作品43『電話』
安乃澤 真平
作品43『電話』
これは、私が小学生だった時の話です。
時期ははっきりと覚えていませんが、
5年生の4月に転校してきたS君と一緒に体験したことなので、
5,6年生の間に起きたことになります。
当時、私はそのS君と毎日のように遊んでいました。
S君は転校生ということもあり、新生活に不安を抱えていたところで、
すぐに友だちができたことが嬉しかったとのことです。
それは母親同士がママ友になった後に、母から聞きました。
「きょうも砂利公園で遊ぼうよ!」
そう言って毎日のように公園で遊んでいました。
ここで言う砂利公園というのは、近所にある第一公園です。
遊具は何もなく、砂利が敷かれた広場があるだけなので、
町内の人たちからはそう呼ばれていました。
幸いにもその公園はS君と私の家の中間にありましたので、
集合場所としてはちょうどいい場所でした。
私はランドセルを玄関に放り、
そのランドセルが床に落ちる間もなく、
毎日急いで公園へ向かったのを覚えています。
しかしその日は違いました。
私はその日、下校の道を変えて、S君の家に立ち寄ってから帰宅しました。
S君もわざわざ公園で待っているのもつまらないからと言って、
ランドセルを置いたきり一緒に私の家に着いてきてくれました。
その後すぐに砂利公園へ向かえばよかったのですが、
せっかく、しかも初めてS君が自宅に来てくれたのに、何もしないのは面白くない。
そして子ども心で、持っていたゲームやオモチャを見せたい気持ちもあり、
しばらく家に引き止めていました。
父も母も、そして兄たちも、その時は誰も家にいませんでした。
そしていよいよ砂利公園に行こうと思ったちょうどその時、
自宅に電話がかかってきたのです。
「はい! 〇〇です!」
電話の相手は男の人で、
元気と言うよりは優しい声色で こんにちは と言ってきました。
そしてしばらく沈黙した後、私にこう尋ねてきました。
「お父さんかお母さん、今おうちにいるかな?」
自宅には誰もいなかったのでそう伝えると、
「そっか。じゃあ君に自己紹介しないとね。」
男の人はそう言って、何やら自己紹介を始めました。
「○○火災△△会社の□□と言ってね……。」
その時に何を言われたかはよく覚えていませんが、
確かそんなことを言っていたと思います。
「今ね、君のおうちで火事がないかとか、
困っていることがないかを調べているんだ。」
「はぁ。」
男の人はさらに続けます。
次の言葉に、小学生だった私は疑うことを知りませんでした。
「でね、お友だちのおうちも火事になったらいけないでしょ?
僕が電話で確かめてあげるから、お友だちのおうちの電話番号、
教えてくれるかな?」
私が小学生だった当時、学校から連絡網というものが配られていました。
自分が所属しているクラスの友だちの名前が一覧で載っていて、名前の下にはそれぞれの自宅の電話番号が記載されていました。
今となっては姿を消してしまいましたが、
当時はメールシステムもSNSもありません。
学校の先生が全ての家庭に電話するのは大変なので、
先生から代表の家庭、そして次の家庭へと伝言ゲームのように連絡をつないでいくことになります。
そのための連絡網でした。
私はその有りかを知っていたので、
「ちょっと待ってください!」
と言って母の使っている棚から書類を引っ張り出し、
見つけると上から順番に伝えていきました。
今思えば、本当に愚かなことをしたと思います。
最初は、ありがとう、うんうん、 と言って聞いていた男の人ですが、
段々と言葉が荒くなってきたように感じられました。
「で、次はー? おじさんもお仕事があるから、少し急いでね。」
そこでおかしいと思いました。
そばにいたS君は賢い子で、
私が電話番号を教えていることに違和感があったようです。
二人の不安が重なったんだと思います。私たちは目を合わせました。
そこで私は確信しました。
でもどうしたらいいのか、正解がわかりません。
そこで私は父に電話しようと思いました。
どういうわけか、自宅には当時電話回線が二つあり、
万が一の時のためにもう片方の電話の使い方を母から教わっていたのです。
「ごめん、S君ちょっと代わって!」
S君には悪いことをしたと思います。
しかしその時は他に選択肢が浮かばなかったのです。
私はS君に電話をたくし、そしてもう一つの電話がある二階の部屋へ急ぎました。
お父さんの電話番号を覚えさせられていたことも幸いでした。
「お父さん、家に変な電話がかかってきてて……。」
それまで、連絡網に関する被害は聞いたことがありませんでした。
しかし学校の先生をしていた父は、そうした被害を耳にしたことがあったのかもしれません。父は冷静でした。
「もう、切っちゃっていいから。」
「途中でも?」
「うん。電話切って、公園にでも遊びに行っておいで。」
父はやはり教育者でした。
誰がどう聞いても、私がしてしまった罪は大きいと思います。
電話から聞こえてくる父の声は優しく、
そして仕事から帰ってきた後でも、父が私を叱ることはありませんでした。
父からアドバイスをもらった私は、急いでS君のところに向かいました。
S君としてもどうしようもなかったようで、電話番号を教えてしまっていました。
連絡網にあてるS君の指は、
すでに一覧の最後の列まで来ていました。
私はS君から受話器を奪い取って、勢いよく電話を切りました。
「S君、もう公園行こ!」
「えっ?」
S君は事情がわからないと言ったように口を開け、
私を眺めていました。
私たちがまごついている間にも、電話は再びかかってきます。
「ただいま、留守にしております……。」
幸いにも留守電に設定されていました。
しかしその声に被さるように男の人の声が聞こえてきました。
それが却って恐怖を増幅させていたように思います。
そこにはもう、優しい男の人はいませんでした。
「ちょっと待ってよ! まだ途中じゃないか!!」
私としては今まさに目の前にその男の人がいるように見えました。
玄関へ向かう脚は動いているというよりは、
震えながら私の身体をようやく支えているといった具合です。
なかなか玄関に到着しませんでした。
電話は切れ、そして再び鳴りました。
男の人の声が聞こえてきます。
「約束が違うよ! 教えてくれるって言ったでしょ!!」
私たちはその声に追われるように、
玄関の鍵も閉めずに砂利公園に向かいました。
その後、S君と公園で何をして遊んだのか、全く覚えていません。
私の耳には、電話が鳴る音と男の人の声がついて離れませんでした。
17:00を告げる鐘が近所に響きわたり、ようやく夕方であることがわかりました。
名残惜しいながらもその場でS君と別れて自宅に帰ると、母は私が靴を脱ぐ間もなくすぐさま抱き着いてきました。
「怖かったねぇ……。でもお父さんに電話したのは正解だったわよ。偉かったね!」
私はその時初めて、涙を流しました。
その翌日には一連の出来事がすでに学校に報告されていました。
学校の先生から職員室に呼び出されたので、
いよいよ叱られると思ったのですが、
母と同じように褒めてくれただけでした。
しかし友だちは違いました。
「おれんちの電話番号ばらしやがって。ママも怒ってたよ、親の教育がなってないって。」
しばらくそうしていじめられてしまい、当時は非常に悲しかったのを覚えています。
しかしそのあとに続く心の傷に比べれば、
そんな一時のいじめはあくまでも一時のことです。
私は34歳になった今でも、電話が鳴る度に、身体が強張るのを感じます。
了
作品43『電話』 安乃澤 真平 @azaneska
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