夕日に煌めくその笑顔

わんころ餅

キミにどんどん惹かれていく

 ――キィン!


「ファール」


 そう呟いた俺は放課後の教室の自席に座っていた。

 天井を見つめ、何も考えずボーっとしていた。

 全てにやる気が起きず、家に帰るのも億劫だった。


「ねえ!なんでファールって分かったの?」


「えっ……」


 どうやらさっきの独り言を聞かれていたみたいで女子生徒が話しかけてきた。

 面識が無く、クラスも違えば学年も違うようだ。

 最近視力が格段に落ちて、足音だけしかわからなかった。


「だーかーらー!なんでファールなの?」


 彼女はどうやら「ファール」の意味を知りたかったようだった。

 俺は面倒にも思いつつ、彼女のまっすぐで綺麗な瞳に心を躍らせた。

 ……顔に出ないようにそっぽ向く。


「バットの音で大体わかるんだよ。野球、やってたし……」


「ふうん……。やっぱり耳が良いんだね!」


 納得したような、していないようなそんな表情をしながら俺の聴力をほめてくる。

 俺はちっとも嬉しくない。


「でも、なんで野球やめたの?」


 ズケズケと人のプライベートに入り込んでくる彼女に少し嫌気を刺し、俺は立ち上がり教室を出ながら答える。

 

「俺はもう野球ができないんだ。やりたくても、させてもらえない。それだけだよ」


 そのまま廊下に出ると腕を掴まれ、帰る事を許されなかった。

 彼女の顔は申し訳なさそうな顔をしていて、こっちも言いすぎたかなと反省する。


「じゃあさ!吹奏楽部に入らない?野球は出来なくても応援はできるよ!」


「勧誘かよ……」


「良いじゃない!うちは鈴音。『すず』って呼んでいいよ?」


「呼ばねーよ」


 どうやら彼女……すずは吹奏楽部に俺を勧誘しようとしていたみたいだった。

 因みに音楽の成績は五段階中一だ。

 赤点だ。

 いつも補修をさせられているくらい苦手だ。

 歌はともかく楽器なんてリコーダーですら下手くそだ。


「その耳なら活躍できると思ったのにな……」


「冗談はよしてくれ。こちとら音楽の成績は一だぞ?いつも補習くらってんだ」


「でも、声は出せるんでしょ?」


「あーっ!やめやめ!俺は音楽なんてしたくないんだよ!一人にしてくれよ……」


 本音が出てしまって俺はハッとしてすずを見る。

 しょんぼりしていても、しっかりと腕は掴んでいる。

 すずは諦める気が無いようで俺は根負けする。

 校舎の階段に座ると、すずは隣に座る。

 ふわりと彼女の匂いが漂い、思わず嗅いでしまう。

 シャンプーかリンスの匂いだろうかとても良い匂いだった。

 彼女は少し暑そうに手を団扇代わりにして仰いでいた。

 真夏の校舎だ。

 いくら日陰でもクーラーが効いていなければ暑い。

 俺は暑いのは苦手だが、汗が出ないからあまり気にしないが彼女は違う。

 額から噴き出るように水滴が浮かび上がり、頬を伝ってぽたりと床に落ちる。

 制服のスカートからハンカチを取り出して拭くも、拭いた端から汗は出てくる。

 ちょっぴり塩気のする香りに少し興奮してしまう。


「……あっついねー!キミは大丈夫?」


「まあ、この通り汗かかないし。……涼しいところ行くか?」


「じゃあさ!吹奏楽部においでよ!あそこならエアコン効いてるからさ!」


 墓穴にハマった瞬間だった。

 気を遣った筈だったが、すずの目論見通りに運ばれてしまう。

 野球で言うならバント失敗からのゲッツーだ。

 俺は完全に追い込まれてしまった。

 そのまま腕を引かれ、吹奏楽部の活動場所である音楽室に連れて行かれる。

 すずが音楽室のガラスが大きく嵌められた引き違い戸をガラガラと開ける。

 室内には誰もおらず、ムワッと熱気が襲ってくる。

 すずはすぐにクーラーのスイッチを入れ、俺の前に立つ。


「ゴメンね。エアコンが効くまで待っててね」


「俺は吹奏楽なんてやらないぞ。楽器だって下手くそだし」


「下手くそで良いの!応援したい……そんな想いが大切なんだから!」


 綺麗事だ。

 すずの言いたいことは分かる。

 だが、それは本当にその気持ちで応援しているのか?と疑問に思う。

 野球部にいた頃は確かに吹奏楽部に応援してもらっていた。

 しかし、それはチームの応援であって個人の応援ではないと感じていた。

 人は誰だって好き嫌いがある。

 俺のプレーはどちらかと嫌われる方だ。

 正直言って下手くそだった。

 いつもベンチスタートでどうしようもない時か格下で絶対に勝てるしか試合に出られなかった。

 人数が少ないおかげでベンチに入れたが、多いところなら一生レギュラーになれなかっただろう。

 そんな俺の応援をしてくれるのは親だけだった。

 だから綺麗事だと思っていた。


「……俺は野球に関わりたくないんだ。やっと離れられると思ったのに、なんで俺をまた野球に戻そうとするんだ!」


 つい本音が出て、大きな声をあげてしまった。

 すずはビクッとして恐怖の表情をしていた。

 俺は申し訳なくなり、音楽室から出ようとする。


「待って!」


 俺に負けないような声で呼び止められ、思わず耳を塞いだ。

 悔しそうな表情で拳を握りしめて俺を見ていた。

 本当にコロコロと表情が変わる面白い人だと思った。


「うちは……うちは……!キミが一番遅くまで練習してるのだって知ってるし!試合に出してもらえなくても大きな声で仲間の応援しているのだって知っている!誰よりも人のためにグラウンドを整備して、道具だってお手入れして、みんなが気持ちよく野球できるようにしていたことも知ってる!」


 この人どこまで俺を見ているんだ!?

 実際のところそうなのだが、みんなの為にというわけじゃなくて、自分にできることしかしてなかった。

 そんな美しい友情ストーリではないのは確かだ。

 でも、すずの目にはそう映ったみたいだった。

 西陽がギラギラと入ってくるこの音楽室に音が入ってくる。


 ――コォンッ!


「あ、長打コース」


 ――かしゃん!


「ホームランだ」


「やっぱり、キミだって野球が好きじゃん……。別に下手くそでも良いの。うちはずっと燻っているキミをほっとけなくて……」


 すずは何もかも楽しくないと感じていた俺を心配して吹奏楽部に誘っていたのか。

 確かに野球は好きだ。

 プロ野球の好きなチームを応援だってする。

 一年間しか在籍できなかったが、チームを応援するのも悪くないように感じた。


「……下手くそでも笑うなよ?」


「入ってくれるの!?」


 そう聞かれたので頷くと両手を挙げてぴょんぴょんととび跳ねる。

 とても嬉しかったようで俺は安心する。

 まあ、陰ながら応援していくのも道だよな……。

 俺はすずの苗字を確認しようと名札を見ようとすると、汗で濡れたシャツはすずの肌と下着を映し出していた。

 俺は思わず目を外した。


「……せ、先輩……だったんですね」


「あれ?今頃気づいたの?……どうしてそっぽ向くの?」


「すみません……。そ、その……ぶ……」


「ぶ?」


「ぶ……ぶ……ブラジャーが見えてます!」


 すずは俺の指摘に自分の姿を見る。

 そして、急いで胸を隠すように腕を胸の前に持ってくる。


「え、えっち!!」


「見えてしまったんだよ!しょうがな――すみません」


 すず先輩の顔は恥ずかしさに溢れ、睨まれる。

 野球部だった頃の癖で、バスタオルを持ってきていたのを思い出し、カバンから取り出す。

 一応、ニオイを確認してすず先輩の肩に掛ける。

 すず先輩は気を取り直すように楽器を持ってくる。

 金属の楽器でトランペットみたいだった。


「トランペット?」


「違うよ。ホルンだよ。ここに口を当てて吹いてみて?」


 アルコールティッシュでしっかりと拭かれ、ホルンを渡される。

 すず先輩の言う通り口を当ててみる。


 ――ゴッ!


 前歯を強打した。

 あまりの痛みに悶絶していると、すず先輩は心配して顔を覗き込んでくる。

 その姿がとても可愛く感じた。

 綺麗な黒色のショートヘア、ちょっぴり太めな眉毛、ぱっちり二重な垂れ目、可愛らしい小鼻、思わず吸い込まれそうな唇が俺の胸を高鳴らせる。


「ゴッていったけど、大丈夫?」


「は、はい……。ちょっと物理的に難しかったです……」


 最近リコーダーを吹いていなかったので気が付かなかったが、前歯が邪魔して吹くことができなかった。

 金管楽器は挑戦すらさせてもらえず断念する。

 打楽器であるティンパニというものも、リズムが取れず不採用。

 自慢じゃないがゲーセンの『ドラムプロフェッショナル』というゲームで、一番簡単な曲でも一度もノルマをクリアしたことがない。

 自分で言って情けなくなってきた。


 結局野球部が大会に出る時だけ限定の応援としての活動となる。

 野球部でもベンチを温めていた俺には相応しいのかもしれない。

 音楽室を後にし、グラウンドの縁に設置してあるベンチですず先輩と野球部の練習を眺めていた。


「今でも野球したい?」


「そりゃあ……ね」


「今度、うちと野球しようよ!」


「先輩、運動できるんスか?」


「全然!でも、野球部の応援するならもう一回やってみなくちゃ!」


 ほんと、この人は凄いな。

 芯のしっかりした、眩しい人だ。


「これから、期間限定だけどよろしくね?兎くん」


「見た目で名前を決めないでくださいよ」


「だって名前言わないじゃない?」


 俺としたことがすず先輩に対して自己紹介をしていないことに気がついた。

 俺はすず先輩の前に立ち、手を出す。


「お、俺……白兎(はくと)って言います。こちらこそよろしくお願いします……」


 すず先輩はくしゃりと笑い、俺の手を取る。

 思わずその笑顔に体温が上がった。

 こんな見た目になっても彼女は偏見を持たず触れてくれる。

 俺はすず先輩の事を少し意識し始めた。


「危ないぞーっ!!」


 野球部員から声がかかる。

 どうやらボールが飛んできているみたいだ。

 目は悪くなっても超強化された耳でわかる。

 ボールの風切り音を頼りに手を出して硬球を掴む。


「きゃっ……!?」


 素手でライナー性の打球を捕球して、捕れたことに感動する。

 すず先輩に当たらなくて良かった……。


「あ、ありがとう……」


「どういたしまして。先輩、ケガはな――」


 俺は片手だが、すず先輩を抱きしめていたことに気がついて、慌てて離れた。

 胸がドキドキする。

 すず先輩も胸がすごくドキドキ鳴っている。

 誤魔化すように、俺は硬球を野球部員に向かって投げようとした。


「あ……」


 投げることができなかった。

 ボールを投げた時にコンクリートの壁を破壊した事を思い出して、リリースできなかった。

 腕をダランと下ろして、悔しい気持ちで胸が詰まった気がした。

 すると、すず先輩にボールを取られ呆気に取られていると、彼女は面白そうな顔をして笑う。


「ウチのピッチング見ててね!」


 両手を天高く上げて振りかぶる。


「ワインドアップ……!?」


 両手を胸の前に添えて右脚を上げ、左脚一本で立つ。

 そのままヒップファーストで前進し、ボールを持った左腕を鞭のようにしならせてオーバースローでダイヤモンドに向けて投げた。

 左脚はしっかりと地面を蹴り、ボールに力が伝わったのか、軽く百キロくらいの球速を出していた。

 ワインドアップモーションでわかった。

 すず先輩は野球経験者だった。

 そして、美しく力強い投球フォームを見ているとあることに気がつく。


「縞だった」


 俺がすず先輩を恋愛対象として意識したのは言うまでもない。

 この夏、センバツに出る野球部の応援団として、吹奏楽部に臨時部員として入部した。

 すず先輩と毎日会えると思うと、ワクワクしてしまったのだった。

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夕日に煌めくその笑顔 わんころ餅 @pochikun48

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