未完成の物語

長月 有

第一章

 目を開けると、まぶしい朝日が部屋に差し込んでいた。カーテン越しに輝く光が、静かに目を覚ます時間を知らせている。小鳥のさえずりが、美しいメロディーとなって耳に響いていた。


 身体を起こすためにぐっと力を込めると、ふかふかのベッドの感触が心地よい。天井には白いシーリングファンが回り、部屋の隅には小さな観葉植物が穏やかに揺れている。


 ──────あぁ、んだ。  


 そんなことを考えながら、ふらつく足でリビングへと向かう。「おはよう」と笑う女性に、僕は少し掠れた声で返事をした。テーブルの上に並べられた朝食の前に座り、朝の空気を堪能するよう大きく息を吸い込むと、香ばしい焼けたパンと珈琲の香りが鼻腔をくすぐる。


「ほら、早く食べないとお昼になっちゃうよ?」


 そう彼女に急かされ、僕は珈琲のカップを手に取る。


「僕はもっとじっくり味わいたいのに……」


「味わえばいいじゃん」


んだよ。音楽の世界ではよく、『ホールに響く余韻までが一曲だ』なんて言われたりするだろ? 急いでいたら、その余韻が響く暇もない」


「そんなことはないと思うけど」


 僕も彼女も一歩も引かないまま会話は途切れる。カチカチという時計の音だけが殺風景な部屋を奏でていた。


「もうお昼……今日は早いね」


「そうだね」


 は、とてもゆっくりな一日だった。僕らの一挙手一投足をじっくりと確かめるかのように、一文字一文字が過ぎていった。


「ねぇ、冷めたコーヒーは好き?」


 彼女の突然の質問に、僕は少し驚く。


「いや、あまり……」


「ゆっくりだったら良いって訳じゃない」


「それは分かってる」


 彼女の言葉に対し、僕が突っかかるようにそう答えると、彼女の瞳は真っ直ぐに僕を見つめた。


「進む速さは人それぞれ。それと味わいは無関係なんじゃない?」


「そんなこと」


「じゃあ」


 僕が全てを言い切る前に、彼女はすかさず言葉を重ねる。


「さっき急いで頬張ったパンは、美味しくなかった?」


「…………凄く美味しかった」


「それは良かった」


 いとも簡単に言い負かされてしまった僕は、仕方なくすっかり冷めた珈琲に口をつける。


「時間で味わうものじゃないんだよ。珈琲も、物語も」


 彼女が大人びているのか、僕があまりに幼稚なのか。何にせよ、言い負かされるのはいつも僕の方で。彼女はいつも、少し先で僕のことを待ってくれている。


「速さに関係なく、心から味わおうとしている人にはちゃんと全部伝わってるよ」


「でも僕は…………もっと君と居たかった」


 この世界、そう。小説の中の世界の一日は、二十四時間ではない。読者が読むスピードによって一日の長さは変化する。その日に起こることも、僕達の見た目も、読者の想像次第で無限大に変化するのだ。


 だからこそ、僕は物語をゆっくり読み進めて欲しいし、じっくり色々なことを想像して欲しい。珈琲の味は……アメリカンだとちょっと嬉しい。


「それはそうだね。でも、それ以上に私はまた今日があったことが嬉しい」


 そう言って窓の外に視線を移す彼女に合わせて、僕も四角い空を見つめる。そこにはもう眩しい太陽は居なかった。


「いつか外にも行けたら良いなぁ……」


「それは僕らにはどうしようもないことだ」


 僕らのいっしょうには、既にシナリオがあるのだから。物語の枠の中で動いている僕たちには、その枠を超えることはできない。


「だからこうして言葉にするんだよ。言葉にしなきゃ、伝わらないから」


「それじゃあ、次の今日に期待だ」


「うん。楽しみだね」  


 誰かが言葉を辿っている。この物語と誰かが出会う瞬間、それが僕らの目覚めの時だ。  


 もうすぐ僕達はいっしょうを終え、深い眠りにつく。  


 また次の目覚めがあることを願って。  


 いつか僕達のが、ではなくなることを願って。  


 名前も知らない君へ。  


 僕達を目覚めさせてくれて、どうもありがとう。


 ──────それじゃあ、次の今日まで


「おやすみ」

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未完成の物語 長月 有 @yu_nagatsuki

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