浴室と女子高生

ヨシモトミネ

浴室と女子高生

 美しくなりたいという願望は、行き過ぎると身を滅ぼすことになる。そんな話は世の中に溢れています。

 

 整形依存症や拒食症などは有名な例でしょうか。ここまで行き着くと事態は深刻です。

 しかしながらそこまで行かずとも、特に女性ならば、多かれ少なかれ共感いただけるのではないでしょうか。

 

 もっと綺麗になりたい。かわいくなりたい。もっと痩せたい。もっともっと――


 多少ならば可愛らしいこれらの欲求でも、それなりに身を滅ぼすこともある。――これは、そんな教訓めいた体験談です。


 私が高校生の頃の話です。


 当時の私は、そこはかとなく自分の体型にコンプレックスを抱く女子高生でした。

 標準体重の範囲にも関わらず、もっと痩せたい、もっと細くなりたいと渇望していました。しかしながら激しい運動や食事制限はしたくない――そんな怠惰な子供でもありました。 

 そんな私が、どうやらダイエットに良いらしい、と小耳に挟んだのが「半身浴」でした。


 体の血行を良くすることにより代謝を促進し、それが痩せやすい体作りに役立つのだとか。ただ長湯するだけであれば、自分でも簡単にできそうです。そう思った私はさっそく試してみることに決めました。


 温度は高すぎず、水量は少なく。みぞおちから下を湯船に付けて三十分ほどゆっくりとつかる。

 

 この三十分が意外と曲者でした。当時スマートフォンは普及しておらず、一般家庭の浴室にはもちろんテレビなんかありません。当時の私にはラジオを聴く習慣もありませんでした。

 一日目で早速暇を持て余した私は、二日目の半身浴に向けて対策を講じることにしました。


 風呂の浴槽に文庫本を持ち込むことにしたのです。


 趣味は何かと聞かれたら「読書」と答える程度には本が好きな学生でしたので、その選択は必然だったと言えるでしょう。

 好きなジャンルはホラーでした。少ないお小遣いで買い集めた蔵書の中から一冊選び、入浴のお供にすることにしました。


 体を洗い、髪をまとめて簡単に手を拭うと脱衣場に準備していた文庫本を手を取って湯船に身体を沈めます。

 ぬるくたゆたうお湯の水面が、どこか黄ばんだ印象のある蛍光灯の光を反射していました。

 

 何の本であったかは記憶にありません。薄めの文庫で、何度か読んだことのある――水場は出てこない話を選んだのではなかったでしょうか。怖い話が好きな割には、臆病でしたので。 


 さり、さり、と。暖かく湿った浴室に薄い紙が擦れる音が響きます。曇り止めを塗った眼鏡越しに、小さく踊る文字達を追っていきました。

 

 それが恨みに狂った霊の話であったか、理不尽な殺人鬼の話であったかは覚えていません。本の世界に生み出されたおぞましいものたちは、文字を通じて私の脳内に入り込み、形を持って暴れ狂い、じわじわと恐怖の世界へと引きずり込んでいきました。

 そうして、物語も佳境に入った頃

 

 ――ふと、背筋にぞくり、としか形容ができない感覚を覚えました。何かおかしい、得体のしれない本能的な恐れのような感覚が、浴槽に浸かる私をひたひたと支配していきます。

 浴室というのは大変無防備な場所です。逃げ場もなく、何より全裸です。

 今更ながら、そんな場所でこんな本を読み始めてしまったことを後悔しました。

 

 浴室に出る霊、血で染まった湯船――湯の中へと引きずり込まれる哀れな被害者。そんなどこかで見たことのあるような場面ばかりが次々と思い浮かび始めます。 

 もはや半身浴どころではありません。そういえば本に夢中になっていたせいで、予定時間の三十分も大きく過ぎていました。

 

 風呂を上がろうと決めて、手に持った本が濡れないよう慎重に、湯船から立ち上がりました。


 浴室の床を踏み、浴室と脱衣場をつなぐ扉に手をかけます。バスマットの柔らかい感触を踏みしめて――私の意識は、そこで一度途切れています。


 

 ――心配して見に来た母の声で、私は気が付きました。どうやら、浴室から出た瞬間にふらついて尻もちをついていたようです。ほんの一瞬だけ意識を失っていたようでした。

 

 脱衣場に全裸でへたり込む私の姿は、さぞかし母の目には間抜けに映ったことでしょう。恥ずかしさからぶっきらぼうに大丈夫とだけ答え、バスタオルで体を拭きました。


 濡れた髪をタオルでまとめ、服を着て脱衣場を出てリビングへ行きました。髪の水分をタオルで拭き取り、ドライヤーで髪を乾かすためにタオルを外しました。


 そのタオルが、真っ赤に染まっていました。


 さすがに悲鳴を上げた私のもとに母がすっ飛んできて、血まみれのタオルに私と同じく悲鳴を上げていました。


 後頭部を確認してもらったところ、耳下のあたりがぱっくりと割れて生々しい傷跡になっていたそうです。

 

 ――その後は、慌てて時間外診療に駆け込んで処置していただきました。医療用ホチキス三針の処置が、頭を打った時よりも痛くて少し泣きました。

 

 なんてことはなく、入浴中に感じた怖気はのぼせたことによる悪寒でした。脱衣場でふらついたときに後頭部を打って怪我をしていたようです。頭がぼうっとしていて、怪我をした瞬間は全く痛みを感じていなかったので気づかなかったのでした。

 時間外に対応していただいた医療関係者の皆様には多大なるご迷惑をおかけしました。反省してその後は長風呂を一切しておりません。

 

 今思うと、愚かな子供の浅知恵によるちょっとした事故の話です。けれど、振り返ってふと思うのです。

 

 もし、打ちどころが少しでも悪かったら

 もし、私が一人暮らしであったら


 そんなもしが重なれば、こんなことがきっかけで命を落とすような事もあった――かも知れない。

 

 脱衣場で一人事切れた全裸の女。暖かい湯気で腐敗が進んだ体には虫がたかり、素人目にはそれが何なのかも良く分からない液体が染み出して、近所の人からの通報により発見される。そんな私の体に絶句して、悲しむ両親達――

 

 そう思うと――少しだけ、怖いな。と思ったのです。

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