第2話 今宵の月のせい②

 夜の帳が下ろされても、ロザーナたちの住処、白亜の古城の麓にある飲食店街は目が眩むほどぎらぎらと輝く。


 カナリッジは吸血鬼の存在や移民の多さ、貧富の差などが起因し、あまり治安の良くない国だ。本来ならば、女性が夜に一人飲み歩くなど危険極まりない行為。

 しかし、暴漢が束になってかかってもロザーナの強さには敵わないこと、組織のお膝元の街は国内でも比較的治安が良いため、ふらりと一人飲み歩ける。


 二軒目までは静かに飲みたくて、小さなバーのカウンターの隅で一、二杯ビアーを引っ掛け。三軒目以降はどうにも誰かと話したくなり、たまにミアやラシャなどと飲みに行く顔見知りのバーで食事も兼ねて数種類のビアーを浴びるように飲む。

 それでも全然足りず、四軒、五軒……、と、近隣のバーを飲み歩き、夜の十一時近くに七軒目のバーへと足を運ぶ。


 この時、ザルなロザーナにしては大変珍しくほろ酔いだったが、『せーり前だからかなぁ?』と特に気にせずにいた。


 丸太造りの素朴な雰囲気のバーの扉を潜る。ディアンドル姿の給仕女たちが、ビアーのジョッキを運びながら、「いらっしゃい!」「ロザーナじゃん!ひさしぶり!」と親しげに呼びかけてくる。

 以前、組織が追っていた賞金首がこの店へ飛び込み、給仕女たちを人質に抵抗した際、ロザーナが捕縛及び彼女たちの救出を行った。それからというもの、お得意様とまではいかないが、たまにこの店に足を向けることがあった。


「ほら、ロザーナ!早く座った座った!」

「ちょうど奥の広いテーブル席が空いてるよ!こっちおいで!!」

「賄いちょっと余ってるけど食べる?!」


 他の客そっちのけで、わらわらとロザーナに集まっていく給仕女たちに、店主や他の客たちが呆れながらも文句を言わずにいる。女たちにいざなわれるまま、指定された席へ移動する。


「ねー!わたしらも一緒に飲んでいい?」

「もち、自分の分は自前だから!」

「おいおーい、みーんなこの美人さんのとこにいっちゃうのかよー」

「えー、いいじゃーん。もうオッサンたちの相手飽きちゃったぁ!」


 給仕女たちがなかなか失礼な返しをするが、周りは苦笑するのみ。この店の、こういう緩い空気が気に入っている。


「よぉーし!みんなで飲も飲もっ。あたしも女の子とおしゃべりしたい気分だしぃ?」

「ちょっとロザーナってば、オヤジ臭ーい」

「えぇー、そーお?」


 昼間、マリウスには無駄なおしゃべりは嫌いと言ったが、楽しい話なら大歓迎。

 きゃらきゃらと朗らかな笑い声に包まれ、酔いに任せる内に、給仕女たちとの会話はどんどんディープな女子トークへ移っていく。女子トークが盛り上がれば盛り上がる程、ビアーも進んでいく。昼間の最悪な気分は消え去っていく──……





 ※※※※※




「……で、僕が呼ばれた訳」



 数時間後の深夜未明。

 ビアーの空瓶と空の大ジョッキで埋め尽くされたテーブル、酔いつぶれてソファーで撃沈するロザーナを見比べるアードラから珍しく笑みが消えていく。


「ご、ごめんねー、アードラくん……」

「今日はこの辺りで飲んでるって、小耳に挟んだから……」

「なにそれ、こわ。どこ情報?ロザーナなんてそこら辺に転がしておいたって問題ないと思うけど?……って言いたいとこだけど、キレーなおねーさんたちに頼まれたら断れないよねぇ。でも、タダで酔っ払いの面倒見るのも、ねぇ?」


 不穏な空気を察し、給仕女たちがごくり、喉を鳴らす。

 アードラは一度消した笑みを、今度はとろけるような甘く、人懐っこい笑みを彼女たちへ向ける。


「今度、おねーさんたちの中で誰か僕とデートしてくれない?みんなかわいくてキレーだし、一人じゃなくて全員でもいいよ」


 半分冗談、半分本気で言った筈が、給仕女たちは一斉に黄色い声を上げた。

 職業柄、男あしらいに長けている割にチョロい、などと思いつつ、「てことでさ、ロザーナ。帰るよ。スタンじゃなくて悪いけど」と呼びかける。が、むにゃむにゃ、うーん……、と返事ですらない、意味をなさない言葉が返ってきたのみ。

 うわ、マジでめんど……、と、辟易しながら、「ほら。スタン以外の野郎に触られたくないだろうけどさ」と、無理矢理抱き起そうとした。


「いった!」


 案の定、ロザーナの肩に触れられる寸前で力一杯手を叩かれた。


「あのさぁ、状況察して?あいたっ!!」


 二度目は更に強い力で叩かれ、アードラの手の甲が真っ赤に腫れ上がる。

 三度目は叩くのみならず鋭い蹴りまで繰り出された(蹴りは寸でで避けた)


「(ピー)されたいの?いや、あとあとめんどくさいからしないけどね?」


 最早、アードラから笑顔は完全消失、癖のある前髪の隙間から太い青筋が見えた。


「あ、あの」

「ん?なに?」


 ただならぬ気配に、閉店作業そっちのけで成り行きを見守っていた給仕女の一人が、「ホールドウィンスタンの表向きの姓さん、今日はいないの?」とおそるおそる問うてきた。


「残念ながら今日は、ん?今日もか。仕事。ひょっとしたら終わって住処に戻ってるかもしれないけど、確証はないかな」

「そ、そっか」

「迎えに来たら来たで、溺愛する子猫ちゃんケッツヒェンの醜態にショックでぶっ倒れるかもね」

「え、それは困るかも」

「だよねぇ?こんな時は力でも精神的にももっと頼れそうなの呼んだ方がいいね」


 自らがまるで役に立たなかったことは棚に上げ。

 アードラは店の電話を借り、今頃床に着いているだろう、とある人物に連絡した。





 ※※※※



「……今何時だと思ってる」

「午前二時十一分三十二秒」

「時間を答えろとは言ってない!」


 閉店作業が終わり、ほぼ力ずくで店内から軒先へ引きずり出したロザーナと共に見慣れた黒い車体を迎える。車から出てきた、運転手ことイェルクは珍しく仏頂面を下げている。おまけに髪も結わずにボサボサ、寝間着のまま。眼帯も羽織も身に付けていない。


「あ、やっぱり寝てた?」

「やっぱりじゃない!」

「カリカリしないでよ。だって僕の手に負えなかったし。見てよ、名誉の負傷」


 そう言って、ロザーナを店から引きずり出す際、叩かれるわ引っかかれるわで傷だらけの両手を見せつける。


「あとで慰謝料と治療費しっかり請求しなきゃ。スタンからもね」

「ロザーナはともかくスタンは関係なくないか?」


 まったくお前という奴は、と、げんなりしながらイェルクがロザーナを抱きかかえようと──……


「痛いっ!!」

「うわ、グーで殴った。いたそー」

「黙って見てないで手伝え!!」

「やっとおとなしくなったと思ったのに」



 普段酔わない人間が酔うとめちゃくちゃめんどうくさい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る