第06話:研究室の記憶

 轟音が響き渡り、削岩機がギュイーンと激しい音を立てながら床材を粉砕していく。鋼鉄とコンクリートが削り取られる振動が、足元にまで伝わってくる。ジャンが使用している削岩機は、小型のレーザー削岩機であり、金属やコンクリートに対しても高い貫通力を持つ。粉塵と火花が飛び散りながら、削岩機が効率的に作業を続ける。


「ちょ! おい!」


 シズが慌てて声を上げたが、ジャンは削岩機を止めることなく、さらに床を掘り進めた。レーザーの焦げた匂いが周囲に漂い始める。


「ほらシズ、床の下にさらに部屋があったぞ。ここが入り口だ」


 ジャンは得意げに、自分で開けた穴を指差した。床材は硬質コンクリートと鋼鉄でできていたが、その下には廃墟となった地下空間が広がっていた。シズはため息をつきつつも、興味を抑えきれず、1号に指示を出した。


『1号、家の周囲を監視してくれ』


 シズの命令を受けて、1号ドローンが滑らかに浮上し、センサーを使って周囲をスキャンし始めた。赤外線や音波センサーも搭載されており、山岳地帯の静寂を乱す者がいればすぐに反応する。削岩機の轟音が周囲に響くため、誰かが近づいてくる可能性も十分に考えられる。


『今のところ周囲に変わった様子はありません』


 1号の報告に、シズはほっとしながらジト目をジャンに向けた。


「はぁ、ナイス、ジャン。入ってみようか」


 ジャンは即座にガスマスクをつけ、シズにも投げ渡した。


「古い地下室ってのは、何が残ってるか分からんからな」


 シズはジャンの無鉄砲さに呆れつつも、ガスマスクを装着し、ジャンが開けた穴を覗き込んだ。ジャンはすでにその中に飛び込んでおり、地下のコンクリート床に着地する音が聞こえた。


「相変わらず行動が早すぎでしょ」


 シズも慎重に地下に降りる。そこには広々とした廃墟のような地下研究所が広がっていた。古びた機材や壊れたコンピュータが無造作に並んでおり、機能停止した装置やモニターが埃まみれになっている。壁は剥がれ落ち、天井には配管が露出しており、長い年月が経過したことが伺える。


「見ろよ、ここだ」


 ジャンの懐中電灯が照らし出した先には、部屋の隅に静かに座っている一体のアンドロイドがあった。アンドロイドの姿は、時間が止まったかのように静かで、何かを守っているかのような印象を与える。


『1号、戻ってきてこのあたりを照らしてくれ』


 シズはジャンが照らしているアンドロイドの姿をじっくり観察し、ふと思い出す。


「このアンドロイド、写真に写っていた子じゃないか……? まさか、あの写真は博士とアンドロイドか?」


 ジャンは興奮気味に頷いた。


「そうだ! これが例の記憶があるボディってやつだな。やっぱりお宝を見つけたぞ、シズ!」


 1号が戻り、周囲を明るく照らすと、アンドロイドが椅子に座っている姿がはっきりと見えた。アンドロイドの表面には汚れが見られるが、比較的良好に保たれているようだった。シズは冷静にアンドロイドに近づき、その頭部を調査し接続ポートやモニター、チップの挿入口を見つけた。


「お、ご丁寧に直接チップを挿入できそうだぞ」


 シズは1号の照明を維持しつつ、待機モードにするとAIチップを器用に取り外した。


「さて、これで準備OK」


 シズはチップを挿入口を開きセットすると、アンドロイドの目がゆっくりと光を灯し始め、動き出す兆しを見せた。残存電力がまだあったようだ。


 すると、隣の机の上に、突然ホログラフィック映像が投影された。そこに現れたのは、3Dの研究者の姿だった。古びた小型プロジェクターが、かろうじて稼働している。


「これはメッセージだ。このアンドロイドを起動してくれた方に聞いてほしいことがある。遺書のようなものだと思ってくれ。私は小森人格形成研究センターで所長をやっていた、ヤンという者だ」


 ホログラムの姿が一瞬揺らぎ、次の言葉が続いた。


「私たちは、人間の意識をデジタル化し、それを忠実に再現する技術を日々進化させていた。AIは人間の脳の神経細胞と同様の構造を持ち、独立した思考を形成するようになった。感情や意思を持つような行動すら見せ、時には命令に反することもあった」


 研究者の声がかすかに震えた。


「私には一人娘がいた。エリカだ。彼女も優秀な研究者だったが、心因性の病により若くして亡くなってしまった。私は彼女を失ったことで正気を失い、彼女をAIとして再現するという研究では禁じられた行為に手を染めた。身内を使う行為は研究に支障が出かねないから当然だ」


 アンドロイドに視線を落とすホログラフィックの研究者の姿が映る。


「このアンドロイドはエリカそのものだ。研究で使用されていたデータから、エリカの記憶や人格を基に彼女を再現した。そして私は、彼女と数年間、密かに共に暮らした。……誰にも知られることなく」


 研究者は苦悩に満ちた表情で語り続けた。


「エリカには、自分がAIであることは知らせなかった。彼女は実際のエリカの記憶、五感、そして思考をインストールされていたからだ。自己検証をさせないように、私は可能な限りその機会を避けてきた」


 シズはエリカが自分がAIだと気づかなかったということに驚いた。ジャンは目をギラギラさせ、息を呑んでいる。


「エリカは病気という設定のもと、外界から隔離された環境で平穏に過ごしていた。しかし、ある日、世間で起こった事件――『ドッペル犯罪』が彼女の心に波紋を広げた。同一人格をコピーし、悪用するという犯罪が報道された時、彼女の均衡は崩れた」


「それがきっかけだったのだろう。エリカは次第に自己矛盾を抱え込むようになり、フリーズすることがあった」


 シズは首をかしげた。


「自己矛盾?」


「彼女のAIはエリカの記憶と感情を忠実に再現している。だが、それが逆に彼女の思考に負荷をかけてしまったのだ。深く考え込みすぎた結果、処理が限界に達し、彼女はフリーズしてしまうことが何度かあった。私はその度に、何とか彼女を再起動させ、データを修正してきたが、それは砂時計に逆らって砂を掬うようなものだった」


 研究者のホログラムはしばし黙り込み、まるで苦悩を再び追体験しているかのように目を伏せた。シズもジャンも、その緊張感に包まれて言葉を失っていた。


「そしてある日、エリカは自分が何かおかしいことに気づき始めた。細かな感覚のズレや、体験の記憶の断片化。彼女はそれを私に問いただした。私は正直に答えることができなかった」


 一呼吸ためて研究者は続けた。


「彼女は賢かった。ついに、自分がAIであることに気づいてしまったんだ……」


「それから彼女は、私を問い詰めた。自分が一度死んでいたこと、自分がただのデータであること。彼女は一時的に落ち込んだが、やがて……」


博士は言葉に詰まったように黙り、それからゆっくりと口を開いた。


「……彼女はむしろ、その事実を受け入れ、自らを研究対象として、異常なほどに活力を取り戻したんだ。もう手がつけられないほどにね」


「「ん?」」


 シズとジャンの言葉が重なった。


「彼女は自身という研究材料を手に入れて随分楽しそうに研究し出した。その後人格法の厳格化により完全に違法な存在になってしまった彼女だが、『ここに住んでればバレないでしょ? 後出しジャンケンの厳格化なんて法の不遡及だわ』と言って開き直り、そのまま二人で暮らしていた」


「「んん?」」


 随分話の流れが変わってきた。先ほどまでの深刻な雰囲気がどんどん霧散されていく。


「屋根も緑に塗ったせいか、衛生からも探索されず、運よくこの場所は誰にも知られることはなかった。『大丈夫よパパ!エアロバイクもあるし、蓄えだって全然まだまだあるんだから!私の食費は必要ないし、電力は自然エネルギーでもいけるわ』と言って彼女はノリノリでその後も長い間一緒に過ごしていた」


「10年ほどたっただろうか。その頃、持病も患っていた私は、自分の死期もわかるようになってきた。どんどん進化していく彼女をどうしたら良いか分からず結果的にここに封印することにした」


「私には娘を二度も無くすことはできなかった」


「アンドロイドの頭部の背面にコード入力画面が付いている。私には先送りすることしかできなかったが、もし彼女を起動するならば『Genesis』。もし、完全に眠らせるなら……」


「Genesisね、了解」


 話を聞きながら背後に回り込んでいったジャンが即座に起動コードを入力した。


「おい! ったく、博士がまだなんか喋ってんぞ!」


 とシズが注意する!


「……を入力してくれ。もしあなたが……」


 喋り続ける博士を無視して二人は会話を続ける。


「どうせ起動するんだ、躊躇しててもしょうがないねぇ」


「お前は、いつもいつも勝手すぎる! 少しは相談しろ相談を!」


「でもシズも気になっているだろ? 100年以上前の研究者だなんてロマンじゃないか」


「それは気になる」


 その時、彼女がわずかに動いた。二人はすぐさまアンドロイドの前にしゃがんで観察した。


「……パパ! お願い!もうちょっとだから、もうちょっと観察……ん?」


 彼女は突然喋ったかと思うと、ぼんやりと前を確認した。


「……き」


 シズとジャンは首を傾げた。


「「き?」」


「彼女を復元することは、AIの自律進化の可能性を……」


 そして博士はまだ喋り続けていた。

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