が急に滑る。

「花圃!」

 ぐるんと玉兎が私をぶん投げた。この変わらない空へ飛ぶ。玉兎は落下する。

「灰桜!」

 心の底から精一杯。届くように声を出した。

「っ…!はぁ…はぁ…っ!」

「…人間は、とても頑張るわね。」

 灰桜にかぶさるように着地したのに、当の本人は空である。龍はもう動かない。静かな時間が流れ出す。

「灰桜は、1人じゃない。」

「ええ、そうね。たくさんの栄華があるわ。」

「私がいる!」

「…人間なんて、すぐに死んでしまうわ。」

「…でも私、あなたの、ことが…好き…だか…ら…。」

 頭が回らない。そして、膝から崩れ落ちた。

 時間だ。

 また何か食べないと。死んでしまう。でもぼーっとして力が湧いてこない。頭が下がっていく。気づけば、虚空に体がのり出していた。内臓が、ふわりと浮かぶ。あ、落ちる。怖くて目を閉じた。

「っ……!」

「え…?」

 灰桜が私の手を掴む。落とさまいと、強く握っている。

「花圃…!」

 でも再びふわりと浮いて、灰桜の手を握ったまま地面に向かう。灰桜の少しの涙が上に向かって、それが反射して、綺麗だなと思った。こんな時でも、空は変わらないんだね。

「…あっぶねー!」

「大丈夫か?」

「よかったぁ〜…。」

「…ありがとう銀蛇…。」

 これでついに4人集合。銀蛇の甘苦い水のおかげで私も立てるようになってきた。

 灰桜が、息をひとつ吐く。

「…私は今まで、何かが足りないと思ってた。もっと特別な、何かになりたかった。けど、花圃のおかげで気づいた。私を縛ってたのは…私だった。」

 灰桜の瞳から荒涙が。銀蛇から受け取った手拭を大事そうに持つ。

 サアアァァッ…!

 龍の体が溶けていく、桜の花びらになって。とても綺麗で、胸がときめくような想いが込み上げる。

「…私、彼岸に渡るわ。」

「え!?」

「疲れてしまったもの。」

「…それなら、俺も行く。また気負われると困るし…。」

「ふふふっ。ありがとう銀蛇。」

「俺はまだここにいるぜ?美味いものいっぱい食うんだ〜。」

「…あっ!灰桜。これ。」

 ずっと左手に握りしめていた宝石を、灰桜に渡す。けど、灰桜はそれを私に握らせた。そして言う。

 またね、と。

 いつかは分からないけど、私がお婆ちゃんになって、彼岸に渡ったら…また会おう。

 玉兎が自分の指を噛み、近くのまだ壊れていない壁に血を伝わせる。穴が開き、遠くの方に灯りが見えた。

「ここから帰れるぜ〜。振り向くんじゃねえぞ?振り向いたら食ってやる。」

「…元気で。また会おう。」

「うん!2人ともありがとう!」

「…花圃。ありがとう。私も花圃が好き。」

 灰桜が優しく私を抱く。私もお返しに抱き返した。いつもならこんなことしないのに。さんざめきから逃れることばかり考えていたのに。私も、気づいたんだ。

 空は変わらない。朝焼けなのか、夕焼けなのか。あの薄荷水の味が恋しい。まだ舞い続けている花びらも美しい。

「…エモい。」

「…どういう意味?」

「とっても素敵ってこと!それじゃあ、またね!」

 振り向いて、明かりに向かって歩き出した。

 口にはまだ甘苦い味が残っていた。


 黄昏時、がりりと食む。

 広がり終わった優しい牛乳の味が儚い。

 右手に握っていた氷菓の棒を、鞄にしまった。

「これ…なんだっけ。」

 さっきから握っていた宝石を見つめる。虹色に輝いていて、とても綺麗。何か大切なものな気がする。だって私、泣いているから。これが何か分からないのにね。

 明日から夏休み。なにをしよう。そして…。

 この宝石に懐かしさを感じているのは、なんでだろう。


 『蛍石ほたるいし

 フローライトとも呼ばれる。加熱すると蛍のように発光することからその名がついた。紫外線を当てると蛍光に輝く。スピリチュアルな意味としては、『創造性』、『邪気払い』、『清らかな愛』。

 

 『桜』

 様々な品種があり、花言葉も多岐に渡るがどれもがポジティブな意味である。主な意味は『清純』、『優美な女性』。また、散る桜には『私を忘れないで』という意味もある。

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変わらぬ虹 真白いろは @rikosyousetu36

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