第3話 今宵の月のせい➂

 全身がひどく気怠く重苦しい。頭全体が割れるようにガンガンと痛む。

 このまま横になっていたい。一方で、靄がかっていた意識が少しずつ浮上していく。

 そうすると、身を起こした方がいい気もしてくる。


 瞼がぴくり、ぴくぴく、何度か痙攣する。目が自然と開きそう。

 身体の自然な動きに任せよう。ほどなくして、ロザーナの目はゆっくりと開かれていく。


 白い石造りの天井はロザーナ(とミア)の私室と同じ。でも、ベッドのマットの質感、シーツや掛布、枕の種類が違う。違うけれど、自分の物の次に使い慣れてきた物──


「……あらぁ?」

「気がついたか」


 目線と顔の向きだけ、声の方向へずらす。

 薄暗い読書灯と、窓から射し込む満月の光が青白い顔を浮かび上がらせる。


 ロザーナに呼びかけられるまで、うつらうつら、微睡んでいたらしい。

 ベッドサイドの椅子に腰かけ、ロザーナに向き合うスタンの瞼は下がりかけ、疲れが前面に現れていた。


「ちょうどひと仕事終えて戻ってきたら、アードラとイェルクが悪酔いして正体失くしたお前を連れて帰ってきた。アードラひとりなら色々疑ったところだが、明らかに寝起きの体のイェルクが一緒だったから、あいつの発言を信用することにした。……にしても、飲み過ぎだ。たまたま、あいつらがいたから良かったものを……」

「ご、ごめんなさいぃぃ……。スタンさんもホントは眠いんでしょお?」

「俺は好きで様子見てるだけだし別に良い。あいつらには、明日にでも謝罪と礼をしっかり伝えておくんだな。特にアードラはうるさいから、少しばかり金の用意もしておくといい」

「う、うん……、わかったわ……」

「とにかく無茶な飲み方には今後気をつけろ。俺からはそれだけだ。今晩は……、って言っても、もう三時半過ぎてるが、今日は朝までここで寝てろ。俺はシャワー浴びてくる」

「……あ、ねぇ、待っ」


 私室に備え付けの浴室へ向かう背中を呼び止めようと、勢いよく起き上がる。

 途端に視界がぐらぐらと反転し、強烈な吐き気が込み上げてきた。


「…………きもちわるい…………」

「……は?……」

「…………吐きそう…………」

「待て待て待て?!ここで吐くな!!トイレ行くぞ!トイレまで我慢してくれ?!」


 スタンが戦闘時並みの素早さでロザーナをさっと抱きかかえた。背丈は自分とほとんど変わらないのに、この力強い腕は男の人だなぁと吐き気をもよおしつつ、妙な感慨を覚えている間にトイレへ到着。

 スタンが背中を優しく擦り、髪を汚さないよう押さえてくれたおかげで心置きなく(?)吐き出しきることができた。


「……ありがとぉ。もうだいじょうぶ……」

「……そうか、よかったな……。とりあえず、水飲んでおくか……?」


 小さく頷き、差し出されたグラスを受け取る。

 こくこく、と、ゆっくり時間をかけ、ちょっとずつ冷たい水を飲む。ほんの少しだけ、頭がすっきりしてきたような。


「少しは落ち着いたか?」

「うん」

「じゃあ、今度こそ寝ろ……」

「ね、シャワー、一緒に浴びなぁい?」

「はっ?!?!何考えてる?!ダメに決まってるだろ?!」

「えぇー、なんでぇ?」

「お前まだ酔い醒めてないな?!」

「なんでそーなるのぉ?だって汗かいてるしぃ、リバースしたしぃ、きれいな身体で寝たいなぁって」

「ま、まあ、それはそうだろうが……、って、別に一緒に浴びる必要ないじゃないか?!」

「二人まとめて浴びた方が時間と水道代の節約?」

「そこは伯爵アールが気にすることで俺たちの気にすることじゃないと思うんだが?!」

「それにぃー、別にえっちなことする訳じゃないなら、特に気にすることなんて何もなくなぁい?」

「………………そうだな………………」



 スタンの目の下のクマが一段と濃さを増し、顔色も悪くなったが、ロザーナが気づく由もなかった。







 ※※※



 ロザーナと二人で浴室に向かったものの、彼女が言った通り、やましい雰囲気には一切ならず。ならないどころか、まるで大きな猫の洗濯をしている気分にスタンは陥っていた。


 なぜなら、シャワーを浴びたいと駄々を捏ねた癖に、ロザーナときたらいざ浴室へ入ると簡単に湯気に当てられてしまったのだ。

 仕方がないので、自分の汚れを落とすのはそこそこに、彼女の汚れを落とすのに専念し、身体や髪の水気を丁寧に拭き取る。特に長い髪は丁寧に乾かしてあげた。


 今日の任務はいつもより骨が折れた分、相当疲労も溜まっているのに自分は何をやっているのか。否、そもそも、ロザーナが何をやっているんだ。


 ようやく潜り込んだベッドの中、隣で寝息を立てるロザーナに文句の一つも言いたくなるが、穏やかな寝顔に癒されてしまってどうでもよくなる。ここまでくると一種の病気かもしれない。


 この寝顔をいつまでも眺めていたいが、今日は午後からとはいえ別件の仕事がある。ベッド脇の置時計で時間を確認すれば、もうすぐ五時二十分。いい加減寝なければと思い、目を閉じた時だった。



「…………寝たんじゃなかったのか。あと、」



 どこ触ってるんだ。



「だってぇ、今日は何にもしてこないからぁ」

「……今日の昼から仕事あるんだが?いい加減にしろよ、この酔っ払い」

「もう酔っぱらってないもん」

「嘘つくな」

「嘘じゃないもん」

「ロザーナ。お前、本当にちょっとおかしいぞ?吐くほど飲むとか、駄々が酷すぎるとか、情緒不安定過ぎないか?何か嫌なことでもあったのか?」


 さすがに呆れや苛立ちより心配が勝ってきたので、眠気を堪えて問い質す。

 すると、にこり、不自然なまでの柔和な微笑みで「特に何もぉ?」と返されてしまった。


 ロザーナがこの手の笑顔を見せる時は図星をつかれた時。

 そして、無理に問い質そうとすると却って意固地になることをスタンは周知している。


「そうねぇ……、しいて言うなら、せーり前だからちょっと不安定になっちゃったのかもぉ?」


 にしては、自分含め、周りに少々、否、だいぶ手を焼かせているのでは。


「でもぉ、みんなに迷惑いっぱいかけちゃったから、これからは気をつけるわ」

「そうしてくれるとありがたい。……で、何をそんなに不安に感じた?」

「言いたくない」


 鋭く、吐き捨てるようなつぶやき、掛布を握る手がかすかに震えているのを確かに目にすると、スタンはそれ以上何も言えなくなった。追求を重ねたことをしまったと後悔した。


 ロザーナが突き放した態度を取るのは、心が深く傷ついている時。そして、彼女はその傷がある程度治るまで誰かに触れられることを良しとしない。

 だから、ロザーナの方から傷口を見せてくれるまで、決して暴いたりしないと決めていたのに。


「……言いたくない、けど、スタンさんに触れたら、きっとだいじょうぶになる、かもって、いたっ」

「弱ってるときになし崩し的にするのは良くない気がするし、俺がそういうのは好きじゃない」


 軽く額を弾いて黙らせる。

 ロザーナは、いたーい、と額を押さえていたが、ふっと、嬉しそうに笑うと、無言でぎゅっと抱きついてきた。


「ちょ、おま、だから」



 こいつ、本気で俺を寝かせない気なのだろうか。




(了)



 ※月面書くかもしれないし、書かないかもしれない。




























  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る